
R-Type Requiem of Bifröst:EP-1
EP-1:発掘されたR兵装
地平線の果てを照らす陽光が、赤銅色の空へゆっくりと昇っていく。まだ朝早い時間だというのに、世界の空気にはどこか張り詰めた緊迫感が漂っていた。灼熱の太陽が地を照らし始めるにつれ、それが単なる真夏の暑さによる不快感ではないことを、誰もがうすうす感じ取っている。
何かが起きている。人類の存亡を脅かすほどの“何か”が。
首都圏の外れに位置する荒野――かつては豊かな緑が広がっていた場所だが、今では日照り続きの影響もあり、乾いた土と枯れかけた植生が殺風景に広がっている。その薄茶色の大地を縦横に走る亀裂には、かつての戦いの名残なのか、金属の破片や廃棄された兵器の断片が見え隠れしていた。
その荒野の中央付近。濛々と砂埃を上げながら隊列を組むのは、政府軍の大型車両部隊だ。装甲車の砲塔や兵士たちの小銃が向けられている先には、“怪物”と呼ばれる存在が待ち構えている。遠目には人間のような形をしているが、異様に肥大化した腕と背中から伸びる棘の列が、その姿を明らかに“ヒト”とは別物にしていた。
兵士たちの通信機からは、緊張で上ずった声が飛び交う。
「隊長! やはり従来の弾薬ではまったくダメージが通りません!」 「くそっ、対人ライフルも、対物ライフルも、焼夷弾すら効かないのか……!」
部隊長と思しき人物が拳を強く握りしめ、歯噛みする。政権からの指令は至って明確だった。“怪物”の脅威にさらされた地域を制圧し、安全を確保せよ、と。だが、現実はどうだ。どれだけ兵士を投入し、どれだけ弾丸を撃ち込もうとも、対峙している一体の怪物すらまともに倒せていない。
「各車両、後退準備! 空爆を要請する!」 「隊長、しかしここは民間人の避難ルートが近いです! 下手に空爆すれば……」 「承知の上だ! 奴らを放置すれば、被害はもっと甚大になる!」
部隊長の判断は、“選択肢がほとんどない”という追い詰められた状況を物語っていた。怪物の存在が確認されてから数か月。政府軍は同じような状況で幾度となく大敗を喫し、逆に怪物を増長させる結果となっている。兵士たちが恐怖に支配されるのも無理はない。
しかも、目の前の怪物は、時折人間の言語を話すという報告がある。今まさに隊列の向こう、宙を舞う砂埃の中で、あのグロテスクな形状の口が何かを呟いていた。声にならないほどの低い唸り声。それは笑い声とも苦悶の声とも区別がつかない、不気味な響きだった。
「全兵員、後退せよ! 空爆が開始されるまで耐えろ!」 「隊長、それは……」 「いいから急げ! 空爆の予定時刻は、あと数分後だ!」
怒号に近い隊長の声を受け、兵士たちが慌ただしく装甲車に戻っていく。だがその時、怪物の背中の棘が大きく光り、まるで電流が流れたように青白い稲妻が走った。
「まずい、何か来るぞ!」
誰かが絶叫した次の瞬間、怪物の背中から飛び出した無数の棘が空気を切り裂き、鋭い破裂音と共に一帯を抉った。まるで数百本の鞭が同時に振り下ろされたかのような衝撃が荒野を震わせる。
それを真正面から受けた装甲車は一瞬にして屋根が引き裂かれ、中の兵士が悲鳴を上げる間もなく身体ごと地面に叩きつけられる。血飛沫が舞い、砂の色を赤く染めた。
「退避! 退避しろっ!!」
隊長の声が虚しくも砂塵にかき消されるなか、怪物はさらに腕を振り上げた。その異常に肥大化した腕の筋肉が隆起し、開いた手のひらから歪な球体が生まれる。球体はまばゆい虹色を帯びながら回転し、スパークを放った。
「……あれはなんだ……っ!?」 「くそ……近寄るな、撃て! 撃てぇ!」
小銃の連射音が響く。だが、その球体は引き金を引く兵士の頭上にまっすぐ向かっていったかと思うと――突如として無数に分裂し、四方八方へと飛び散った。それらの球体は兵士たちを容赦なく貫き、装甲車の車体を溶断し、たちまち戦場を地獄と化す。
