
FFT_律する者たちの剣_EP:3-3
EP3-3:アルガスとの再会
濃紺の夜が明けきり、空は淡い紫から薄い橙へと変化を始めていた。
廃墟の防塁跡には、崩れかけた石壁と瓦礫が散乱し、そこに冷たい朝露が降りている。血と汗、そして砂塵の混ざった空気が重く漂い、あたりを淡い光が照らし始める。
そんな中、アルガス・サダルファスは崩れ落ちた壁にもたれかかるようにして座り込んでいた。目の前には、銃を持ったミルウーダ・フォルテが息を乱しながらも、毅然と立っている。
魔銃の高出力弾を受け、アルガスのボウガンは壊れ、彼自身は深いダメージを負っていた。肩や脇腹から血がじわじわと滲み、呪詛のような息を漏らしている。
しかし、ミルウーダは彼を“殺さず”に終わらせるつもりらしく、先ほどから一歩も近づいてこない。アルガスはその行動を理解できず、悔しげに唸る。
「なぜ……とどめを刺さない……。貴様が……革命家なら、俺を殺すはずだろう……。」
暗い瞳がミルウーダを睨む。だが、ミルウーダは短く息を吐き、視線を合わせないように返事する。
「……昔の私なら、そうしたかもね。でも今は違う道を歩いている。殺し合いじゃないんだ。」
その言葉に、アルガスの眉がひそめられる。仇敵に情けをかけられるなど、プライドを粉々に砕く屈辱だからだ。彼は血で汚れた手をついて地面を撫でるようにしながら、鼻で笑う。
しかし、笑いには震えが混じり、誇りを守るのがやっとという状況が明白に伝わってくる。
「は……何が『違う道』だ……ただの家畜が……貴族に施しを与えるつもりか……?」
いまだ捨て鉢に挑発的な言葉を放つアルガス。ミルウーダはその幼稚な煽りには乗らず、肩からすべり落ちそうなマントを直しながら、周囲の状況を確認する。
あたりには、崩れた石材が積み上げられ、その先は崖になっている部分もある。倒れた兵の死体などはないが、濃い殺気の残響があり、ここまでの戦闘がいかに激しかったかを物語っている。
(とどめを刺す……それが、簡単だとは思わない。でも、今の私に殺す理由はもうない。あいつのプライドはすでに完全に崩れかけている……。)
ミルウーダは心中でそう考えつつ、右腕の痛みを堪える。自分も無傷ではないが、魔銃による優位と戦術的な立ち回りで勝ったのは事実。しかし、それだけでは、かつての「殺すだけの革命」とは別のあり方をまだ模索しきれてはいない。
そこへ、ふと何かを思い出したように、彼女は腰のポーチに手を伸ばす。先日、仲間から譲り受けた**“砂糖菓子の弾丸”**――それをそっと取り出すのだ。
この弾丸は、貴族のパーティや菓子作りで使う粉砂糖を固めて作った、いわば“実弾に似せたお菓子”。
革命仲間の中には、遊び半分で“偽弾”を作る者もいたが、用途によっては相手を侮辱する表現にもなり得る。
実際、粉砂糖を高密度に固めただけでは対して威力を持たないが、魔銃が撃ち出す衝撃力だけで弾として成立する程度の硬度はある。
ただし、人体を深く貫くほどの殺傷力はない――つまり、非致死性の“おふざけ弾”と言える。
だが、“撃たれる側”にとっては屈辱そのもの。
命を奪わず、あえて打撃や痛みだけを与える。
この弾丸が持つ意味は、「お前を対等に戦う価値すらない相手だ」 と嘲笑する行為でもあり、あるいはミルウーダにとっては“殺さない選択”を示す行為にもなる。
「これは……仲間がふざけて作った弾……。こんなときに使うなんて思わなかったけど……」
ミルウーダはつぶやき、アルガスのほうを見やる。アルガスはまだ地面に倒れ込みながら、弱りきった視線を向けてくる。
彼女は魔銃の弾倉を開き、粉砂糖で固めた弾丸を装填する。ごく軽いカチリという音がして、弾がチャンバーに収まる。通常の魔力弾とは異なるが、魔銃は形状さえ合えば弾として認識するように設計されているらしい。
(これで……とどめを刺さずに、アルガスに敗北を味わわせられる。)
不思議な感情がこみ上げてくる。
