
FFT_律する者たちの剣_EP:3-2
EP3-2:アルガスとの再会
激しい息づかいが廃墟の中庭にこだまする。
ミルウーダは上腕からじわじわと流れる血を押さえつつ、アルガスと再び間合いを測り合っていた。両者の足元には石の破片や崩れた壁の瓦礫が散らばり、油断すれば足を取られそうだ。
「ふう……はあ……。なかなか手強いわね、あんた。」
「くっ……ふざけるな……この家畜が……!」
アルガスは肩で荒い息をしながら、ボウガンを拾い上げる。先ほどの近接戦では短剣を振るっていたが、ここにきて再びボウガンを構え直したのだ。
ボウガンは貴族らしく遠距離から悠然と狙い撃つ武器だ。火縄銃ほどの爆音はなく、騒ぎを大きくせず確実に仕留めるには打ってつけとも言える。なにより、アルガス自身が好む「上から目線」の戦い方――まさに平民を射貫くのに相応しいと彼は信じていた。
一方、ミルウーダは短刀を握っていた右手を外し、腰に吊るしていた魔銃へとすっと手を伸ばす。その銀色の光沢が半ば泥に汚れているが、先端に埋め込まれた結晶部分はかすかに青白い輝きを放っている。
(……殺し合いを避けたいが、こいつが貴族至上主義を捨てていない以上、言葉は通じない。ならば――倒すほかない!)
心でそう叫び、自分を奮い立たせる。
かつては剣や短刀をメインに戦っていたミルウーダだが、今や彼女には“魔銃”という、新時代の兵器とも言える道具がある。弾数の概念こそ無限に近いが、撃てば撃つほど自身の魔力を消耗するリスクがあるため、扱いには注意が必要だ。しかし、遠距離から敵を貫く破壊力はボウガンを遥かに凌ぐ。
「アルガス……お前の時代は終わる。祈りたいなら、今のうちに祈る時間くらいは与えてやる。」
そう言いながら、ミルウーダは魔銃を静かに構える。
この時点で、アルガスは“祈る”という言葉に思わず苛立ちを見せた。彼は先ほどまでの近接戦でも勝ちきれず、自分のプライドに傷を負っている。しかし、貴族至上主義を絶対視してきた男が、革命家から「祈れ」と言われて黙っているわけがない。
「何だと……? ふざけるな! 誰が家畜の戯言など……!」
激昂するアルガス。すぐさまボウガンの矢を番え、狙いを定めようとする。その矢じりは鋭く、血の匂いを誘うかのように不気味な光を放っていた。風が吹き荒れ、枯れ葉が舞い上がる中、両者の視線が交錯する。
ミルウーダが口にした「祈る時間くらいは与えてやる」。
それには三つの意味がある――彼女自身も、その一つずつをかみしめるように意識していた。
アルガスは貴族としての神の恩寵を信じ、平民には神が与えられていないと嘲笑してきた。ならば、今ここで祈れば、神が何かしてくれるのか? それを試す皮肉が込められている。
「神」の加護を高らかに掲げながら、実際は平民を家畜扱いする矛盾――それこそがアルガスの過去の信念。もし神がいるなら、今この場でアルガスを救う奇跡を起こせるのか?