人の身体がまるで紙のように切り裂かれ、血の奔流が荒野を染める。叫び声すら生々しく、耳障りなほどに鳴り響いたが、その惨状は長く続かなかった。あっという間にあたりは静寂に包まれる。戦慄の静けさは、まるで時間が止まってしまったかのようだ。
生き残った数少ない兵士たちが、必死に息を整えながら膝をつく。もう抵抗するすべが残っていない。怪物は身長こそ人間の倍ほどもないが、圧倒的な破壊力と耐久力を併せ持ち、普通の兵器などまるで歯が立たない。
「隊長……どうしますか……」 「……もう……手はない……」
隊長の呆然とした呟きは、全滅の引き金にしかならない。怪物の腕がゆっくりと、しかし確実に振り上げられる。絶望に染まる兵士たちの視線が交錯する。眼前に迫る破壊の奔流からは、もはや逃れようがなかった。
(……これが、世界の終わりなのか……)
兵士の一人が朦朧とした意識でそう思ったとき、怪物の動きがぴたりと止まった。
――遠く、空の向こうから甲高い音が響く。空爆用の大型爆撃機が編隊を組んでこちらに向かっているのだ。怪物はその方向に目を向け、一瞬だけ不快そうに唸った。そして、腕を振り下ろす。次の瞬間、まるで空気の裂け目から大量の針が噴出したかのように、青白い閃光が幾筋も走った。
爆撃機を護衛する戦闘機が応戦しようとするが、間に合わない。怪物の放った光の槍は、それらの機体を次々と貫通し、墜落へと追いやっていく。もはや空爆すら間に合わない。誰もが絶望を口にしかけた、そのとき――
「――そこまでよ!」
遠方から高らかに響いた声が、戦場の静寂を突き破った。一瞬、何が起きたのか誰もが理解できなかったが、見ると荒野の入り口付近に何かが現れていた。砂埃を巻き込みながら走る数台の黒塗りの車両と、その中央に据えられた長距離砲のようなもの。ゴツい装甲や国連のマークではない。明らかに軍とは違う機関の車両だとわかる。
そして、その車両の上に立つのは……長い黒髪を後ろでまとめた、アメリカ系アフリカ人と思しき女性。後に“班長”と呼ばれる彼女が、大きなスピーカーを通して戦場に呼びかけていた。
「政府軍の皆さん! すぐに後退して! ここは私たち“特務B班”が引き受けるわ!」
軍の隊長が驚愕しながら通信機を握る。「特務B班……? そんな部隊があったか……?」と。しかし、もう時間はない。怪物は新たな獲物を見つけたかのように、一足飛びに特務B班の車列へ向かう。
その瞬間、車列の中央から放たれた眩い光が怪物の動きを一瞬止めた。長距離砲のように見えた装置が、実は怪物の足止め用の特殊スタンバレットだったのだ。高周波の衝撃波と閃光が同時に走り、怪物がたじろぐ。が、効き目はほんの数秒だ。
「各車両、展開! 補給ルートを確保して! B-03は後方にいる兵士さんたちを救護してちょうだい!」
班長は矢継ぎ早に指示を出す。政府軍の兵士たちは呆然としながらも、その素早い指揮と手際の良さに唖然とするばかりだ。まるで“本物の戦場慣れ”をした者たちの動きだった。
「い、今のは何なんだ……」 「さあ……だが、もしかして……奴を止められるかもしれない……!」
兵士たちはかすかな希望にすがるように特務B班を注視する。だが、怪物の抵抗は凄まじく、スタンバレットから立ち直るやいなや、再び恐るべき破壊光線を車列めがけて放ってきた。
車両の一台が弾け飛ぶ。特務B班のメンバーが何人か吹き飛ばされ、悲鳴を上げる。しかし班長は慌てない。瞬時に受信機を取り出して指示を飛ばす。
「如月! そちらの分析はどう? 効果的な攻撃手段はある?」
通信機から返ってきた声は、少し渋い男のものだった。
「弾道解析完了。あれは高圧縮したバイドエネルギーを外殻にして飛ばしてる。通常兵器じゃ傷つけられない構造だ。だけど、衝撃を散らす方法があるかもしれない。電磁フィールドを逆位相で当てれば、弾ける可能性がある」
「了解。電磁妨害班、準備して!」
