
FFT_律する者たちの剣_EP:2-2
EP2-2:オヴェリア救出作戦
先刻、城の北塔からオヴェリアを連れ出したミルウーダは、深夜の城内をひたすら逃げ回っていた。
彼女の目的はただ一つ――王女を外へ連れ出すこと。そして、侵入のときと同様に、兵士や騎士団との正面衝突は極力避ける。すでに城内には不審者(自分のことだ)がいるという噂が広まりつつあり、何人かの警備兵を眠らせる際に作った騒ぎもある。時間が経つほど厳戒体制となり、脱出は難しくなるだろう。
しかし、城の出入口は厳重な警備が敷かれており、外壁を通るルートも兵士が巡回を強化している。先ほどまでは裏道や倉庫、排水口を使っての“潜入”が上手くいったが、今回は王女を伴っているため危険度が格段に増す。
慣れないドレス姿のオヴェリアは足取りが遅く、歩くだけで精一杯だ。それを支えながら進むミルウーダも、魔力と体力を少なからず消耗している。しかも、暗殺者が再び襲ってくる可能性も残されていた。
グルリと回廊を巡り、一度地下階の物資倉庫へ降りようと試みたものの、そこにも兵の気配があったために断念。今度は2階へ戻って、正面玄関へ繋がる広いホールを横切るしかない。
城の構造を頭の中で思い浮かべながら、ミルウーダは迷路のような廊下を駆け抜ける。オヴェリアは何とか付いてきてくれているが、息は荒く、今にも倒れそうだった。
「もう少し……頑張って。ここを抜ければ、外壁沿いに出られる可能性がある。」
ミルウーダはできるだけ優しい声で王女を励ましつつ、そっと手を握る。オヴェリアは不安げに瞳を揺らしながらも、コクリと頷いた。
だが、そんな二人の背後から、金属が擦れる音が聞こえてくる。廊下を何者かが走っているのだろう――複数の足音が迫っているようだ。
「まずい……追手が来たか?」
小声で呟き、ミルウーダは壁際に身を潜める。オヴェリアもそれに倣い、ドレスの裾を摘んで膝を折るように隠れた。心臓が高鳴るのが自分でもわかるが、ここで見つかっては元も子もない。
廊下の角を曲がった先で、甲冑をまとった騎士らしき男たちが明かりを掲げて駆けているのが見える。何か声を張り上げている。
「急げ! 王女が連れ去られたというのは本当か? そっちの巡回兵は報告を……」
「北塔で不審者を見た者がいる! 女の姿だったと……!」
やはりミルウーダたちを追う兵士だ。かつての彼女なら、ここで暗殺者のように奇襲を仕掛け、素早く斬り捨てて通り抜ける手段を選んだかもしれない。しかし今回は、できるだけ血は流したくない――王女オヴェリアの目の前で人を殺すのは、何よりも避けたいのだ。
それに、騎士数名を同時に相手にするのは容易ではない。正面突破はリスクが高すぎる。
「(どうする? このまま裏から回り込むか? それとも……何か陽動が欲しい……)」
思考を巡らせた矢先、廊下の向こうから新たな人影が現れた。こちらは一人だけ、だが足取りはしっかりしており、腰に佩えた剣の飾りから騎士然とした風格が窺える。光の具合から、まだ若い男のようだ。金髪で、青と白の衣を纏っているらしい。
その男の姿を見た瞬間、追跡していた騎士たちが一斉に声を上げる。
「ラムザ様……こんなところで何を?」
「王女が連れ去られたとの報せがありましたが……。急ぎ、兵を割いてお探しを……!」
“ラムザ”。
その名に、ミルウーダは心の中で引っかかるものを覚えた。かつて何度か耳にした記憶がある。どこかの名門貴族の家系ではなかったか――「ベオルブ家」という名を思い出す。
彼はまだ若いが、貴族でありながら“平民を見下さない”という奇妙な噂を聞いたことがある。真偽のほどはわからないが、今こうして目の前に現れている騎士の姿は、なかなか凛々しく誠実そうだ。
「王女は守る! それが俺の役目だ!」
ラムザは騎士団の一人から事情を聞き取ろうとしているのか、強い口調で語った。夜の廊下に彼の声が響く。