戦場に立てば、命は皆平等に危うい。今、アルガスはまさに死を意識せざるを得ない立場になっている。平民を家畜扱いする彼も、この瞬間はただの“死を恐れる人間”に過ぎない。
祈りたいなら祈れ――その言葉は、貴族であっても死を前にすがるものがあるのかと問いかけている。
アルガスが「貴族の側にいる」と信じていたとしても、それは本当に対等な仲間だったのか? 最終的には道具として使い捨てられるだけの存在ではなかったのか? そのことをアルガスに考えさせるために、「祈る時間」を与えるという形をとっている。
自分が本当に“貴族側”なのか、もしくは都合よく使われただけなのか――その疑念をミルウーダは突きつける。
これらの意味が、ミルウーダの一言に凝縮されていた。しかし、アルガスにはその背景を理解する余裕などない。彼はただ苛立ちに任せて、革命家への嫌悪をむき出しにする。
アルガスが口を歪め、怒号を発する。
「祈るだと……? 貴様……下衆が……! 貴族を愚弄するなあああッ!」
その叫びとともに、彼の指がボウガンのトリガーを強く引き絞る。鋭い音とともに、矢は一直線にミルウーダの胸を狙って飛翔する。
だが、ミルウーダはすでに魔銃を構えていた。彼女は瞬時に魔力をこめ、青白い光弾を弾き出す。――ビシューン! という独特の風切り音が鳴り、光弾がアルガスの矢と衝突するように空中で激突する。火花が散るわけではなく、矢が光弾に飲み込まれるように消滅し、破片が辺りに散った。
「なに……!?」
アルガスが驚愕の声を上げる。ボウガンの矢が“消された”――これまで火縄銃や弓矢との戦闘経験はあっても、こんな現象は初めてなのだ。魔銃の破壊力や弾速に比べれば、ボウガンの矢はあっけなくかき消される。
ミルウーダの魔銃は貴重な古代技術の結晶。彼女の魔力を弾として射出し、空気を歪めるようにして敵を粉砕する。一瞬のうちに矢を無効化するなど、実際に目の当たりにしたアルガスからすれば悪夢としか思えない。
「何……だ、その武器は……そんな卑怯な手段……!」
「卑怯? あんたたち貴族が散々武器をかき集めたくせに、私が少し“新しい武器”を使ったら卑怯だと?」
ミルウーダは痛む腕を抑えながら、冷ややかに言い放つ。
彼女が魔銃を本格的に使用するようになったのは最近のこととはいえ、革命軍としては貴族の高級武器に対抗するため、あらゆる手段を試みてきた。その中で得たのがこの魔銃なのだ。
「くそっ……!」
アルガスは再度矢を番えようとするが、わずかに指先が震えているのを自覚した。彼のプライドを支えていた“射撃の腕”が通用しないとなれば、自慢の武器が無力化されるのではないかと不安が芽生える。
それを振り払うように、彼は叫ぶ。
「貴様、家畜の分際で……神聖なる騎士の武器に対抗しようなど……!」
だが、その言葉が自分でも空虚に響くのを感じ取ってしまう。騎士の誇りを掲げながら、いまはボウガンという貴族的に軽蔑されがちな武器を振るっている――矛盾だ。あるいは、かつてディリータやラムザと行動していた頃の微かな記憶が、胸をざわつかせる。
そんなアルガスの動揺を見透かすように、ミルウーダは再び魔銃の光をこめる。
「もう一度撃つ? それとも祈る? 祈る時間くらいは与えてやる――あんたがそんなに神を信じているならね。」
アルガスが迷う一瞬を逃さず、ミルウーダは左手で銃を支え、右手の指先に魔力を集中させる。青白い結晶部分が脈動するかのように光り始め、廃墟の空気がビリビリと振動する。
魔銃は“弾数無限”ではあるが、撃ち続ければ自分の魔力を急激に消耗するというリスクがある。彼女はそこを冷静に計算し、あえて間を置いて一発ずつ放つ。的確にアルガスのボウガンの矢を打ち落とし、自分はほぼ無傷のまま戦闘を進めるのが戦術の肝だ。
「アルガス、あんたのボウガンはすでに私の射程内よ。矢を撃とうが近づこうが、全部こちらの狙い通り。」
そう言い放ち、ミルウーダはわざと距離を開けるように後退する。近接戦ならアルガスが短剣を振るってくるが、彼女は魔銃で中距離戦を展開したい。それこそが自分に有利な戦術だ。