班長の号令とともに、車列の一角から追加の装置が展開される。銃撃戦や砲撃戦とは程遠い、まるで研究所の実験機材のような機器。そこから数本のアンテナがせり出し、怪物の方角へ向けられた。
「起動!」
スイッチが押されると、空気がピリピリと振動する。電磁波が高出力で放出され、怪物を覆うバイドエネルギーの外殻に干渉を始めたのだ。すると怪物の背中の棘が不規則に震え、放出されかけていた光線が途中で暴発するように弾け飛んだ。
「……っ! 見たか! 今ので攻撃を無効化したぞ!」 「で、でも一瞬だけみたいよ、また放つみたいだわ!」
再び、怪物は断続的に光線を放ち始める。特務B班は辛うじて防御するが、補給と防衛を並行しては長く持たない。班長の額にも汗が滲む。
「いくら特務B班でも、この怪物を倒すには――」
彼女がそう呟いたとき、まるでタイミングを計ったかのように別の車両が到着する。そこから降りてきたのは、若干16、17歳くらいの少女。制服姿に黒のブレザー、白いシャツ、紺のプリーツスカートという、まるで普通の高校生のような身なりだ。
少女――アリシア・ヴァンスタインは、緊張に包まれた空気を一気に吸い込み、砂まみれの空気の中で目を細めた。
「ここが……今の最前線、なの?」
さっきまでの自宅や学校とは全く違う風景。焦げた金属の匂い、煙のにおい、砂と血の臭気が入り交じる。彼女は怯むように足を引きそうになるが、踏みとどまって顔を上げた。傍らには特務B班のメカニックらしき男性が付き添い、何やら大きなケースを抱えている。
「アリシア、無理はしなくていいぞ。まだ実戦経験もないし……」
イタリア人男性のメカニックは、心配そうな表情で言ったが、アリシアは大きく首を振る。
「実戦経験なんかないけど……でも、私しかこの武器を扱えないんでしょう? だったら、行くしかないじゃない!」
「……そうだな。すまない。じゃあ、準備をしよう。すぐに“スラッシュゼロ”を出すよ」
彼がケースを開けると、中には金属製の長剣のような形状をした兵器が収められていた。刀身の中央には波動エネルギーを思わせるラインが走り、うっすらと光が脈打っている。これこそが“Rシリーズ兵装”の一つであり、アリシアが夏休みの自由研究で訪れた研究施設で偶然にも起動に成功した“スラッシュゼロ”だった。
彼女が初めてその剣を握ったとき、誰もが目を疑った。Rシリーズ兵装は特定の遺伝子コードを持った者でないと起動できない。しかも、バイド係数の高い個体には拒否反応を起こす。だがアリシアはバイド係数が低く、かつ兵装と“相性がいい”という極めて稀有な存在だった。
――そもそも高校生の身でありながら、なぜこんな戦場に駆り出される羽目になったのか。アリシア自身もまだ整理がついていないが、今はとにかく“自分だけが起動できる兵器”を使って、目の前の人々を助けるしかないのだ。
「アリシア、落ち着いて深呼吸をするのよ!」
メカニックが声を上げる。その背後には班長も姿を見せ、アリシアに駆け寄ってきた。
「私が指示するから、その通りに動いて。いいわね?」
「は、はい……でも、どうやって戦えば……?」
「大丈夫、まずはスラッシュゼロの波動エネルギーを剣の形態で維持して。接近戦を仕掛けるには危険が大きいから、できるだけ中距離で切り込むのよ。怪物の攻撃パターンは副長の如月が解析してくれてるわ!」
横で待機していた通信機から、如月の声が割り込んだ。
「聞こえるか、アリシア。敵の外殻はバイドエネルギーで強化されている。通常弾じゃ貫けない。あの剣なら波動エネルギーをまとわせれば、多少は通じるはずだ。ただし、怪物のカウンターには注意しろ。位置取りが甘いと即死しかねんぞ」
「……わかりました……怖い、けど……やるしかない、ですね」
言葉を震わせながらも、アリシアは剣の柄をぎゅっと握りしめた。すると、スラッシュゼロが微かに震えるように発光し、まるで“応える”かのように刀身のラインが鮮明なオレンジ色を帯びていく。
(本当に、私がこんな剣を振るって何ができるの……?)