周りの騎士たちはこの言葉に若干戸惑いながらも、「おお……」「さすがベオルブ……」と口々に感嘆を漏らしている。主君を守りたい、あるいは忠義を尽くしたいという思いを、若きラムザは真正面から体現しているようだった。
(こいつ……貴族なのに、何かが違う。)
隠れながら盗み聞きする形になっているミルウーダだが、そのやり取りから、ラムザという男が王女オヴェリアに対して敬意や責任感を抱いていることを感じ取った。単なる貴族のエゴむき出しの態度ではなく、“守る”という意思を言葉にしている。
思わずミルウーダの胸に、小さな共感が芽生える。この城に集う貴族騎士たちが多くの場合「王女を権力の道具にするか殺すか」しか考えていないように見えていたが、この若者は少なくとも同じ道を歩んでいない。
「ラムザ様! 我々は北塔方面を捜索しましたが、すでに姿はありません。おそらく、城内深くへ潜んでいるか、あるいは外へ出たかもしれません!」
「ならば、二手に分かれよう。俺は正面の大広間へ向かう。お前たちは地下道や倉庫を当たれ!」
ラムザの指示が飛ぶ。兵たちは「承知!」と声を揃え、急ぎ走り去る。どうやら大きく二つの組に分かれて動くことになったらしい。これで警備が分散される。つまり、ミルウーダにとっては“脱出の好機”が生まれるかもしれない。
一方、ラムザ本人は、階段を降りて正面の大広間へ向かおうとしているようだ。
(助かる……。兵士がばらければ、その裏をかすめる形で抜け出せるかもしれない。)
ミルウーダは心の中でそう安堵しながら、こっそりと先ほどの廊下を戻り始める。なぜなら、兵士が分散するなら、南側の出入り口が手薄になる可能性があるからだ。そこから外壁へ出られれば、城外への道が開ける。
オヴェリアの手を引いて、床をきしませないよう細心の注意を払う。先ほどラムザが騎士団を率いていた方向とは別のルートを取り、回り道をする形だ。
だが、状況はそう甘くなかった。
大広間へ向かったラムザは、別の騎士団と遭遇しているらしく、怒号のような声が遠くから聞こえてくる。窓越しに視線をやれば、大きなホールの手前で何やら揉めている様子が目に入った。
「ラムザ様! 勝手に動かれると困りますぞ!」
「俺は王女を守りたいだけだ。お前たちが何を企んでいるかは知らないが、このまま手をこまねいていられるか!」
「貴族の掟に背く気か! ベオルブ家だからといって許されると思うな……!」
どうやら、彼らは同じ騎士団の中でも立場や思惑が異なるらしい。ラムザの必死の叫びが廊下まで響いてくる。兵たちが制止しようとしているのだろうが、ラムザは譲らない。
ミルウーダは手早く廊下の窓に体を寄せ、内部の光景を盗み見た。そこには鎧を纏った数名の騎士がラムザを取り囲んでいる。中には高位の紋章を掲げた者もいるようで、どうやら権力を笠に着た上司かもしれない。
「くそ……この騒ぎは……。」
当然、騎士団同士が言い争っているということは、周囲の警備兵が集まり始めている。そこでラムザは剣を握り、今にも押し合いになりそうな険悪ムードだ。一触即発の空気が漂う大広間。
もしここで騎士同士が衝突し始めたら、かなりの混乱が生じるだろう。ミルウーダにとっては好都合かもしれないが、せっかく王女を守ろうとしているラムザが危険にさらされかねない。
もっとも、そこまで彼女が気にかける義理はない……はずなのだが、不思議と放っておくには後味が悪い。
「(……余計なお世話だ。私はただ王女を助けたいだけ。それでも、この騒動は……)」
オヴェリアが隣でじっと様子をうかがっている。王女は騎士団が内紛のような状態になっている光景を見て、息を呑んだ。おそらく、彼女が慕っていた騎士たちの姿でもあるだろうに、こうして自分の救出を巡って争っている――その現実に心を痛めているのかもしれない。
ミルウーダは少し位置をずらし、窓からもう少し鮮明にホール内の様子を見つめる。そこで、ラムザがついに剣を抜き、騎士団に向かって高らかに宣言した声が聞こえた。
「王女は守る! それが俺の役目だ!
