見出し画像

再観測:星を継ぐもの:Episode8-2

Episode8-2:アリスの断片回収

暗い宙を切り裂くように、銀の小手が静かに進んでいた。カインの視界の先には、無数の岩屑と星の欠片が散りばめられており、あたかも幻想の回廊を形成しているように見える。しかし、その美しさに気を取られるわけにはいかなかった。先ほどまでの小競り合いを経て、円卓騎士団の面々はこの先で何かを得るため、少しの危険もいとわず進軍しているのだ。アリスは後方座席で計器を監視しつつ、落ち着かぬ表情を浮かべていた。

「カイン、この付近……前に私たちが通った場所と似ているね。けど、少し波長が違ってる。観測光の流れが変化してるみたい」

彼女の声はかすかに震えている。カインは首をわずかに傾げながら、スロットルを微妙に調整して機体を安定させた。
「どういうことだ? 要塞の防衛網でも敷かれてるのか?」

「ううん、そうじゃなくて……何かが呼んでるような感じがする。私に――ほら、前にも“声”が聞こえるって言ったでしょう? あれよりもう少しはっきりした気がして……」

カインは短く息をついて、彼女を落ち着かせるような口調で言葉を返す。
「そうか。お前の中にある、何かの“断片”でも反応してるのかもしれないな。いまは俺たちが一緒だ。何があっても守るから……思い切って感じ取ってみればいい。大丈夫、焦らずにな」

アリスは微笑もうとして、けれどそれがぎこちなくなる。「うん、ありがとう。守ってくれてるって思うと少し安心する。でも、もしこの先でもっと強い干渉があったら……正直、怖いの」

「俺がいるだろ。アーサー卿やガウェイン、トリスタンもいる。気を張りすぎず、頼ってくれりゃいいんだよ」
カインはそう口にすると、通信を開いてアーサーたちに問いかける。「みんな、こっちはちょっと変な波長を感じるってアリスが言ってるけど、そっちで何かあるか?」

通信先でアーサーの落ち着いた声が響く。
「こちらの計器には異常は出ていないが、ドローンの姿も見当たらない。星の回廊が先へ続いてるだけだ。ただ、確かに観測光のノイズがやや増しているような気がするな。アリスの感覚は当たるかもしれん」

トリスタンも低く補足した。「いっそ深入りしてみて、その正体を確かめるのが早いかもね。ここは危険が少ない場所ではないが、回廊の先に何かがあるなら、今こそ行くしかないだろう」

ガウェインが盾を軽く握りしめながら鼻を鳴らした。「今度は俺の盾が壊れねえといいが。まあ、行くしかねえな。何か仕掛けがあれば、ドッカンと派手に返り討ちにしてやるだけさ」

そうして、4機の戦闘機はフォーメーションを組み直し、星の回廊のさらに奥へ踏み込んでいく。そこでは、大きな岩盤や結晶体がいくつも浮遊し、観測光の粉雪のようなものが舞っていた。まさに神秘的な一帯と言えるが、円卓騎士団は弛緩せず、警戒を怠ることもない。過去の経験から、“美しいものほど危険”という教訓を何度となく学んできたからだ。


アリスはじっとモニターを見つめながら、頭の奥で絶えず揺れる“呼びかけ”を感じ取っていた。数日前までのぼんやりした囁きとは違い、今はより具体的な映像の断片が浮かぶような気がする。場所はどこなのか判然としないが、少なくともここ――星の回廊のどこかにその欠片があるのではないか。彼女はそう直感していた。

視界に大きな岩塊がいくつも重なり合って見える。カインがそれらを巧みに避けながら、速度を落として慎重に進んでいる。トリスタンとガウェインが左右に位置し、アーサーが中央で隊列を固める。もしこの先にドローンや要塞の防衛網が潜んでいても、即座に対応できる配置だ。
だが、何分経っても敵影は見えず、静寂だけが続いている。アーサーが「少し奇妙だな。要塞側の動きがまるで消えたようだ」とぼやき、ガウェインが「何かの罠じゃねえか?」と返す。

アリスは複雑な気持ちでその会話を聞きながら、胸の奥で脈打つものに耳を傾ける。**そちらへ行けば、私の断片がある……**そんな“声”が微かに響いてくる気がする。
(断片……私は一体、何を思い出そうとしてるの……? ユグドラシル? それとも、上位世界の記憶?)
自問自答しつつも、答えは得られない。ただ、何かしらのタイミングで“欠片”を拾うことができる予感がある。それが嬉しいような、怖いような感覚だった。


