
FFT_律する者たちの剣_EP:4-2
EP4-2:ウィーグラフの最期
かつて革命軍の拠点だった山岳地帯の砦跡。荒れ果てた石壁が砂のように朽ち、瓦礫の山が風にさらされている。
その廃墟の中央に位置する広場のような空間で、ウィーグラフは半ば人外の姿へと変貌しつつあった。
肩や腕に黒い鱗のようなものが浮き出し、血管が隆起して紫色の脈動を放つ。人間の声に混じって地底から湧き出るような呻き声が交じり合い、周囲の空気が震えるほどの邪悪なオーラを生み出している。
「ぐ……うぅ……ぁ……」
明らかに普通の人間ではない。聖石(宝玉)の力を宿したルカヴィ化――すでにその影響で思考や肉体が侵食され、狂気染みた光が瞳に宿っている。しかし、その中には確かに“ウィーグラフ”としての自我があるのが見え、彼は低い声で妹の名を呼んだ。
「ミルウーダ……俺は、革命を捨ててない……貴族どもを……皆殺しに……してやる……! そうすれば……平民の未来は……俺が……!」
叫びなのか呻きなのか、途切れ途切れの言葉が廃墟に木霊する。ルカヴィ化の力がもたらす圧倒的な魔力が、砦の残骸を小さく振動させ、遠くの山壁に反響しているのがわかる。
一方、ミルウーダ・フォルテは魔銃を握りしめ、震える呼吸を整えようとしていた。彼女の目には、かつて“兄”と敬愛したウィーグラフの面影がわずかに見えるが、いまの彼はほとんど化け物だ。胸中に込み上げる悲しみを押し殺すように、短く言葉を吐き出す。
「兄さん……あなたはもう、私の知る人じゃない。……それでも、私はあなたを……止める……!」
切ない決意。血が通った家族の相手に引き金を向ける苦しさが、声を震わせている。しかし、それでも、ここで戦わなければ何もかもが取り返しのつかない破滅に向かう――そう直感しているのだ。
兄妹の深い絆があったはずなのに、いまは殺意と狂気の交錯する“敵対”の構図でしかない。冷たい風が双方の髪を乱し、瓦礫と落ち葉が舞い上がるなか、ふと空気が凍り付くように静まり返る。
そして――ルカヴィ化ウィーグラフが、最初の一撃を放った。
「革命を……終わらせない……ッ!!」
絶叫とともに、ウィーグラフの半獣化した右腕が宙を薙ぐ。それだけで、廃墟の地面に亀裂が走り、岩の破片が砕けて舞い上がる。衝撃波のような魔力が伴い、ミルウーダを押しつぶそうとする勢いだ。
彼女はとっさに横へ大きく飛びのき、間一髪でその衝撃から逃れる。が、地面に叩きつけられた残響が身体に伝わり、耳鳴りとともに痛みが走る。
(なんて威力……ただの腕の一撃でこれほど……!)
驚愕を抑えながら、ミルウーダは魔銃を構え直す。通常の魔力弾でもウィーグラフの“硬化”した鱗に弾かれる可能性がある――それほどの異形の力を感じ取る。
そこで、彼女は戦術バッグからチャフグレネードを取り出し、ピンを外してウィーグラフの足下へ投げ込む。金属製の小さな筒が地面を転がり、カチリと音を立てて炸裂する。
シュパァッ……!
白く細かい粒子が霧のように広がり、魔力干渉を乱す独特のノイズが辺りを包む。音が高周波でビリビリと響き、ルカヴィの魔力の流れを部分的に妨害する効果があるのだ。
ウィーグラフが怪物じみた腕を振りかざそうとするが、一瞬その動作が鈍る。闇色の魔力が不安定になり、彼の肉体に発生していた紋様がちらつくように明滅する。
「ぐあっ……!? …く……っ……!」
苦悶の声をあげ、ウィーグラフが後退。チャフグレネードは教会由来の魔法や呪術を妨害するために作られた兵器で、強力な魔物やルカヴィに対しても一時的な封じ込め効果がある。ただし、完全には力を奪えない。
それでも一瞬の隙を作るには十分――ミルウーダはその好機を逃さない。彼女は魔銃の脇にポーチを引き寄せ、すばやく弾薬(魔力石)をセットし、光弾を撃つ態勢を取る。
ルカヴィの肉体はただ硬いだけではなく、再生力も高いという噂がある。普通の斬撃や弾丸でダメージを与えても、すぐ回復してしまうかもしれない。そこで、魔銃が持つ高エネルギー弾と戦術アイテムの組み合わせが鍵になる、とミルウーダは判断する。
彼女はまず、チャフの煙が晴れないうちにスタングレネードを続けて投げ込む。これは閃光と爆音で敵の感覚を麻痺させる非殺傷兵器だが、ルカヴィと化したウィーグラフにどの程度効くのか未知数。しかし、時間を稼ぐには使う価値がある。
「兄さん……耐えて……!」
投げられたグレネードが地面で転がり、ピンが弾ける。すると一瞬の静寂ののち、パァンッ! という強烈な閃光と爆音が周囲をかき消す。
光が視界を焼き、音が耳を破るように轟く。ミルウーダも自分が巻き込まれないよう瓦礫の陰に伏せて目を閉じ、耳を塞ぐ寸前に飛び込む。ルカヴィ化したウィーグラフでも、感覚的な衝撃を完璧には無効化できないはずだ。
「ぐおおおっ……!」
やはり痛覚や視覚が乱れたのか、ウィーグラフが獣じみた咆哮を上げる。チャフで魔力干渉を乱されたうえにスタングレネードの閃光が重なり、一時的に動作が鈍る。
そこを見定めて、ミルウーダは姿勢を起こし、魔銃を肩口に構える。右腕から脈動する魔力を注ぎ込み、青白い光が銃口に集束するのがわかる。
(……ここで一気に撃ち込む……!)
