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天蓋の欠片EP6-1

Episode 6-1:放課後の時間

曇りがちだった朝方から一転して、午後には淡い晴れ間が広がった。校舎の窓から差し込む夕陽が、教室の床を橙色に染めはじめる。
昼休みが終わり、午後の授業を終えてからの“放課後”が近づくと、クラスの空気はどこか浮き立っていた。部活動に向かう生徒はもちろん、友人同士で買い物の約束をしている子たちもいる。事件が多発する中でも、彼らは可能な限り「普通の青春」を取り戻そうとしているかのようだ。

ユキノは自分の席に座って、ちらりと隣を見やる。日向カエデがノートに何やら書き込んでいるのが見える。その横顔は真剣で、周囲の雑談にもあまり耳を傾けていないようだ。
「カエデさん、もう放課後だけど……部活とか、どうするの?」
声をかけると、カエデは軽く眉を上げて「部活? 入る気はないな……」と静かに返す。

「そっか、私も部活やってないし……。今日も護衛がつくから、すぐ帰らなきゃいけないんだけど……用事がなければ、一緒に帰ろうか?」
「一緒に……?」
カエデが少し驚いたような表情を見せる。「このあいだも少し屋上で練習しちゃったから、今日は大人しくしてたほうがいいと思うし……」とユキノが苦笑する。カエデも頷き、「そうね、あれから足腰がまだだるいから……」と、短く笑った。
そんな会話をしていると、クラスメイトのナナミが「あ、ユキノとカエデちゃん、一緒に帰るの? いいなー、私も混ぜてよ」と楽しげに寄ってくる。ナナミは以前から二人を気にかけており、カエデともスムーズに打ち解けたいと考えているらしい。

「ううん、もちろんいいよね、カエデさん?」
「……ええ、かまわないわ。」

カエデはやや控えめに答えるが、ナナミは「やったあ」と笑って机に両手をつき、「じゃあ放課後に一緒に校門で集合しようね!」と勢いよく宣言して帰っていく。ここ数週間、事件が続いて暗い雰囲気だったクラスには、ほんの少しだけ明るい光が差し込みつつあるように感じる。ユキノは「よかったね、カエデさん。ナナミはすごくいい子だから、いっぱい友達増えるかも」と微笑むが、カエデは少し困惑顔だ。

「……友達、ね。まだ慣れないけど……まぁ、悪くはない。」


チャイムが鳴り、担任が「ホームルームはこれで終わり。みんな、気をつけて帰るんだよ。トラブルが多いから、あまり寄り道しないように」と注意を促す。生徒たちは一斉に立ち上がり、ざわざわと鞄を手に教室を出始める。
ユキノとカエデは席を立ち、ナナミを待つ前に軽く荷物の片付けをする。カエデが窓の外を見やり、「護衛がいるんだよね、天野さん?」と尋ねる。ユキノは頷き、「うん、タスクフォースの人がしつこくついてくる形。私が狙われるっていう建前があるから……」と苦笑いする。

「でも、あなたも狙われてるのに……護衛なしで大丈夫なの?」
「……私は自分でどうにかするしかないから。タスクフォースを信用するのはまだ怖いの。あなたの話を聞く限り、悪い人たちばかりじゃないみたいだけど……。」

それは、カエデの抱える根深い不信を表す言葉だ。ユキノは複雑な思いで口を噤むしかない。もし“保護”されれば安全だろうが、同時にカエデの自由を奪う形にもなる。彼女がそれを望まない以上、強制はできない。
ナナミが「おまたせー!」と鞄を揺らしながら近づいてくる。「じゃ、行こっか。校門まで一緒に行こう!」と明るい笑顔を向ける。三人で廊下へ出ると、クラスメイト数人が「カエデちゃん、一緒に帰りたい子いるから、今度また誘ってね」と軽いノリで声をかけてくるのが聞こえる。カエデはやや戸惑いながらも「う、うん……」と返事している。
ほんの数日前まで“一人孤立”に近い存在だったカエデに、こうしてクラスメイトからの好意的なアプローチが増えているのが分かる。ユキノは(やっぱり、彼女にも日常があっていいんだ……)と心の底で嬉しくなる。


