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天蓋の欠片EP6-3

Episode 6-3:友情の兆し

放課後の校舎を柔らかい夕陽が染めるころ、教室にはいつもの気配が戻り始めていた。あれほど立て込んでいた事件の余韻も、表面上は少しだけ和らぎ、クラスメイトたちは部活動やアルバイトへと散っていく。

それでも、この学校には独特の緊張感が残っている。タスクフォースの隊員が校門や廊下を巡回し、生徒たちを保護するかのように目を光らせているのだ。大人たちが口うるさく「早く帰りなさい」と促すため、生徒たちは少し息苦しさを感じながら、それでも日常を取り戻そうと務めていた。

窓の外を見やるカエデの背中は、相変わらず細く華奢だが、以前よりも周囲に溶け込みやすくなったように見える。隣の席にいるユキノは、そんなカエデを横目で見ながらほっと胸をなでおろしていた。つい先日までは、クラスの中で浮きがちだった転入生が、少しずつ日常へと足を踏み入れ始めているのを感じるからだ。

「ねえカエデさん、今日、どうする? まっすぐ帰る?」 昼下がりの光のなかで、ユキノが声をかける。いつもならタスクフォースの護衛に急かされて自分も早々に帰らなければならないが、今日は少しだけ時間に余裕がありそうだ。

カエデは何か小さなノートをしまいながら、控えめに微笑む。 「そうね……あまり遅くなるのもアレだけど、ナナミさんが『一緒に書店に寄ろう』って言ってたし、興味があるから……よかったら天野さんも来る?」 驚いたような目を向けるユキノ。「うん、もちろん行くよ! 前にも三人で買い物行こうとしたのに、いろいろ邪魔が入ったし。今日はうまくいくといいな。」

そんな何気ない放課後の予定を話しながら、ふたりは少しだけ弾んだ気持ちになる。ほんのわずかな合間にも、クラスメイトが話しかけてきて「カエデちゃん、どこか行くの?」と声をかけるようになり、彼女は控えめに頷いて「ちょっと本屋さんへ……」と返す。それだけで、かつて孤立気味だったカエデのイメージが変化しているのが分かる。

しかし、廊下に出ると、タスクフォースの隊員が近づいてきて「すみません、天野ユキノさん、今日もいくつか不審者情報があって……あまり寄り道はおすすめできませんが、大丈夫ですか?」と声をかける。ユキノは申し訳なさそうに「わかってます。ほんの少しだけ、本屋に寄ってすぐに帰ります」と返事をした。

「すみませんね……護衛の車で送ることになると思いますので、一定の距離からついて行きますよ」 隊員は苦笑まじりに言う。カエデがその様子を見て少し身を引きかける。今でも、タスクフォースへの警戒感が抜けないのだろう。ユキノはその気配を察知し、さりげなくカエデの腕を軽く掴んで引き留める。 「大丈夫。私についてきてくれるだけだから、気にしないで」

カエデは視線を落としながらも、小さく頷いた。「……そっか、ならいいけど」と囁くように言う。その目にはまだわずかな戸惑いが宿るが、ユキノの手を振りほどくわけではなかった。

そこへナナミが「カエデちゃん、ユキノ、準備できた?」と元気よくやってくる。三人並んで昇降口へ向かい、靴を履き替えて校舎を出る。校門の付近では数人のクラスメイトと雑談しながら、護衛を引き連れた状態で歩き出すのはやはり少し目立つらしく、「ユキノ、相変わらずすごいね……」とナナミが笑いながらからかってくる。

「仕方ないよ、私が狙われてるっていう建前もあるし……あ、でもカエデさんも大丈夫?」 小声で確認すると、カエデは一瞬だけ苦い顔をするが、「私もあなたと一緒なら大丈夫かも」と返す。まるで寄り道が初めての子供のようだ――それが愛おしく感じられるのは、ユキノだけではなく、ナナミも同じらしい。

夕焼けに染まった街を、三人と護衛の隊員が並んで歩く。少し離れたところからもう一人の隊員が警戒しているのが見えるのは残念だが、今は気にしないようにしようとユキノは心を決める。