やがて、前方の巨岩の隙間から、ほのかに星の光とは違う輝きが射しているのが見えた。カインが目を凝らして「なんだ、あれ……水面の反射みたいだ」と呟く。アリスもデータを解析して、「観測光の結晶かもしれない。でも、かなり大きいかも……」と興味を抱く。
アーサーが隊列に向けて短く合図を送り、「慎重に近づこう。ドローンが潜んでいる可能性は否定できない」と促す。ガウェインとトリスタンが片側に回り込みつつ、カインとアリスが正面からそこへ向かう格好となった。

近づくにつれ、その輝きは巨大な水晶体の塊であることがわかった。直径数十メートルほどあり、表面からは観測光が小さな波紋のように広がっている。四周には岩や結晶の欠片が散乱していて、まるで星の墓場でもあるかのような厳かな空間を作り出していた。
アリスは息を呑んで見つめる。そこから伝わる波長が、まさに心臓の鼓動のように彼女の胸へ響いてくる。さっきまでの“声”が、今まさにここで呼んでいるのか。

「カイン……あれ、私を呼んでる気がする。私、ちょっと近づいてみてもいい?」
アリスの声は震えが交じっているが、強い意志も感じられる。カインは操縦桿を握り、「わかった。けど無茶はするなよ。ガウェインとトリスタンに周囲をカバーしてもらおう」と通信を飛ばす。
アーサーも「安全を確認してから、アリスを結晶体へ接近させよう。もし干渉力に影響するものなら、彼女にしかわからないことがあるかも」と指示を出す。

ガウェインは盾を前に構えながら周囲をチェック。「ドローンの反応はなし。罠かもしれねえけど、今んとこ動きはない」と低く呟く。トリスタンもスコープで見回すが、敵影は皆無だ。
そこでカインが銀の小手をゆっくり進め、結晶体のそばへ降り立つような形を取る。岩場の合間に機体を斜めに滑り込ませ、衝突しないように注意深く操作する。アリスは荒い呼吸を抑えつつ、じっと結晶を見つめていた。

その結晶体は、まるで澄んだ氷の塊にも見えるが、内部には無数の光の筋が走り、星の微粒子を閉じ込めたようにも見えた。一瞬、人の影のようなものが内部を走った気さえする。アリスは思わずコクピットを開けたい衝動に駆られるが、宇宙空間でそれは不可能だ。
「ここから干渉力を注いでみたら、何かわかるかもしれない……」と、アリスは囁くように言う。カインは「大丈夫なのか?」と心配そうに尋ねるが、彼女は決意を固めた表情で「うん、やらなきゃ。大丈夫……たぶん」と答える。


アリスが集中して観測光を調整し、干渉を微細にコントロールして結晶体へ触れようとする。銀の小手の外装から青い粒子が滲み出すように広がり、結晶にそっと馴染む。その瞬間、アリスの胸に強烈な鼓動が響いてきた。
「……っ……!」
小さく声を上げ、頭を押さえる。カインが慌てて「やめたほうがいいのか?」と声をかけるが、アリスは「もう少し……もう少しだけ……!」と震えながら続けた。

結晶体の内側で光がうねり、ピリピリとした電流のようなノイズがカインのコクピットにも伝わる。すると、アリスの意識がどこか別の場所へと連れ去られる感覚が走った――まるで夢の中に飛び込むかのように。

暗闇。そこに一条の光が差し込む。光の先には、シルエットだけが見える何か――人の姿か、それともアリス自身か――が立っていた。遠くから声がかすかに聞こえてくる。「……行かないで……眠りを続けて……ユグドラシルが……」。意味は断片的だが、たしかに呼びかけてくるものがいる。そして、その中にアリス自身がいた。

(私……? これ、私……なの?)
混乱するアリスの意識。しかし、すぐに視界がぐるりと反転するように波打ち、結晶体がパキンという破裂音を立てて亀裂を走らせた。現実に戻ったアリスは苦痛の声を漏らし、「っ……!」としがみつくように操縦席でこらえる。
カインがたまらず「アリス!」と呼んでスロットルを引き、機体を結晶体から離そうとする。一方、結晶の内部から小さなかけらが砕け出し、ふわりと漂い始める。その破片は数センチ四方ほどの光る結晶で、まるで自ら意思を持つように銀の小手の前へ流れ着いてきた。