アルガスもすぐに気づいているはずだが、感情の昂ぶりで冷静さを欠き始めている。貴族至上主義を疑わない彼は、あくまで“家畜”を倒すというプライドを守りたいがゆえに、正確な判断を損なっていた。
(ここで、ボウガンと魔銃の差を思い知らせてやる。……殺さずに済むならそれでもいいが、向こうが引く気がないなら仕方ない。)
ミルウーダの脳裏に、革命家として流してきた血と、オヴェリアを守るために選んだ道が一瞬交錯する。だが、今は戦うしかない。王女と出会って変わり始めた自分を思えば、無意味な殺し合いは避けたいが、アルガスが徹底的に挑んでくる以上、応じざるを得ない。
銃口を上げ、一拍置いてから引き金を引く。――シュウン、という独特の音とともに青い光弾が走り、アルガスの胸を狙う。かろうじて回避したアルガスだが、衣の一部を削られ、生暖かい血の匂いが漂う。
「ぐあっ……!」
「祈りたければ祈ればいい。神がいるなら、きっと助けてくれるわよ。」
皮肉めいた言葉を添えるミルウーダ。だが、彼女の瞳には殺意だけではない、憐れみのような微かな色が混じっている。
家畜と呼ばれ、蔑まれる平民の自分が、こうして圧倒的な火力を手にしている。その象徴こそ魔銃――アルガスが信じていた貴族の優位が崩れ去る瞬間だ。
何度か撃ち込まれた魔銃の光弾を、必死に回避するアルガス。だが、その回避行動が続くほどに、彼のプライドはズタズタに削られていく。貴族としての威光を示す戦いのはずが、いつのまにか追い詰められる形になっているのだ。
「くそ……こんな……あってたまるか……!」
ボウガンを構え直し、矢を放つが、ミルウーダは横に跳躍しつつ光弾で相殺し、狙いを逸らす。これを繰り返しているうちに、アルガスは焦燥を深めるばかりだ。
そして、ミルウーダの言葉――「祈る時間くらいは与えてやる」――が耳から離れない。いまや彼は、神など信じてはいないのかもしれない。しかし、過去にラムザたちと行動していた頃、ほんの僅かでも神に祈る気持ちを抱いたことがあったような、なかったような……そんな記憶がかすめて動揺する。
「何を……何を言ってるんだ、お前……! 神がいるなら、とっくに俺を救っているはずだろう……!」
思わず弱音じみた言葉が口を突き出る。自分でも驚くほどだ。だが、すぐにそれをかき消すように否定する。自分は貴族であり、神の恩寵を受けている“選ばれた側”――だが、現実にはこうして革命家に追いつめられている。
ミルウーダはそんなアルガスの言葉を聞きながら、魔銃を構え直す。決して慈悲深い顔ではないが、その瞳に一瞬の戸惑いが宿る。
「アルガス……。あんた、まだ気づかないの? 貴族ってのは結局……」
言葉を続けかけて、彼女は一瞬口を噤む。自分自身、革命家として貴族を斬り捨ててきた過去があるが、今は同じように殺して終わりにしたくない気持ちが微かに揺れる。
それでも、アルガスの殺意は衰えていない。彼は再び矢を放つ構えを見せた――その矢をどうにかしなければ次の段階へ進めない。
「……もう終わりにしよう。」
そう呟き、ミルウーダは左手で銃身をしっかり支え、右手に魔力を集中。これまで小出しに撃っていたが、ここで一段上の出力を用いる決意を固める。
通常の光弾よりも高い濃度の魔力を込めることで、一撃でアルガスのボウガンを破壊できるかもしれない。ただ、そのぶん自分の体力にも負担がかかるが、躊躇していてはキリがない。
一方、アルガスも最後の勝負に出ようとした。彼は矢筒から特別な鋼矢を取り出し、ボウガンに番える。恐らく貫通力を高めた矢で、魔銃の光弾と相殺してでも突き刺そうという狙いだろう。
両者の間に、火花とは違う――静かな殺気が奔る。
「アルガス……。祈れとは言ったが、もう時間切れよ。」
ミルウーダの目が光り、魔銃の先端が眩しく輝き始めた。青白いオーラが球体を包み込み、空気がしんと静まりかえる。アルガスも思わず息を呑むが、己の矢を放とうとトリガーに手をかける。
同時に二人が引き金を引いた――瞬間、閃光が爆ぜたような激しい衝撃音が轟く。
――ドンッ!!