廊下を歩き、昇降口で靴を履き替える途中、タスクフォースの護衛隊員が声をかけてくる。「天野ユキノさん、今日は真理追求の徒の動きが少し落ち着いてるようです。ですが、まだ警戒は解けません。一応、車で送りますので、こちらへどうぞ。」
ナナミが「あ……ユキノは車で帰るんだっけ? じゃあ、カエデちゃんと私は歩こうか」などと提案するが、ユキノは申し訳なさそうに「ごめん、いつもこんな感じで……でも、途中まで一緒に行けると思うから」と返す。
カエデはそれを聞いて目を伏せる。「……そう。私は大丈夫。ナナミさんと歩いて帰るよ。天野さんが車で帰るなら、そうしなきゃ。」 口調は淡泊だが、どこか寂しそうにも聞こえる。
ユキノはどうにか一緒に行動できないかと思ったが、隊員が「ただし、同伴者を乗せるならタスクフォースへの申請が必要で……」などと面倒そうな話を始める。時間もかかるし、カエデが嫌がるかもしれない。結局、「じゃあまた明日ね……」と別れることになった。


一方、カエデはナナミとともに歩いて下校する。ナナミは「あのタスクフォースの人、ユキノを護衛してるんだよね? なんでそこまで狙われてるのかな……ごめん、私詳しくは知らないんだけど。」と遠慮がちに話しかける。
カエデは苦笑しながら、「ユキノが大変な状況にいるのは確か。でも、私も似たようなものよ」と返す。ナナミは「え?」と首を傾げるが、カエデは多くを語らない。
しばらく街路樹の並ぶ道を歩き、夕方の喧騒に紛れながら軽い雑談をするうち、ナナミが「ねえカエデちゃん、今度さ、放課後に買い物に行かない? ちょっとだけ……」と誘う。カエデは一瞬驚いたように口をつぐむ。

「買い物……? 私、そういうのあんまり行ったことがないの。」
「えー、そうなの? じゃあいい機会じゃない。学校の近くに新しい雑貨屋ができたし、スイーツの店もあるし……たまには息抜きしよ?」

ナナミの明るさに圧倒されつつも、カエデは心が揺れる。これまで“実験体”として逃亡生活を送ってきた彼女にとって、普通の女子高生のような買い物は未知の体験だ。だが、ユキノやナナミといった優しいクラスメイトとの触れ合いには惹かれる部分がある。
「……時間が合えば、いいかも……。」
「やった! じゃあユキノも誘って三人で行こうよー。楽しみだなあ……!」

そのやり取りにカエデは恥ずかしそうに微笑む。(こんな普通の誘い、初めて……。)心の奥で温かなものが芽生えつつあるが、同時に「自分が巻き込みたくない」という気持ちも燻っている。もし真理追求の徒に見つかれば、ナナミを危険に陥れてしまうかもしれない――それが怖い。


一方、ユキノはタスクフォースの車で下校途中。後部座席に座り、助手席には隊員が乗り込んでいる。通り過ぎる街並みを眺めながら、ふと「カエデさん、ちゃんと帰れるかな……」と呟くと、隊員が小声で応じる。

「日向カエデ、ですね……。こちらも情報を集めています。なぜ彼女がこの学校を選んで転入してきたのかは、まだ不明ですが……真理追求の徒と深い関係があった可能性が高い。ただし、保護対象とみなすかどうかは上層部で議論中です。」
「保護対象……?」
「彼女が“生成者”の力を持つなら、天野さんと同等に重要人物になるでしょう。ですが、本人が協力を拒むようなら、強制的に連行するのは難しい。……要は、あなたとは状況が違うんです。」

ユキノは戸惑いながら、「そうなんだ……でも、もし彼女が本当に危険に晒されてるなら、助けてあげてほしい」と訴える。隊員は申し訳なさそうに言葉を選ぶ。

「理解します。ただ、日向カエデが真理追求の徒に戻る可能性も捨てきれない。裏切り者という話がありますが、逆に言えば二重スパイもあり得るんです。だから、軽々しく保護はできないという見解です。」
「そんな……カエデさんは、そんな人じゃないと思う……!」

ユキノが強い口調になるが、隊員は理性的に「まだ分かりませんから。エリスさんも同じ見解でしょう。くれぐれも注意してください。天野さんが利用される可能性もある」と警告する。その言葉が胸に刺さり、ユキノは何も言えずに唇をかみしめる。
(そんなわけない……カエデさんは私と同じように苦しんでる。利用なんて、絶対に……。)

