再観測:星を継ぐもの:Episode9-1
Episode9-1:意識世界での対話
星海の深い闇に漂う仮設拠点――そこでは艦隊のエンジン音もいくぶん落ち着き、行き交う整備士たちの足音も静まっていた。大規模な作戦が一段落し、次の動きを模索するために、みな限られた休息をとっている。だが、その静寂のなかにも戦慄は絶えない。何しろ、コアと思しき巨大施設との短い接触で、アリスが再び深いダメージを負ったばかりだからだ。
仮設医務室――そこは白いパネルと簡素なベッドが並ぶ、小さめのスペースだった。技術班や神官隊の負傷者も多く、医師や看護師が忙しなく動き回っている。そんな中、カーテンで仕切られた奥のベッドには、アリスが横たわっていた。彼女は二日前にコアとの干渉を試みて力を使い果たし、意識を取り戻したばかり。今も脳波が不安定で、毎日検査を受けている。
カインはそのベッドのそばに座り、アリスを見守っていた。彼女は静かな寝息を立てているように見えるが、時折眉間を寄せて、なにかうなされるような仕草をすることがあった。体温は平熱だし、脈拍や呼吸も比較的安定しているというが、どこか苦しげな表情を浮かべるたび、カインの胸は痛んだ。
(大丈夫か、アリス……今は眠ってるだけって医者は言うけど、内面で何が起きてるのか……)
そんな思いでじっと待っていると、ふとアリスのまぶたが震えた。ゆっくりと瞳が開き、青みがかった瞳がかすかに光を宿す。カインがとっさに声をかける。
「アリス、目が覚めたか。……大丈夫? 具合どうだ?」
アリスは一瞬焦点が合わないように周囲を見回し、ゆっくりカインを認めると、うっすら微笑んだ。だが、その笑みにも不安の色が滲んでいる。
「……カイン……うん、平気。頭はもう少しジンジンするけど、大丈夫、よ……。ごめんね、また心配かけて……」
「いいって。少しでも良くなったならそれでいいんだ。焦らなくていいからな」
カインは心底安堵したようにため息をつき、アリスの手をそっと取る。アリスは自分の手が汗ばんでいるのを感じ、照れるように目を伏せる。
「ありがとう……。それにしても、また迷惑かけちゃってる……。コアに近づいて、私……結局何も思い出せずに倒れただけだもん」
「そんなことないよ。確かに危険だったけど、あれでお前は何かを掴んだはずだろ? 変な人型にも会ったし。ほら、アーサー卿やガウェイン、トリスタンだって“前進はした”って言ってたじゃないか」
そう言われてアリスは苦い笑みを返す。「うん……そうだけど、私自身、何が前進なのかわからない。上位世界だの目覚めるなだの、いろんなヒントがあって、頭がぐちゃぐちゃ……。このままじゃ、また皆に迷惑をかけちゃうかもしれないし……」
カインは首を横に振り、力強く断言した。「お前が悪いわけじゃない。お前だけがこの世界の謎を背負ってるわけでもない。みんなで解き明かすって決めたんだ、気負うなよ」
アリスは涙を浮かべそうになって目を閉じ、「うん……ありがとう……」と喉を詰まらせる。カインはそれ以上言葉をかけず、ベッド脇でアリスが落ち着くのを待った。
その夜、アリスは病室で横になったまま、妙に意識がはっきりしているのを感じた。頭痛も和らぎ、身体の倦怠感も薄れている。それなのに、まぶたを閉じた内側には薄い霧がかかったような幻想的な風景が浮かんでは消える。まるで誰かが夢に招いているかのようだった。
(……また、あの“声”が聞こえるかもしれない。コアで倒れたときみたいに……)
恐怖と好奇心が入り混じる中、アリスは次第に睡魔に包まれていく。そこから先の時間は、自分でも覚えていないほど自然に落ちていった。意識が深みに沈むたびに、遠くで「……アリス……」と呼ぶ声がかすかにする。
(あなたは誰……? ずっと呼んでるのは……?)