たとえ誰が裏で糸を引こうと、俺は王女の安全を第一に考える。
もしそれを阻む者がいるならば、たとえ同胞の騎士であっても、俺は斬る――!」
気迫のこもった怒号。若き騎士の本気の眼差しに、周囲の騎士たちが怯む様子が伺える。誰もがラムザ・ベオルブの名は知っているが、ここまで明確に“守る”という意志を示すとは思っていなかったのだろう。
中には反発する声もある。
「なっ……貴様、何を言うか! 王女はすでに……!」「貴族同士の決定に、騎士風情が口出しするな!」
しかし、ラムザは退かない。剣先を周囲へ向け、鋭い視線を投げかける。その姿は、単なる貴族のわがままでもなければ、上司の命令に従う歯車でもない――“己の信念に殉ずる”若者のかがやきだ。
ミルウーダは思わず息を呑む。
(こいつ……貴族なのに何かが違う。私が知っている貴族たちは、平民を虐げ、王女さえも駒扱いする連中ばかり。でも……あいつは人を守るために剣を抜いている。何の打算もなく……。)
闇に包まれた廊下から覗き見るその姿は、ミルウーダの中でこれまでの概念を覆すほどの衝撃があった。革命家として、貴族はすべて敵だと思っていた自分。そんな彼女が、今まさに言葉もなくラムザに心を揺さぶられているのだ。
オヴェリアもまた、窓越しにラムザの姿をちらりと見とめたようで、ハッと息を止めた。どうやら、この若き騎士が王女の周囲にいた人物の一人らしい。
「……ラムザ様……?」
王女のか細い声。震えが含まれているが、その瞳には一瞬の希望が宿った気配がある。おそらくオヴェリアも、ラムザが自分を守ろうとしていることを感じ取ったのだろう。
同時に、ホールでは騎士たちがさらに割れていく。半数は「ラムザ様の意向に従おう」とし、もう半数は「王女の行方は既に決定事項だ」と反発。まるで内紛のような状態になり、ホール内で罵声や剣戟の音が微かに響き始めた。
「お前たち、いい加減にしろ! 王家の決定であろうと、王女が危険に晒されるなら止めるのが騎士の役目だろう!」
「うるさい! ベオルブ家の名を貴様は汚している! 我らは上位の者の命に従うのみ……!」
やがて少数だが剣を交える気配が強まり、ホール内は混沌を極める。数名の騎士はラムザに突っ込もうとするが、ラムザも黙ってはいない。激しい剣の音がガキンガキンと響く。
「くっ……邪魔をするな!」
「ラムザ様、こんな形で剣を交えるなど……!」
兵士たちも巻き込まれ、あちこちで金属音が反響している。騎士団同士が衝突を始めたことで、ホール周辺への増援要請が飛んでいるようだが、誰もが状況を把握できず混乱状態にある。
(今なら……!)