心の中は不安と恐怖でいっぱいだが、すぐ横で負傷している兵士たちや、崩れかけた政府軍の姿を目にすると、引き返すわけにはいかないという思いが湧き上がる。
怪物が再び轟音とともに光線を放ち、特務B班の車両が一台横転する。班長が叫ぶ。
「アリシア、行きなさい! 私たちが援護するわ!」
「は、はい! 行きます!」
意を決してアリシアは駆け出した。足元の砂が舞い上がり、彼女の視界を汚す。しかし、スラッシュゼロから放たれるオレンジの輝きが、彼女の進む道を照らしているようにも感じられた。
怪物までの距離はおよそ数十メートル。まるで小さな山のようにそびえ立つその姿は、近づくほどに恐怖を増幅させた。腕の筋肉は鱗のような硬質感があり、背中の棘が生理的嫌悪感を煽る。鼻を突く異様な臭いが、まざまざと非日常を突きつけてきた。
「ふ、深呼吸、深呼吸……落ち着いて……」
アリシアは震える手でスラッシュゼロを横薙ぎに構える。そして、如月の言う通り、波動エネルギーを刀身にまとわせるイメージを思い描く。すると、剣から淡い光が溢れ出し、熱を帯びるように少しだけ揺らめいた。
「よし……これで、少しは斬れるはず……!」
目の前の怪物がアリシアの存在に気づき、腕を振り上げる。再び生み出される歪な球体。あれを撃たれればひとたまりもない。アリシアは両足に力を込め、間合いを詰める。
「撃たせる前に――!」
思い切り右脚を蹴り、剣を振り下ろす。狙いは怪物の腕の付け根。動きを封じるのが最優先だ。刀身が風を切る。波動エネルギーが空気を焼くような感覚。剣の先が肉の手応えを捉えた……かに思えた。しかし、実際には弾かれた。
「っ……硬いっ!!」
衝撃で腕が痺れる。触れた部分には裂け目が入っているが、深くは斬り込めていない。怪物はわずかに膝を折ったが、すぐにカウンターを仕掛けてくる。振り上げた拳が、凄まじい勢いでアリシアを捉えようとする。
「避けて、アリシア!」
通信機から班長の声。アリシアは慌てて後方に跳ね退る。だが、怪物の腕は予想よりリーチが長く、かすっただけで衝撃波のような風圧に吹き飛ばされる。地面を転がり、砂煙を巻き上げながら止まったときには、アリシアの胸が焼けるように痛んだ。
「痛っ……げほっ……」
身体中が悲鳴を上げる。だが、これで終わりにするわけにはいかない。顔を上げると、怪物の背中の棘が再び怪しい光を帯びている。今度は同じ失敗は許されない。あれが集中砲火のように放たれれば、生き残れる可能性は皆無に等しい。
「くそ……もう一度!」
アリシアはスラッシュゼロを両手でしっかり握り、体勢を整える。そこに班長からの通信が入った。
「アリシア、私たちが背中側から牽制するわ。あなたはその隙に本体を狙って!」
「わかりました。お願いします!」
特務B班の車両が複数同時に展開し、スタンバレットを連射し始める。怪物はそれらを鬱陶しそうに振り払いながら背中をかがめる。動きがやや鈍る。その一瞬の隙を見逃さず、アリシアは再度前へ駆け出す。
「もう、迷わない……!」
心の奥で湧き上がる恐怖を振り切るように、彼女は剣を逆手に構え、怪物の胴体へ一閃。今度は波動エネルギーをより高密度に集中させるイメージを持って斬り込む。剣の軌道がオレンジの残像を引き、怪物の鱗に亀裂を走らせた。
僅かながら血飛沫のような液体が飛び散り、怪物が大きく呻く。その声は怒りとも苦悶とも取れるが、アリシアにとっては“ちゃんとダメージを与えた”という事実が大きかった。
「やった……斬れるんだ……!」