返事はなく、ただ夢の暗闇が広がる。と思った瞬間、急に視界が明転し、光があふれる白い世界へ移り変わった。床も天井もわからない、無限に広がる空間がまばゆい輝きを放っている。そこにアリスは立っていた。服装はいつもの医務室着ではなく、なぜか静かな青いワンピースを身にまとっている。
「ここは……どこ……?」
自分の声が透き通るように響き、どこまでも反響していく。足元を見ても何もない。ただ無限の白。なのに不安感は薄い。むしろ懐かしささえ感じる。ここは“意識の中の世界”――そう直感するようにわかる。
すると、柔らかな風が吹き、遠くから人影がぼんやり浮かび上がった。輪郭だけが黒く、顔や服装の細部は定かではないが、長い髪のラインを持つ女性のようだ。アリスは思わず声をかける。
「あなた……だれ……? 私を呼んでたの?」
人影はふわりと宙を移動し、アリスの正面に立つ。近くで見ると、背丈はアリスとあまり変わらないようだが、表情が覆われていてわからない。しかし、その唇が動き、声を発する。
「……アリス……。目覚めてはいけない。あなたが眠り続ける限り、この世界は守られる。だから……」
そこまで言うと人影は一瞬揺らぎ、背景の白い世界が淡い色彩を帯び始める。アリスは苦しくなるほどの動悸を覚え、「なに、どういうこと……? 眠れって……私、ずっと眠ってるの?」と問う。
人影は少し間を置いて、再び言葉を紡ぐ。「あなたの“上位”にいる本体が目覚めてしまえば、下位の世界は消滅する。だから眠り続けてほしい……あなたも、本当はそれを望んでいるはず……」
アリスは混乱と恐怖で体が強張る。「わからない……私が目覚めると世界が消える? そんなの嫌だよ。でも、私、どうしても何かを知りたいの……みんなを助けたいし……それを止めるには……?」
人影は悲しげに首を振るように揺らめいた。「知ろうとすればするほど、あなたは覚醒に近づく。ユグドラシルの力が解放され、下位世界が崩壊するかもしれない。それでも進みたいの?」
アリスの心が激しく揺れる。確かに、コアや結晶に触れるたびに視界が開け、記憶が呼び戻される感触があったが、その先にあるのは「目覚めによる世界の崩壊」なのだろうか。でも、カインや仲間たちの命がかかっている世界を犠牲にしたくない。
「そ、そんな……もし私が覚醒して、この世界が壊れるなら、私は……でも……」
思考が堂々巡りを始める。しかし、自分には、これまで一緒に戦ってきた仲間たちを守りたい気持ちがある。さらに言えば、ユグドラシルやこの世界の謎を明かして、The Orderの脅威をどうにかしなければ、多くの命が失われるかもしれない。
「私は……私たちは、この世界を守りたい。カインやアーサー、ガウェイン、トリスタン、みんなを。私が眠ったままじゃ、The Orderを止められない。あのコアが何をしてるかだってわからない……」
人影は静かに耳を傾けるように見えるが、声のトーンは変わらない。「わたしは……あなたを守りたい。この世界と、あなた自身、両方を。だからこそ、目覚めてほしくない。もしあなたが真に覚醒すれば、すべてが泡沫のように消える……それが“神にも等しい力”を持つ、アリスの本体の宿命」
「神にも等しい力……私が……?」
アリスは震える声で繰り返す。確かに、仲間からも“特別な干渉力を持つ存在”だと言われ続けていたが、そこまでとは思っていなかった。一方で、記憶の断片で見た“巨大な大樹”――ユグドラシル――が頭をよぎる。そこに座していたのは自分自身かもしれない。そもそも上位世界で眠る自分が目覚めれば、ここが消えてしまうのか?