ミルウーダはハッと意識を取り戻し、オヴェリアを促す。この大騒ぎなら、兵士たちはホールに集中するはずだ。つまり、城の他の区画は手薄になる可能性が高い。
深いため息をつきながら、彼女は心中で一言だけ呟く――“ありがとう、貴族の騎士さん”。 もちろん、直接礼を言うつもりはない。自分が革命家である以上、皮肉な巡り合わせともいえるのだから。
それでも、今はその“間接的な助力”に甘えさせてもらおう。
「王女様、行きましょう。いまが脱出のチャンスです。」
オヴェリアはまだ戸惑いの表情を浮かべたままだが、騎士団が内紛を起こしている光景に恐怖を感じ、深く頷いた。彼女自身も、この争いから遠ざかりたいのは当然だろう。王女としてそんな光景を見たくない気持ちもあるはずだ。
二人はひっそりと廊下を移動し、城の南側を目指す。そこには中庭へ抜ける門がある。通常なら堅く閉ざされているが、警備が手薄になっていれば隙があるかもしれない。
もし門が閉まっていても、何とか外壁から乗り越える方法を探せばいい。ミルウーダは心の中で次の作戦を練る。チャフグレネードは使い切ってしまったが、スタングレネードがあと一つだけ残っている。最後の切り札になるかもしれない。
案の定、廊下を進むうちに、いつもなら巡回兵が待機しているであろう場所が空っぽになっている。大半の戦力がホールへ向かっているらしく、ここには誰もいない。
時折遠くから聞こえる叫び声や衝突音を耳にしながらも、ミルウーダはオヴェリアの手をしっかり握り、駆け足で突き進む。王女も必死に着いてくるが、足をもつれさせて何度も転びそうになる。
「大丈夫?」
「はい……でも、私……もう少し頑張れます……。」
オヴェリアの顔は恐怖と疲労で蒼白だが、それでも一歩一歩進もうとする意志が窺える。ミルウーダはそのか細い姿に、ほんの少し胸を痛めた。
王女という身分だからといって、彼女自身が望んだ運命ではないかもしれない。むしろこの混乱の犠牲者なのかもしれない、とさえ思ってしまう自分がいる。その感情が、かつての“貴族への憎しみ”と矛盾を引き起こしていたが、今はそれを考えている暇はない。
「あと少し……この角を曲がれば、中庭へ抜ける扉がある。」
つぶやきながら走り続け、曲がり角を抜けた先に、古びた大きな扉が見えた。周囲には誰もいない。勝負はここからだ。扉が開いていてくれれば最高だが、普通に考えれば施錠されている可能性が高い。
ミルウーダは一度息を整え、扉の隙間に指をあててみる。すると、なんと鍵がかかっていない。おそらく、慌ただしさの中で誰かが出入りしたまま閉め忘れたのだろうか。それとも何者かの意図か――ともかく、ありがたい偶然だった。
「助かる……!」
彼女は扉をわずかに開け、外の様子を確認する。屋根付きの半屋外の通路があり、その先に中庭が広がっている。普段ならここを騎士や使用人が行き来するのだろうが、今は静まり返っている。唯一、人の姿が見えるのは中庭の反対側に設置された櫓の上で、ぼんやりとランタンを揺らしている衛兵が一人。かなり遠くなので、こちらに気づいてはいない。
「よし、行ける……!」
勢いよく扉を開き、オヴェリアを先に通す。外の空気が冷たい。夜風が二人の肌を撫で、多少の安堵感を与えるが、まだ油断は禁物だ。城壁を抜けるまでは厳戒態勢のはずなので、いつ増援が来てもおかしくない。
中庭はかなり広く、中央に噴水が設けられている。まわりは草や花壇で彩られているが、そんな美しい景観を楽しんでいる余裕はない。今はむしろ、“遮蔽物が少ない開けた空間”という脅威がある。
「王女様、私の後ろをしっかりついてきて。」
「はい……!」
二人は身を低くし、花壇や噴水の縁を利用しながら移動する。衛兵の目線を気にしつつ、なるべく光の少ないルートを選んで足音を殺す。ミルウーダは魔銃を一応用意してはいるが、できれば使いたくない。音が響けばすぐに見つかるだろう。
中庭の半分ほど進んだとき、運悪く衛兵がこちらへ向けて懐中灯を振った。何か気配に気づいたのか、あたりを照らし出す光が少しずつこちらへ近づいてくる。