「本屋さんって、駅前の大きいとこでいいんだよね?」 「うん、あそこなら雑誌とか文具とか、いろいろ見られるし」 「私、文房具も興味あって……いろいろ集めてみたいなって思う」

ナナミの提案で、本屋の文具コーナーを覗くことになった。カエデは薄い笑みを浮かべながら、「実は私……そういう普通の女子高生っぽい時間って、ほとんど過ごしたことなくて。ちゃんと楽しみたい」と控えめに言う。するとナナミが「んもう、もっと早く言ってよ! 全部エスコートしてあげるから!」と盛り上がる。

そんな和やかな雰囲気のなか、ひときわ目立つのが隊員の無線機が時折鳴る音。「……こちらパトロール班、異常なし」「了解……」など繰り返される声が耳につき、ユキノは(これも日常なのかな……)と複雑な思いで息をつく。

駅前に着き、雑踏の中を縫うように進む。薄暗い夕空をビルの照明が照らし始め、仕事帰りの人々が行き交う喧騒の中、三人は連れ立って大きな看板を掲げる書店へと入る。ドアを開けた瞬間、冷房の涼しさと紙の匂いが混ざった空気が迎えてくれる。

ナナミが「さっそく文具コーナー行こう!」とはしゃぎ、カエデは少し目を輝かせる。「へえ……こんなにも種類があるんだ……」と、色とりどりのペンやノートを眺めながら感嘆の声を漏らす。ユキノはその様子を見て、「やっぱり誘ってよかった」と心が温かくなる。

ただ、護衛の隊員が少し離れたところで目を光らせているのがなんとも居心地悪い。周囲のお客さんも「なんか凄い警戒されてる?」という視線を送ってくるが、ナナミは気にせず「これどう? カエデちゃんに似合いそうなシンプルなデザインだよ」と小さな手帳を勧める。

「こういう手帳があると、スケジュール管理とか、気になったことを書き留めたりできるし」 「スケジュール管理……私、そんな予定あるわけじゃないけど……でも、いいかもしれない。なんとなく、形に残るのは悪くない」

カエデが手帳を持って目を細める。ユキノも隣で、「わたしはメモ帳とか付箋が好き。弓を使う訓練の記録も、こういうのに書いてる」と、さらりと言いそうになってハッとする。弓の話は、普通のクラスメイトの前ではあまりしないほうがいいと思い、慌てて口をつぐむ。「訓練」の単語にナナミが「え、何の訓練?」と反応するが、ユキノは愛想笑いでごまかした。

「……ま、いろいろね、趣味があって……」

そんな小さな会話をしながら、三人で文具を手に取り合い、楽しげに視線を交わす。カエデがこうして笑顔を見せてくれるのは珍しいことで、ユキノは心の中で(もっと、こういう時間を増やしたいな)と強く願う。

ところが、店内奥の通路を歩いていると、遠くから大きな悲鳴が聞こえ、客がざわつき始める。隊員がすぐさま無線を確認し、「どうやら二階の雑誌コーナーで騒ぎが起きているようです」と緊張感を漂わせる。ナナミが目を丸くし、「また事件?」と顔を青ざめる。ユキノは嫌な予感で胸が高鳴る。

「カエデさん、ナナミを護ってて。私が隊員と一緒に行ってくるから……」 「待って、私も行く。もし真理追求の徒なら、黙って引き下がれない……」

カエデが手帳を棚に置き、真剣な目で言い切る。その気迫にナナミは一歩後ずさりし、「わ……カエデちゃん、もしかしてまた……?」と戸惑うが、ユキノは「ごめん、ナナミはここで待って。絶対動かないで」と必死に頼む。護衛の隊員も「ほかの客を避難させるので、できるだけ騒ぎを大きくしないでください」と声を潜める。

店内は徐々に騒然となり、客が出口方向へ逃げてくる。階段のほうから「ぎゃああ」という叫びが聞こえ、ユキノとカエデは顔を見合わせて廊下を駆け抜ける。隊員が一人先行し、「危険ですからくれぐれも無理は」と声をかけながら二階へ向かう。

二階に足を踏み入れると、雑誌コーナーの本棚が一部倒れており、通路に散乱した雑誌が床を埋め尽くしている。男が一人、黒い上着を纏ってオーラのようなものを手に宿らせているのが見える。傍には何人かの客が転倒しており、叫び声が絶えない。