車がマンション前に止まり、ユキノは降りて建物の中へ向かう。玄関先で隊員が「明朝もお迎えに上がりますので……」と頭を下げ、ユキノは「はい……お願いします」と疲れた声で応じる。事件が多発しているため、監視体制はまだ続くらしい。
エレベーターで自室へ上がる途中、ユキノはカエデの姿を思い浮かべていた。クラスの中では柔らかい表情を見せ始め、ナナミと買い物の約束もするくらいに一歩踏み出している。そんな彼女が、タスクフォースの目には“不確定要素”としてしか映らない現実が悔しかった。


夕方、自室で宿題をしていると、スマホが振動する。画面を見るとエリスからの着信だ。急いで応答すると、エリスの声に焦りが混じっているのが分かる。

「ユキノ、いま大丈夫? 真理追求の徒の一部がまた動き出したって。カエデさんの居場所を探している可能性があるらしいわ……。タスクフォースから連絡が入ったの。」
「そんな……また? カエデさん、危ないんじゃ……。」
「ええ、私もそう思う。もし彼女が何かトラブルに巻き込まれたら大変だから、念のため彼女の家……って言っても、あまり情報がないのよね。どうしたらいいか……。」

エリスが悔しそうに唇を噛む様子が浮かぶ。ユキノも胸がざわつく。「私……何かできないかな……。先生、私が動いたら逆に危険かな……?」
エリスは少し黙り、「護衛が許可してくれるなら、一緒にカエデさんを探しに行くのもありかもね……でも、本人が嫌がる可能性もあるし……。」と慎重に言う。ユキノも逡巡する。先日カエデに力づくで保護を持ちかけたら嫌がられるかもしれない。だが、放っておくのはもっと危険だ。

(カエデさん、もう一度連絡が取れればいいんだけど……。LINEとか交換してないし……。)

意外な盲点だった。ユキノは思い返す。クラスメイト同士の連絡先は普通に交換するはずなのに、カエデは電話番号もSNSも公開していない。ナナミあたりが知っていれば、と考えたが、ナナミも昨日のやり取りでは「買い物に行こう」程度の雑談だけだった。実際に連絡手段を交換したかどうかは不明だ。
「うーん……じゃあ、明日、学校で会って話すしかないかな……。でも、その前に真理追求の徒が仕掛けてくる恐れもあるわね。」
「そうだね……。先生、もし何かあったらすぐ連絡してね。私……痛いけど、弓を使ってカエデさんを守りたい。」
エリスは苦笑しつつも「頼もしいわね。でも無茶はしないで。あなたが壊れたら本末転倒よ。」と注意を促す。ユキノは「うん、分かってる……」と答え、通話を切る。


夜になり、ユキノが窓の外を見つめる。マンションの部屋から遠くの街灯が点々と見え、ビルの明かりが浮かび上がっている。ところどころにタスクフォースの車が巡回しているのが見える。
(蒔苗……。あなたは本当にただ観てるだけ? 私たちが苦しむのを面白がっているわけじゃないはず……でも、何を考えてるの……。)

胸中で問いかけるが、返事があるわけもない。蒔苗の存在はユキノにとって不気味でもあり、頼もしさを期待できなくもない複雑な存在だ。もしかすると、蒔苗がカエデを観察している可能性もある。
(もし、蒔苗がカエデに接触したら……どうなるんだろう。想像つかないよ……。)

そんな考えが渦巻くが、疲労が限界に近づいている。昨日の屋上での軽い訓練も効いていて、体がだるい。ユキノはベッドに身体を沈め、「明日、またカエデさんに話そう……絶対、真理追求の徒に奪われるわけにはいかない……」と決意を固める。
痛みに耐えて日々を過ごす中でも、ユキノは“友達”としての思いを捨てられない。それが彼女の強さであり、弱さでもある。蒔苗が言う「壊れないでほしい」という言葉を、自分の耳に刻みながら、瞼を閉じる。


翌日。ユキノは学校へ向かい、護衛の隊員に「今日は用事があるかもしれないから、放課後まで少し待ってもらえますか」と伝える。詳しくは言わないが、ナナミがカエデを買い物に誘いたいという話を思い出し、可能なら合流してみたいのだ。
午前中の授業が終わり、昼食時にナナミが「カエデちゃん、今日、帰りに駅前の雑貨屋行かない?」と声をかける。ユキノも「私も行きたい!」と食い気味に言うと、カエデは少し気押された顔で「う……うん、いいけど……」と承諾する。内心ビクビクしているようにも見えるが、断りづらいだけではない雰囲気だ。

