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天蓋の欠片EP8-1

いつもなら賑やかなはずの探偵事務所。朝の光が窓ガラスを揺らし、資料の山に淡い影を落とす。九堂エリスは、コーヒーカップを手にデスクへ腰を下ろしたまま、眉間にしわを寄せて黙り込んでいた。

「……どうにも腑に落ちないのよね」

小さく呟く声が、場違いなほど静かな空気の中に染み込む。夜中に何度も確認した資料を改めて読み返すが、頭の中で組み上がりかけたパズルがうまく噛み合わない。
近ごろ続く真理追求の徒の襲撃――表向きには同じような手口に見えるし、彼らが狙うのはユキノやカエデなど“生成者”の力か、あるいは“観測者”蒔苗との接点とされている。しかし、エリスの目には、それだけでは説明できない奇妙な空白が見え隠れしていた。

「一部の襲撃がまるでわざと失敗したような……。狙いが甘いというより、何かを陽動しているように思えるのよ」

コーヒーを一口飲み、苦い顔をする。昨夜、タスクフォースから得た最新の報告書には、真理追求の徒の小規模な失敗事例が列挙されていたが、不自然な点が多い。たとえば、校舎裏での人質騒動――あれほど入念に人質を取った割には、真理追求の徒はまるで自分たちが捕まるかのように無防備だった。普通ならもっと強固な防御を敷き、人質を持ち去ろうとするはずが、あっさりと敗北し、人質もすぐに解放。
あれがただの作戦ミスだとするなら、彼らが連続で同じ失敗をするはずがない。一度や二度ならまだしも、ここ数回の襲撃はいずれも似通った形で失敗し、タスクフォースに捕縛される者が出ている。まるで「捕まること」自体が目的になっているかのような印象が拭えない。

「もし……真理追求の徒が意図的に手勢を送り込み、タスクフォースや私たちの動きを調べているとしたら? あるいは内通者がいて、情報を操作している?……」

エリスは自問自答を繰り返す。これまで幾度となく真理追求の徒の事件を調査してきたが、ここ最近の動きに潜む整合性のなさは、どこか外部の存在――あるいは内部協力者の匂いを感じさせるのだ。
その「違和感」がエリスの胸に疑念を芽生えさせる。誰が何のために、こんな回りくどい手を打っているのか? まさかタスクフォース内部にスパイがいるのか? あるいは蒔苗が裏で糸を引いている? どの可能性を考えても決め手に欠ける。

「もう少し踏み込んだ調査が必要ね。ユキノたちを危険に巻き込むわけにはいかないけど……」

まぶたを閉じ、探偵としての勘を研ぎ澄ませる。エリスは心の中で「私が直接動くしかない」と決断しつつあった。タスクフォースのアヤカには、最低限の情報だけ伝えておき、あくまで内偵する形で証拠をつかむ。それが賢明だろう。
デスクの片隅には、ユキノから預かったメモが置かれている。先日の訓練で痛みに耐えた経験や、カエデとの連携に関するメモ書きだ。エリスはそれを見て、小さく笑みを浮かべる。

「ユキノもカエデも、本当に強くなった。でも、まだ私が隠してる事実もある……あの子たちを守るために、嘘をつくのは正しいことかしら」

独り言が虚空に消える。事務所の外はまだ朝の通勤ラッシュが続き、車のクラクションが聞こえる。エリスは決意したように立ち上がり、コートを羽織ると鍵を取ってドアを開けた。「……先に動いてみよう。ガラスの破片を集めるような地道な作業だけど、これが私の仕事だからね」


エリスが探偵事務所を出ると、あたりは朝日が少し傾き始めた頃合いで、ビルの谷間に影が落ちていた。タスクフォースの車がチラリと通り過ぎるのを横目に、エリスはスニーカーの紐をきつく結び直し、細い路地へ足を向ける。自分専用のバイクは事務所前に停めてあるが、まずは歩きで調べたい場所があるのだ。