しかし、喜びも束の間、怪物は大きく口を開き、彼女に向けて悲鳴のような声を発する。その口の中からは唾液とは明らかに異なる粘液が滴り、見たこともないような色彩を放っている。嫌な予感がする――と直感で感じた次の瞬間、怪物はその粘液を弾丸のように吐き出してきた。
「危ないっ!」
アリシアは咄嗟に剣を盾のように構える。粘液の飛沫が刀身に当たり、じゅう、と嫌な音を立てて蒸発する。辛うじて直接被弾は免れたものの、一部が腕にかかり、火傷のように皮膚を焼いた。
「痛っ……ぐ、うぅ……」
強烈な刺激に耐えながらも、スラッシュゼロを落とさず踏みとどまる。痛みで涙が滲むが、ここで倒れるわけにはいかない。再び間合いを取り直そうとしたとき、今度は怪物の腕が全力で地面を叩きつける。地響きが起こり、衝撃波が伝わる。アリシアの足元が崩れ、バランスを崩して膝を突いた。
「くそっ……!」
怪物は勝機とみたのか、さらに腕を振り上げる。この一撃を食らえば即死だ――アリシアは剣を掲げようとするが、どうにも身体が動かない。痛みと震えで思うように筋力が働かないのだ。
(これで……終わるのかな)
そう思った瞬間、頭の中にスラッシュゼロの脈動が鮮明に響いた。まるで意思を持つかのように、刀身が再びオレンジの光を強く放ち始める。意識が引き込まれるような感覚。自分とスラッシュゼロが何か共有しているかのように、一瞬だけ思えた。
(お願い……もう少しだけ力を貸して……!)
アリシアは心の中で強く念じ、剣を正面に構える。すると、刀身から波動エネルギーが迸り、シールドのように前方を覆った。そのまま怪物の拳が激突。衝撃で耳がキーンと鳴り、腕が悲鳴を上げるが、完全には押し潰されなかった。
「っ……やれる……まだ、やれる!」
アリシアはその弾かれた勢いを利用し、地面を転がりながら怪物の懐を潜り抜ける。半身を起こした体勢で、再び剣を振り上げ――一気に胴体へ突き刺した。
「これで……終わって!!」
波動エネルギーが剣先に集中し、炸裂するように怪物の内部を焼き尽くす。怪物は凄まじい絶叫を上げ、背中の棘が一瞬にして灰色に変色していった。
その場に倒れ込む怪物。脳裏に響くような嘶きの余韻が、風に溶けて消えていく。アリシアは大きく息をつき、震える手で剣を引き抜いた。怪物は既に抵抗する気配がなく、その身体がゆっくりと崩れていく。
「あ、あ……」
強烈な光と衝撃、そして喪失感。アリシアはそのまま膝をついて呼吸を整えた。周囲の特務B班や政府軍の兵士たちが、呆然とした表情でこの光景を見つめている。みな、言葉を失っていた。
――あの圧倒的な怪物を、この小さな少女が倒したのだ。
しばしの沈黙の後、特務B班のメンバーが歓声のような声を上げる。その声を合図に、政府軍の兵士たちも生存者が次々と立ち上がり、拍手や驚嘆の声を上げ始めた。
「やった……のか……!?」 「嘘だろ……あの化け物を……高校生の子が、倒した……?」
アリシアは剣を手放しそうになりながらも、必死で支える。腕には先ほど受けた粘液の火傷が焼けるように痛むが、その痛みによって逆に生きている実感がわいてくる。
班長が急いで駆け寄り、彼女の身体を抱き起こす。
「大丈夫、アリシア!? 怪我は……」
「ちょっと……ヒリヒリします……けど……大丈夫、です……」
見ると、右腕の袖が焦げ、皮膚の一部がただれているのがわかる。これ以上放っておくと感染症のリスクもあるだろう。班長は手際よく通信機を操作し、医療担当を呼び出す。
「フランスの彼女にすぐ処置してもらうわ。無茶しないでよ、これからも戦うんだから」
