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天蓋の欠片EP8-3

Episode 8-3:新たな疑念

薄曇りの月が朧に霞む、静かな夜。探偵エリスは表通りを抜けて人気のないビルの谷間へ足を運んでいた。ヒールの低いブーツをコツコツ鳴らし、コートの襟を立てながら周囲を警戒する。
この近辺はタスクフォースが巡回を強化している場所――真理追求の徒が何度も襲撃を仕掛けたり、怪しい装置の痕跡が見つかったりしている“ホットスポット”だ。エリスも何度か捜査に足を運んだが、今夜は特に情報屋から気になる報せを受けていた。

「どうやら“奴ら”がまた来るらしい。小規模な衝突をわざと起こし、捕まるふりをしているというウワサが絶えない。そこにタスクフォース内部のスパイが絡んでいるのなら、証拠を押さえるチャンスかもしれないわね」

エリスは小さくつぶやいて、自分を奮い立たせるように拳を握る。夜風が髪を揺らし、かすかな喧騒がビルの壁を反響している。
――スパイ疑惑。タスクフォース内部の誰かが、真理追求の徒へ戦力や作戦を流し、逆に徒からの情報をこちらへ流すことで捜査をかき乱している――それがエリスの抱く“新たな疑念”の核心だった。まだ確たる証拠はないが、この夜に何らかの動きがあるとすれば、張り込むしかない。

(スパイがタスクフォースを翻弄してるとすれば、アヤカもその被害を受けているに違いない。彼女は協力してくれてるけど、上層部まで信用しきれない以上、私が見つけるしかないわ)

内心で決意を固め、ビルの壁に身を寄せる。少し待てば、或いは奴らが来るかもしれない。ユキノやカエデを呼び寄せるのは簡単だが、今はリスクが高い――彼女たちを危険に巻き込みたくないし、蒔苗の存在も厄介すぎる。
コートの下にはリボルバー型射出機が隠されており、彼女もまた“生成者”としての力を持つ。痛みを伴うが、ここ一番の場面で戦う準備はできている。――探偵として、そしてユキノたちを守る大人として、エリスは今夜こそ手掛かりを得たい。


一方、同じころの深夜、ユキノは家でソファにもたれ、眠れぬままスマホを眺めていた。彼女は最近、夜になると漠然とした不安に襲われる。蒔苗の“観測終了”宣言がいつ下されるか分からないし、真理追求の徒が自分やカエデを狙う可能性も高まっている。
「また眠れない……。カエデさん、大丈夫かな……」

カエデが「痛みを受け止める」練習を始めたばかりで、体調を崩していないかも心配だ。だが夜遅いから、連絡するのも悪い――そんな葛藤がユキノの心を揺らす。結局、うとうとして夜を明かし、朝の陽光にまぶしさを感じながら学校へ向かうのが彼女の日課になりつつある。

朝、昇降口でカエデと顔を合わせると、案の定カエデも寝不足のように目の下にクマを作っていた。「……うん、私もちょっと眠れなくて。痛みをどうコントロールするか、頭で考えすぎて……」と弱々しい笑みを浮かべる。
二人で並んでホームルームを待つ間、ユキノはカエデに訊く。「そういえば先生(エリス)から連絡は? わたし、夜になってもメッセージが来なくて、ちょっと心配で……」
カエデは首を振り、「私は何も。たぶん先生、また情報屋でも回ってるんじゃない? 危険なことしなければいいけど……」と呟く。お互い“探偵の疑念”という言葉が頭をかすめるが、具体的に何をしているかは掴めない。もどかしさを抱えつつ、授業が始まる時間を迎える。

昼休み、ナナミが寄ってきて「聞いた? アヤカさん、また忙しそうにしてるってタスクフォースの隊員が言ってたよ。もしかして近いうちに大きな動きがあるんじゃないかな」と小声で告げる。ユキノとカエデは「やっぱり……」と顔を見合わせ、蒔苗の言葉を思い出す。またいつ襲撃されるか分からない現実に、胸が締め付けられる。


夕闇が深まるころ、探偵エリスは密かに得た情報を頼りに、廃工場の敷地裏へ潜り込んだ。そこは以前にも真理追求の徒が奇妙な痕跡を残しており、タスクフォースが警戒している場所だ。だが今夜、そのタスクフォースの一部が変に動いているとの噂を掴んだのだ。

コンクリートの地面に足音を殺し、物陰に身を隠すエリス。月明かりに照らされた空き地には、何やら黒い影が動いている。息を凝らして観察すると、タスクフォースの制服を着た人間が二人、ローブ姿の男たちに何かの書類を渡しているかのように見える。

(やはり……内通者がタスクフォース内部に。こいつらが情報をやり取りしている?)