「前に真理追求の徒の“兵隊”が捕まった路地裏……そこに不自然な痕跡があったって聞いたわ。タスクフォースは見逃してるみたいだけど、私が確かめよう」

彼女はコートのポケットに手を入れ、いつでもリボルバー型射出機を取り出せるよう警戒を怠らない。“生成者”としての力を使う探偵という立場は特殊だが、それだけに真理追求の徒からも目をつけられやすい。それでもエリスは臆することなく、路地裏へと踏み込み、コンクリ壁の汚れや床の摩耗を丹念に調べ始める。

「……ここね。地面が焼け焦げたような跡がある。短時間でオーラが集中的にぶつかった痕かもしれない。けど、妙に円形を描くように削れてるわね。普通の戦いの跡なら、こんなに綺麗な円にならないはず」

細い指先で床をなぞり、鼻を利かせる。焦げた臭いはもはや薄れているが、エリスの頭には過去の戦闘事例がいくつも蓄積されている。この跡はどこか人工的――あえて決まった形でエネルギーを放出したように見える。
「もしこれが真理追求の徒の新兵器か、新たな儀式の痕なら……何をしようとしている?」

ふと、背後に人の気配を感じ、エリスは即座に身を翻してリボルバー型射出機を取り出すが、そこに立っていたのは意外な人物――アヤカだった。


「まったく、あなたも朝っぱらからこんな裏路地を歩き回るなんてね。おはよう、九堂エリスさん」
アヤカはスーツ姿で、不意に気配を消して近づいてきたらしい。エリスは警戒を解き、苦笑まじりに「驚かさないでよ」と返す。

「そっちこそ、どうしてここに?」
「タスクフォースとして、この路地裏の再調査をしてる。あなたも似たようなことをしてるんでしょう?」

言い合うように視線を交わしたのち、二人は無言で床の焦げ跡を指し示す。状況を共有するだけで、エリスとアヤカの意図が重なるのが分かる。真理追求の徒が残した痕跡――これが単なる戦闘の残り火ではなく、何か目的を秘めているかもしれない。

「どう思う? 私はこの円形が気にかかる。儀式か、あるいは転送装置の実験か、何らかの定点観測か……まあいろいろ推測はあるけどね」
エリスが言うと、アヤカはタブレットを取り出して画面を操作する。「私たちも同じ推測をしてる。最近、真理追求の徒が“蒔苗”に近づこうとしている話を聞いてるでしょう? 彼女の力――次元間の干渉能力――を利用するための装置の実験跡じゃないかと。あるいは、生成者のオーラを特殊な形で固定化する研究かもしれない」

「そう……もしそうなら、ユキノやカエデを狙うのもその一環よね。彼女たちの力を奪い、装置の起動に使う可能性……」
エリスは嫌悪感を露わにしながら、床の跡を蹴り飛ばすようにして「最低だわ」と呟く。「でも、それだけじゃ説明がつかない。どうしてこんなに堂々と戦闘を仕掛けては、わざと負けるように撤退したり、捕まったりしてるのかしら。タスクフォースの動きでも調べてる? あるいは内部に潜り込ませる工作員か……」と考えを巡らせるが、アヤカは首を横に振る。

「まだ断定はできないわ。ただ、私たちの内情を探ってる可能性は否定できない。ユキノたちを連れ去るより先に、こちらの防衛体制や蒔苗の居場所を探るために小競り合いを仕掛けてるのかも。まるで……獲物を狩るための下調べ、という感じ」

エリスの胸に嫌な予感が募る。「下調べが終わったら、本格的に大きな一撃が来るということね……。ユキノは今、痛みに耐えて二射まで放てるようになったけど、それでも相手が本気を出せばどうなるか」
アヤカは腕を組んで眉を寄せる。「だからこそ、こちらも急いで防御を固めなければならない。私たちも生成者たちに対するサポートを強化するし、内通者らしき人物がいないか内部調査も進める。あなたも情報があれば教えてほしいわ」

エリスは皮肉めかして微笑む。「ふふ、あなたもずいぶん素直になったわね。前みたいに“情報を渡せ!”って高圧的な言い方をしないんだから」
アヤカは顔を赤らめて視線をそらす。「……状況が状況だから。互いに協力したほうがいいでしょ」

ひとまず、二人はこの場で衝突するより、協力したほうが得策だと理解している。エリスも渋々頷き、「分かった。持っている情報は共有するわ」と言うものの、心の奥にはまだ疑念が残っている。“タスクフォースにスパイがいる”可能性も否めないからだ。今はあえて言わず、エリス独自に捜査を進める決心を固める。