アルガスの矢が放たれると同時に、ミルウーダの魔銃から大きな光の奔流が放出される。矢はすぐにその光の波に飲み込まれ、もはや痕跡も残さず砕け散った。そして光の余波がアルガス自身に衝撃を与え、彼はバランスを崩して後方へ吹き飛ばされるように倒れ込む。
ボウガンもアルガスの手から弾かれ、廃墟の敷石を転がる。ギギギと嫌な音を立てて、弦が切れているのが見えた。完全に武器として使えなくなった形だ。
「がっ……ぁ……!」
アルガスは背中を強打し、荒い土煙が立ち上る。彼の鎧は少しひび割れ、肩から赤黒い血がにじみ出している。幸いにも即死には至っていないが、その衝撃は大きい。呼吸が乱れ、意識が朧げに揺らぐ中、彼は呆然と空を見つめる。
自分の矢が通じなかった――あれほど誇ったボウガンが完膚なきまでに粉砕された――その事実がアルガスの心を折りかけている。
ミルウーダもまた肩で息をしながら、地面に膝をつきかける。魔銃の大出力射撃は、それなりの魔力コストと身体への負荷が大きく、腕がしびれて力が入りにくい。だが、戦闘は事実上こちらの勝利だ。
大きく息を吐き、汗と血が混じった頬を拭う。
「……はあ……はあ……やれやれ……。あんたが昔と変わらないのはわかった。けど、こんなもんよ。革命家の武器を……家畜の力を……侮った罰ね。」
地面に横たわるアルガスは、悔しさと混乱で目を見開いたまま、声にならないうめきを漏らしていた。大きく左肩を負傷し、咳き込みながらも必死に体を起こそうとするが、うまく動かない。
かろうじて短剣を握る手も震えていて、もはや対抗できる戦闘力は残されていない。
「くっ……こんな……馬鹿な……俺が、家畜に……。」
口の端から血の糸が垂れ落ち、その瞳はどこか絶望を宿している。信じていた“貴族至上主義”が、魔銃という未知の力によって否定されたかのように感じているのだ。
それを見下ろす形でミルウーダが立ち、薄く息を整えながらアルガスを見つめる。怒りや憎しみよりも、どこか虚しさが勝っていた。
「アルガス……これがあんたの現実よ。私が家畜? たかが平民? そんな言葉で片づけられないものが、この世界にはあるってこと。」
彼女の言葉は冷たく、だが決定的な勝利宣言でもない。むしろ、その先に一瞬の沈黙が流れた。
かつてならば、ここでアルガスを殺して終わりにしたかもしれない。しかし、ミルウーダは革命軍としての“力で倒すだけの戦い”に疑問を持ち始めている。今は、いま一度相手に思考を促すかのように見下ろしていた。
「祈る時間くらいは与えてやる……。これでわかったでしょ、神はあんたを助けちゃくれない。貴族も平民も、死の前には同じ人だ。……あんたはそれを信じないだろうけど、少なくともこの瞬間、神は動いてない。」
そう追い打ちをかけるように囁く。アルガスの耳にはこの言葉がどんなふうに響いているのか――彼の顔には強い動揺が浮かんでいる。
だが、その理屈を素直に受け入れる男ではない。彼は唇を震わせながら、なおも反発心を燃やす。
「……黙れ……家畜が……俺は……っ! まだ……貴族の側にいるんだ……!」
必死に言葉を絞り出すアルガス。しかし、そのプライドを支える理屈が、いまや脆く崩れかけているのを自覚していた。自分が本当に貴族の仲間として認められているのか、あるいはただ利用されているだけなのか――そんな疑問が遠く頭をかすめ、否定せずにはいられない。
この葛藤こそが、ミルウーダの言う“祈る時間”の真意――考えさせる猶予を与えるということだ。
周囲の瓦礫が風にあおられ、ぱらぱらと小石が転がる音がする。荒れ果てた防塁の遺跡は、まるで二人の静かな戦いを見守ってきたかのように沈黙していた。