「なんだ……? その小片……」
ガウェインが通信で驚きの声を上げ、トリスタンも「アリスが干渉したことで結晶が割れたのか。何が起きてる……?」と困惑している。アリスは荒い呼吸を整えつつ、コクピット越しにその破片を見つめ、涙がうっすら浮かんでいた。

「これ……“私の欠片”……」
彼女ははっきりそう言った。誰もその意味がわからないが、アリス自身は確信しているかのようだ。内なる声が「それはあなたの記憶。断片を取り戻して……」と囁いているように感じる。
カインは困惑しながらも、「どうやって回収する? スラスターの風圧で飛ばしちまいそうだ」と悩む。アーサーが少し考えて「回収ポッドを出そう。小型アームで拾う形だ。アリスがそう言うなら、とにかく確保してみよう」と提案する。


数分後、小型アームを使って結晶の破片を慎重に収集し、銀の小手のカーゴスペースに収納した。アリスはまだ息が上がっていたが、少し落ち着いた様子だ。苦痛とともに、何かが少しだけ思い出せた感覚がある。

「大丈夫か、アリス。すげえ顔色してる」
ガウェインが心配そうに尋ね、トリスタンもライフルを脇に抱えたまま「もし無理ならすぐ撤退しよう。ここで倒れたら本末転倒だ」と促す。アリスは苦笑しながら首を振る。「ううん……もう大丈夫。ありがとう。でも、あの欠片……私の記憶の一部が宿っている気がする」

「記憶? 断片?」とカインが聞き返す。アリスは「あまりはっきりしないけど、上位世界……ユグドラシルに関する手がかりかもしれないの。あれを解析すれば、もしかすると……」と答える。
アーサーは苦い表情で周囲を見回し、「では一度帰ろう。このあたりにドローンの姿はないが、長居は無用だ。アリスがその“断片”を解析できれば、新たな道が開けるかもしれん」とまとめる。

カインも深く頷く。「そうだな、さっきの干渉でアリスは消耗してるし、これ以上は危険だろ。あの結晶が手に入っただけでも収穫だ」
こうして、彼らは星の回廊での探索を打ち切って、仮設拠点への帰路を取ることとなった。結局、大規模な敵の反応はなく、静かな空間で奇妙な結晶を見つけて引き返すだけの行程になったが、アリスにとっては大きな前進だ。


帰還後、艦内のラボスペースでアリスは神官隊や技術班の協力を得て、結晶の破片を調べ始める。カインやアーサーたちも外から見守っているが、どうやら普通の鉱物ではなく、内部に微妙な位相の観測光が閉じ込められているらしい。
主任のヨナスがゴーグル越しに結晶を覗き込み、「これは生物由来でも鉱物由来でもないような……非常に特殊な構造だ。アリスの言う通り、干渉力に応じて形成された“記憶結晶”かもしれない」と唸る。
アリスはある程度の操作をしてみたが、簡単には内容を読み取れない。結晶が頑強な鍵をかけられているようで、部分的にしか情報が覗けないのだ。

「でも……触れると、私の頭に映像が流れ込むような感覚があった。例えば……星々の海の中で、誰かが私に語りかけてる……そんな断片が……」
アリスが困惑した表情で伝えると、モルガンが一歩前に出て軽く腕を組んだ。「この結晶に宿る情報を解読できれば、ユグドラシルや上位世界に関する重要な事実がわかるかもしれない。アリス、もし危険でなければ、もう少し試せるか?」

アリスはうつむいたまま少し考え、「今は無理……ごめんなさい。さっきの干渉で力をかなり使い切ってしまって。頭もまだ痛むの」と申し訳なさそうに答える。
カインがすぐにフォローする。「いいんだ、無理するなよ。解析を急いだってアリスが倒れちゃ意味がない」

「そうだな。今はアリスが休むのが最優先だ。結晶体をラボで保管し、適切な装置を用意してから改めて挑もう」
アーサーがそう判断を下し、モルガンも同意する形でラボ作業はいったん中断となった。