「じゃ、私はもう少し周辺を探るわ。あなたもそっちのチームと連携して、変な痕跡があれば教えて」
エリスが踵を返して路地を出て行こうとすると、アヤカが一瞬躊躇するように息を飲み、「エリス……あなたも気をつけてね。真理追求の徒だけじゃなく、観測者も何をするか分からない。蒔苗と実際に会ったことがあるんでしょう?」と声をかける。

エリスは足を止め、振り返って薄い笑みを浮かべた。「ええ、会ったわ。あの子は冷たいようで、どこか人間らしさも覗かせる。でも、彼女の言う“観測終了”が来るときは、私たちが止める術はないかもしれない。……ま、できる限り先延ばしするしかないわね。私たちの行動次第ってことでしょう」

アヤカは静かに頷き、「じゃあ、また」とタブレットを閉じる。エリスは背を向け、再び歩き出す。探偵としての嗅覚が“疑念”を深めている――この騒動の裏には、単なる真理追求の徒の暴走以上の何かがある。その何かを突き止めるのが、彼女の務めだ。


一方、ユキノとカエデは朝の校内騒動も落ち着き、昼休みを迎えていた。最近は襲撃があっても小規模で、短時間で鎮圧されることが多いが、それは果たして幸運なのか、それとも相手側の策略なのか、二人には分からない。
ナナミが「そういえばエリスさん、最近忙しそうじゃない? ユキノは何か聞いてる?」と弁当をつつきながら尋ねる。ユキノは曖昧に首を振る。「うん、先生はいろいろ調べてるみたい。真理追求の徒のことか、蒔苗のことか……何を掴んだかは分からないけど、時間が足りないって嘆いてた」

カエデはノートにさらさらとメモを書きつつ、「エリスさんが疑念を抱くのは当然かも。あんなに襲撃が続いてるのに、真理追求の徒がまともに成果を得た形跡がない。……私は彼らが何か大きな作戦を隠してると思う」と静かに言う。
ユキノは頷き、「うん、先生も同じこと言ってた。そろそろ本格的な大事件が起きるんじゃないかって。……だから私たちも準備しないとね。痛みの訓練も、もう少し頑張ろう」と意気込む。カエデも微笑み、「そうだね、私も教わりたい。あなたみたいに“痛みを受け入れる”やり方」と応じる。

ナナミは、「危ないことするのはやめてよ……死なないでよ、ほんとに」と心配するが、二人はやんわりと笑って「大丈夫、そんな簡単には死なないから」と返す。実際、死と隣り合わせの戦闘を何度もくぐり抜けてきたからこそ、彼女たちはたくましくなったのだろう。
だが、エリスが胸に抱く“探偵の疑念”までは、ユキノもカエデも知らない。エリスが意図的に彼女らを巻き込まず、一人で調査を進めようとしていることを、二人はまだ気づいていないのだ。


午後の授業が始まって間もなく、またしても校内アナウンスが響いた。「……緊急警報です。校庭付近に不審者が侵入との通報があり、タスクフォースが対応中です。生徒は教室に待機し、教師の指示に従うこと……」
クラスメイトが「また!?」と青ざめる。ユキノとカエデは目を合わせ、担任から動くなと厳しく言われるが、結局二人は教室を飛び出す。このパターンも繰り返されており、担任も半ば諦めて「あんたたち、気をつけろよ!」と叫ぶだけだ。

校舎の窓から校庭を覗くと、ローブ姿の男が一人、まるで陽動作戦のように大声を上げているのが見える。すぐにタスクフォースの隊員が囲む形で警戒するが、男の持つオーラが見たところ不安定だ。ユキノとカエデは不審感を覚えつつも階段を駆け下りる。

「どうせ罠かもしれない。けど、放っておいていいのかな……」
「行ってみよう。ユキノ、痛みは大丈夫?」
「大丈夫じゃないけど……撃たなきゃいけないならやるしかない」