「また真理追求の徒……?」
ユキノが息をのむと、カエデも刃を生み出すように右手を構える。すぐに男がこちらに気づき、「うっ……生成者がいるのか……!」と視線を尖らせる。隊員が盾を構えながら「動くな!」と警告するが、男は狂乱したように笑い、「邪魔をするな!」とオーラをぶつけてきた。

床がはじけ、雑誌が宙を舞う。エリスの姿はない――彼女がいれば冷静に指示をしてくれるだろうが、今はユキノとカエデ、そしてタスクフォースの隊員しかいない。店内での戦闘は避けたいが、男が客に危害を加える恐れがある以上、止めるしかない。

「カエデさん、行くよ……私、弓を使うから気をつけて!」
「分かった。私が正面を抑える……!」

カエデが床を蹴り、男の懐へ一気に近づく。紫の刃を振るい、オーラの一部を切り払うが、相手も鍛えられた動きで防御し、逆に蹴りを放ってくる。カエデは間一髪で避けるものの、雑誌の山に足を取られてバランスを崩しそうになる。

ユキノは胸の射出機を掴み、痛みに耐えながら弓を呼び出す。視界が霞むほどの衝撃だが、何とか青白い弓の形を保つ。そしてカエデが相手の注意をひきつけている隙に、後方から狙いを定める――だが、周囲には転倒した客たちがいて、誤射すれば大変なことになる。

(どうしよう、矢を撃って外したら……でも、カエデさんが危ない……!)

焦るユキノをよそに、男はまたオーラを放出して本棚を揺らす。ガラガラと木製の棚が崩れ落ちそうになり、数冊の分厚い雑誌がカエデめがけて落下する。カエデは刃でそれを弾き飛ばすが、態勢を維持しきれず尻餅をつく形になる。

「うっ……」

辛そうに顔をゆがめるカエデの姿を見て、ユキノは覚悟を決める。痛みなんて言っていられない。矢を形作りながら、「お願い、当たって……!」と声にならない祈りを込めて弦を引いた。

青い光がゆっくりと矢の形を作り出す。胸が突き刺されるような痛みが襲うが、ユキノは唇を噛んで耐える。男がカエデに止めを刺そうとオーラを振り上げる寸前、ユキノは弦を離し、矢を放つ。

パシュン――という軽い破裂音とともに、青い矢が宙を滑る。真っ直ぐ男の腕を狙い、オーラをそぎ落とす形でヒット。男は「ぐあっ……!」と苦しげな声を上げ、攻撃体勢を崩す。その瞬間、カエデが体勢を整えて紫の刃を薙ぎ、男の足を軽く切り払うと、男は床に転倒し、オーラが砕け散った。隊員がすかさず拘束に走る。

「間一髪、助かった……ありがとう、ユキノ」
カエデが安堵の息をつき、ユキノも膝から崩れ落ちそうな衝撃に耐えながら「よ、よかった……」と声を震わせる。雑誌まみれの床で、一部の客や店員が怯えながらも「助かった……」と安堵しているのが分かり、ユキノは胸を撫で下ろす。

タスクフォースの隊員が急いで客の避難を誘導し、倒れた男を捕まえる。その際、「真理追求の徒か、違う組織の残党か」と情報を確認しようとするが、男は泡を吹いて意識を失っているらしく会話が成り立たない。現場には煙や埃が舞っており、破損した棚や散乱する本の残骸が痛々しい光景を作り出していた。

ユキノは弓の形を解き、背中を丸めて肩で息をする。痛みが引かず、視界がぐらつくが、カエデが体を支えてくれる。 「大丈夫……? かなり無理してたじゃない」
「うん……少し痛いけど、もう慣れつつあるから。ごめん、私、すぐは動けないかも……」
「謝ることないわ。あなたのおかげで助かった……ありがとう」

二人は小さく微笑み合う。その様子を見ていたナナミが「ちょ、ちょっと……大丈夫なの!?」と心配そうに駆け寄ってくる。ユキノもカエデも揃って「うん、平気……」と答えるが、その表情には疲労の色が濃い。護衛の隊員が再度「二人とも病院に行きますか?」と尋ねるが、ユキノは「休めば大丈夫……検査するほどでもないから」と固辞する。

