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T.O.Dーちからと意思の代行者:EP9-1
EP9-1:パーティー開幕、エミリア&フィリオとして登場
館の大広間に、美しくも奇妙な調べが流れ始めた。
豪奢な装飾が施されたシャンデリアが天井から吊り下がり、無数の光を床に散らしている。石造りの壁には古い年代物のタペストリーが飾られ、その中に軍事的な意匠や紋章が織り込まれているのは、さすがクレメンテ老が主宰する「軍事的な意味、技術的な意味」のあるパーティーらしい。
すでに会場は大勢の客で賑わっており、貴族風の衣装をまとう男女、将校らしき軍服の集団、そして技術者らしき服を着込んだ人々が入り乱れて談笑している。給仕たちがワインや軽食を配り回り、軽やかな音楽がホールいっぱいに満ち、まるで華やかな舞踏会のごとき雰囲気を漂わせていた。
ところが、人々の視線はときおり入口近くの一角に集まり、ざわざわと耳打ちが交わされる。その視線の先にいたのが、リオン・マグナス……否、今宵は“エミリア”と名乗る令嬢姿のリオン。そして、フィリア・フィリス……こちらは少し仕立てを男装風にアレンジしており、“フィリオ”と名乗る形での出席を余儀なくされたのだ。
「……なんだ、この騒ぎは。もうみんな俺たちを見てやがる……」
“エミリア”として女装したリオンは、華やかなロングドレスをまとい、髪も軽くセットされて見違えるほどの美貌になっていた。頬にはわずかな赤みを帯び、表情は苦虫を噛み潰したような硬さを見せつつも、その姿は傍目には“絶世の美少女”に見えるのだから皮肉なものだ。
「落ち着いてください、リ……いえ、エミリアさん。周りの人が驚いているだけですよ。……ほんとに、すごくお綺麗ですし。」
“フィリオ”として男装仕立てのフィリアが囁く。彼女は短い上着とパンツスタイルを中心としたフォーマル姿であり、髪も軽くまとめられ、まるで若き執事か小姓のような風貌だ。声のトーンこそ柔らかいままだが、要所を男装風に調整しており、その結果、よく通る声と凛とした眼差しが不思議な魅力を醸している。
「それを言うなって……俺は本当に嫌なんだよ、こんな格好。恥ずかしくて死にそうだ……」
“エミリア”はたまらずうつむき加減に言うが、今さら逃げられない。会場の人々は興味津々で彼らに微笑みかけたり、挨拶を申し出たりと、次々と近づいてくるのだ。誰もまさか、この麗しい令嬢が本当は“死んだはずの男”だとは夢にも思わない。二人はクレメンテ老の“趣向”で、こうして正体を伏せたままパーティーを盛り上げるピエロ役にされているのだ。
「よお、エミリア嬢、フィリオくん! そこにおったか。さあ、こっちでみんなが待っておるぞ!」
陽気な声が響き、振り返ればクレメンテ老が杖をつきながら楽しそうに手招きしている。その隣には、天才科学者ハロルド・ベルセリオスがにやにやと笑みを浮かべ、「うふふ、いいじゃない、思った通り! リオンくん……じゃなくてエミリアちゃん、めちゃくちゃ似合ってるわ」とからかうように囁きかけてきた。
「……笑うな、ハロルド。これはお前たちに無理やり着せられたんだ……俺は絶対に忘れないからな、この恥辱……」
“エミリア”は小声で猛反発するが、ハロルドは悪びれず「だって面白いんだもん!」と子どもじみた返答。その後ろでクレメンテ老が「ほれ、わしの知り合いの軍将や技術者が揃っておるぞ。紹介してやるから、顔を出してくれんか?」と促す。
フィリア……もとい“フィリオ”は苦笑しながらリオンを見て、「仕方ないですね……行きましょう、エミリアさん」とささやく。お互いに最小限の改変で済ませるためには、ここであまり反発しても逆効果だからだ。運命調整者である以上、干渉は穏便に留めなければならない。
「ちっ……わかったよ。もう腹をくくるしかない……」
“エミリア”は観念した様子で、ドレスの裾をつまみながら歩き出す。美しい黒髪に飾りが施され、白く滑らかな手がドレスのレースを支えている姿は、まるで舞踏会の姫君そのもの。会場の貴族や技術屋、兵士たちが息を呑んで眺めるのも当然だ。
そうして一行は、会場の中央にある大理石の円形ステージ付近へと進む。赤い絨毯が敷かれた道を通り、周囲から注がれる好奇と称賛の眼差し。それを感じながら“エミリア”と“フィリオ”がそこへ足を踏み入れると、楽団の演奏がタイミング良く音量を上げ、まるで二人を祝福するかのようなメロディを奏で始めた。
