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星を継ぐもの:Episode6-2

Episode6-2:分裂の危機

灰色の雲がまるで地表すれすれに垂れこめる王都の朝は、やはり重苦しい空気が張りついていた。夜の間に舞った雨が石畳を湿らせ、街角のランプが薄暗い光を投げかけている。市場へ足を向ける人々はまばらで、その足取りはどこか落ち着かず、互いの顔をうかがうように視線を交わす。理由は明白だ。最近、謎の病が蔓延し、誤射や暴走に至った者が続出している――いわゆるギネヴィアウイルスの深刻化によって、王都の人々は騎士団への信頼さえ揺らぎ始めていた。

その朝、城壁の見張り台にはだらしなく寄りかかる若い騎士がいた。頬はこけ、目の下に隈ができている。彼は同僚から借りたという鉄兜を深くかぶっていたが、その重みを支えきれず時折首が傾く。夜通しの警戒勤務で疲れ果てているのか、それとも熱があるのか――判断がつかない。

「おい、大丈夫か? 発熱してないよな」
巡回してきた兵が声をかけると、若い騎士はうつろな目で振り返る。
「……平気さ。ただ、眠いだけ……」
そう言いつつ、目の焦点はどこか定まらない。兵は露骨に警戒の表情を浮かべ、「万一お前が誤射でもしたら大変だから、しんどいなら下がれよ」と低く囁いた。騎士は肩をすくめつつも、そこで立ち去らない。どうにも意地でも職務を全うしたい気概を見せているのだが、その姿勢が危うく見えるのは確かだ。
こうした光景が、王都のあちらこちらで見られるようになっていた。仲間を疑う視線、あるいは自分が病ではないかと疑われる息苦しさ――円卓騎士団の根幹を支えてきた「仲間への信頼」が今、音を立てて崩れかけている。


王城の一室では、アーサーとエリザベスが深刻な表情でテーブルを囲み、その周囲にカインやガウェイン、モードレッド、トリスタンなど主要な騎士が集まっていた。神官のセリナとリリィ、さらに技術顧問のマーリンも加わり、まるで暗い闇の中へと飲み込まれる前の最後の作戦会議のように見える。

エリザベスが、数日来の状況を整理するように薄い声音で話し始めた。
「……どうやら“ギネヴィアウイルス”と呼ばれる病が、騎士団や兵士だけでなく市民にも広がりつつある。誤射や暴走事件は増え、このままでは王都そのものが崩壊しかねない。結束が、もたないわ……」

カインはうつむき、拳を震わせる。最近の襲撃が激化し、病と敵の二正面作戦に追われる中で、仲間への不信が高まるばかりだ。一度ならず誤射が起きたことで、「自分がいつか撃たれるかも」と騎士たちが怯え始めている。

「ご存知の方もいるが、この病の名前“ギネヴィアウイルス”は、古代の文献に少しだけ書かれていた記述がもとだ。今回、神官長マグナスやマーリンが解析を進め、どうやらそれが原因らしいという説が出ていて……」
アーサーが沈痛な面持ちで言葉を継ぐ。
「古い遺跡に刻まれた伝説では、かつて“ギネヴィア”と呼ばれる姫君が病を媒介し、国同士を滅ぼしたとか。“観測光”や“干渉”に似た力を体内で増殖させ、仲間を疑心暗鬼に陥れて自滅させる……。ただのおとぎ話かと思われていたが、こうして現実になりつつある」

周囲に息を呑む気配が走る。確かにギネヴィアの名は騎士伝説の中で言及されることがあったが、多くは浪漫か悲劇の物語として語られる程度だった。まさかこんな形で真実味を帯びるとは。

ガウェインが低く唸るように言う。
「なるほど……だから誰かが“ギネヴィアウイルス”なんて半ば冗談で呼び始めたら、本当に浸透してしまったんだな。今や噂や恐怖を煽る響きを持つまでになった」

「でも、噂や名前だけが独り歩きしている。厄介なのは、それが実在するかもしれない形で人々を裏切り合うように仕向けてるってことだ」
トリスタンが独白のように言う。その言葉に皆が暗い顔を向ける。あの名前が定着した結果、ますます恐怖や絶望が増幅しているのだ。