アリスは部屋へ戻り、寝台に倒れ込むように腰を下ろして深いため息をつく。まぶたを閉じれば先ほどの“断片”が脳裏をよぎり、知らない誰かの声が耳に残る。
(……あなたは誰……? どうして、私を止めようとするの?)
不思議な疑問が頭を渦巻く一方で、結晶を触れたときに感じた懐かしさが消えずに残っていた。

カインが部屋を訪れ、心配そうに問いかける。「アリス、ほんとに平気か? さっきから顔色悪いぞ。頭痛いなら医務室行ったほうが……」
アリスは力なく微笑んで「ううん、少し休めば大丈夫」と答える。「ありがとう、カイン。そばにいてもらえると安心する……。何も思い出せないのももどかしいけど、あの結晶を通じて私が本来もってるものを取り戻せるかもしれないって思うと、怖さ半分、嬉しさ半分……かな」

「そっか……お前の記憶なら、取り戻したいよな。ずっと自分が何者か分からないままじゃしんどいだろうし……」
カインは言いながら、アリスの瞳をまっすぐ見る。すると、彼女は一瞬、視線を逸らすようにうつむき、「私がもし……全部思い出して、要らない真実を知ってしまったら……カインたちのこと、置いていくことにならないかな? それが不安」と弱々しく漏らす。

カインはきっぱりと首を横に振る。「バカ言うな。お前がどんな存在だろうが、俺たちは仲間だ。置いていくだの、そんなの考えるなよ。俺らはずっと一緒に戦ってきただろ」
その言葉にアリスは小さく目を潤ませ、「ありがとう……でも、そうなったとき、私は本当に自分でいられるかな……」と呟く。
答えが見つからないまま、二人は短い沈黙を共有する。カインは静かにアリスの肩に手を置き、そっと支えるように寄り添った。アリスはその温もりを感じつつ、胸の不安を少し和らげる。


翌朝、艦隊の状況が落ち着いている中で、アリスはラボを再訪した。頭痛は少しずつ治まり、干渉力を使うまでには回復していないが、少なくとも結晶をもう一度見てみたいという気持ちが勝っている。
ヨナスや神官隊の技術者が結晶に簡易バリアを貼ったり、観測光を解析する装置をいくつか試していたが、相変わらず内部情報はほとんど読み取れないらしい。ヨナスが「やはりアリス本人が干渉しないと、鍵が開かないのかもしれない」と愚痴る声が漏れている。

カインやアーサーたちも集まり、最小限のサポート体制をとったうえで、アリスが再び干渉を試みることになった。
「とはいえ、無理をするなよ。何かあったら即中断しろ」とアーサーが念を押す。ガウェインは盾を横に置いたまま「オレも守るから、何でも言え」と頼もしく胸を張る。トリスタンは少し離れたところでライフルを持っているが、それはアリスが暴走した場合に対処する気なのか、それとも何らかの不測の事態に備えているのかもしれない。

アリスは深呼吸してからそっと結晶に手を伸ばす。青白い光が指先から漏れ、結晶の表面に触れた瞬間、ズンという衝撃がラボを揺らした。
「っ……!」
アリスが身を震わせながら頭をうなだれる。カインが思わず駆け寄ろうとするが、ガウェインが「今は耐えろ」と制止する。神官隊が周囲でサポート呪文を唱え始め、観測光の流れを安定させる。

結晶は弱い振動を起こし、内部から微かな音が響き出す。視認できないほど細かい粒子がアリスの方へ流れ込み、まるでデータを転送するかのような現象が起きているようだ。アリスの瞳が微かに光を帯び、眉間に深い皺を寄せながら苦痛に耐える。
――その一瞬、アリスの脳裏に鮮やかな映像が駆け抜けた。

静かな宙に浮かぶ大樹のような構造体。枝のように伸びる幹が幾重にも連なり、星々を巻き込みながら編み込まれている。まるで宇宙樹――ユグドラシルを想起させるようなイメージ。そこに無数の存在が群れており、アリスがそれを見下ろす視点に立っている。そして、何か切ないような、懐かしい響きを伴って、「あなたは……」と呼びかける声がする。
が、それ以上をつかむ前に意識は途切れ、ビリビリとしたノイズに包まれる。アリスは「ぐっ……」と声を詰まらせ、結晶から思わず手を離した。

「アリス!」
カインが素早く支え、アリスの体を受け止める。彼女は肩で息をしながら、目を開けようと必死になっている。ガウェインが「大丈夫か!」、トリスタンが「無理させすぎたか……」と声をかけ、アーサーが短く「医務室へ!」と促す。