かつての自分ならば、こんな“甘い弾”を使うなど笑止だったろう。
しかし、今のミルウーダは違う。殺すだけが革命ではなく、相手に“未来を考えさせる”選択を残したいと思っているのだ。
アルガスを殺しても、一時のスカッとした解放感は得られるかもしれないが、その先に生まれるものは何もない。
彼に「もう貴族の論理が通じないんだ」と思い知ってもらうためには、むしろ生かすほうが効果的――そう判断している。
「……何を……ブツブツ言ってやがる……?」
アルガスがかすれた声を上げる。その瞳は焦点が定まらず、しかしまだ闘志の炎が微かに残っているようにも見える。
ミルウーダは笑いも嘲りもしないまま、魔銃をアルガスの胸元へゆっくりと向ける。
引き金にかかる指先が冷たく震えるが、それは恐怖というより決意に近い。
「アルガス……もう一度言うわ。あんたは私に負けた。しかも、これから私は“普通の弾”ではなく、“砂糖菓子の弾”でお前を撃つ。」
言葉の意味が理解できなかったのか、アルガスは目を見開く。
「砂糖菓子……? 何の冗談だ……! ふざけやがって……!」
その反応がまさに狙い通りだ。ミルウーダはわずかに微笑みを浮かべ、しかしそれは哀しみを帯びた笑みでもあった。言葉を続ける。
「貴族様が大好きなお菓子だろ? それを弾丸にして撃つの。殺しはしない、でもあんたに“敗北”を刻みつけるには十分だと思って。」
「……貴様、俺を馬鹿にしているのか……!?」
アルガスの声は怒りと羞恥で震える。それこそ革命家による最大級の侮辱に等しい。
家畜呼ばわりされた平民に、砂糖菓子で仕留められる――貴族の高慢が嘲笑され、プライドを踏みにじられる行為だ。
何より、兵器としての性能などあり得ない“菓子弾”に敗北するという屈辱が、彼の心をかき乱す。
「そう思うなら、それでいいわ。これが私なりの“革命”よ。“殺し合いじゃない”という意味、わかるかしら?」
ミルウーダの言葉は冷静だが、内心は複雑な感情が渦巻いている。自分がやっていることは、ある意味で彼女が嫌っていた“貴族の嗜虐趣味”に近いかもしれない――相手を辱めるために遊ぶ行為。
しかし、それは“殺すよりはマシ”と彼女自身の信念を納得させるための苦渋の選択だった。
アルガスは必死に体を動かそうとするが、傷の痛みがそれを許さない。短剣を握る手にはもはや力が入らず、立ち上がるどころか膝を立てることすら難しい。
歯を食いしばりながら、小さく唾を吐くように言い放つ。
「……くそっ……貴様……革命家崩れの分際で……死ねぇぇっ……!」
虚勢の叫びと同時に腕を振るうが、短剣は虚空を切るだけ。
返り討ちに遭うリスクすらない状態で、ミルウーダは魔銃の照準を合わせる。
薄い青白い光が銃口に集まり、弾丸の発射準備が完了する。
「……終わりよ、アルガス。――さようなら。」
静かな口調でそう言い、引き金を引く。
魔銃の内部で魔力が弾丸に流れ込み、“砂糖菓子の塊”が高速度で射出される。一瞬の閃光と軽い破裂音――普段の魔力弾より控えめな音だが、アルガスの胸元に強烈な衝撃が走る。
「がはっ……!!」
非致死とはいえ、速度と衝撃は相当なもので、アルガスは声にならない痛みを味わいながら背中から崩れ落ちる。
砂糖菓子は柔らかい衝撃で胸当てを粉砕するわけではないが、中にこもるエネルギーが鈍器のように打ちつけるため、彼の肺から酸素が吹き飛び、意識が遠のきそうになる。
そして、砕けた砂糖の粉末が彼の胸元や顔にまぶされるように飛び散り、白く甘い香りがかすかに漂う。
血と土の匂いが混じった戦場とは場違いな甘さが、アルガスの嗅覚を突く――これは屈辱以外の何ものでもない。
「貴……様ぁ……まさか……こんな……砂糖菓子……弾、なに……笑えねえ……くそ……!」
目を開けていられないほどの痛みと恥辱が、一気にアルガスを襲う。死には至らないが、肋骨にひびが入った可能性もある。