窓の外にはどんよりした雲が広がり、今にも雨を落としそうだ。整備ドックの方では、さらに新型の敵の目撃情報が入り、出撃への備えを強化する動きが活発化しているが、騎士たちの顔にはいつもの闘志が見られない。
「これじゃ、分裂するのも時間の問題かもしれん……」
モードレッドが苦い表情で吐き捨て、カインは静かに肯定するように頷く。誤射を恐れ、病を恐れ、仲間の背を信用できず、疑いが膨らむばかり。今や分裂の危機はすぐそこに迫っていた。

「そんな……このままじゃ王都が……」
リリィが神官のローブを握りしめながらつぶやき、セリナは視線を伏せる。「私たち神官は干渉治療を進めているけど、あまりにも患者が多すぎる。すべては間に合わないかもしれないわ」
干渉治療には莫大な魔力と時間が必要で、一日に数名を救うだけでも限界に近い。病が深刻化した者には危険も伴うため、リスクを承知で実行しているが、治る前に暴走や誤射が発生すればどうしようもない。

そこへマーリンが一枚の報告書を持って入ってきた。顔にはやつれが浮かび、タブレットを脇に抱えながら息を切らしている。
「大変なことになった。南の前線でとうとう“ガラティーン隊”が分裂を起こしたらしい。発熱者を含む隊員が“俺たちは撃たれるかもしれないから、まずは自己防衛だ”と勝手に部隊を離脱したとか」

「なっ……ガラティーンといえば、ガウェインの隊……」
カインが絶句し、ガウェインは青ざめた顔で立ち上がる。「まさか、俺の隊の連中が分裂なんて……」
「ああ、本隊を離れた者が数名出て、病を理由に隔離を嫌がり、他の部隊との接触を拒んでいるらしい。命令無視とも言える状況だ。これってもう崩壊への一歩じゃないのか?」

ガウェインは拳を強く握り、声を震わせる。「俺が責任をもって収める。皆が誤射や暴走を恐れて……こんな形で絆が壊れるなんて耐えられん」
そんな彼を、エリザベスが目を伏せながら止める。「今あなたが行っても、下手すると誤射が起きるかも。病の発症が不安定なうちは、彼らもあなたを敵扱いするかもしれないわ……」

「しかし、何もしなければ騎士団が二度とまとまらなくなる! そんなのイヤだ……」
ガウェインの声には悲痛が混じっている。これまで“盾役”として仲間を守ってきた彼にとって、仲間の分裂は何より辛い現実だ。
アーサーは深く息を吐き、「ガウェイン、君が直接行くのではなく、比較的症状の安定した騎士を派遣しよう。神官も同行して、観測と回復を同時に行って事態を収めるしかない」と指示を下す。


一方、カインは別方向から入った報せに驚愕を隠せなかった。どうやら中央の補給隊にも分裂の動きがあるらしい。補給物資をめぐって「病人を優先すべき」「いや、前線で戦う部隊が最優先だ」と意見が対立し、さらには「誤射されるかもしれない隊と一緒に動けるか!」という声まで上がり、大規模な内紛に発展しかけているというのだ。

「……すべてが崩れ始めている。皆が敵ではなく互いを疑い、物資の分配でもめて、そのうち王都自体が瓦解してしまう」
アーサーは机を叩き、「分かっている、だから急ぐんだ。神官たちの干渉治療の普及と、ギネヴィアウイルスの封じ込めが間に合わなければ、取り返しのつかない事態になる」と声を荒らげる。彼も王としての責務を感じながら、日々の現実とのギャップに追い込まれていた。

モードレッドが歯を食いしばり、「なら、俺たちが前線で敵を牽制する間に神官が治療を進める。分裂が進む前に、みんなが安心して味方を信用できる状態に戻すんだ」と苦い決意を漏らす。
トリスタンは無言で頷き、カインはその意気を感じ取りながらも、「それでも時間が足りなすぎる……」と心中で叫んでいた。今この瞬間も、王都のどこかで仲間への疑いが燃え上がり、隊が崩れていく兆候が進んでいるのだ。


そうした中、セリナとリリィが医療区画から戻ってきた。二人とも疲れきった顔で、ローブに皺が寄り、髪も乱れている。
「……少しだけ成功例は増えたわ。干渉治療で二人が回復の兆しを見せてくれた。でも、同じくらい悪化する患者も増えていて、今度は三人が誤射寸前に止められたケースまであったの……」
セリナの声は弱々しく、リリィも唇を噛む。「誰も撃たなくて済んだのは不幸中の幸いだけど、みんなが互いを監視し合うようになって……」