廊下を抜け、裏口から校庭へ近づくと、男が視線を向けて「そこにいるのは……生成者か?」と薄笑いを浮かべる。タスクフォースの隊員が「下がってください、天野さんとカエデさん!」と制止するが、ユキノは首を振って「この人、妙に力が弱く見える。怪我をするなら私たちのほうが平気。教師やほかの生徒を巻き込む前に止める」と告げる。

男が荒々しくオーラをぶつけてくるが、その一撃は先日の襲撃に比べて格段に威力が低い。カエデが刃を出し、簡単に弾き返す。続けざまにユキノが痛みに耐えて弓を呼び出し、矢を生成するまでもなく一発のオーラ弾を撃って男の腕を封じる。
「……弱い。あなた、本当に真理追求の徒なの?」
ユキノが嫌な胸騒ぎを感じながら問いかける。男は唇を歪め、「俺なんかただの下っ端さ。お前らがどんな力を持っているか確かめろって言われただけだ……!」と吐き捨てる。

「確かめる……やっぱり、私たちの動きを探ってる……」
カエデは険しい顔で低く言う。その瞬間、男がわざと背中をさらけ出すような姿勢を取り、「くっ……捕まえるなら捕まえろ!」と叫ぶ。タスクフォース隊員が簡単に拘束し、男はあっさりと気絶した振りをする。明らかに不自然だ。
ユキノは眉を寄せ、「また同じパターン……わざと負けて捕まってる。これ、どう考えてもおかしい」と呟く。カエデも同感のように頷き、「外に送り込まれてる駒なんじゃない? 組織の大半は別の目的で動いてるはず」と返す。タスクフォースの隊員が「これで終わりです、皆さん下がって」と現場を締めるが、二人の間には強烈な違和感が残っていた。

遠くの屋上――蒔苗が立っている。虹色の瞳で、その茶番めいた戦いを見つめていた。口にはしないが、彼女の表情にはわずかな憂いが漂う。“これがあなたたちの戦い? 本当の脅威はこんなところにないのに”――そんな呟きが風の中に消える。


同じ頃、エリスは別の路地裏に足を運んでいた。タスクフォースが出払っている間に、一人の情報屋から話を聞く約束がある。
廃れたビルの一階、シャッターの下にちょこんと座った情報屋は、ボサボサの髪を揺らしながらエリスを出迎える。「よお、エリスさん。来たね。あんたに聞いてほしい話があるって言われてたから、待ってたよ」
エリスは軽く挨拶しながら、周囲を警戒して腰を下ろす。「いつものギャラで頼むわ。余計な詮索は抜きで、要点だけくれると助かる」

情報屋は鼻で笑い、「まあまあ、あんたは信用してるから大丈夫。タスクフォースの目を逃れるのも慣れたもんだ。で、話ってのは例の真理追求の徒が最近やたらと“捕まりやすく”なってる件だよ」と切り出す。
エリスが目を輝かせ、「やっぱり、そこに裏があるのね?」と乗り気になると、情報屋は軽く首を振る。「ああ、間違いなくある。どうやら彼らは“内部に連絡役”を仕込んでるらしい。タスクフォース側に情報を流す連中と連動して、小さな襲撃を繰り返してるんだ」

「内部に連絡役……やっぱりスパイみたいなのがいるわけね。で、何のために?」
「さあね、そこまでは分からない。俺の勘だと、タスクフォースや生成者たちの戦力を測るのが第一目的だろうけど、それだけじゃない。何か“大きな儀式”を控えているらしくて、その下ごしらえって噂もある。蒔苗を使って次元を超えるだとか、いろいろトンデモない計画が動いてるってさ」

エリスの胸がざわつく。まさに自分が抱いていた“疑念”が、具体的な形を伴って現れ始めた。「要するに、真理追求の徒はわざと捕まるふりをして、情報を逆に仕込んだり、捕虜になったメンバーがタスクフォース内のスパイと連携したり……そういうこともあり得るってことね」
情報屋は頷き、「ああ、それが怖いとこだ。あんたも気をつけな。もうスパイがタスクフォースに潜り込んでるなら、下手をするとあんたの動向も筒抜けになるかも。ユキノやカエデって生成者の子たちも、容易に狙われるだろう」

