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天蓋の欠片EP11-2
Episode 11-2:対話の中の戦い
夜明けを迎えて数時間後、冷たい風が廃ビル地帯を吹き抜けていた。空は曇天模様で、ところどころ雨の痕跡が地面に残っている。かつて激闘のあった地下施設からユキノたちは搬送され、タスクフォースの仮設拠点に身を寄せている。
アヤカやエリスは、幹部クラスを含む真理追求の徒を多数拘束し、本部へ連行する段取りを進めていた。大部隊による制圧と合わせて、スパイの動きがどうなるかまだ分からないが、とりあえず表向きの「外部解放術式」は未完成に終わった形だ。
一方、ユキノは救急の応急手当を受け、痛みをこらえつつ小さなベッドで浅い眠りに落ちたり覚めたりを繰り返している。カエデがつきっきりで看病するが、彼女自身も傷を負っており、満身創痍の状態だ。
「……少しは眠れた?」
目を覚ましたユキノに、カエデが微笑みながらタオルで汗を拭いてあげる。ユキノは苦しい呼吸の合間に「うん……ごめんね……」と呟くが、カエデは首を振って「いいの。あたしたち、これからどうするんだろう……」と不安げに顔を伏せる。
ユキノは夢とも現実ともつかない意識の中で、自分が“蒔苗を拒絶”したことを再認識する。あの時、蒔苗は冷たいまなざしで「あなたが心の完成を望まないなら、私も干渉しない」と去っていった。その後、強制呼び出しの術式による半端な出現はあったが、結局明確な援助も示さなかった。
(これでよかったのかな……でも、わたしはあの子に振り回されたくなかった。世界を救うのは、わたしたち人間の意志であってほしいから……)
それでも心の奥には不安がこだまする。観測者に完全に見限られたなら、いつ“世界終了”を決行されるか分からない。あるいは、真理追求の徒の残党がまた違う形で蒔苗を利用しようとするかもしれない。それを防ぐには、もう自分で戦うしかない――その思いが重くユキノを圧迫する。
エリスとアヤカは拘束した真理追求の徒を事情聴取するが、彼らの多くは情報を明かさないか、あるいは狂信的な言葉を並べるだけだった。なかには「これで終わりではない。真理はここから始まるのだ……!」と意味深に笑う者までいる。
そんな中、カエデのもとに1本の通信が入る。タスクフォースの隊員が駆け寄り、「カエデさんに指名の通信が……発信源が不明ですが、ユキノさんの話をしたいと言ってます」と困惑気味に伝える。カエデは顔を曇らせるが、何か引っかかるものを感じ、「受けてみます」と即答する。
外へ出て、仮設拠点の一角で受話器を取ると、電話の相手は意外にも落ち着いた男の声。「そちらはカエデさんか? 真理追求の徒の“残党”とでも呼んでくれればいい。……ユキノの状態はどうだ?」
カエデは不快そうに睨みながら、「あなたたちに教える義理はないでしょ。何が目的なの?」と冷ややかに問う。男は苦笑混じりに言う。「先日の“外部解放術式”を潰したことを褒めてやりたいが、まだ勝負は終わっていない。私たちには別の手段がある。ユキノを守りたければ、再び戦う覚悟をすることだな……」
「脅しならやめて。あたしたちは蒔苗なしでもあんたたちを止めたんだから」とカエデが言い返すが、男は鼻で笑う。「確かに不完全だったとはいえ、観測者を引きずりかけた。次はもっとダイレクトな手段を使う。ユキノが無事でいられるのは今だけだ。苦しむだけの人生になるぞ?」
カエデの背筋が凍る。残党がユキノを狙うか、さらに蒔苗を強奪するかは不明だが、いずれにせよ脅威は終わっていない。あの“拒絶”以降、蒔苗がどう動くか分からない状態で、この残党の計画をどう阻止するか――頭が混乱しつつも、カエデは「ユキノは死なない。あなたたちなんかには屈しない」とだけ言い放ち、通信を切る。
そんなやり取りを聞いたカエデは、ユキノのもとへ駆け戻る。仮設ベッドに横たわっていたユキノは、すでにある程度体を起こせるまで回復している。
「ユキノ……また敵が動き出すみたい。あなたに危害を加えるって脅しもあるの。だから、もう少し休んで……」
カエデは不安げに声をかけるが、ユキノは静かに頭を振る。「ううん、わたし、動くよ。敵がわたしを狙うなら、なおさら隠れてられない。先生やアヤカさんが守ってくれるかもしれないけど、もうそんなの嫌だから……!」