ミルウーダは魔銃を下ろし、アルガスに近づく。彼が短剣を振りかざす素振りを見せるが、その腕には力がこもらない。かつての傲慢さが残る瞳も、揺れ動く感情を抑えきれていない様子だ。
「今度こそ、とどめを刺す気か……? やれよ……貴様が家畜なら、私は……不運だっただけだ……。」
アルガスが捨て鉢に唸る。だが、ミルウーダの視線は冷静だった。彼女は短刀を握る手を揺らさず、足で短剣を踏むように抑え、アルガスの腕を封じる。そうして、彼の目を真正面から見下ろす。
「……今の私が、あんたを殺すとは限らない。昔の私なら、ためらいなく斬ったでしょうけどね。」
「ほざくな……革命家の分際で……。」
血だまりの中、アルガスはか細い声で呟く。顔を逸らし、己の敗北を認めない意地を最後まで崩そうとはしない。
そこで、ミルウーダはわずかに口の端を歪め、冷徹な口調で言葉を投げかける。
「……あんたは神に祈らないの? もしくは、貴族に救いを求めないの? それとも、自分の誇りとやらを捨てずに死にたいなら……今ここで目を閉じなさい。私だって、あんたを斬るのは簡単だから。」
その言葉はある意味、三重の意味を込めた“祈る時間”の最終通告とも取れる。殺すか、助けるか――どちらを選ぶのかは、相手自身の態度次第だ。
だがアルガスは、そのどれも選べない。死にたくもなければ、素直に助けを乞うプライドもない。そんな彼に、ミルウーダが畳みかけるように一言を加える。
「……祈る時間くらいは与えてやる。あんたがどう信じようと自由だが、神は動かない。そして貴族なんて、本当にあんたを救うのかね……? もし、あんたがいつか気づくなら、それは祈った時かもしれないわ。」
その言葉の余韻が、静まり返った廃墟にしんと響く。アルガスは何も答えられないまま、地面に手を突いて呼吸を整えるしかない。血が流れる傷口が痛むが、ミルウーダはそこへとどめを刺さない。かつてとは明らかに違う“革命家”の姿がそこにあった。
ここで振り返ると、ボウガンと魔銃の戦いは、まさに旧来の貴族的兵器と新時代の可能性を秘めた武器という対立の図式になった。アルガスが誇った狙撃の腕は、魔銃の高威力・高速度の光弾に相殺され、彼の戦闘スタイルを崩壊させた。
さらに、ミルウーダの冷静な戦術――相手の矢を撃ち落とす、近接戦でボウガンを封じる、最後に高出力の光弾を撃ちこむ――これらがアルガスのプライドを根こそぎ折り、圧倒的な差を見せつけたのだ。
近接と遠隔を臨機応変に織り交ぜ、アルガスの攻撃をほぼ無効化。貴族が“当然の優位”と信じた射程戦を逆手に取り、逆にアルガスを追いつめる形となった。
アルガスは平民を見下してきた習慣から、相手を侮り、自分のボウガンが絶対に優位と信じていた。しかし、魔銃という“新技術”に対しては通じない。その事実を思い知らされ、戦いの結末を迎える。
この結果、アルガスは敗北を認めざるを得ない状況にある。だが、プライドが高い彼は、それを言葉で表すことができない。心の奥底で、自分が過去の信念を捨てられないまま、革命家に敗北したという苦悶に揺れている。
廃墟に風が吹き抜け、ミルウーダは一瞬まぶたを閉じる。彼女の腕からも血が滴り落ちるが、アルガスほど深手ではないらしい。荒い呼吸を整えながら、相手に背を向けるのは危険だが、敢えて拳を開き、相手に剣を向けない姿勢をとる。
「終わったわけじゃない。もしあんたがまだ神を信じるなら、祈ればいい。あるいは貴族仲間に助けを求めるなら、どうぞご自由に。私はこのまま行くけど、殺されたくなければ、今は動かないことね。」
そう言い残し、彼女はひたとアルガスを見下ろす。アルガスは短剣を握り締めたまま何も言い返せない。唇を噛み、複雑な表情を浮かべているが、それは憎悪だけではなく、どこか悲愴感に満ちている。