「それより、ナナミやお店の人が怪我してないならそれでいいんだ……ごめん、みんなを巻き込んじゃったかも」
ユキノがうなだれると、ナナミは「そ、そんなこと……私がただ誘っただけで。むしろ二人がいなかったら、あの男はもっと暴れてたよ」と声を上げている。賑やかな騒動のあと、本屋の店員が「助かりました……ありがとうございます」と深々頭を下げてくれるのを見て、ユキノとカエデは少しだけ救われた気持ちになる。

破壊された本の山や折れた棚を眺めながら、ユキノは胸を押さえ、痛みに耐えるように深呼吸した。戦闘が頻繁に起こりすぎて、まるで“日常”の一部になりかけているのが恐ろしい。カエデの顔にも、うっすらと倦怠感が浮かんでいる。

それでも、二人は言葉なくして視線を交わし合い、今はお互いを守り合う仲間として確かな“友情の兆し”を感じ取っていた。探偵エリスやアヤカのように立場が違う者たちが衝突を続けている一方で、ユキノとカエデは世代や苦しみを共有する存在同士としての理解を深めていく。真理追求の徒の襲撃はまだ終わりそうにないが、こうして二人で立ち向かう準備はできているのだ。

その夜、ユキノは自室でカエデのことを思い出しながら静かに微笑む。つらい戦闘の連続に加え、タスクフォースの監視やエリスとアヤカの衝突など、頭を抱える問題は山積み。それでも、学校でカエデとともに過ごし、放課後の時間を少しだけ共有した。もしかすると、あの子が“普通の女の子”として暮らせる未来もあるのではないか。
痛みを通じて成長する弓の力――カエデの刃の制御――どちらもまだ未熟だけれど、互いに助け合えるならきっと乗り越えられると、ユキノは自分の胸に言い聞かせる。

その一方で、街のどこかでは蒔苗が静かに観測を続けているに違いない。もし真理追求の徒が蒔苗に深く干渉しようとすれば、世界そのものを揺るがしかねない――そんな話も耳にしている。探偵エリスはその危機感を募らせ、アヤカはタスクフォースの力を総動員しようと動き始めている。
様々な思惑が交差しながらも、ユキノとカエデは手を取り合い、彼女たちの苦しみの根を断つために一歩ずつ前進する。つい先日までは距離を置いていた二人が、いまは並んで戦っているのだ。小さなきっかけが二人の友情を芽吹かせ、放課後というかけがえのない時間をともにする。**

これが、いつか大きな力となることを、ユキノはどこかで確信していた。たとえ痛みを伴っても、仲間と肩を並べて生きる道を選ぶ――それが自分たちの“強さ”の源になるはずだ。その決意の灯が、夜の闇をほんの少しだけ照らしている。

夜風が窓の隙間から入り、カーテンを揺らす。ユキノは窓を開け、弱い月明かりを仰ぎ見る。「みんな、ありがとう。カエデさんも……。私はこの力を、必ずみんなのために使うよ――そして一緒に、いつか痛みを超えて笑い合える日を作りたい」と小さく呟く。
部屋の隅には、カエデとおそろいで買ったストラップが光を反射して佇んでいた。そっとそれを手に取り、「がんばらなくちゃ」と心を奮い立たせる。友情の兆しが確かに見え始めた今、彼女たちの未来には暗い闇だけでなく、小さな光の道も伸びている――そう信じられるのが、いまのユキノの救いだった。

そして、街の片隅ではカエデが同じストラップを握りしめているかもしれない。紫色の刃をしまいこむように、孤独の闇から一歩ずつ抜け出すために。誰もがその行方を確信できないが、少なくとも二人の間に生まれ始めた“友情”は、真理追求の徒の襲撃やタスクフォースの衝突を越えても消えることはないだろう。

それが二人が見つけたかすかな絆の光。痛みに耐えて戦いつつも、ささやかな日常の放課後を大切にする――ここに、確かな“友情の芽”が育ち始めているのだから。

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