エリスは唇を噛み、「そうなると、もう内輪のアヤカにも全部は言えないわね……。でも、何としても真理追求の徒の大計画を止める必要がある。蒔苗が本格的に動き出す前に……」と心で決意を燃やす。
情報屋が「そこまで言えりゃ上等だな。ここから先は俺も危険だからあまり深入りしない。報酬はいつもの口座でいいから、頼んだよ」と逃げるように立ち去ると、エリスは一人で夜の路地に取り残される。

「……さて、疑念が確信に変わりつつあるわね。タスクフォースの中に誰がいるのか知らないけど、アヤカじゃなければいいんだけど。面倒なことになりそう……」

溜め息を吐きながら、エリスはまた靴の裏を鳴らして歩き出す。この事態をユキノやカエデに伝えるのは避けたいが、彼女たちの命に関わる以上、黙っているのも限界がある。探偵としての判断が試される時だ。


夜に近づく夕方。学校の放課後、ユキノとカエデはいつものように護衛を引き連れて下校しようとしていたが、そこにエリスの連絡が届く。「少し大事な話がある。事務所へ来て」との短いメッセージだ。
二人はタスクフォースに許可を取り、護衛の車で探偵事務所へ向かう。ドアを開けると、エリスがソファに座り、台所のポットから紅茶を淹れていた。どこか疲れた表情を浮かべながら、「よく来たわね」と声を掛ける。

「先生、どうしたの? そんな呼び出しとか珍しいけど……」
ユキノが問いかけると、エリスはファイルを机に投げ出す。「実は、真理追求の徒が何か大きな“儀式”をしようとしてるって噂が入ったの。蒔苗を使って次元を超えるだとか、生成者の力を大量に取り込むだとか、いろんな説があるけど……」

カエデが息をのむ。「やっぱり……。私も研究施設で聞いた話と似てる。もしそれが本格的に動き出すなら、私やユキノが狙われる可能性が跳ね上がるね」
「そう。そして更に最悪なのは、タスクフォース内部にスパイがいるかもしれないってこと。私が得た情報だけど、あまり大っぴらに言えない。もし私の推測が当たっていれば、護衛も完全には信用できない状況かも」

ユキノの表情が一気に曇る。「そんな……じゃあ、私たちどうすれば……」
「まずは注意深く行動すること。アヤカはまだ信用できると思うけど、彼女の周りの人間まで信用できるとは限らない。下手に動けば、あなたたちが大きな罠にはまる危険もあるわ」

探偵事務所の空気が重く沈む。夕陽が窓から差し込み、エリスの横顔を赤く染めるが、その瞳は深い疑念の炎を宿したまま。ユキノとカエデはちらりと目を合わせ、静かに頷く。

「先生が疑念を抱いてるなら、私たちも協力するよ。……怖いけど、放っておいても次の襲撃が過激化するだけだし」
「ええ。あなたたちを危険に巻き込みたくはないけど、もはや一緒に動くしかない。カエデも、それでいい?」
カエデはわずかに唇を噛み、「うん。私は……ユキノと一緒に戦うって決めた。タスクフォース内部の誰かが敵だとしても、負けたくないから」と小さく言う。

エリスはほっとしたように息をつき、「ありがと。じゃあ、まずは私の疑念を裏付ける証拠を探しましょう。あなたたちは普段通り学校へ行きつつ、何か“妙な指示”をタスクフォースから受けたら教えて。私は独自に情報屋を回って、連絡役の正体を突き止めるつもり」と提案する。
ユキノとカエデは力強く頷き、三人はこれまでにない緊迫感を共有する。まるで夜明け前の暗闇が迫るように、町に漂う不気味な空気――それを切り裂くためには、一致団結と慎重な駆け引きが必要だ。


その夜、再びエリスは街を駆け巡っていた。情報屋から得た断片をつなぎ、タスクフォースの動きを監視しながら“スパイ”の足取りを探す。だが、そう簡単には尻尾を出さないようだ。
一方、ユキノとカエデはタスクフォースの護衛を受けながら帰宅しようとしていたところ、ビル街の暗い通路で謎の男に襲われる。いや、正確には男が「助けてくれ……!」と弱々しく声を上げながら近づいてきたのだが、すぐにオーラを放って攻撃するという卑劣な手口で不意を突いた。