「やったー! じゃ、放課後に昇降口で集合ね!」
ナナミは嬉しそうに弁当をかき込みながら話を進める。ユキノも護衛に連絡を入れ、「ちょっと寄り道があるけど、ついてきてもいい?」と聞く。隊員は難しそうな顔をするが、「まあ、スケジュールを報告してくれれば……」としぶしぶ了承する。
午後の授業を終え、放課後。三人は昇降口で合流し、「いざ行こう!」と勢いよく下足に履き替える。カエデはまだ不安げな顔をしつつも、嬉しそうにも見える。その背後にはタスクフォースの隊員が距離を取ってついてきているが、ナナミはそれを見て「ユキノ、大変だねー」と苦笑する。ユキノは「うん……」と情けなさそうに肩をすくめる。

「じゃ、まずは雑貨屋寄って、駅前のスイーツ食べて……あ、カラオケとか行く? あ、でもユキノは難しいか……。」
ナナミが浮き浮きとプランを話すのを、ユキノは複雑な笑顔で受け止める。さすがに護衛がいるのでカラオケまで行くのはハードルが高い。カエデも「カラオケ……行ったことないけど、今日はちょっと……また今度」と恐縮している。

「そっか、じゃあスイーツまでにしとこうか。次の機会にカラオケね!」
ナナミの軽快な調子で方針が決まり、三人は学校を出る。タスクフォースの隊員が陰から警戒しているが、距離を保っているので、三人の女の子だけで放課後を楽しむように見える。
歩きながら雑談をしていると、カエデが少し驚いたように商店街の看板やショーウィンドウを眺め、「こんなに自由にお店を見て回るのは初めて……」と呟く。その言葉にナナミが「えっ、初めてなの!?」と驚くが、カエデは苦笑いでごまかす。


商店街を歩くうちに、人気のある雑貨屋に立ち寄る。カエデは物珍しそうに小物を手に取り、ナナミは「これかわいい!」「カエデちゃんに似合うかも!」とはしゃぐ。ユキノもお財布を取り出して、「カエデさん、これお揃いで買わない? ストラップとかさ……」と誘いかける。カエデは戸惑いつつも「お揃い……?」と興味を示す。

「なんか、クラスメイト同士でお揃いのものを持つって楽しいかなと思って……。無理ならいいけど。」
「……いいよ、じゃあこれ……。」

カエデが選んだのはシンプルな銀色のストラップ。ユキノも同じものを手に取り、「じゃあこれ買おう!」と笑顔を見せる。ナナミは「わ、私も買おうかな……あ、でも3人お揃いだと恥ずかしいかな?」と悩むが、結局「私も混ぜて!」と結論を出し、三人は同じストラップを購入する。
そんな小さな幸せを噛み締めながら店を出ると、商店街の通りで不意にぶつかりそうなほどスピードを出して走る男と衝突する。カエデが危うく転倒しかけ、ナナミが「きゃっ!」と悲鳴を上げる。

「危ない……!」

ユキノがカエデを支えようとするが、男は振り返らずに走り去る。その背中には黒っぽいフードが見え、「あれって……」と思わず声を出しそうになる。(あの黒ローブに似た衣装?)
タスクフォースの隊員が敏感に反応し、「どうした、天野さん、大丈夫か?」と駆け寄ってくる。ユキノは「今、変な男が……」と説明しかけるが、男の姿はもう見えない。周囲の人混みの中に紛れ、消えてしまった。

「大丈夫? カエデちゃん、痛くない?」
ナナミが心配そうに顔を近づける。カエデは頭を振り、「ううん、平気……でも……ちょっと嫌な感じ……。」と呟く。短い遭遇だったが、真理追求の徒の一人が偵察目的で近付いてきた可能性がある。
タスクフォースの隊員が通信機で指示を出し、「今の人物、真理追求の徒の残党かもしれない。捜索を……」と話している。周囲がざわつき始めたため、ユキノたちは急いで通りから離れ、近くの路地へ避難する形となる。せっかくの放課後デート(買い物)が台無しかもしれないとナナミは不満げだが、そこに危険がある以上仕方ない。