「Ladies and Gentlemen!」
突然、司会役らしき人物が声を張り上げ、集まる客の注意を引く。「ただいまよりクレメンテ老の招きにより、特別な余興が始まります! 本日のスペシャルゲスト、“エミリア嬢”と“フィリオ卿”の登場でございます!」
場が大きく沸き立ち、拍手が広がる。リオンは心の中で毒づきながらも、微妙に微笑みを作るしかない。フィリアはそっとリオンの腕を取り、“フィリオ”としてやや低めの声で「エミリア、手を取ってください。舞台へご一緒に……」と促す。
これにはリオンも動揺を隠せないが、仕方なくそれに従う。こうして、嫌々ながら二人は華やかなスポットライトのもとへ招き上げられた。
「さあ、さあ、皆さん、このように美しいお二人がパーティーを彩ってくださる! クレメンテ老が特別にお呼びした“興味深いお客”とのことで……」
司会が盛り上げるように紹介しているが、その最中、クレメンテ老は満足げに笑い、ハロルドは得意げな表情で頷いている。何も知らない客たちは、「なんという麗しい令嬢と騎士なのだろう」「とても似合っているわ!」と囁き合い、拍手を送っていた。
「……完全に、見世物だな……」
“エミリア”としてのリオンは、こぼれそうな声をなんとか抑える。フィリアの隣を見ると、彼女も緊張しながら苦笑を浮かべ、静かに励ますように微笑んでいる。
そんな中、クレメンテ老がステージに杖をついて上がり、会場の客へ向かって語り始めた。
「諸君、楽しんでいるかな? わしが長年築いてきた技術と軍事の絆を祝うこのパーティー、今宵はさらに特別な催しを準備した。まずは、この“エミリア嬢”と“フィリオ卿”に一礼してもらいたい。なにせ、とびきりの“面白い”二人じゃからの!」
客席から笑いとどよめきが起こる。リオンは内心で「面白いはやめろ」と思うが、歯を食いしばってこらえ、フィリアと共に軽く頭を下げる。
続けて老将は「聞けば、エミリア嬢はどこぞの名家のお嬢さまだが、旅をしているとのこと。フィリオ卿はその“執事”か“護衛”のような存在らしい。まぁ、深い事情は詮索しない。だが、二人とも大変気立てが良いそうでな、今宵の催しに彩りを添えてくれるであろう!」と熱弁を振るう。
客たちはさらに興味津々で二人を見やり、「旅をする貴族の令嬢と執事……変わった組み合わせだ」「美しい……こんなにも麗しい姫がこの町に……」など、勝手な憶測を囁き合っている。フィリアはまっすぐ立ち、礼をするたびに、やや男性的な抑えたジェスチャーを見せているのが微妙に微笑ましいが、リオンは心底嫌がる気持ちを隠せない。
ステージ上から見下ろす客席は色とりどり。軍服の男たちが鋭い目で観察したり、貴婦人が競うようにドレスを着飾っていたり、まさに玉石混淆の社交場といった様相だ。リオンが感じる嫌悪感と苦々しさを、フィリアの横にいる安心感がやっと和らげている。
「リオンさん……大丈夫ですか?」
“フィリオ”の服装をしたフィリアが、そっと囁く。声は小さいが、その響きには一緒に頑張ろうという意志が宿っている。リオンは視線を交わし、「ああ、まぁ、仕方ねえな……」と同意を示す。
嫌がっても運命は止まらない。ここで改変を小さく留めるには、一連の茶番に乗っておくほうが賢明だ。クレメンテ老とハロルドがさらに何かを企んでいたとしても、今は大人しくしているのが最良だろう。
「さあ、各々方、今宵はわしの“趣向”として、少し“仮装”を楽しんでみようというわけじゃよ! このエミリア嬢とフィリオ卿もその一環じゃ。着飾って楽しむも良し、踊るも良し、軍事的な討論をするも良し。どうか余興として、思う存分に笑いと驚きを味わっていってほしい!」
クレメンテ老の言葉に合わせるように、楽団が曲調を変え、華やかなワルツのリズムが流れ始めた。次の瞬間、場内の客たちが次々に舞台の上ではなくホールの中心部に集まり、ダンスを始める人、楽器を持ち込む人、笑いを交えて議論を始める人、さまざまに行動を展開する。
リオンはその場の活気に面食らい、フィリアと向き合う形で取り残されたように立ちつくす。「……踊る、とか言われてもな……」
フィリアは苦笑して、「わたしも、踊りは得意ではありませんが……少しでも場に溶け込むためには、試しに軽くワルツを合わせてみる?」と提案する。
「また厄介ごとか……でも、このまま硬直してるのも不自然だし……仕方ない。やるか……」