「アリス……あなたはこのまま、この世界で生きればいい。余計な真実を追い求めず、ただここで戦い、そしてどこかで静かに暮らせば、世界は続く。あのコアだって不用意に触らなければいい……」
人影の声が妙に優しく響く。アリスは涙が浮かびそうなほど切なくなる。確かにそれが一つの選択かもしれない。だが、どうしても違和感がある。もし放置すれば、The Orderはいつかこの世界を侵し尽くすのではないか。あのエース機や人型の守護者が出現し、仲間たちを苦しめるだろう。
「そんなの……嫌……。仲間が苦しんでいるのに、私だけ黙って眠り続けるなんて……。私には、カインやみんなを守る責任がある。私は逃げたくない!」
アリスが怒りに似た感情で強く言い放つと、人影は少し悲しげに見え、薄い苦笑を浮かべたように見える。
「あなたはきっと、そう言うと思ってた。けれど、それは同時に破滅の道でもある。私たちがどんなに止めても、あなたは先へ進むのね……」
「私たち……?」
アリスが疑問符を浮かべる間もなく、人影がかすかにかがみこんで、彼女の額に手をかざすような仕草をする。すると世界がぐにゃりと歪み、再び真っ白だった空間が闇へ溶けていく。
「……いつかまた会いましょう、アリス。ここは意識世界。あなたが深く干渉すれば、私たちは姿を見せる。でも、あなたの覚醒を止めるためにも、こちらも手段を選ばないかもしれない……」
薄い声が鳴り響き、意識が遠のく――
「アリス、アリスっ!」
誰かの声が聞こえる。目を開けると、そこにはカインの焦った顔がある。アリスは何とか瞬きをして焦点を合わせた。場所は医務室のベッド。どうやら、意識を失っていたようだ。
「どうした……? 急に苦しみだして……」とカインは額に汗を浮かべている。アリスはハッと息をつき、自分が大粒の汗をかいているのに気づいた。シーツが少し湿っている。しばらく呼吸を整えないと頭が回らない。
「私……夢を見ていたの。意識世界、っていうのかな。誰かが……私を呼んで、眠り続けてって……」
カインは困惑した表情で「そいつはまた、わけのわからないメッセージだな」と返す。「眠ったままってどういうことだ……?」
アリスはぎこちなく笑って、「よくわからないけど、私が覚醒することを止める存在がいるみたい。あの人型が言ってた“目覚めるな”と同じように……。でも、それは私を守ろうとしてるっていうか、この世界を守ろうとしてる、みたい」
「ふむ……」
声が聞こえ、カーテンを横から開けたのはアーサーだった。彼も医務室に居合わせたのだろう、真剣な面持ちだ。「アリス、大丈夫なのか。苦しそうな声を上げていたから、スタッフが呼びに来たんだ。無理はするなよ」
「アーサー卿……うん、もう平気……。でも、意識世界の中で……私、誰かと会話していたの。具体的には覚えてないけど、上位世界にいる私とか、コアに干渉する私を止めようとする“彼ら”がいるみたいで……」
アーサーは難しい顔で黙り込み、やがて静かに言う。「いずれにせよ、あなたが意識世界で対話できるなら、何らかの道があるはずだ。干渉力を使わずとも、そういう形で情報を得られる可能性がある。でも、リスクもあるな。心を直接揺さぶられて、消耗するのはあなた自身だ」
カインがアリスを心配そうに見て、「これ以上無茶しないでくれ。お前が壊れたら、俺ら全員困るんだ」と苦笑する。アリスは微笑み返しつつ、「ごめんね」とうつむく。「でも、私、彼らともう一度話がしたい。いまは何も分かってないけど、意識世界で対話できれば、コアのこともユグドラシルのこともわかるかもしれないし……」
「なら、その手段を考えるべきかもしれないな」
アーサーが目を細めてうなずく。「どうすれば再び意識世界に入れるのか、あるいは誘導できるか。干渉制御と神官の力を組み合わせれば、アリスを安全に眠らせて、意識を深く掘り下げることができるかもしれない。もちろん大きなリスクを伴うが、得るものが大きければ検討に値する」
そこへガウェインとトリスタンが姿を見せる。ガウェインは相変わらず盾を携えていて、「何の話だ? アリス、無茶はするなよ」とからかうように言うが、アリスは笑えない表情で「うん、そうだね。でもやらなきゃいけないと思うの」と返す。
トリスタンがライフルを抱えながら冷静に分析する口調で言った。「もし意識世界で情報を得られるなら、我々がコアを直接破壊しに行くより安全かもしれない。ただし、相手がアリスを洗脳したり心を壊そうとする可能性もある。どちらにせよ、護るのは我々の役目だね」