狭い路地に入り、隊員が「安全を確保するまで待機を」と声をかける。ナナミは「ええーっ、もう帰らなきゃなの……?」と不満顔。ユキノも申し訳なく思い、「ごめんね、せっかく楽しく買い物できそうだったのに……」と謝る。
カエデはそっと視線を下げて「私のせいじゃないけど、やっぱり私がいるとこうなるのかも……」とつぶやく。ユキノは「何言ってるの、私も狙われてるし……カエデさんのせいじゃないよ」と力強く否定する。ナナミも「うんうん、こんなのただの不運だよ。誰かが悪いとしたら、その変な男でしょ!」とサラリと言い放つ。
カエデは意外そうにナナミを見て、「……ありがとう」と少し微笑む。ナナミが「いいえー」と軽く言って、携帯を取り出す。「じゃ、とりあえずスイーツは次の機会かな……今日のお店、せっかく調べてきたのに……。」

ユキノもスマホをチェックすると、エリスからメッセージが届いている。『真理追求の徒のメンバーらしき男が商店街に現れたって報告があったわ。あなたたち、無事?』 とある。どうやらこちらの動きは既に把握されているようだ。ユキノは「大丈夫、何とか無事だよ」と返事し、三人で苦笑する形となる。
しばらくして、隊員が戻ってきて「もうこの場から離れたほうがいいです。車を呼びます。カエデさん……あなたも一緒に帰りますか?」と提案する。カエデは少し身を引くようにし、「いえ、私は自分で帰るから……すみません」と拒否する。

「……大丈夫? また危ない目に遭うかも……」
ユキノが心配そうに尋ねるが、カエデは静かに首を横に振り、「もし何かあったら自分の力で対処する。……ナナミさんはあなたの護衛の車で一緒に送ってもらったら?」と提案する。ナナミは「え? 私は別にいいよ。一人で帰れる」と軽く返すが、隊員は「念のため送らせてください」と強く勧める。

結局、ユキノとナナミはタスクフォースの車で帰宅し、カエデは一人で姿を消す形に。ユキノは申し訳なさそうに「ごめん、また今度ね……」と見送るが、カエデは「……ううん、こちらこそ。ありがとう。また学校で」と返す。
こうして、放課後の買い物計画は中断される形になり、三人での楽しい時間はわずかで終了する。しかし、この一件はまた少しだけカエデが周囲と打ち解け始めるきっかけにもなった。


夜、ユキノは帰宅した後、疲れ果ててベッドに倒れ込む。だが、眠りが浅く、悪夢を見る。カエデが真理追求の徒に捕まり、紫色のオーラが蝕まれていくような不吉なイメージ。その背後に、虹色の瞳を持つ蒔苗が冷静に立ち、何も言わずに見守っている――そんな夢だ。
はっと目を覚ますと深夜2時。外はしんと静まり返っているが、ユキノは胸騒ぎを抑えられず、スマホを手に取る。エリスにメッセージを送ろうか迷うが、深夜だし迷惑かもしれない。タスクフォースの護衛もこの時間は控えており、マンションの入り口で交代制の隊員が待っているだけだ。

(何か良くないことが起きそう……。カエデさん、大丈夫かな……。)

その不安が消えず、ユキノは窓を開けて夜風を吸い込む。街のビルにはわずかな灯りが残り、遠くには警備の車のライトが見える。真っ黒な空に月がかすかに浮かぶが、雲が覆い隠そうとしている。
そこでまた、ビルの屋上を一瞬横切る影を見かける。今回ははっきりと人影のように見えるが――すぐに視線を外した瞬間、消えてしまう。あれは蒔苗? それとも真理追求の徒の探り? いずれにせよ、ユキノが動ける状況ではない。
やむなく布団に戻り、朝を迎えるまで何度か目を覚ましつつ、うとうととしたまどろみの中で時間を過ごす。**“観測”“追跡”**が夜の街で繰り広げられているような、奇妙な感覚がユキノを包んだ。


翌日。学校が終わってからの放課後、ナナミが「部活の手伝いがあるから今日は一緒に帰れない」と言い出す。ユキノは「そっか、じゃあ私もタスクフォースの車があるし……」と言いかけたが、そこへカエデが「ねえ、天野さん。もしよかったら、一緒に……」と珍しく控えめな提案をしてくる。
「一緒に……帰る、ってこと?」
「うん。……昨日は途中でトラブルがあったし、今日は特に用事がないから。あなたも護衛がいるなら、かえって安心かもしれないわ。」

意外と積極的なカエデの様子にユキノは驚くが、嬉しそうに「いいよ、ぜひ一緒に帰ろう!」と答える。タスクフォース隊員へ連絡し、「カエデさんが一緒に帰るんだけど……」と申告すると、「今日は大丈夫ですよ。市内の警戒は続いてますが、一緒にいるほうがむしろ危険が少ない」と許可がおりる。
こうして二人で昇降口を出て、校門を出る。護衛の車が待っている場所まで歩きながら、何気ない会話を交わす。カエデは制服の上着に手を入れ、昨日買った銀色のストラップを見せて「これ、意外といいかも……なんだか落ち着く」と呟く。ユキノは「わかる、私も気に入ってる!」と笑顔を返す。