カエデは涙ながらに「でも……あなた、まだ痛むでしょう?」と詰め寄る。ユキノは微かに笑って「確かに痛い。でも、わたしは自分で戦うって決めたから。蒔苗の干渉を受けずに、わたし自身の足で立っているんだって証明したい」と意を固める。
そこへエリスとアヤカが来て、「ユキノ、また無茶を……」と困惑するが、ユキノは瞳をぎゅっと閉じ、「お願い、許して。わたしが逃げても、真理追求の徒はまた儀式を行おうとする。世界を守ることは、わたしたち人間自身がやらなきゃいけないんだよ」と力強い言葉を述べる。
夕刻の空が深く染まり始め、仮設拠点の周囲にも警戒態勢が敷かれている。エリスはひそかに情報屋から得た新情報を噛みしめる。「残党が大きな動きをするとなると、また大規模儀式を狙うか、生成者を狙ってゲリラ的に襲撃するか……。いずれにせよ時間がない」
アヤカは腕を組み、「上層部は捕虜から情報を聞き出そうとしてるけど、どうもうまくいかないみたい。スパイの問題も解決してないし、蒔苗は今どういう状態なのか誰も掴めない。正面突破でいいのかしら……」と眉をひそめる。
そのとき、室外の気配がわずかに変わる。カエデが鋭く感知し、「……誰か来る?」と身構える。扉の隙間から、風もないのにカーテンが揺れ、虹色の細い光がフッと差し込んだ気がする――だが、一瞬で消える。
「まさか、蒔苗……?」エリスがささやく。しかし姿はない。観測者がまだ近くにいるのか、それとも単なる残響なのか。ユキノはかすかに胸を痛め、「拒絶したのに……まだこっちを見てるのかな……?」と呟く。
同時刻、タスクフォース本部では収容していた一部の真理追求の徒が、謎の連絡を求めてきたらしい。「ユキノと話をさせろ」と言い出したのだ。上層部の幹部が安易に応じようとするが、アヤカらは警戒していた。「敵がユキノを引きずり出す罠かもしれない」と。
だが、ユキノ本人は「話してみたい」と言う。“対話”――これまで戦闘でしか関わらなかった真理追求の徒と、言葉を交わすことで何かが分かるかもしれない。カエデやエリスは猛反対するが、ユキノは譲らない。「わたし、拒絶したのは蒔苗だけじゃなく、真理追求の徒の考え方ももう一度自分の言葉で否定したいの。戦うだけじゃなくて、ちゃんと対話でぶつかりたい」
アヤカは苦悩の末、「分かった、私が万全の警備を敷いて、その対話とやらを見守る。ただし、少しでも危険があれば中止するわ」と条件をつける。ユキノはそれを受け入れ、「ありがとう。わたし、必ず自分の言葉であいつらに伝えたいことがある」と決意を固める。
翌日、タスクフォース本部の地下拘置区画。監視カメラと隊員が厳重に警戒する中、ユキノは車椅子に乗ったままカエデやエリス、アヤカが付き添い、真理追求の徒の一人と向き合うことになった。
男はローブを取り上げられているが、目つきは狂気を宿している。「ほう、重傷と聞いていたが、よく来たな……生成者の娘」
ユキノは痛みをこらえつつ、まっすぐ男を見据える。「あなたたちは、どうしてそんなに蒔苗を求めるの? 世界を壊したいわけでもないんだよね? 本当の目的は何?」と問いかける。男は嘲笑し、「何を今さら。私たちが欲しいのは“真理”だ。観測者という鍵を使って次元を超え、人の可能性を無限に開く。それが我らの使命……」と語る。
「でも、それで多くの人を犠牲にして、世界が壊されそうになったら本末転倒じゃない。あなたたちもこの世界で生きてきたんでしょ。世界が好きじゃないの?」ユキノは声を震わせながら問い続ける。
男はせせら笑い、「この不完全な世界は、人間の苦しみと愚かさに満ちている。観測者を得れば、我らが“新世界”を築ける。苦しむならば、それは“不適合者”だ。滅びても構わん」と平然と言い放つ。その言葉にカエデが怒りをこらえきれず「ふざけんな……!」と叫ぶが、ユキノは手で制す。
「滅びるのが当然だなんて、そんなのわたしは嫌。あたしは仲間と一緒に痛みや悲しみを乗り越える道を選びたい。だから、蒔苗の力なんかなくても、あなたたちの“真理”なんか破るよ」
男はまるで子供を嘲るかのように鼻で笑う。「観測者なしで、どうやって扉を開く? いや、どうやって我々を倒す? お前はもう死にかけの身だろう。痛みと自己否定に満ちて、いつ終わるか分からない」