「また……何度目の茶番? いい加減にして……!」
ユキノは胸の痛みに耐えながら弓を構え、カエデも刃を出して構える。しかし、男の動きは鈍く、まるで時間稼ぎのように見えた。護衛の隊員がすぐに身を乗り出すが、男はわざと失敗するように攻撃を散漫に打ち、あっさりと捕らえられる。
「何これ、どうしてこんな無駄なことばかり……」
カエデが苛立ちを隠せず、刃を消しながら男を睨む。だが男は「ううっ……捕まった……」と芝居がかった声を出し、口をつぐんで黙り込むだけ。タスクフォース隊員が呆れて、「やはり自分から捕まるパターンか」とつぶやく。

ユキノは「あの……もしかして、これも何かの仕組まれた罠なんじゃ……」と頭を抱える。ここまで同じ手口が繰り返されれば、誰でも妙だと思う。
「隊長への報告が必要ですね」と隊員が連絡を取る中、夜空の上、ビルの屋上には淡く人影が揺らめいている。虹色の瞳――蒔苗だ。彼女は冷たい眼差しで、この下らない小競り合いを見下ろす。

「……また同じパターンの襲撃。いい加減に感じるでしょう、ユキノ。あなたは成長してるのに、相手がわざと手加減しているなんて、滑稽ね」
蒔苗の独り言は夜風に溶け、誰にも届かない。彼女はこの光景に諦めや退屈を覚えるのか、あるいはユキノたちの気持ちを案じているのか――その表情は読み取れない。


翌日の朝、エリスは事務所で資料を整理しながら確信めいた思いを抱いていた。真理追求の徒が連続で“敗北”したり“捕まる”ふりをしているのは、やはりタスクフォース内部へフェイク情報を送り込んだり、護衛状況を逆探知したりするための手段。蒔苗やユキノ・カエデを狙う本当の計画は、まだ闇の中だ。
「このままだと、タスクフォースは敵にデータを渡しているようなもの。アヤカが頑張ってるのは知ってるけど、それだけじゃ防げない。誰が内通者か分からない以上、慎重に動くしかないわ……」

机の上には、ユキノたちを守るための訓練スケジュールや、アヤカから任意で届いた防衛ラインの情報がある。それらと真理追求の徒の襲撃記録を突き合わせると、いくつかのパターンが浮かび上がる――まるで侵入経路や護衛編成を学習するかのように、毎回少しずつ異なる場所で衝突が起きている。

「これが“真理追求の徒の大きな目的”に繋がるなら、本番は近い……。問題は蒔苗がどう出るかよね。あの子が彼らを拒否し続けてくれればいいけど……もし観測を終了すると判断したら、私たちの努力なんて一瞬で消し飛ぶ。ユキノやカエデの成長が間に合うかどうか、正念場ってところかしら」

エリスは長いため息を吐き、「私もそろそろ覚悟を決めるか」と自分に言い聞かせる。探偵として、一つの真相――スパイの正体や真理追求の徒の大計画――を暴くために足を使い、頭を使う。そして、ユキノやカエデがさらに成長し、痛みを乗り越えたとき、蒔苗がどう動くかを確かめねばならない。
そう考えながら、エリスはコートを着込み、窓際の鏡で髪を整える。どこかで今、蒔苗が“隠れた観測”を続けているだろう。彼女の冷静な眼差しは、エリスやユキノたちがどう動いても微動だにせず、ただ見届けるだけ。だがエリスは思う――観測者であろうが、いつかは心を揺さぶられる瞬間があるかもしれない、と。

「ま、とにかく今は“探偵の疑念”を晴らしに行きましょうか。誰が裏切り者なのか、何を企んでいるのか……全部引きずり出してやるわ」

そう呟いて、エリスは事務所のドアを開ける。陽が高く昇った青空の下、冷たい風がビル街に吹き抜ける。こうして、探偵の疑念をめぐる物語が、次なる局面へと動き出す。真理追求の徒の真の目的――蒔苗との接触の真意――それらが絡まり合い、ユキノやカエデをさらなる試練に誘うだろう。だが彼女たちが強くなり、心を通わせる絆が深まっている今、絶望よりも希望を感じさせる結末が待っているかもしれない

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