かつてのアルガスなら「すぐに立ち上がり斬り殺す」と勢いづいていたかもしれないが、いまはその気力が崩れ落ちていた。負傷だけでなく、信じてきた“絶対の優位”が破られたショックが大きいのだ。
「……お、俺は……こんなところで……。」
かすれた声がアルガスの喉から漏れる。
ミルウーダはそれを聞きながら、表情を変えずにくるりと背を向ける。最終的に彼を殺すことを選ばなかったのは、もしかすると“守る戦い”に足を踏み入れた自分の新たな価値観が影響しているのかもしれない。
「じゃあね、アルガス。もしまた会うことがあったら、そのときは……お互いどうなっているか、わからないわね。」
最後に一瞬だけ振り返り、その瞳に淡い憐れみの色が宿っているようにも見える。しかし、それは言葉にはせず、ミルウーダは血染めの腕を押さえながら瓦礫の隙間を抜け、防塁の外へと姿を消す。
アルガスは残されたまま、尻餅をついた姿勢で地面を睨む。結局、彼のボウガンは壊れ、短剣を握る手には力が入らない。もし神がいるなら、今すぐ奇跡を起こして彼を救ってくれるのか――無念さの中で、その問いがこびりついたのだった。
血に染まった廃墟の中庭で、アルガスはしばらく動けずにいた。
風が吹き抜け、落ち葉が彼の体にまとわりつく。焦燥感、怒り、屈辱、そして微かな疑問。すべてが頭の中で渦を巻き、何も結論できないまま時間だけが過ぎていく。
わずかに残った体力を振り絞って立ち上がろうとするが、傷が痛み、崩れた壁に手を突いて苦しそうにうめく。
「……革命家……のくせに、俺を……殺さないだと……。ふざけるな……」
その声はもはや強がりだけの虚勢かもしれない。誰もいない廃墟で、彼の言葉を聞く者はいない。自分が本当に貴族にとって重要な駒なのか、それとも使い捨ての道具なのか――不安だけが増幅する。
一方、ミルウーダは内心に幾多の思いを抱えつつ、山道へ足を進めていた。腕の傷は痛むが、かろうじて動ける。王女オヴェリアのもとに戻らなければならないが、それまでに治療や休息が必要だ。
遠くを振り返ると、廃墟の高台に冷たい風が吹き、アルガスの姿が小さく見える気がする。だが、彼女はそこで立ち止まらない。そのまま迷いなく振り返りもせず、進む先を見据えた。
(あいつがどうするか……それはあいつ自身が決めるしかない。祈るか祈らないか、気づくか気づかないか。私にできるのは、ここまで。)
そう自分に言い聞かせ、あえて感情を押し殺すように足を早める。
この戦いによって、ミルウーダは革命家として過去の“殺すだけの戦い”から微妙に一線を引いたのかもしれない。しかし、同時に“絶対に譲れない”という意志も再認識する結果となった。貴族を滅ぼすわけではなく、革命の本質を見失わない――今の彼女が求めるのは、その微妙なバランスだ。
こうして、魔銃がボウガンを凌駕した戦いは幕を閉じる。
ミルウーダの冷静な戦術眼が織りなす攻防は、アルガスの貴族的プライドを粉砕し、圧倒的な力の差を見せつけた。そこに深まる因縁が、いつか再び二人を戦いへ導くのか、それともアルガスが何らかの変化を遂げるのか――今はまだわからない。
最後に残されたのは「祈る時間くらいは与えてやる」という言葉の余韻。
貴族を自称しながら神に見放される現実、平民を家畜と呼びながら自分が追いつめられる恐怖、そして本当に自分が“貴族の仲間”なのかという疑念――それらを抱えたままアルガスは倒れ込む。
戦いの結末は、ただ血を流した勝敗だけでなく、相手に思考を促すものだった。革命家として歩み続けるミルウーダが、新たな道を模索しながら敵をただ殺さず、生きたまま“祈らせる”ことで投げかける問いが、ここに大きな余韻を残す。
――そして、イヴァリースの荒野を吹き抜ける風だけが、いつもと変わらず行き過ぎてゆく。