(こういう何気ない放課後の一幕……私には普通だけど、カエデさんにとっては新鮮なんだろうな。)

そう思うと、胸が温かくなる。このまま事件も起きず、平和に帰宅できればいいのに、と願わずにはいられない。だが、タスクフォースの車に乗る直前、嫌な空気が肌をかすめる感覚が走る――周囲の視線。
振り返ると、電柱の陰に人影が見えた気がする。黒いローブではなく、私服のようだが、その動きがまるでこちらを狙っているように感じられる。ユキノはカエデに小声で「今、誰か見た? あっちの電柱のあたり……」と問うが、カエデは「ううん、気づかなかった」と首を振る。

(私の勘違いかな……。でも、なんか嫌な感じがする……。)

タスクフォースの隊員が「乗りますか?」とドアを開ける。ユキノはまだ気にして周囲を見やるが、何もない。ただ風が吹き、夕陽がビルの谷間に沈んでいる。カエデは「じゃあお邪魔します」と恐る恐る車に乗る。これは初めての護衛車体験かもしれない。
ユキノも乗り込み、隊員がエンジンをかけて車が動き出す。背後に妙な気配を感じるが、確証もなく、どうすることもできない。とりあえず無事に帰れるならそれでいい……そんな思いを抱えながら発車を待つ。カエデは「こんな感じなんだね……」と少し緊張している様子。

「うん、いつもこんな感じで送られてるんだ。ごめんね、ちょっと窮屈かも……。」
「いいえ……逆に安心……かな。」


車が動き始め、夕闇の街を進む。後部座席でユキノとカエデが隣に座り、隊員が前方を監視している。ユキノはそっと声を落として、「カエデさん、タスクフォースって怖くない?」と尋ねる。カエデは苦い顔をしながら、窓の外を見つめる。

「正直……まだ信用はしてない。でも、あの人たちが一概に悪いわけじゃないのも分かる。あなたがそう証明してるから……。」
「私はね、最初は嫌だったよ。監視されてるって感じが強くて……でも、エリス先生が間に入ってくれて、少しずつ理解できるようになったの。」
「エリス……先生、か。彼女は確かに信用できそう。私も、もうちょっと話してみたいけど……やっぱり過去の経験が邪魔をするの……。」

カエデの瞳に揺れる不安が、暗い車内のライトに映えている。ユキノはそっと手を伸ばし、カエデの手に触れる。「私も、怖い経験をいっぱいしたよ。だから分かるつもり。でも、一人で抱えないでほしい。私と、先生と、ナナミやクラスのみんなだって、きっと力になってくれるから……。」

カエデは一瞬息を止め、やがて「……天野さんは、ほんとに不思議な人。どうしてそこまで他人を信じられるの?」と問いかける。ユキノは微笑み、「みんなに助けられたから。だから私も誰かを助けたいんだ」と答える。それは偽りなく彼女の本心だ。
しばし沈黙が落ち、車が信号で止まる。隊員が「周囲に怪しい人影はありませんね」とつぶやく声だけが聞こえる中、カエデは細い声で「ありがと……」とだけ言う。ユキノは優しく微笑んで「ううん、こちらこそ友達だもん」と返す。
そう――「友達」。ふと口にしたその言葉に、カエデの口元がわずかに緩む。まだ照れと警戒が混じっているが、彼女の表情が明らかに柔らかいことをユキノは見逃さなかった。


車がしばらく進み、マンション近くに差しかかる頃、隊員が急ブレーキを踏む。前方の道に何かが投げ込まれたようで、白い煙が路面を覆っているのが見える。「くっ……なんだこれ!」と隊員がハンドルを切り、車を止める形になる。
ユキノとカエデは「どうしたんですか?」と焦る。隊員は「何者かが妨害を……下がっててください」と車外に出ようとする。外を見ると、数名の黒い人影が微妙に動いているのがライトに照らされ、ぼんやり見える。白煙が邪魔をしてはっきりとは分からないが、真理追求の徒の残党かもしれない。

「まさか、ここで仕掛けてくるなんて……。」
カエデが眉を寄せて呟く。ユキノの胸は嫌な鼓動が早まる。痛みに耐えながら弓を使うかどうか迷う状況だ。隊員が通信機で応援を呼び、「敵意あり……! 天野さん、日向さん、車内で待機を!」と命じる。しかし、窓越しに見ると、相手はどうやらP-EMらしき薬品を使おうとしているようだ。

(車内にいたら逆に危ないかもしれない。……どうする?)