呼吸が浅くなり、体が震える。
ミルウーダはその姿を見下ろしながら、ゆっくりと銃を下ろす。頬が少し強張り、決して笑ってはいない。
「……これが私なりの結末。殺しちゃ意味がないのよ。あなたには“敗北”を味わってもらいたいから……。」
そう呟く声は静かだが、どこか悲しげにも聞こえる。
かつての自分なら、敵を殺して終わりにしただろう。
そのほうがスッキリしたかもしれない。
しかし、それでは何も変わらない――ミルウーダはそう強く自分に言い聞かせている。
「…………貴様ぁぁ……俺を馬鹿に……しているのかぁ……」
アルガスがかろうじて顔を上げ、血混じりの唾を吐き出す。
目には涙が滲んでいるのか、怒りと悔しさを超えた絶望が浮かんでいるのか判別がつかない。
ミルウーダは淡々と首を振る。
「馬鹿にしてるわけじゃない。ただ、私はもう、違う道を歩いている。殺したり殺されたりを繰り返すのはゴメンなのよ。あんたは……祈るなり、貴族の仲間に助けを呼ぶなり……好きにすればいい。」
「なっ……何が……違う道だ……この、家畜が……!」
負け犬の遠吠え。
アルガスは腕を伸ばすが、その手は何も掴めず、砂と破片が零れ落ちるばかり。
砂糖粉を含む白い粉が彼の胸元から舞い散り、甘い匂いが嗅覚を刺激する。
砂糖菓子の弾丸――これがミルウーダの選んだ非致死性の“終止符”だった。
かつての彼女の革命は、“貴族を倒すための殺戮”という面が大きかった。
しかし、オヴェリア王女との出会いを経て、ラムザなどの存在もちらつく中で、彼女は“殺しだけが革命ではない”と考え始めている。
今、この場でアルガスを殺せばスッキリするかもしれないが、それは再び“血塗られた結末”に過ぎない。
むしろ彼を生かし、砂糖菓子の弾丸で完敗を刻みつけるほうが、“貴族至上主義が崩壊する”という象徴になると判断したのだ。
「昔の私は、血を見ることを躊躇しなかった。でも、今は違う。私自身がその変化を望んでる。わかる? アルガス。」
そう呟くミルウーダに、アルガスは再度強がる声を上げるかと思いきや、苦痛に表情を歪め、黙り込む。
呼吸も浅く、心臓の鼓動は急激に高まっているのが本人にもわかるだろう。
彼女は最後に一瞥をくれて、そっと背を向ける。
もうアルガスが立ち上がる力はない。
弱り切った敵をさらに撃つ意義はないし、殺したくもない。
砂糖の粉が彼の肌にまとわりつき、血液と混ざってドロリとした液体を形成している。
貴族派の誇るボウガンは、つい先ほど魔銃に砕かれて無力化し、短剣に握る力は失せている。
不意に風が吹き、一瞬だけ青空が防塁跡を照らす。
そこでアルガスは、かろうじて体を起こしてうつ伏せになるようにし、膝で立ち上がろうとするが、激痛で再び倒れる。
「くそ……こんな形で……俺は……初めてだ……。」
家畜と思っていた平民――それも昔から因縁のある革命家ミルウーダに敗北。
しかも、砂糖菓子というふざけた弾丸で止めを刺されず、苦痛と恥辱だけを味わわされる。
アルガスは一歩間違えば、このまま失血やショックで命を落とす可能性さえあるが、それでも生きてさえいれば、どこかへ救いを求めることは可能だろう。しかし、そのプライドが邪魔をして、“助けを呼ぶ”という行為を選べるのかどうか――。
「……ぐ……俺は……まだ……貴族として……生きねばならん……。」
自分に言い聞かせるように絞り出した言葉。
だが、それを聞く者はいない。ミルウーダはもう姿を消しているのだから。
彼女は「祈る時間くらいは与えてやる」と告げたが、アルガスは神に祈らないし、貴族仲間に助けを呼ぶのも抵抗がある。
それが“初めての完敗”――自分が築いてきた価値観が揺らいだ証拠だ。
平民を家畜と断じてきた男が、家畜呼ばわりした相手に斜め上の形で負ける屈辱。
そこには救いも殺意もなく、ただ自己矛盾と絶望感が渦巻いている。
やがて、アルガスは小さく唸り声をあげながら、廃墟の裏口へふらつくように歩み始める。