呼吸を整え、狙いを定める。ウィーグラフの鱗化した胸部をピンポイントで撃ち抜くのは難易度が高いが、今の混乱状態なら当てやすいだろう。彼女はトリガーをゆっくり引く――。
ドォンッ!
青白い閃光が砦の床を照らし、魔力弾がルカヴィの胸へ一直線に伸びる。大気がビリビリと振動するほどのエネルギー量だ。
ウィーグラフは咄嗟に右腕を盾のように持ち上げてガードを試みるが、不安定な魔力状態ゆえに鱗が完全には硬化せず、魔銃の光弾が腕を貫通して胸元に衝撃を与える。闇色の血とも粘液ともつかない液体が飛び散り、凄まじい苦悶の声が響く。
「ぐああぁぁぁっ!!」
叫び声に悲痛な響きが混じる。人間味のある声と獣の咆哮が入り混じり、言葉では形容しがたい絶叫となって廃墟に木霊する。ミルウーダは心を鬼にしながら、その光景を見続けるしかない。
確かにダメージは与えたが、ルカヴィの力でそれがどれほど致命傷になるかは未知数だ。彼女は息を切らしつつ、弾倉から新たな魔石を取り出し、連続攻撃に備える。
一度負傷させても、ルカヴィには再生力がある。ウィーグラフの腕から血と黒い靄のようなものが混ざった液体が落ち、その部分の鱗が再び増殖し始めるかのように見える。明らかに人間を超えた化物の修復能力だ。
それでも、スタングレネードの残光やチャフの影響が残っているうちに、決定的な追撃をしないと勝機を逃す――ミルウーダはそう考え、もう一度魔銃を構える。しかし、その一瞬の間にウィーグラフが驚異的な踏み込みで跳躍してきた。
「くっ……!」
彼の下半身はまだ人間に近い形状だが、筋力やスピードが常識を超えている。大きく地を蹴って空中を舞い、ミルウーダに斜め上から爪を振り下ろす形で突撃してきた。獣のような爪が闇色の魔力を帯び、まるで漆黒の稲妻が落ちるかのような凄まじい迫力。
ミルウーダは驚くほどの速さに反応が遅れる。魔銃を完全には向けきれず、避けようと身を屈めるが、爪先が肩をかすめるように斬り裂き、鋭い痛みが走る。
「っ……!」
彼女は体勢を崩しそうになるが、何とか踏ん張り、近距離で拳を振り出す形でウィーグラフの顎を狙う。だが、硬化した鱗に阻まれ、衝撃は半減。ウィーグラフは軽くよろける程度ですぐに反撃姿勢を取る。
見上げれば、獣化した右腕が再度振りかぶられる寸前――その瞬間、ミルウーダは懐から最後のスタングレネードを放り投げる。ごく短い距離だが、自分も巻き込むリスクを承知で投擲したのだ。
パァンッ!
閃光が二人の視界を焼き、爆音が耳を劈く。ミルウーダも閃光をもろに浴びて目が眩むが、ルカヴィ化の感覚を乱すためにはこれしかない。
案の定、ウィーグラフは強烈な光を受けて短い悲鳴を上げ、腕の動きが一瞬停止。ミルウーダはその隙に地面を転がるようにして距離を取り、再び魔銃を撃ち込む。狙いは甘いが、近距離からの光弾なら致命打になり得る。
ドンッ!