ユキノはカエデに視線を送ると、彼女は短く頷く。「私たちも戦いましょう。隊員さんだけでは対処しきれないかも……。」
「うん……やろう。」

二人は意を決して車から出る。隊員が「ダメだ、危険だ!」と止めるが、当の相手は既に真っ白なオーラを放ちながら何かを狙っている。遠距離から攻撃するにはユキノの弓が有効だろうし、近距離の制圧はカエデの刃が適している。
「天野さん、日向さん、絶対無茶しないで!」と隊員が叫ぶが、二人は構えを取る。ユキノは痛みを覚悟で射出機を胸に当てる。「カエデさん……やろう……!」
「うん……。私たちなら、止められるかも……!」


白煙が街灯を反射して視界が悪いが、男たちがオーラを形成しているのがぼんやり分かる。カエデが先陣を切り、紫の刃を生み出し、煙を払うように振りかざす。「そこ!」という掛け声と共にオーラが閃き、男の一人が声を上げて転倒する。その動きが見えたことで、隊員が警棒を手に近づいて制圧を試みる。
ユキノは続けて弓を形成し、痛みを押さえ込もうと歯を食いしばる。身体がビリビリと痺れ、「くっ……!」と呻くが、何とか弓の形を保つ。そこへ男の一人が走り寄ってきて、鋭い蹴りを放とうとしているのが見えた。

「ユキノ、危ない!」
カエデの声に反応してユキノが弓を盾のように掲げる。青白い光の弓が蹴りを受け止め、衝撃がユキノの腕をしびれさせるが、負けずに後退して距離を取る。
「カエデさん、ありがとう……こっちも矢を放つよ……!」
「うん、私が注意を引くから……!」

二人の連携がここで活きてくる。カエデが刃を振りながら男たちの意識をそちらに向け、その隙にユキノが短い矢を作り出す。痛みで視界がにじむが、集中力を総動員して狙う。
「うああっ……!」

ユキノの放つ青い矢が、一人の男のオーラを切り裂く形で命中する。悲鳴を上げて崩れ落ちる男。タスクフォース隊員がすかさず拘束にかかる。
周囲の白煙が風で少しずつ流れ、相手の数が3人ほどだったことが判明する。もう一人はカエデに刃で追い詰められ、最後の一人は隊員と揉み合いになっている模様。
カエデは視線だけでユキノに合図を送り、「このまま仕留める!」と踏み込み、紫のオーラを一閃させる。男は反撃しようと拳を振るが、カエデが巧みに刃を避けさせることでオーラを切り裂く。そのまま倒れ込み、隊員が勢いよく背後から押さえつける形になる。


白煙が晴れ、ライトが辺りを照らす。車道にはオーラの残骸のようなものが漂い、真理追求の徒の残党と思われる男たちが倒れている。隊員が通信機で「制圧完了しました!」と叫び、ユキノとカエデの姿を確認して駆け寄ってくる。「大丈夫か? 怪我はないか?」
ユキノは弓の具現を解除し、肩で息をしながら「大丈夫……痛いけど、傷はない……」と返す。カエデも刃を消して、膝に手をついて呼吸を整える。「ふう……。何なの、あいつら……しつこい……。」
隊員たちは容疑者を拘束しながら感嘆の声を漏らす。「二人とも見事な連携でした。あんな短時間で敵を制圧するなんて……すごい。」と口々に讃えるが、ユキノとカエデは苦笑して視線を交わす。

(このままタスクフォースに親近感を抱いてくれたら、カエデさんも保護を受け入れてくれるかな……でも、どうだろう。)

ユキノはそう考えながらカエデに目を向ける。カエデは隊員と目を合わせようとせず、そっぽを向いているが、さっきのような拒絶反応は薄れているように見える。

「あなたもありがとう。私一人だったら、もっと苦戦してた……。」
カエデがユキノに言葉をかける。その声には、仲間への感謝が混じっている。ユキノは「こっちこそ、カエデさんがいなかったら蹴りを防げなかったよ……」と笑顔を返す。
隊員がにこやかに二人を見つめ、「素晴らしいコンビですね。まるでフォーメーションを組んで練習したみたいだ。あなたたち、正式にタスクフォースの支援を受ける気は? エリスさんにも相談して……」と勧誘のような言葉を口にする。