ユキノは青ざめた顔で、それでも揺るがない意志を見せる。「確かに痛いし死にそうだよ。でも、わたしは自分を否定したりはしない。“心の完成”なんて、大仰なことは分からないけど、わたしはわたしの道で生きる。あなたたちの計画を、何度だって止める!」と叫ぶ。
男は忌々しげに吐き捨てる。「言葉遊びは結構だ。お前もいずれ観測者か、あるいは我々の手で痛みを極限まで味わうことになる。そう遠くない未来だろう。覚悟しておけ」
ユキノは苦笑し、「痛みなら、もうたくさん経験したよ。あなたたちが何度わたしを痛めつけても、仲間と一緒に立ち上がるよ。それがあたしの選んだ道。あなたたちの“真理”を認める気はない」と言い切る。
ここでエリスが口を開き、「いい加減に観念しなさい。あなたたちの組織はもう崩壊寸前。捕虜も多数いるし、“外部解放術式”は未完成に終わった。そろそろ諦めたら?」と皮肉めかす。男は唇を歪め、「組織など関係ない。これは“個々人の信仰”だ。どこかで必ず第二、第三の術式が完成し、蒔苗を我らの手に落とす。それまでお前らは震えて待てばいい」と不敵に笑う。
カエデが耐えられず、「あんたたちこそ震えていろ。ユキノが死ぬわけがないし、観測者を奪わせるもんか!」と叫ぶが、男は興味なさそうに「まあ、好きに吠えるがいい。私はお前らの真意など知らん。観測者には我々がふさわしいと思うがね」と言い放ち、黙り込んでしまう。
アヤカが「どうやらこれ以上は無駄ね……」と呟く。ユキノは深い溜め息を吐き、「対話したところで、かみ合わないな……でも、わたしがあなたたちを“憎む”ことはない。ただ、止めるだけ。あなたたちが世界を壊すのを」と静かに言う。男は何も返さない。
対話と呼ぶにはほど遠い、すれ違いに満ちたやり取りが終わり、ユキノたちは拘置区画を出る。重苦しい気分のまま廊下を歩きながら、カエデが「やっぱり話しても無駄だったね」と愚痴を漏らす。ユキノはかぶりを振り、「でも、あたしは話したかったんだ。少しは分かるかもしれないって期待もあったし、結果としてやっぱり平行線だったけど……」と苦い表情を見せる。
エリスが肩に手を置き、「大丈夫。あなたが諦めないでいてくれるからこそ、私たちは救われる部分もある。あなたは蒔苗すら拒絶した。真理追求の徒とも分かり合えないかもしれない。でも、その姿勢こそ大切なんじゃない?」と微笑む。
アヤカは静かに苦笑し、「そうね。痛みや苦しみを他人に押し付ける連中に、対話で分からせるのは至難。でも……あなたの言葉は嘘じゃないって、わたしは思うよ、ユキノさん」と付け加える。ユキノはゆっくり頷く。
そのとき、廊下の通信機に激しいノイズが走り、タスクフォース本部の警報が鳴り出す。隊員が駆けつけ、「何か大きなオーラ反応が周辺に発生……観測者? それとも真理追求の徒の残党……?」と慌てた様子。
ユキノやカエデ、エリス、アヤカは顔を見合わせる。蒔苗は拒絶された後、どう出るのかまったく分からないし、先ほどの残党の言葉通り別の術式が動き出す可能性もある。**“対話の中の戦い”**はまだ続くのかもしれない。
「行くしかないわね……。警備を強化して、本部周辺を警戒。ユキノは……どうする?」エリスが問うが、ユキノはすでに車椅子から立ち上がりかけ、「行く。わたしも一緒に」と即答する。カエデが止めようとするが、ユキノは首を振って「さっきの男に言われたまま逃げるのは嫌だから……」と押し通す。
非常口から出た先の駐車場で、隊員たちが大混乱している。突如として半透明の虹色の像が空中に浮かび、周囲のオーラをかき乱している――まるで蒔苗が強引に引きずり出されているか、あるいは自身で現れようとしているのかは不明だ。
「こ、これは……!」アヤカが驚きの声を上げる。ユキノたちが見やる先では、遠くの空間が歪むように波打ち、蒔苗らしき姿が一瞬だけ浮かぶが、すぐに消えかける。隊員が「また真理追求の徒の術式? それとも蒔苗が自ら来ている?」と焦る。
ユキノは胸を抑えながら、「行こう……わたし、直接確かめたい」と前へ進もうとする。カエデは「危険だよ」と腕を掴むが、ユキノは振り払う。「“対話”が必要なら、あたしがやる。拒絶したのはわたしだから……」と真剣な眼差しを浮かべる。