「は、はい……すみません……勝手に動いちゃって……」
「勝手じゃないわよ。あなたじゃなきゃ倒せなかった。よくやったわ、アリシア」
班長の言葉に、アリシアは思わず涙が溢れそうになる。怖かったし、痛かったし、何よりも“人間だったかもしれない相手”を斬ったという事実が心を締めつける。だけど、彼女にはもう引き返せない。特務B執行官としての道を歩むしかないのだ。
やがて医療担当の女性――フランス系のクールな雰囲気を纏った人物がやってきて、アリシアの傷をチェックし始める。少し冷たい目をしているが、手際は確かでテキパキと応急処置を進めていく。
「あなたの体はバイド係数が低いからか、再生力も普通の人間並みね。すぐに治療をしないと跡が残るかもしれないけど、命に別状はないわ」
「あ、ありがとうございます……」
医療担当はわずかに眉をひそめると、「無茶はしないでちょうだい」とだけ言い残し、別の負傷者のもとへ向かっていった。場違いなほど淡々とした態度だが、それがこの状況下では逆に頼もしい。
遠目から見守っていたイタリア人メカニックの男性が、安堵の息をついてアリシアに微笑む。
「よくやったな、アリシア。俺たちが一晩で解析した程度の戦闘データしか渡せなかったから、不安だったが……見事だった」
「いえ……本当にギリギリです……もっと、強くならないと……」
「焦るな。お前は今日、初めて実戦に出たんだ。それであの怪物を仕留めた。自信を持っていい」
アリシアはその言葉にかすかに笑みを浮かべたが、すぐに重苦しい現実に目を向ける。周囲にはまだ多くの死傷者が出ていた。政府軍の兵士が血まみれで倒れており、特務B班の救護班が必死に応急処置を施している。少なくとも、今回の交戦ではあまりにも多くの犠牲者が出たのは間違いない。
ここは始まりに過ぎない。アリシアは痛む腕を抑えながら、砂まみれの地面に視線を落とす。
(……私が戦える唯一の存在って、喜ばしいことじゃない。でも、やらなきゃもっと多くの人が死んでしまう。だったら――)
そう胸中で強く決意する。その時、班長が近くにいた隊長らしき軍人を呼び止めた。
「生き残った兵士さんたちを安全な場所へ搬送します。物資と医療スタッフもこちらで用意してますから。隊長さん、あなたも治療を受けて」
「あ、ああ……すまない。助かった。まさかこんな形で……」
「いいえ。私たちの目的は、バイド混血による問題を食い止めること。ただ、それだけですから」
そう言って、班長は笑みを浮かべる。その笑みの裏には、長年にわたる激闘や苦労が滲み出ているようにも感じられる。その場の誰もが、この部隊がただ者ではないと悟った。
アリシアは班長の背中を見つめながら、握りしめたスラッシュゼロを胸元に寄せる。急に目眩がして、いまさらながら恐怖や疲労が押し寄せてきた。倒れそうになる彼女を、イタリア人メカニックが支えてくれる。
「大丈夫か? 戻って休んだ方がいい。ここから先は俺たちに任せろ」
「……はい、すみません。お願いします」
彼女は小さく頷き、後方の特務B班の車両へと歩み始めた。互いに支え合いながら、まるで嵐の去った後のような戦場をあとにする。しかし、決して終わったわけではない。これはほんの序章なのだ。
それは数週間前、まだ学校が夏休みに入ってすぐの頃。アリシアは自宅のリビングで退屈そうに宿題のプリントを眺めていた。友達は海へ行ったり山へ行ったりとレジャーを楽しんでいるが、彼女はどこか気乗りしなかった。