エリスはスマホのカメラを起動し、可能な限り映像を収めようとする。しかし光を出せば気づかれる危険があるため、遠巻きに低照度モードで録画を試みる。
聞こえてくる声を耳を凝らして拾う。「……これが次の護衛スケジュールだ。ユキノとカエデを監視している隊員の交代がこの時間帯……」「よし、これで再び奴らを陽動に使う……。世界の儀式に間に合わせるように進めないと……」

(やはりカエデとユキノを狙う計画が本格化している……。しかもこの人たち、スパイ以外にも何か鍵になりそうな書類を交わしてるわね……)

エリスは心臓の鼓動を抑えつつ、より詳細な映像を撮ろうとするが、足元に転がった小さな金属片をうっかり踏んでしまう。カシャンという軽い音が闇に響いた。
「誰だ……!」
男たちが即座に気配に気づき、懐中電灯を向けてこちらを探る。エリスは息を呑み、素早く身を翻すと工場の壁際に回り込む。背後には暗がりがあるが、そこに逃げ込むしかない。

(くっ……バレたか。少しでも多く情報を残さなきゃ……)

スマホを懐にしまい、リボルバー型射出機の感触を確かめる。痛みを伴うが、ここで捕まるわけにはいかない。暗闇の向こうから男たちの足音が近づく。シャッターの下から、二人のタスクフォースの制服姿が見えるが、彼らの顔には冷酷な笑みが張り付いている。

「まさか、探偵がこんなところに忍び込むとはね……。九堂エリスか? 噂通り厄介だな」
低い声が響き、ローブ姿のもう一人も「殺すか?」と答える。制服姿の男は「ここで殺すより、逆に利用するほうがいいかもしれない。だが、時間がない……」と逡巡しているようだ。エリスは歯を食いしばりながら、隙を狙って逃げるか、それとも一撃放って切り抜けるかを考える。

(ユキノやカエデを呼びたいけど、間に合わない……私一人で何とかするしかないわね)

意を決し、射出機に手をかける。胸を撃ち抜けば痛みが走るが、今はそんなことを言っていられない。静かに息を整え、待ち構える。男たちがさらに数歩近づいたとき、エリスは飛び出すように前転して姿を現し、一瞬でリボルバー型の銃口を向ける。

「残念だけど、私をナメないでね。あなたたちがタスクフォースを騙してる証拠はちゃんと手に入れたわ!」
そう叫び、胸に撃ち込む痛みをこらえてトリガーを引く。青い閃光が闇を裂き、先頭のローブ姿の男を吹き飛ばす。
「ぐあっ……!」と悲鳴が上がり、続いて制服姿の男が焦って引き金を引く――実弾の銃かもしれない。エリスは身を反らして回避しようとするが、かすかに肩を掠められ、コートに穴が空く。

「先生っ、ダメ……!」と声を出しかけそうになったが、思わず舌打ちしながらリボルバーを再び構え、激痛に耐えて二発目を撃とうと試みる。だが、痛みに加え肩の負傷が重なり、視界がぐらつく。
(まずい……逃げるしかないか)

周囲にはほかの敵の気配もある。多勢に無勢――エリスはあえて相手の照明を目晦ましに使い、再び身を翻して暗闇へ潜り込む。足早にビル裏の鉄骨の階段を駆け上がり、なんとか距離を取ろうとする。男たちが「追え!」と怒声を上げ、焦る足音が後を追う。

(ここで捕まったら終わり……。でも、少なくともスパイの証拠はスマホに収めたわ!)

痛む肩を押さえながら、エリスは薄暗い階段を上る。屋上へ出れば逃げ道は限られるが、下手に地上へ戻るよりは安全かもしれない。満月が雲間から覗き、冷たい風が頬を叩く。
「はぁ、はぁ……くそ、情けない……でも、証拠さえ持ち帰れば、アヤカやユキノたちに伝えられる。あと少し……!」

男たちは執拗に追ってくる。銃声が闇を裂き、空きビルの鉄骨を跳弾がビンと鳴らす。エリスは顔をしかめながら屋上へ抜けるドアを開けるが、そこにはまさかの人影――蒔苗が待っていた。


満月の光を受け、蒔苗が佇んでいる。プラチナブロンドの髪が風になびき、虹色の瞳は冷静にエリスを見つめている。エリスは肩を押さえながら息を切らし、「あんた……ここで何を……」と呻く。
蒔苗は一瞬だけ表情を揺らし、「観測していただけ。あなたが危ないから、現れただけ」と短く答える。エリスは苦笑して、「観測者が助けてくれるわけじゃないでしょ」と毒づくが、蒔苗はまばたき一つせずに視線を投げ返す。

下から追いかける足音が迫り、男たちが「逃がすな!」と叫ぶのが聞こえる。ドアを開ければすぐにこちらへなだれ込むだろう。この瞬間、エリスはどうするか迷い――が、蒔苗が静かに話し始める。