ここにいても仕方ない。
せめてどこか安全な場所まで行き着き、治療を受けなければ死ぬかもしれない――心の底でそう分かっている。
彼の背中には甘い砂糖と血が混ざった斑点が広がり、一歩進むたびに砂のように粉がこぼれ落ちる。
まるで、そのプライドが崩壊していく象徴のようだ。
「……ミルウーダ……貴様……俺を馬鹿に……くっ、ふざける……な……!」
最後の力を振り絞るように悪態を吐き、荒い吐息の中を足早に去っていく。こうしてアルガスは、かつてない完敗を味わい、砂糖の弾丸という晒し上げを背負ったまま、防塁を後にする。
その姿はなんとも哀れと言うべきか、彼自身の信念とプライドを砕かれながら、それでも貴族として生きようとする矛盾を抱え込んでいるのだ。
廃墟の外れ、小高い丘の上で、ミルウーダは腕の傷を押さえながら深呼吸をしていた。
魔銃を背中にかけ直し、崩れ落ちそうな意識を振り払う。
先ほどまでの戦闘で体力を消耗し、魔力もそこそこ使った。
血もにじんでいるが、応急処置で致命傷ではないと判断している。
今はそこに安堵するよりも、心の中の葛藤を整理するほうが忙しい。
「……アルガスがどう受け止めるかは、もう彼の自由。私は……もう、昔みたいに殺し合うだけの革命ではないって、確信が持てた。」
短い独白。
以前の彼女なら、革命の障害となる敵は容赦なく斬り捨てていた。
そのほうが手っ取り早く平民の未来を開くと信じていたからだ。
だが、ラムザや王女オヴェリアとの関わりを経て、彼女は“人を殺すだけでは変われない”と気づき始めている。
今回のアルガスとの戦いが、その変化を象徴する試金石でもあった。
砂糖菓子の弾丸を使うという奇策――ある意味ふざけた手段だが、これにより致命傷を与えず、あえて敗北だけを刻む。
この行為は彼女自身が選んだ新たな革命の形なのかもしれない。
「……私があれで満足かと聞かれたら、正直、すっきりはしないわね。だけど……殺さなくてもいいと思えた。その事実が大きい。」
呟きながら、ミルウーダは遠くの空を見上げる。
朝日がまばらに雲を染め、薄オレンジ色の光が町の方向を照らしていた。
自分はこの先どう行動するのか――オヴェリアのもとに戻り、また旅を続けるのだろう。
教会やゴルターナ派の脅威は依然として大きいし、まだまだやるべきことは山積みだ。
だが、アルガスを殺さずに済んだことは、自分の中で新たな道筋を示したように思える。
「革命=殺しと思ってた頃には、気づかなかった選択肢が、こうしてあるんだな……。」
胸に渦巻く感情を噛みしめ、ミルウーダはゆっくりと丘を下り始める。腕の傷の痛みは依然として鋭いが、そっと包帯で巻きながら、できるだけ出血を抑える。
長い道のりが待っている――王女や、また別の仲間たちとの合流を目指すには、まず町の診療所か薬屋で応急処置が必要だろう。
アルガスは、砂糖まみれの敗北を喫し、そのまま姿を消した。
物語上、この場面で彼がどう変わるかは明言されないが、読者は“大きな余韻”を感じ取るはずだ。誇りをへし折られた貴族至上主義者が、これからの生き方をどう選ぶのか――あるいは、まったく変わらずにまたミルウーダと衝突するのか。
いずれにせよ、彼が“祈る時間”をどう使うかは、本人に委ねられている。死と屈辱のはざまで何を思うのか、それは彼自身の課題である。
一方、ミルウーダは一見勝利を収めたが、彼女にとってもまた試練だった。過去の自分ならアルガスを殺して終わりにしていた。
それが今回、砂糖菓子という非致死性の弾を使ったことで、過去との決別と、新たな可能性を示す象徴的な行為となったのだ。
“革命=殺し”ではなく、“人を殺さずに勝つ”ことの難しさと、そこにある意義――それを彼女は今、体の痛みとともに噛み締めている。
こうして、アルガスとの最終的な決着は先送りになり、彼は苦悶の中で去っていく。ミルウーダは自分の変化を自覚しながら、また次の道を進む――。