その後、医務室の一角で簡単な作戦会議が行われた。神官隊も呼ばれ、アリスの「意識世界へ再びアクセスしたい」という希望をどう形にするかが検討される。干渉力に頼りすぎると危険だが、ある程度の安全装置を施して誘導睡眠を行えば、意識世界での対話が可能かもしれない。
「私が眠った状態で神官の術式を組み合わせて、観測光の波長を安定させれば、意識世界への入り口が開く可能性がある……ってことですね」
アリスは神官隊の説明を聞きながら、半信半疑で頷く。カインやガウェインは「何でもやってみるしかないだろう」と言うが、アーサーは「成功しても、あの人型や“彼ら”が精神攻撃してくるかもしれん。覚悟はあるか?」と念を押す。
アリスはベッドに腰掛けたまま、大きく息を吸い、「うん、覚悟はしてる。私が何者で、この世界で何をすべきか、もう避けて通れないから……」と静かに答える。
カインはそんなアリスの横顔を見つめ、複雑な感情を覚える。彼女が苦しむ姿を見たくはない。でも、彼女の意志の強さもわかっている。意識世界で対話して得られる事実が“目覚め”と直結してしまうかもしれないが、アリスはそれを恐れずに前へ行こうとしている。
「わかったよ。じゃあ、俺はここで待ってる。もし何かあったらすぐ呼び覚ますからな」
カインがそう言うと、アリスはほほえんで「ありがとう、助かる。あなたがいてくれるなら頑張れるかも」と微笑む。神官隊の女性が儀式的な装置を並べ、ベッド周りに小さな結界を張り始めた。数分かけて準備が整い、アリスは点滴を外し、代わりに脳波モニタにつながれた。
ほどなくして医務室が厳かな空気に包まれた。神官隊が低い声で詠唱を始め、観測光を調和させる呪文を使いながら、アリスに安眠を誘導する。アリスはベッドに横たわり、カインがそっと手を握り、「行ってこい」と囁く。アリスは目を閉じる瞬間、「うん……行ってくる」と息を呑んだ。
(また会えるのかな。“声”の主に……。私が眠ることを望む相手に、もう一度聞きたいことがある……)
意識が遠のき始める。瞼の裏には淡い光が揺れ、肌をかすめるような風が吹く感触がある。これはきっと、神官隊の結界で干渉を安定させているからだろう。やがて思考が深淵へ落ち込み、視界が真っ白に塗り替えられていった。
再びやってきたのは、あの真っ白な意識の世界。ただし、前回よりも色彩がうっすら混ざり合っているのを感じる。ふわりと足を下ろすと、しっかり“床”のような感触があるが、相変わらず空も壁もない。ただ、遠くに虹色のラインがゆらめいているのが見える。
アリスは周囲を見回し、「来た……のかな。神官の術式が効いてるんだ」と呟く。前回は強制的に呼び出された感があったが、今回は自分の意志で深く入り込んでいるらしい。すると、さきほどの人影がまた姿を見せるのか――そう思った矢先、背後から声がした。
「……また来るなんて、あなたは本当に強情ですね。これ以上深く知れば、取り返しがつかないかもしれないのに」
振り返ると、そこには同じ黒い人影が立っていた。仮面を被ったわけでもないのに、顔の輪郭だけが黒く潰れて見え、相変わらず容姿がはっきりしない。
アリスは少しだけ身構えつつ、必死に声を安定させる。「あなたは、私を止めようとしている……でも、どうして? 目覚めたら世界が滅ぶとか、私が神に等しいとか……はっきり教えてよ。誰が敵で、誰が味方か、私には判断がつかないんだ……」
人影は静かな息遣いのようなものを立て、まるで苦笑するかのように頭を振った。「あなたは、この世界に愛着を持ってしまったから……戻ってくると思ってた。私が教えられる範囲で話しても、あなたは納得しないでしょう。でも……それでも少し話しましょうか」
「ほんと……?」
アリスは半ば興奮まじりに身を乗り出す。人影はわずかに後ずさりしつつ、宙に一条の光を描いた。すると、空間が切り裂かれるようにして淡い映像が現れる。そこには、大樹のような巨大なエネルギー体がゆっくり成長する姿が映し出されていた。無数の枝が絡まり合い、その一つ一つが星のように輝く。
「これは……ユグドラシル……?」
アリスは息をのむ。人影は言う。「そう、これはあなたが“世界をエミュレート”している姿。あなたが眠っている限り、この世界は続く。でも、あなたが覚醒してしまえば、エミュレーションは一瞬で終わる」