閃光と煙の中で、ルカヴィ化したウィーグラフの胸から黒い血が噴き出す。魔銃の弾丸が見事に命中したのだ。彼は獣のように低い声で唸り、後ろに吹き飛ばされて瓦礫の上に叩きつけられる。血の臭いがさらに濃く漂い、黒紫の液体が地面を濡らす。
ミルウーダは息を荒げながら、傷ついた肩を押さえる。右肩から血が滴り、痛みで顔を歪ませている。だが、今は倒れたウィーグラフを確認することが先決だ。
再生力があるとはいえ、二度の魔銃弾の直撃は相当なダメージだろう。彼が本気でルカヴィの力を解放すれば、まだ逆転の可能性はあるかもしれない。心臓を撃ち抜かれでもしない限り、完全に止まらないかもしれない――そう考えて彼女は警戒を緩めず、銃口を向けたまま近づく。
(兄さん……)
心中で呟き、もう一度呼びかける。それでももう答えは帰ってこない。ウィーグラフは半ば獣化した体を伸ばし、黒い鱗がボロボロと剥がれ落ちる状態でうめき声を上げるだけ。
その目は半分白目を剥いており、焦点が定まらない。だが唇がかすかに動いて何かを呟こうとしている。
「み……ミルウーダ……俺は……まだ……」
そのか弱い声には、確かに“兄”の面影が宿っている。しかし、ミルウーダはすでに涙をこぼさない。固い決意を表情に宿し、低く深いため息をついて言い放つ。
「兄さん……あなたはもう、私の知る人じゃない。革命を愛していた優しい兄じゃない……。」
言葉が砦の残骸にむなしく吸い込まれていく。ウィーグラフは情けないうめきとともに、最後の力を振り絞るように右手を伸ばす。黒く変形した指先が震え、宙を掴もうとするが、何も掴めずそのまま落ちる。
まるで、ルカヴィ化した力が抜けつつあるのか、鱗が石のように崩れ始め、一部が灰になって舞い散る。体がどんどん冷たくなっていくのを自覚しているのか、彼の顔には激しい絶望が浮かんでいる。
「く……が……ぁ……っ……(苦悶の声)」
この状態を見て、ミルウーダは目を閉じそうになるが、最後まで看取る決意で視線をそらさない。
――“兄”の死を、あるいは最後の瞬間を、看取る義務があると思っているのだ。
怪我の程度とルカヴィの力が拮抗し、再生が追いつかなくなったのだろうか、ウィーグラフの身体から次々に黒い鱗や角質が剥がれ、血と闇色の液体が混ざり合って地面に流れていく。
魔銃の光弾を二度受けたこと、スタングレネードなどの戦術アイテムで相手の魔力を狂わせたことが功を奏したのかもしれない。崩れ落ちる鱗は徐々に“人間”の肌の下へ溶け込んでいく形で灰化し、見るも無残な屍の姿をさらし始める。
「兄さん……っ!」
ミルウーダが駆け寄るが、その瞬間、ウィーグラフの口から血が吐き出され、虚ろな瞳がこちらを見つめるように動く。どうやら最後の意識で妹を認識しているらしいが、言葉は出せず、わずかに唇を震わせるだけだ。
鱗がほぼ全て剥がれ、露出した肌には古い傷や革命軍時代の痕跡が残っている。しかし、あの凛々しく誇り高かった表情はもう失せ、ぼろぼろの死体に近い姿だ。
ミルウーダは恐る恐るその手を取り、声を絞り出す。
「兄さん……どうして……どうしてこんな形になって……」
彼女の呼びかけにも、ウィーグラフはもう反応できない。体から生気が抜け、瞼がゆっくり閉じていく。数秒の静寂が流れ――その呼吸が止まる瞬間を、彼女は感じ取る。
それはミルウーダにとって、革命の始まりを共にした大切な兄の死でもあり、“ルカヴィ化の力”に溺れた怪物の最期でもある。喜びでも勝利でもなく、悲痛の極みがそこにある。
彼女は声にならない嗚咽を噛み殺し、額を彼の血に触れぬようにそっと近づける。滲む涙が砂混じりの地面に落ち、染み込んでゆく。
「ごめん……兄さん……。あなたを……救えなかった……」
その声は砕け散った石と血の匂いが混じる風にさらされ、廃墟の壁にか細く反響しては消えていく。妹として、革命の同志として、これ以上ないほどの無力感を味わう瞬間だった。
だが、物語はまだ終わらない。ここでウィーグラフの命が絶えたとしても、宝玉の欠片にはまだ何か秘密が残されている――次の展開を示唆する伏線が、瓦礫の隙間に微かに光を放ち始めているかもしれない。
砦の中心部で、ウィーグラフの屍が横たわり、ルカヴィ化の痕跡(鱗や漆黒の角)がほとんど灰になって崩れ落ちている。人間の肌が露わになり、その表情は苦悶に歪みながらも、どこか解放されたような静けさを宿している。
周囲には、かつて革命軍が生活していた痕跡が残り、倒れた兄の姿との対照が痛ましい。ミルウーダは血と涙にまみれながらも、最後にひとつだけ、小さく呟く。
「兄さん……革命をありがとう……でも、私は……あなたとは違うやり方で進む。だから……安らかに……」
その声は震えを伴い、砦の壁に弱々しく吸い込まれる。
彼女は、ウィーグラフのそばに落ちている宝玉がうっすら光を放っているのに気づくが、それに触れる勇気は今はない。ルカヴィ化を引き起こす呪われた力――取り扱いを誤れば再び誰かを狂わせかねないのだ。
ただ、確かにそこに宝玉があるという事実が、今後の展開を暗示している。ウィーグラフは死んだが、彼の執念は宝玉に宿る形で何かしらの影響を残すのかもしれない。それは次の物語で明かされるだろう。