カインやモードレッドが顔を見合わせ、沈黙が続く。ここまで来ると、仲間を疑うのが当たり前になりつつあり、結束の危機は現実のものとなりつつある。誤射の恐れに怯え、病を恐れ、敵を恐れる――三重苦だ。

「これが、かの伝説にあるギネヴィアウイルスの“血を流し合い、国を滅ぼす”形だとしたら、本当にどうにかしないと……」 リリィは搾り出すような声で言い、セリナが緊迫した面持ちで続ける。「古代文献によると、ギネヴィア姫の力が観測光を狂わせ、人々を誤解と暴力に駆り立てた……とも書かれているわ。まさか、それが今再現されているなんて」

ガウェインは険しい表情で二人を見やり、「そんな伝承、冗談だと思ってたが……現実に起きてるんだな」と苦い言葉を飲む。黙りこくるアーサーやエリザベスの表情にも、もはや打つ手が限られている焦燥が滲む。
円卓騎士団が分裂し始めれば、外の敵を押し返すどころか、内側の秩序維持すら成り立たない。もしこれが敵の狙いだとすれば、まさに術中にはまっている状態だ。


夜半、どうしようもない状況下で、ある一報が入る。それは北門外の小キャンプを任されていた部隊が、完全に離脱してしまったという知らせ。隊長が病を恐れ、兵を説得して王都から逃げる形になったらしい。
「なんだと……!? 勝手に王都を捨てるなど、反逆同然じゃないか!」
モードレッドが怒りを露わにするが、ガウェインも衝撃で声を失う。
カインは静かに目を伏せ、「これが“分裂”なのか……」と唇を震わせた。兵が実質的に亡命するように逃亡しはじめたとなれば、王都の防衛体制は穴だらけになる。人々の心がどれほど恐怖で蝕まれているか、これで痛感させられる。

「もう止められなかったのか? 何か手段は……」
アーサーが問いかけるが、エリザベスは首を横に振る。「間に合わなかったそうよ。短時間で荷をまとめて出て行ったようで、止めようとしたら誤射を警戒して銃を向けられたとも……」
皆が絶望に似た沈黙に沈む。仲間を疑うどころか、ついに完全離脱して王都を見捨てる者まで出たのだ。この流れが止まらなければ、騎士団は瓦解し、国は終わる。まさに極限の局面にあると言えよう。


夜明けに近づくころ、騎士たちが集まる甲板はいつもより閑散としていた。出撃要請があっても、まともに集まれるメンバーが少ない。発熱や幻覚が深刻化した者、誤射を恐れて隠れる者、そして離脱してしまった者が重なり、戦力は激減している。
「これじゃ、いざ敵が押し寄せたらどうなる……。まさに分裂の危機だ」
カインが苦い面持ちでつぶやくと、モードレッドは腕を組んで「俺が一人でもやるさ。仲間がいなきゃ戦えないなんて、そんなの嫌だ」と息を荒げる。だが、その言葉に力がないのを自分自身でも感じているようだった。

「……私たち神官も限界よ。干渉治療には限度があるし、もう誤射や暴走をすべて防ぐことはできない。セリナさんも倒れかけてるし、リリィも立っているのがやっと……」
リリィがうなだれて言う。体調が万全とは程遠い。騎士も神官も全員が消耗し、病が広がるスピードに追いつけないのだ。

周囲を見回しても、疲弊し切った顔ばかりが目立ち、どこにも以前のような結束は感じられなかった。少し前まで肩を並べて笑い合っていた仲間が、今は互いの行動を警戒し、下を向いて黙っている。
(これが、ギネヴィアウイルス……古代の伝承にあった“国を滅ぼす病”の真実の姿か)
カインは心で呟き、奥歯を噛み締める。もしこのまま分裂が進めば、眠るアリスが目覚めても、もう守るべき国や仲間は残っていないかもしれない。


そのとき、遠方から突如として警報が鳴り響いた。王城の高い櫓に設置された魔力警鐘が震え、低い音を街へ叩き込む。どうやらまた敵が攻め寄せているらしい。しかも音の重みからして、大規模な歪みかもしれない――そう察した経験豊かな兵が顔を青ざめる。
カインたちは咄嗟に機体へ向かおうとするが、その背後で「もう出撃なんて無理だ!」と叫ぶ騎士が一人、足を止めてしまった。モードレッドが「何言ってんだ」と詰め寄ると、その騎士は泣きそうな顔をして「誤射されたくないし、俺だっていつ発症するか分からない。もう戦えないよ……」と震える声を出す。