「私が……眠って世界を作り出してる? じゃあ、今カインたちがいるのも、私が眠ってるからって……?」
衝撃にアリスの思考が追いつかない。人影は静かに続ける。「そう、だから私たちは、あなたがこの世界を愛しているならこそ、眠り続けてほしい。いま上位世界であなたが目覚めたら、すべてが虚無へ還る。私たち――あの人型や干渉者たちは、そのためにあなたを止めている」
アリスは大きく頭を振った。「でも、じゃあThe Orderやあのコア、エース機は何? 彼らも上位世界から来てるの? どうして人々を苦しめるの?」
人影は少し躊躇ってから答える。「The Orderは、あなたが作った世界における“均衡装置”の一面を持つ存在。あなたの意識が眠りを乱すほど、The Orderも拡大し、あなたの目覚めを誘発する。あるいは阻止する場合もある。複雑な理由で混ざり合っているのよ……」
「よくわからない……でも、The Orderがみんなを傷つけてるのは事実だよ!」
アリスが吠えるように言うと、人影は静かな声で応じた。「下位世界にとっては恐怖だろう。でも、あなたがもし“本当に”覚醒を拒むなら、The Orderも消滅しない均衡点が成立する。だから、あなたが無理に記憶を取り戻すのは、危険なのよ」
「けど、あのコアやエース機がやってることは、放っておけば下位世界が滅びるかもしれない。カインや仲間は確実に苦しむ。それでも眠ってろっていうの……?」
「あなたが干渉しなければ、均衡は保たれるはずだった。でも、あなたが干渉し、この世界を深く認知するほど、“神”としての力が……」
そこまで語りかけた人影は突然ビクリと動きを止め、空気がピリピリとした緊張感に包まれる。アリスもその変化を敏感に感じ取り、「どうしたの?」と声を上げる。人影は短く息を呑み、「……誰かが、こちらの対話を割り込もうとしてる」と呟いた。
すると、白い世界の空間が急激に暗転し、ブラックアウトするかのように色を失っていく。アリスは「あっ……!」と声を出すが、身体が強制的に引っ張られる感覚を覚え、意識世界から押し出されそうになる。
人影は慌ててアリスを引き留めようと手を伸ばすが、突如大きな衝撃が走り、二人の間に亀裂のようなものが走る。まるで三人目の干渉者が力ずくで会話を断とうとしているかのようだ。
「っ……ちょっと、待って……! まだ話があるの!」
アリスが叫んで手を伸ばすが、人影はかすかにかぶりを振っている。「やっぱり、あなたの存在は危険すぎる。だから、別の力が強引に介入してきてる。ごめん、アリス……」
「待って! 私はもっと知りたい! 上位世界で眠る私、ユグドラシル、どうすれば世界を救えるか……!」
人影の姿が波紋のように崩れ、最後に「あなたがそれでも進むなら、私たちも全力で止めるでしょう。それが本当にいいのか……」という声だけが響いて消えた。アリスは呼びかける暇もなく、意識の白い世界を弾き飛ばされるように暗闇へ落下する感触に襲われる。
「アリス、聞こえるか? 戻ってこい!」
カインの声が頭の中で反響する。アリスは強い頭痛に耐えながら目を開けると、医務室の天井が見えた。神官隊が慌ただしく術式を解いており、結界が消えていく。
どうやら、途中で誰かが干渉してきたことで術式が乱され、強制的に意識世界から引き戻されたらしい。アリスは息も絶え絶えに、「う……うん、戻った。ごめん……」と小さく答える。
カインが抱き起こしてくれたおかげで、なんとか起き上がることができた。周囲ではアーサーやガウェイン、トリスタンが心配そうに見ている。アリスは軽く頭を押さえて「でも、少しは聞けたわ……私が上位世界で眠っている理由とか……」と言いかける。
アーサーが「本当か!?」と身を乗り出す。ガウェインやトリスタンも息を呑む。カインはアリスの肩を支えながら、「詳しく聞かせてくれ。しんどいならあとでもいいけど……」と優しく提案する。アリスは顔をしかめてから、歯を食いしばって話し始めた。
「……意識世界で、黒い人影が言ってたの。私が“目覚める”と、この下位世界が消えてしまうかもしれないって。だから私には、ずっと眠っていてほしいって……」