両親は既に他界しており、現在は親戚の家に身を寄せている。育ての家族にも学校にもそれなりに恵まれ、平凡な日常を送っていたが、“平凡”であるがゆえに少し物足りなさを感じていたのかもしれない。特に、今年の夏は何か特別なことをしてみたい――そんな漠然とした想いがあった。
そう思っているところに、学校の課題である「自由研究」のテーマを決める必要があった。周りの友達は植物標本や歴史レポートなどを予定していたが、アリシアはどうにもピンとこない。そんな折、遠縁にあたる研究員の知り合いから、ある研究施設の見学をしないかと声をかけられたのだ。
それが、すべての始まりだった。
灰色のコンクリートで覆われた施設の内部には、数十年前に発掘されたとされる古い兵器や機械の類がずらりと並んでいた。中には不可解な文字列やロゴが刻まれたものがあり、「Rシリーズ」や「フォース」などという聞きなれない専門用語が飛び交っていた。
「これがRシリーズ兵装の一部。起動には特別な遺伝子コードが必要らしいが、いまだに誰も成功した例がないのさ」
研究員の男性がそう言いながら、見せてくれたのが長剣の形状をした“スラッシュゼロ”だった。重厚な金属光沢と、中央に走るラインが独特の異世界的な雰囲気を醸し出している。思わずアリシアは見入ってしまった。
「きれい……」
それがアリシアとスラッシュゼロとの最初の接触。しかし、思いがけないことに――アリシアが誤って柄の部分に手を触れたとき、兵器が微かに振動して反応したのだ。
「え……な、何、これ……?」
研究員は目を丸くし、慌てて何度も装置をチェックした。「こんなこと、今までなかったぞ……?」と言いながら、スラッシュゼロが勝手に光り始めているのを止めようとする。だが、一向に止まらない。
焦る研究員をよそに、アリシアは不可思議な温かさを手の平に感じていた。まるでこの剣が心臓を持つかのように、脈打っている。微弱な音のような振動がアリシアの耳の奥へ伝わってくる。それが心地よくもあり、どこか背徳的な魅力を発しているようにも感じられた。
(これは一体……どうなってるの?)
研究員が急いで専門家を呼んできて、様々な計測を行い、DNAチェックを行い、そこではじめてわかったのだ。アリシアのバイド係数が“極端に低い”こと。そして“Rシリーズ起動に適合している可能性が高い”ことを。
兵器の存在そのものが一般には秘密とされていたが、アリシアが起動可能なことが分かると、上層部は即座に彼女を“保護”する措置を取った。そのまま研究施設に連日通う形で実験が行われ、少しずつスラッシュゼロの基礎的な操作が明らかになっていった。
――だが、彼女が本当に戦場へ出ることになるなんて、誰も予想していなかった。いや、少なくとも彼女自身は想定だにしていなかった。怪物の脅威が日に日に拡大し、政府軍では手に負えないという報せが飛び込み、特務B班という組織が「Rシリーズ適合者を求む」と接触してきたのだ。
こうしてアリシアは、たった数週間前まで普通の女子高生として暮らしていたのが嘘のように、研究施設を通じて“特務B執行官”という肩書を与えられ、戦場へ赴くことになったのだ。
その日の夕方、荒野の戦場跡地は、降り注ぐ夕焼けによって一面が朱に染まっていた。怪物の死骸は特務B班の回収班と政府軍の一部が処理し、土埃の中から次々と兵士たちの遺体が運び出されていく。負傷者は救急ヘリによって都市部の病院へ搬送されており、それなりに迅速な救護体制が整っていた。