「ま、待って……」アリスがそれを制し、ゼエゼエと息を吐きながら小さく笑おうとする。「今の……見えたの……私の記憶。ユグドラシルのような大樹……それが広がって……私がそこに……」

周囲が息を呑む。結局、彼女は支離滅裂な説明しかできず、断片的な映像をいくつか口にするだけで精一杯だ。しかし、その断片こそがユグドラシル――アリスの本質に近い何か――を示していると確信を得たのは、彼女自身だった。
「要するに、この結晶には上位世界か何かの映像が記録されているのか。アリスが干渉することで断片を引き出せるんだな」とアーサーが低く総括する。神官の一人が不思議そうに「だがどうしてそんなものが星の回廊に……」と首をひねる。

「それはわからない。もしかすると過去にここで何かあったのかもしれない……。あるいは要塞側が利用しようとしたが放置したのかも」
トリスタンは淡々と推測し、ガウェインは「何にせよ、アリスがちょっとずつ取り戻せるならいいじゃねえか」と適当な楽観論を吐く。カインはアリスを支えつつ「あんまり無理しなくていい。今はこれくらいで十分だ」と微笑みかける。

アリスは縋るようにカインの腕を握り、「うん……ありがとう。私、はっきりとは思い出せないけど、あの大樹は……ユグドラシルなのかもしれない。きっと、私にとってすごく大切な――」と語尾を濁す。
“自分は何者なのか”“なぜ目覚めてはいけないのか”――その答えが、その大樹のイメージの中にある気がしてならない。アリスの断片は、確かにほんの少しだけ回収され、彼女の心を揺り動かしている。


その後、結晶は再び厳重に保管され、アリスは医務室で軽く検査を受けることになった。大事には至らずとも、脳波にかなりの負荷がかかった形跡があるらしく、しばらく安静が必要という診断を受ける。
カインは医務室のベッド脇で、彼女の手をそっと握っている。アリスは点滴のチューブを腕につけながら苦笑いする。「大げさだよ……私、そんなに弱ってないってば」

「医者も念のためだって言ってたし、少し休めよ。今すぐ何かと戦うわけでもないし……」
カインは背もたれの椅子に腰をかけて言葉を紡ぐ。「あの映像、なんか分かったことはあるのか? 大樹みたいなイメージを見たってことは、ユグドラシルに近づいたってことなんだろ?」

アリスは目を伏せて小さく息を吐く。「うん……でも、ほとんど霧の中だった。人影とか、何かが私を呼んでる感覚があったし、“目覚めないで”って声とも似てる気がする。でも、まだ何もつかめない……ごめんね」

「謝るなよ。大収穫だと思うぜ。これで次にまた結晶に触れたり、あるいは似たものを見つければ、もっと分かるかもしれないじゃないか。焦るなって」
その言葉にアリスはほっとしたように微笑み、「うん……ありがとう」と呟く。


その数日後、円卓騎士団と神官隊は星の回廊での情報とアリスの断片回収について作戦会議を開いた。結晶からさらなる情報を引き出すには、アリスのコンディションを整え、同じ干渉をもう一度試みるしかない。要塞攻略が迫る中、一刻も早くユグドラシルの秘密を解明したい気持ちはあるが、ここでアリスを壊すわけにはいかない。
アーサーが全体を見回し、「時間は限られているが、アリスの体調が最優先だ。結晶の解析は進めてもらうとして、干渉は彼女の自由意志でやってもらう。焦って再び倒れられたら意味がない」と毅然と言い放つ。モルガンや技術班も同調する。

一方、カインはアリスの横にいて、「俺はそばで付き添うよ。アリスが無理しないよう見張っておく。みんなの足を引っ張らないようにするさ」と宣言し、周囲がくすりと笑う。ガウェインは冗談めかして「お前は甘すぎる」とからかい、トリスタンは呆れたような笑みを浮かべている。
アリスはそんな仲間たちを見回して、じんわりと胸が熱くなる。自分は一人じゃない。みんなが私を信じてくれる――だからこそ、この記憶の断片をどうにか活かして、世界を守る力になりたいと思えるのだ。