「味方への銃口を向ける危険を感じてるってか……」 モードレッドが困惑を隠せずに呟く。ガウェインも苦い顔で、「俺たちに背を向けるのか?」と問いかけるが、その騎士はうなずかず、ただ泣き続けるだけだった。ここにも分裂の兆しが表れていた。
「……無理強いするな、モードレッド。今の状況じゃ仕方ない」
カインが苦い面持ちで止める。そこへリリィとセリナが駆け寄り、「どうにか落ち着かせましょう」と申し出る。しかし、時間がない。敵が迫るなら、出撃を遅らせることはできない。
まさに泣き叫ぶ騎士を置き去りにして、少数のメンバーだけが飛行甲板へ足を運ぶ姿は、円卓騎士団の分裂を象徴するように見えた。

「これが、俺たちの現実かよ……」 モードレッドが声を震わせ、トリスタンは黙って歯を食いしばる。誰もが心に疑問を抱えたまま機体に乗り込み、離陸の合図を待つ。王都防衛のために飛び立つが、仲間の結束など遠い昔のようだ。


こうして少数の騎士と神官が出撃するが、背後には負傷や病、そして恐怖に駆られた者が大勢残る。意見の相違も広がり、「戦うべきだ」「いや、病を根絶しなければ先に進めない」「誤射が怖いから動けない」と口々に言い合っている。
円卓騎士団の分裂が、いよいよ表面化していた――互いを信じられず、意見を統一できず、仕組まれたように崩れ落ちる予感が誰の目にも明らかに映る。

夜が来れば、またどこかで誤射や暴走が起きるかもしれない。干渉治療が間に合わない患者も増え続ける。これら全てが、王都を闇へと押しやる力になっている。
「アリス……お前がいてくれれば、まだ俺たちは救われるかもしれないのに……」
カインはコックピットで小さくつぶやき、離陸のスロットルを押し込む。銀の小手は轟音を立てて浮上し、灰色の空へと消えていく。地上で苦しむ仲間たちを思えば、ここで逃げるわけにはいかない。かといって勝算があるとも思えない。

結局、王都は複数の小隊に割れてしまった。マグナス神官長らを中心に医療を優先する隊、アーサーやエリザベスが指揮を取る防衛隊、すでに外へ逃げた者、動けない者……。分裂の危機は最終段階へ向かっているのだろうか。

この闇を突き破る方法はただ一つ、病の原因を断ち切り、誤射と暴走を鎮め、仲間を再び信じ合える状態に戻すこと。だが、肝心のアリスは深い眠りの中で沈黙を保ち、神官やマーリンの干渉治療だけでは対応が間に合わない。敵は進化を続けており、いつ大規模な総攻撃をしかけてくるかも分からない。

王都全体が見えない深い霧の中に沈みつつあるようだった。騎士たちの視界は曇り、足元をどこに置けば安全か分からない。仲間への信頼という地盤が崩れれば、戦いなど成立しようもない。
それでも、今わずかな人数が空へ飛び、地上で神官たちが干渉治療を施し、残った者もそれぞれの立場で必死に踏ん張っている。バラバラになりながらも、それぞれが「まだ終わらない」と信じて行動しているのが、円卓騎士団最後の光なのかもしれない。

「これ以上、分裂を進ませたくない……俺たちにできるのは、ただ戦いつづけることだけど……」
カインのそんな独白は、風の轟音にかき消され、誰の耳にも届かなかった。機体が上昇しながら雲を割り、朝日が灰色のベールを裂くようにかすかに射す。敵の新たな気配がどこかに潜んでいる――だが、もう皆が互いを心から信じられない状態での出撃に、不安は拭えない。
こうして王都の一日は、どこか破滅の足音を孕みながら動き始める。ギネヴィアウイルスの名が完全に定着し、病が深刻化して誤射と暴走が頻発し、騎士団や市民が分かれていく。果たしてこの“分裂の危機”を乗り越え、再び一つになれる日は来るのか――それは誰にも分からない、まさに最後の瀬戸際の争いが始まろうとしていたのだ。

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