「眠ってる? お前、ここにいるじゃねえか」とガウェインが当たり前の疑問を口にする。アリスは苦笑いを浮かべ、「私もよくわからない。でも、どうやら私には上位世界で眠る“本体”があるらしく、ここは私がエミュレートしてる下位世界なんだって……」
その衝撃的な言葉に、全員が無言になる。トリスタンがメガネを直し、「つまり、もしアリスが本当に覚醒すれば、この世界がなくなる……?」と低く問う。アリスは頷いた。
「そんな話、受け入れがたいよね。私だって嫌。でも、あの人影は本気で私を止めたいみたいだった……。ってことは、コアを触れたり、結晶を使って記憶を取り戻したりする行為は、私の覚醒を進める可能性があるのかも」
アーサーが深い息をつき、「つまり、あの人型や敵が“目覚めるな”と警告するのは、そういう理由か。これまで正体不明だったが、筋は通る」と感慨深げに言う。
ガウェインは盾を擦りながら眉をひそめ、「となると、俺たちがあんたの力を頼りにしてコアを攻略したり、ユグドラシルの真実に迫ったりするのは、自殺行為になるかもしれねえってことか? 世界が消えるんじゃ本末転倒じゃねえか」
アリスは俯き、「そう、私も怖い。でも、だからって何もしなきゃThe Orderの侵略は止まらない。仲間を救えない……」と絞り出す。カインはそんな彼女の肩をそっと抱き、「大丈夫、方法はきっとある。お前が全部覚醒しなくても、うまく力だけ引き出せる方法とかさ……」と励ます。
「アリス……辛いだろうが、あなたが自由に行動していいんだ。誰も責めやしない。ただ、我々はこの世界を捨てるわけにもいかない。どうにか両立の道を探そう」
アーサーの落ち着いた声が響き、トリスタンも「そうだね。まだ結論を急ぐ段階じゃない。闇雲に覚醒を進めるより、確実な手がかりを集めていくしかない」と同調する。ガウェインも「ま、俺らにはあんたが必要だからな。世界が壊れないうちにThe Orderを潰せりゃ文句なしってわけだ」と肩を竦める。
アリスはありがとうと小さく呟き、心が少しだけ軽くなった気がした。意識世界で対話した結果、真実はますます重くのしかかっているが、それでも仲間たちが味方でいてくれることが支えになる。
アリスが夢のような空間で“黒い人影”と話し、そこから導き出されたのは「彼女が上位世界で眠り続ける神にも等しい存在」「覚醒すれば世界が消えかねない」という衝撃的な事実。
しかし、それを踏まえても、カインたちは彼女とともに歩む道を選んでいる。世界が破滅するリスクと、The Orderを放置すればこの世界が滅びるリスクの狭間で、どうやって活路を見いだすのか――。
すでに後戻りはできない。アリスは自分の“意識世界”をさらにつき詰め、記憶を取り戻しながら、この世界を救う道を模索しようと決心した。カインはその決心を支え、仲間たちも意思を同じくする。それが彼女の“目覚め”を促すかもしれないし、あるいは別の結果をもたらすかもしれないが、それでも前へ進むしかないのだ。
医務室の外で、星海が照らす夜の景色はどこまでも静かだった。艦隊の照明が淡く艦橋を照らし、ガウェインやトリスタンが夜勤の巡回をしている。アリスは病室の窓からその光景を見つめ、心の中で呟く。
(もし私が本当に“神”になってしまうとしても、カインやみんなを守る方法があるはず。目覚めろと言われても、目覚めるなと言われても……私がこの世界を守りたい意志は変わらないから)
遠くで要塞から漏れる観測光がちらちら瞬き、あのエース機や人型の守護者たちがいる気配も消えてはいない。激戦が繰り返される将来を思えば、安心などほど遠い。だがアリスは、意識世界で対話したおかげで、自分の宿命を少しだけ受け止める覚悟が固まってきたのかもしれない。
その夜、カインが見回りを終えて再び病室に顔を出すと、アリスはすやすやと眠っていた。静かな寝顔に苦悶の表情はない。医師が「今日は大丈夫そうだ」と言葉を添える。カインはそっと心の中で祈る。
――いつかまた、アリスが意識世界で相手と対話するとき、さらに踏み込んだ真実を知ることになるだろう。その先に何があるかはわからない。しかし、アリス自身が選んだ道ならば、きっと乗り越えられるに違いない、とカインは信じている。
まばゆい星海の輝きが外から差し込み、病室の窓に優しい光を落とす。アリスの穏やかな寝息が小さく響き、カインは椅子に腰を降ろして、また彼女の手を握った。いつか訪れる次の試練を乗り越えるためにも、今このときの静寂を大事にしたいと願いながら――。