そうして、血を吐き出しそうな痛みを堪えながら、ユキノは虹色の像が揺らめく場所へ一歩ずつ近づく。エリスやカエデ、アヤカが警戒する中、蒔苗が完全に姿を取り戻しかける。
「あなた……本当に来るのね。拒絶したくせに」
蒔苗の冷ややかな声が空気を震わせる。ユキノはギリギリの呼吸で答える。「あたしは……あなたを拒絶した。でも、まだ話したいことがあるんだよ。世界を壊さないでって、観測者の力を振りかざさないでって……」
蒔苗は不明瞭な形で宙に佇み、まるで消えかけのホログラムのように映る。「話す必要などない。あなたが選んだのは“拒絶”であり、自力で痛みを克服する道。私に頼らなくてもいいのでしょう?」
「そう……頼らない。けど、だからこそ言いたい。あなたには世界を壊す権利なんてない。観測者だからって、勝手にリセットしないで!」
ユキノの必死の声が虚空を震わす。カエデやエリスたちは、いつでも戦闘が始まりかねないと身構えるが、蒔苗は動じない。むしろ興味深そうに、「あなたが私を拒絶しながら、こうして私に呼びかける意味は?」と問う。
「意味……あたしもよく分からない。でも、あたしはあんたに言うのが筋だと思うんだよ。リセットとか観測とか、そんなの勝手すぎる。世界はあたしたちのものなんだから……!」
蒔苗は一瞬瞼を伏せ、「世界は誰のものでもない。あなたたちのものでもないし、私のものでもない。ただ、私が干渉できる領域にあるだけ」と冷たい響きを返す。
「違う!」ユキノが声を荒げる。「干渉する権利なんてないよ。わたしはあなたに翻弄されるのも、あなたが世界を壊すのも絶対に受け入れない……!」
言い争いとも呼べるやり取りが続く中、周囲のタスクフォース隊員は固唾を呑んで見守る。カエデやエリスが何か言おうとするが、ユキノと蒔苗の“対話”は、ある種の戦いそのもの――互いの意志が火花を散らし合う場となっている。
蒔苗の姿が微かに安定し、瞳がユキノを真正面から捉える。「あなたが痛みを乗り越えたのは知っている。でも、それは私の観測の役に立たないのなら、私には興味がない。私があなたを助ける理由もない」
ユキノは苦笑して、「そうだろうね……でも、わたしたちにだって、あなたを利用する理由はない。だから、もう干渉しないで。あなたにリセットされるくらいなら、わたしたちが自分で決着をつける……!」と宣言する。その言葉は自らの弱さや痛みを押し出してきたユキノの“魂”からの叫びだ。
ふと蒔苗が虹色の瞳を細め、「本当に面白い……あなたたち人間は、なぜそこまで苦しみを背負って生きようとする? 私から見れば、無駄に見えるのに」と呟く。ユキノは体を小刻みに震わせながら答える。「苦しみも悲しみも含めて“生きる”ことなんだよ……。それを無駄だなんて、あたしは思わない! あんたに分かってもらう必要もないけど……あたしはこの道を行く!」
蒔苗はしばし黙り込み、そして軽く首を振るようにして姿を揺らがせる。「……いいわ。あなたたちが自分の世界を背負うというなら、私はもう少し観測してみる。嫌なら拒絶すればいい。でも、いつまでも拒絶し続けるというなら、私もいつ“終了”を選ぶかは分からないわよ?」
その言葉にユキノは再度“拒絶”の意志を強めながらも、「それなら上等だよ。わたしたちは、あんたに頼らない。世界を終わらせるなら、あたしたちが止める……たとえ死んでも!」と叫ぶ。まさに**“対話の中の戦い”**そのもの。
蒋苗は微かに笑い、「なら、せいぜい頑張りなさい」とだけ言い残す。虹色のオーラがスッと消えて、彼女の姿は掻き消えるように宙へ消失する。エリスとカエデが駆け寄り、「ユキノ……大丈夫!? 無茶言い過ぎ!」と支える。ユキノは「ごほ……痛い、でも……わたし、言いたかったんだよ……」と何とか微笑む。
アヤカは言葉も出ず、ただユキノに毛布をかけ、「あなた……そこまで覚悟を……」と震える声を漏らす。
ユキノは目を伏せ、「うん、わたしは蒔苗を拒絶したのに、まだ生きてる。あの子が今すぐ終了を選ばなかったのは、一応私たちの道を“観測”してるのかもしれない。でも、その気になればいつでもできるんだろうね……それでも、わたしはもう気にしない。自分の力で、この世界を守るって決めたんだから……!」