「え……あ、私は先生の探偵事務所で……。」
ユキノが戸惑って言葉に詰まると、カエデは軽く首を横に振り、「私はいい……」と拒否する。隊員は「そ、そうですか……」と困ったように口ごもる。
一瞬、気まずい沈黙が流れた後、カエデは「私、もう帰る。天野さんは護衛で帰るんでしょ?」と話を打ち切るように話題を変える。ユキノは申し訳なく思いつつも「うん……じゃあ、また学校で……」と別れの挨拶をする。


結局、その夜も大きな被害が出る前に真理追求の徒の残党を退けることができた。ユキノは再び痛みでぐったりとしたままマンションへ戻り、「カエデさんが一緒に戦ってくれるのは心強いな……でも彼女を危険に巻き込んでるかも……」というモヤモヤを抱きながらベッドに潜り込む。
翌朝、教室に行くと、カエデが先に来ていて、「おはよう、天野さん」と一言かけてくる。今までほとんど口を開かなかった転入初日を思うと、信じられないくらいの進歩だ。ユキノは嬉しくて「おはよう、カエデさん」と返す。

「昨日は……ありがとう。あなたのおかげで助かったよ。」
「ああ……私こそ。何かあったときは、一緒に戦えるの、悪くないかも……。」

照れ混じりに視線をそらし合いながら、二人は笑い合う。ナナミが「わあ、何その仲良しの雰囲気! ずるい!」と冗談めかして突っ込んでくるが、ユキノもカエデもまんざらでもない顔をする。クラスメイトたちも「いいコンビになってきたよね」と噂するようになり、一時期孤立しかけていたカエデが自然にクラスへ馴染みつつある。
ユキノは心から思う。「もう彼女を一人にさせない。私が友達として支える――それが私の役目だ。」


放課後、ユキノが護衛の隊員とともに昇降口へ向かうと、スマホにエリスからのメッセージが届いていることに気づく。

エリス
「急ぎで話があるわ。放課後すぐに事務所に来てほしい。カエデさんのことと、蒔苗に関する情報が入ったの。」

蒔苗――例の観測者。最近ますます神出鬼没で、真理追求の徒も彼女を狙っているようだし、カエデとの関係はまだ未知数。ユキノは「わかった、今すぐ行く」と返信し、隊員に「これからエリス先生の探偵事務所へ向かう」と報告する。
「カエデさんも連れてく?」と隊員が尋ねるが、ユキノは迷う。カエデを誘ってもよいが、彼女がタスクフォースを敬遠していることを考えると、勝手に連れて行くのは厳しいかもしれない。とりあえず「一人で行きます」と答える。
昇降口を出ると、カエデがちょうど下足を履いていて、ユキノと遭遇する。「あれ、もう帰るの?」とカエデが尋ね、ユキノは「うん、先生に呼ばれたから……」と少し気まずそうに笑う。カエデはそれ以上聞かず、「そっか……気をつけてね」と微笑む。

(いつか、カエデさんを先生に紹介する日が来るのかな……。それが彼女のためになるなら、いいんだけど……。)

そう思いながら、ユキノは護衛の車に乗り、エリスの探偵事務所へ向かう。車中、戦闘続きの疲労が足に重くのしかかるが、カエデとの“友達の始まり”を感じる喜びが心を支えている。


探偵事務所へ到着し、エリスに会うと、彼女は深刻そうな顔で資料を広げていた。蒔苗に関する報告と、真理追求の徒が密かに進めている次なる計画――カエデもその計画の要となる可能性があるらしい。それを聞くのはこれからだ。
だが、ユキノの心には“確かな手応え”がある。カエデが友達としてクラスで笑い合い、放課後に一緒に買い物をする約束もできそうな状況まで来ている。もしそれを壊そうとする者がいるなら、自分は弓を持って戦う。痛みや恐怖に打ち勝ってでも守りたい日常があるのだ。
視線の先、エリスが資料をめくりながら苦い顔で「ユキノ、覚悟して。次の試練はもっと大きいかもしれないわ……」と告げる。ユキノは小さく深呼吸をして、「大丈夫、先生。私にはカエデさんやナナミ、いろんな仲間がいる。壊れないよ」と微笑む。その笑顔は以前よりも一段強さを増しているように見える。


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