そしてまた、宙には再び不穏な動きが見られた。要塞から新型ドローンが出動するという報せや、正面の大艦隊付近で交戦が生じたニュースが届く。彼らは近いうちにまた出撃せねばならないだろう。だが今回、アリスは幾分、心が軽い。あの結晶から得た小さな希望――自分の記憶を取り戻すことは、決して悪い方向ばかりではないはずだと信じられるようになったからだ。

医務室から出てきたアリスを見て、カインが笑顔で手を振る。「どうだ、少しは楽になったか?」
「うん、かなりいい感じ。ごめんね、いろいろ面倒かけて」
「気にすんな。こっちこそ、お前の断片が増えるといいな。早く自分の正体を知って、悩みを減らしてほしいしさ」
アリスはその言葉に胸が締め付けられるような温かさを感じる。「……ありがとう。でも正体を知ったら、もっと苦しむかもしれないよ?」

「それでもみんなで支えるさ。俺だけじゃなく、アーサー卿、ガウェイン、トリスタン、神官隊、モルガン、みんなお前を気にかけてるだろ」とカインは声を弾ませる。
アリスは軽く笑い、「そっか……そうだね。私ひとりで突っ走るより、みんなで考えれば怖くないかも」と素直に頷いた。


こうしてアリスは“断片”の一端を手に入れ、己の記憶のかけらを回収する第一歩を踏み出した。星の回廊で見つけた結晶はまだ謎が多いが、その存在こそがアリスとユグドラシルをつなぐ架け橋となりそうだ。
しかし、物語は静かに動き続けている。The Orderのエース機がいつまた姿を現すかわからず、要塞は依然として屹立している。重力反転領域や星の回廊の攻略法も確立していないままだ。それでも、カインたち円卓騎士団は少しの手がかりを糧に、前へ進む意志を固める。アリスの声――上位世界が彼女に訴えかける何かを、共に見極めようと決めたからだ。

星海の闇は深く、観測光の流れはあやうい。だが、アリスが見つけた結晶と、その中で感じ取った大樹のイメージ――ユグドラシルの存在が導く先には、きっと世界の真実と彼女自身の真実がある。
そして、それを回収するために、彼女は再び星の回廊へ踏み込むことになるだろう。もっと大きな障害や戦闘が待ち構えているはずだが、それを恐れて後退するわけにはいかないのだ。己の中に封じられた力と記憶を受け止め、この世界を護るために――アリスは今、決意を新たにしている。

カインは彼女の横顔を見やりながら、胸の内で小さく微笑む。(お前はきっと、その断片を全部取り戻しても俺たちの仲間だ。たとえどんな凄い力を秘めていようと、俺たちは一緒にいる……)
ふとアリスがこちらを向き、「カイン、どうしたの?」と小首をかしげる。カインは「いや、なんでもない」と照れ隠しで目をそらし、「とにかく、疲れたならちゃんと寝ろよ」と呟く。アリスはくすっと笑って、「ありがとう。おやすみなさい」と言い合い、短い夜が静かに更けていった。

星の回廊はあの結晶だけが不思議な物体ではないかもしれない。もっと多くの“断片”が漂い、アリスを呼んでいるのかもしれない。そして、そこには痛みも伴うだろうが、同時にアリスの大切な何か――世界とつながる希望――が眠っている。
遠くの闇で、観測光が細い光線を描き、微かな爆発音が聞こえるような気がする。要塞の砲撃か、それとも敵ドローンの演習か……。戦いの幕はまだ上がったまま、休むことを知らないようだ。しかし、この静かな宵こそが、アリスとカインにとって安らぎの一刻でもある。次に備えるための、束の間の休息――。

やがて、艦内の灯火が落ち、アリスは微睡みに落ちていった。意識の奥で、また“声”が囁くかもしれない。それでも彼女は、決して怯えずに受け止めようとしている。だって、断片を取り戻すことこそが、自分がこの世界に存在する理由に近づく道だと確信し始めているから。コクピットではなく、ただ静かな寝台でアリスがそっと微笑んでいる姿を想像しながら、カインもまた、「おやすみ、アリス」と小さな声で呟いた。

物語は、いよいよその先へと進む。アリスの声がいっそう明瞭になり、彼女が本来の記憶を取り戻すとき、星海はどんな姿を見せ、要塞はどんな対応を取るのか。そして、ユグドラシルの真相が明かされたとき、アリスと仲間たちは新たな選択を迫られるだろう――。

いいなと思ったら応援しよう!