しかし、街に戻ったところで、傷ついた兵士の心が本当に癒えるわけではない。自分たちを支えてくれた仲間が目の前で死んでいった――そんな光景を見た兵士たちの中には、もう二度と戦場へ出たくないと嘆く者もいるだろう。そんな悲痛な思いが、この夕焼けに溶け込むかのように感じられた。
一方、特務B班の仮設拠点では、班長や副長の如月、メカニック、医療担当、そして交渉担当者が忙しく動き回っている。怪物一体を倒しただけでこの惨状だ。世界にはまだ未知数の怪物が潜んでいるし、場合によってはもっと強大な存在がいるかもしれない――誰もがそれを肌で感じていた。
アリシアはというと、後方のテントで包帯を巻かれながらベッドに腰掛けていた。腕の火傷は応急処置を施され、痛み止めを飲んで落ち着いている。しかし、一度目を閉じると、怪物の血飛沫や断末魔の叫びが蘇ってきて眠れない。気付けば息が荒くなっていることに、自分でも驚く。
「落ち着け、アリシア……落ち着いて……」
自分に言い聞かせながら、空を仰ぐ。テントの隙間から見える夕焼けは、美しいというよりも不気味だ。血の色を連想させるような赤は、彼女の心を一層乱していく。すると、不意にテントの入口が開き、班長が入ってきた。
「具合はどう? 休めてる?」
「は、はい……何とか。でも、まだ頭がぐるぐるしてます」
「無理もないわ。初陣であんな恐ろしい怪物を相手にしたんだもの。でも、あなたのおかげでこれだけの人が助かった。それだけは忘れないで。あなたは誰かの命を救ったのよ」
班長の言葉は優しいが、その瞳には戦場を潜り抜けてきた者特有の冷静さが宿っている。娘のような存在を危険な場所に送り出したという後ろめたさも、そこには微かに滲んでいた。
「……私、やっぱり怖いです。次、同じ状況になっても勝てる保証なんてないし、そもそも私が戦う意味って……」
言葉に詰まるアリシア。班長は穏やかに笑って頭を撫でてくる。
「あなたが戦う意味なんて、今は考えなくてもいいわ。私たち特務B班が、それを考える余裕を与えてあげる。後方支援は任せてちょうだい。あなたはただ、目の前で人々が危険に晒されているなら、守りたいと思うかどうか――それだけを基準にすればいい」
班長の言葉に、アリシアは少しだけ肩の力が抜けるのを感じた。
「あなたはまだ17歳。普通なら高校で制服を着て、友達と笑い合っている年頃。ここにいるのは理不尽よ。でも……Rシリーズに適合できる人間は限りなく少ない。あなたは特別なの。だからこそ、私たちは全力でサポートする」
「……ありがとうございます。私も、今はただ、皆を助けられるなら……って、そう思います」
そう応えるアリシアの声は、小さく震えながらも確かな決意を含んでいた。班長はそれを聞き届けると、安心したように微笑む。外から如月の呼ぶ声が聞こえ、班長はそっとアリシアの手を離す。
「じゃあ、少し休んでなさい。何かあったらすぐ呼ぶのよ。後でごはんを持ってきてもらうから」
「はい。お気遣いありがとう、ございます」
班長がテントを出て行き、アリシアはひとり残される。外では救護活動と撤収作業が進み、次の作戦に備える雰囲気だ。どれだけ時間が経っても、この地には人々の血が染み込む事実は消えないだろう。だが、また日が昇れば、この場所にも新しい一日が訪れる。
「これが……私の夏休みの自由研究、の続き……ってことになるのかな」
誰にともなく呟きながら、アリシアは傷ついた腕を見やる。包帯の下でヒリヒリと痛みが走る度に、もう二度と昔のような“普通”には戻れないのだと悟る。戻れないなら、前に進むしかない。もっと強くなるしかない――そう思うと、不思議と意識が遠のき、いつの間にか浅い眠りへと引き込まれていった。