「やばい……気づかれたか……?」
心臓が嫌な音を立てて脈打つ。周囲には遮蔽物がほとんどなく、噴水まであと数メートルの距離。そこまで行けば影になれるが、衛兵のライトが強くなってきたらもう無理かもしれない。
オヴェリアの手を握る汗が冷たく、現実感が薄れていく。ここで捕まれば、先ほどの苦労がすべて水の泡だ。
「……!」
思わず息を呑んだその瞬間、遠方の城壁付近で何かが爆発したような音が鳴り響いた。轟音とともに火花が上がり、衛兵が驚いたように振り向く。どうやらまた別の場所で騒動が起きているらしい。その方向に何人かの兵士が駆け寄る気配がある。
「なんだ、あれは……? 誰だ、爆薬を使ったのか……?」
「おい、こちらに来い! この辺りは俺が見張るから!」
複数の声が飛び交い、中庭の衛兵もそちらに気を取られた形だ。結果的に、こちらに向けられていた灯りが外れていく。何かの爆音が相当目立ったのか、壁の櫓からも叫び声が聞こえる。
ミルウーダはその様子を見計らい、オヴェリアの手を引いて一気に噴水の裏へ走る。花壇に身を伏せ、視線を確認するが、衛兵は完全に城壁側の騒ぎに気を向けていた。
「(誰がやったのか知らないけど、助かった……ラムザか、あるいは混乱の余波か……。)」
ミルウーダは心中で唇を噛む。自分たちにとっては好都合だが、これほどまで城が混乱するのは尋常ではない。もしかすると、騎士団の内紛が大きく拡大しているのかもしれない。
ともあれ、今は脱出が最優先。噴水の裏から慎重に草むらを抜け、少しずつ外壁へ近づいていく。
城の外壁には高い柵が設けられ、さらに見張り台が何カ所もある。正門を通るのは論外だ。そんなところに近づけば一瞬で捕らえられる。ならば、外壁にある古い階段やはしごの類を探して乗り越えるしかない。
幸い、かつての戦乱で増築された部分が多い外壁には、足場となる石の突起や、取り外し式の梯子がいくつかあるらしい。ミルウーダはそれを活用する予定で、あらかじめ下見をしていた。
中庭の奥へ回り込み、注意深く草木の陰を進むと、そこに荒い石段が見えてきた。夜の闇で見えにくいが、昇れば外壁の上に到達できそうだ。ただ、そこに衛兵がいれば終わりである。
「王女様、あの石段を上がれば、壁を超えられます。今のうちに駆け抜けるわよ!」
「は、はい……頑張ります……!」
半ば覚悟を決めた二人は、なるべく足音を殺しながら石段へ向かう。途中で警戒し、上を覗き込むが、見張り兵の姿はないようだ。どうやらここの守備も手薄になっているらしい。
しかし、楽観はできない。もし上からの見張り兵が戻ってきたら、すれ違い様に発見される可能性がある。
「今だ……!」
ミルウーダが先行し、オヴェリアの手を取って石段を駆け上がる。ドレスの裾が引っかかりそうになるが、構わずぐいと引っ張って進む。あと少しで外壁の上部――夜風が強く吹き、二人の髪と服を乱す。
立ち止まってはいけない。一気に壁の向こう側へ飛び降りるか、あるいはロープを使うか。どのみち危険だが、この機会を逃せばすぐに追っ手が来るだろう。
石段の最上段に到達し、そこに腰丈ほどの石垣がある。乗り越えれば外の崖際へ降りられるが、暗くて足場が危うい。だが、まさに今、降りようと足をかけたとき――背後から不意に声がした。
「待て! そこの者、何をしている!」
ミルウーダが反射的に振り向くと、そこには騎士の姿があった。先ほど騒動の最中にいなかったのか、あるいは巡回を終えて戻ってきたのか――わからないが、鎧の胸元には紋章が刻まれている。見るからに実力のある騎士だろう。
彼は即座に二人の姿を認め、剣を抜こうとする。背後には何人かの兵士も連なっている気配だ。まずい、ここで足止めされれば勝ち目は薄い。王女がいるのだから尚更、無理をさせたくない。
「王女様、伏せて!」
ミルウーダは王女の頭を押さえつけるように石垣へ沈ませ、自分は短刀を構える。兵士たちも一斉に警戒態勢を取り、「不審者だ!」「王女を連れ去るつもりか!」と声を荒げる。