「あなた、私には干渉できないのに、どうしてこんな痛い目を見てまで頑張るの? このままじゃあなたが死ぬだけかもしれない。スパイを暴いたところで、真理追求の徒の大きな計画は止まらないかもしれないのに」
「うるさいわね……私は探偵よ。目の前の謎や不正を見過ごせない性分ってだけ。ユキノやカエデが大事だから、世界が壊されるのもごめんだわ。あなたがどう思おうが関係ない」

蒔苗はその言葉にほんのかすかな驚きを見せる。「ユキノやカエデを守るため……ふむ。彼女たちが真の力を手にして、私の観測を乗り越えることも期待してるの? あなたはただの人間なのに」
エリスは皮肉っぽく笑う。「そう、私はただの人間。生成者の力はちょっぴりあるけど、ユキノやカエデほどじゃない。でも、仲間を信じるくらいは自由よ。……それが悪い?」
ドアの隙間から、男たちの懐中電灯の光が漏れ始める。エリスはもう後がないと悟り、リボルバーを握りしめる。蒔苗が少しだけ前に出て、「私が手を貸すわけじゃないけど……あなたの行動、興味深いから」と囁く。

すると、蒔苗が手をかざしたかと思うと、闇の中から歪んだ空間のようなものが形作られ、まるで錯視のようにドアと屋上の空間を分断する。足音がバタリと止まり、「あれ、ドアが開かない……?」という声がかすかに聞こえる。蒔苗が干渉しないと言いながら、わずかな“揺らぎ”を起こしたのだろうか。

「あなた……! ありがとう」
エリスがうなずきかけると、蒔苗は冷めた瞳で「別に助けたわけじゃない。あなたが何をするか、もう少し見たいだけ」と言う。
ドアの向こうで男たちが焦ってドアを叩く音がするが、なぜか鍵がかかっているように開かないらしい。エリスはその隙に屋上の端へ回り込み、非常梯子を使ってビルの横へ降りていく。

「じゃあね、蒔苗。感謝はしておくわ。あなたの“観測”とやらに、私たちが答えを出してみせる」
蒔苗は何も言わず、虹色の瞳を静かに伏せる。エリスの足音が梯子を降りていき、夜の闇に消えていったあと、ドアの前でうろたえる男たちの声がやけに虚しく響く。

「観測……って、私、何をしてるのかな。この世界を守るのでもなく、壊すのでもなく……ただ見ている。だけど、少し手を貸したのは、どういう感情……?」
蒔苗はかすかに俯き、わずかな葛藤を覚える。冷静な観測者としての立場と、いつか見せたユキノやカエデのような人間的な揺らぎ――どちらが自分の本心なのか、まだ答えは出ないまま。**これこそ“新たな疑念”**が蒔苗の中にも芽生え始めているのだろうか。


翌朝。エリスが朝帰り同然に事務所へ戻ると、そこにはユキノ、カエデ、そしてアヤカが揃って待っていた。三人の顔には不安が混じるが、エリスは肩の負傷を隠しつつ笑みを浮かべる。
「ごめん、遅くなったわ。ちょっとあっちで仕込みがあってね。……それで、色々と証拠を掴んだわよ」
アヤカが「え……まさか、スパイの存在を確定できたの?」と乗り出すと、エリスはスマホを取り出し、「確定とまでは言えないけど、タスクフォースの制服を着た者が真理追求の徒に書類を渡す現場を撮影したの。暗いから鮮明ではないけど、音声も一部録れてる。あなたに解析を頼むわ」と端末を渡す。

アヤカは神妙な面持ちで画面を確認し、「これが本当なら重大事件よ。すぐにでも上層部に報告して対策を」と言いかけて黙る。既に組織内部にスパイがいる以上、軽率に動けば証拠を隠滅される可能性が高い。
「ええ、だからあなたが心から信頼できるメンバーだけで動いて。それ以外には内緒にしておきましょう。この“新たな疑念”が事実だった以上、真理追求の徒は次の段階へ移行する前に、さらに陽動を仕掛けてくるはず」

ユキノは不安げに「つまり、もっと大きな襲撃があるんだね……先生、肩を痛そうにしてるけど大丈夫?」と心配する。エリスは苦笑いを浮かべ、「ちょっと弾が掠めただけ。大したことないわ。すぐ治るって」とごまかす。カエデはエリスの傷を見る目に痛々しさを感じ、「ごめん、私たちが何もできなくて……」と責めるが、エリスは首を振る。「あなたたちを巻き込みたくないから勝手にやっただけ。気にしないで」

四人の会話を聞きながら、事務所の窓が静かに揺れる。そこに蒔苗の姿はないが、まるで誰かが聞き耳を立てているかのような錯覚を覚える。一瞬、ユキノの背筋が凍るが、それは気のせいかもしれない。
こうして、探偵エリスが掴んだ“新たな疑念”の実態――タスクフォース内部の裏切り――が、物語を大きく動かそうとしている。 真理追求の徒の儀式に向け、蒔苗がどう出るか、スパイがどのように妨害してくるか、ユキノとカエデは痛みに耐えて、さらに力を磨くしかない。

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