通常なら、ここでミルウーダが突撃するか、銃を使って一気に決着を狙うか――しかし、相手は複数。闇雲に撃てば兵士を殺しかねないし、音で周囲を呼び寄せてしまう。
「(仕方ない……スタングレネード、これが最後の一つ。)」
彼女は素早く腰のポーチから小さな円筒を取り出す。ラストの切り札だ。これを爆発させれば、閃光と爆音で兵士たちを一瞬無力化できる。だが、その音で近隣の他の兵も寄ってくるだろう。
悩むが、もう他に手段はない。短刀で全員を同時に倒すのは不可能だし、魔銃を何発も撃つ余裕は魔力的にも厳しい。
「――はああっ!」
声を上げながらグレネードのピンを引き、転がすように兵士たちの足元へ放り込む。気づいた兵士が「あ、危ない!」と叫ぶが、すでに時遅し。白い閃光と爆音が石段に反響し、兵士たちは強烈な光に目を焼かれ、耳をつんざく音で平衡感覚を失う。
「ぐあああ!」「目が……っ!」
兵士たちは思わず剣や盾を取り落とし、ひるんだ状態になる。ミルウーダは即座にオヴェリアを抱きかかえるようにして外壁の向こうへ跳んだ。夜の闇へ身を委ねる覚悟だ。
高さは人の背丈を遥かに超えており、落下すれば大怪我しかねないが、下に何らかの足場や草むらがあるはず――そう踏んでの強行だ。
「きゃあああっ……!」
王女の悲鳴とともに暗い宙を舞う一瞬。ミルウーダは全身の力を使って着地を和らげようとする。あらかじめ崖際を調べたとき、草や藁が雑然と積み上がっている場所があったのを思い出す。そこへ向けて身体を捻るようにして……衝撃が全身を襲った。
「ぐっ……!」
背中に衝撃が走り、息が詰まる。藁の山をクッションにしているとはいえ、衝撃は凄まじい。腕にしびれが広がるが、なんとか骨折は免れたようだ。
オヴェリアは彼女の上に覆いかぶさる形になり、驚きと痛みによる小さな声を漏らしているが、意識はあるらしい。
「王女様……大丈夫……?」
「な、なんとか……です……。ミルウーダ……あなたこそ……!」
二人とも万全ではないが、命に別条はなさそうだ。ミルウーダは痛む背を押さえながら周囲を見回す。高低差があって足下はフラフラするが、どうにか起き上がれる。上を見ると、兵士たちが上から覗いているが、こちらにいる正確な位置までは把握できていない。
「よし……行こう! こんなところで止まれない。」
夜闇に包まれた崖際の細い獣道が続いている。この道を下れば城の裏側に回り、森の中へ逃げ込める可能性がある。ミルウーダはオヴェリアの手を引き、痛む身体を動かす。
折れた骨はないが、筋肉痛や打撲が痛々しく、呼吸も乱れる。だが、ここで動けなくなれば兵士に捕らえられるだけだ。最後の力を振り絞るほかない。
崖沿いの獣道を駆け下りながら、ミルウーダはふと先ほどの光景を思い返す。
――ラムザという若き貴族騎士が、王女を守るために剣を抜いた姿。
そのせいで騎士団が分散し、混乱し、結果的に自分たちが脱出しやすくなったのは否めない。あれはまるで、間接的に“助力”してくれたようにも見える。
(もし、あいつがいなかったら……私は、兵士たちに捕らえられていたかもしれない。オヴェリアを連れ出すなんて到底無理だったろう。)
多少なりとも恩を感じる反面、革命家として「貴族を嫌う」という自分のポリシーに反する思いが湧き上がる。複雑な感情に戸惑うが、今は考えている場合ではない。とにかく王女を安全な場所へ連れて行くのが先決だ。
それでも心の隅で小さく感謝を呟く――“ありがとう、ラムザ。いつかまた会うことがあれば、その時こそ決着を……いや、私は何を言っているんだろう……”
ミルウーダは首を振って思考を振り払う。
王女も息を切らしながら後ろを振り返るが、城壁の上には衛兵の影があちこちに見えるだけで、どうやらこちらを追いかけてくる者はいないようだ。闇夜にまぎれて森に逃げ込めば、おそらく見失うだろう。
やがて森の中へ入り込み、しばらく下草をかき分けるように進む。夜の闇は深く、月明かりも木々に遮られてほとんど地面を照らさない。ミルウーダは感覚だけを頼りに足場を探り、オヴェリアを支え続ける。
ふと周囲が開けた場所に出ると、小川が流れているのが見えた。ここまで来れば、城からは相当離れたはずだ。追っ手が来る可能性は低い。
「ここで……少し休みましょう。あなたも限界でしょう。」
ミルウーダはそう言いながら、王女を近くの岩に腰かけさせる。自分も膝に手をついて息を整える。背中と腕の痛みがじわじわ増し、そろそろ限界を感じるが、しばしの休憩で回復させるしかない。
「ごめんなさい……私は、足手まといで……。」
「そんなこと……ない。あなたが頑張ってくれたから、ここまで来られたんだ。」
二人は、ようやく落ち着いて言葉を交わす。王女は息を吐き出し、唇を震わせながら、小さく微笑んだ。
「ミルウーダ……本当にありがとう。あなたは誰かに雇われたわけでは……ないのですよね? 私を守る理由なんて……ないのに……。」
「……さあね。ただ、殺されるかもしれないと聞いて、黙っていられなかった。その程度の理由さ。」
自嘲気味に肩をすくめながら答える。だが、正直なところ、自分でもなぜこんな行動をしているのか明確に言いきれない。貴族社会への復讐心を募らせてきたはずのミルウーダが、今は“貴族の王女”を守り助けようとしているのだから。
それでも、こうして無事に救えた事実が、心のどこかを穏やかにしている。血生臭い戦場とは違う、“守る戦い”に微かな希望を見いだす自分がいた。
オヴェリアは静かにうなずき、目を伏せる。
「あなたも、私も……苦しい道を通ってきたんですね……。もし、また落ち着いたら……話を聞かせてくれますか? あなたの革命のことや、世界をどうしたいのか……。」
まさか王女から革命の話を問いかけられるとは思わなかった。ミルウーダは一瞬たじろぐが、あくまで口調は柔らかい。その瞳は、真剣に彼女の過去に興味を示しているようだ。
何とも皮肉な巡り合わせだが、今のミルウーダには心に余裕がないため、とりあえず黙って頷くことしかできない。
「……ええ、いつか話すかもね。今はまず、安全な場所へ行こう。ここでじっとしていても、追っ手が来るかもしれないからね。」
そう言って立ち上がるが、背中の痛みに顔をしかめる。オヴェリアが心配そうに覗き込む。
「だ、大丈夫ですか……? もし傷が痛むなら、私……何か手当を……」
「大丈夫、大したことないわ。ちょっと無茶しただけだから。」
強がりを言いながらも、ミルウーダは腰を伸ばし、周囲を確認する。森の奥へ向かえば、革命軍の仲間が潜伏する拠点へ行けるかもしれないが、そこに王女を連れて行くのはリスクが高い。まだ方針は決まっていない。
それでも、ひとまずは城から逃れられた。それだけで今は十分だろう。
激しい夜の城内。若き騎士ラムザの奮闘により、騎士団は内紛に近い状態となり、警備が分散。その混乱を縫う形で、ミルウーダとオヴェリアは城からの脱出に成功した。
お互いの素性や目的は、まだはっきりした形で共有されていない。だが、貴族への憎悪を抱えていたミルウーダが、王女オヴェリアを救い出したという事実は、大きな転機を象徴している。
一方、ラムザもまた“王女を守る”という強い意志を示して、騎士団相手に一歩も引かない姿勢を見せた。ミルウーダは遠目からその姿を見て、“貴族なのに何かが違う”と微かな共感を覚える。
直接言葉を交わすことはなかったが、ラムザの存在が間接的にミルウーダを助けた形になったのは確かだ。今後、もし二人が出会う機会があれば、そこにどんなドラマが生まれるのか――物語は広がりを予感させる。
そして今、森の小川のほとりで、ミルウーダとオヴェリアはようやく一息ついている。城からは遠ざかったものの、完全に安全とは言えない。追っ手はいつかけられるかわからないし、オヴェリアの身分を知る者が現れれば、さらに面倒が増えるだろう。
それでも、二人は小さな解放感を得ていた。“殺し合いの戦場”ではなく、“人を助ける戦い”を成し遂げた――そんな達成感が、ほのかに二人の胸を温めている。
ここから、王女の運命と、革命家ミルウーダの道がどのように交錯していくのか。
また、騎士ラムザが信じる“守りたいもの”とは何なのか。
イヴァリースの混乱のただ中で、彼らの物語はまだ終わらない――