リオンはさらに沈んだ面持ちで、ドレスの裾を蹴飛ばさないよう気をつけながらフィリアの手を取った。こうなったら腹をくくるしかない――死者の身である自分が、女装のままワルツを踊るというあり得ない状況に呆れつつも、改変率を大きくせず穏便に乗り越えるためには、あまり抵抗せずに振る舞うほうが賢明だ。
実際に踊り始めると、周囲の客から一段と大きな拍手が起こる。どうやら、まさか令嬢風の人間が男性役の“執事”とワルツを踊る図式はかなりのインパクトを与えているようだ。リオンは内心で「こんなの、完全にネタだろ……」と呟きながらも、仕方なくステップを踏む。フィリアは男装らしく、控えめにリードを試みる。
「……リオンさん……ちょっと足、踏まないでください……」
「悪い……慣れてねぇんだ、こんな踊り……くそ、もういい、こうしてやれ……」
小声で衝突を交わしつつも、何とか形を保つ二人。周囲の人々はそれを「はは、ぎこちないが微笑ましい」と温かく見守り、大きく笑いながら拍手をくれる。ロマンスのような雰囲気に見えるから不思議だ。リオンとしては嫌がるどころの騒ぎではなく、しっかり羞恥で目が潤んでいるが、当人の意志とは裏腹に、これがまた“美しい令嬢”の照れに見えてしまうという事実が、拍車をかけている。
「うわぁっ……もう、うまくステップ踏めない……フィリア……支えてくれ……」
「だ、大丈夫……わたしも慣れてないから……今はもう、やけですよ……」
二人は必死で踊るが、結果的には滑稽な姿にならざるを得ない。しかし、周囲の客にはまるで初々しい貴族の令嬢と青年騎士が緊張しながら踊っていると映るからたまらない。ますます拍手や歓声が広がり、会場の熱気が一段と高まっていく。
こうして、「エミリア&フィリオ」という仮の姿で登場した二人は、クレメンテ老とハロルドが仕組んだ茶番の中心に立たされ、嫌々ながらもパーティーの開幕を盛り上げてしまう形となる。リオンが心底「嫌だ嫌だ」と思っている姿など露知らず、客たちからは絶賛と興味の視線が注がれる。
それこそが老将クレメンテの狙いか、あるいはハロルドの思惑なのかもしれない。しかし、リオンとフィリアは死者の秘密を守りつつ、干渉を最小限に抑えるために敢えて乗るしかない。嫌がるリオンは半ば諦めて、ドレス姿で踊るしかないのだ。
「くそっ……どうして、こんな……」
リオンのつぶやきは弦楽の音にかき消される。フィリアは痛々しい気持ちで隣を見やり、「リオンさん……あと少し頑張りましょうね。見られているだけで、変に動けば大きな改変が起きかねませんし……」と小さく励ます。
「わかってる……」
リオンの声には苦悩がにじんでいるが、最早抵抗は諦めの域だ。周囲が拍手を鳴らし、「おお、なんと優美な二人だ」「あの執事もなかなかの器量だね」などと盛り上がる。これが死後の自分の姿だというギャップを思うと、本人は消え入りたい気分になるが、どうにもならない。
そんな中、クレメンテ老が舞台の上でマイクらしきものを手にし、さらに声を張り上げた。「さあ、諸君、これでパーティーは本格的に開幕じゃ! この後は各自、好きに楽しんでくれ。エミリア嬢とフィリオ卿にも、どんどん声をかけてかまわんぞ。ふははは!」
活気づく会場。リオンが多少踊っただけでもう脚が限界で、ステップを崩しそうになるたびフィリアが何とか支えてくれる。だが、その二人の姿は周囲から“仲睦まじい貴族の組み合わせ”として映っているようだ。無数の視線を浴び、嫌がるリオンは顔を伏せつつも、ぎこちなく笑みを作って応じるしかなかった。
“エミリア&フィリオ”がこの夜、どんな騒動を引き起こし、何を目撃し、どう影響を与えるのか――それはまだわからない。ハロルドがじっと面白がりそうな気配を見せ、クレメンテ老も何やら余計なちょっかいをかけてきそうな雰囲気がある。
ただ、死者であるリオンにとって、この瞬間はあまりに屈辱的であり、同時に皮肉な喜劇でもあった。嫌がりながら、誰よりも華やかな注目を集めてしまう姿。フィリアも同じく、慣れない男装に赤面しながら、視線を泳がせている。
しかし、二人は覚悟している――ここでパーティーに参加するのが、運命改変を防ぐために最も穏便な道なのだ。嫌がるリオンがドレス姿で踊る姿は、一夜の笑い話で済むだろうし、それで世界が救われるなら安い代償ともいえる。
「はあ……この先、何が起きるんだか……」
リオンはワルツの中、フィリアの肩越しに会場の客を見渡す。彼らの笑顔の裏に、軍事的な思惑や技術的な駆け引きがあるのかもしれないし、フォルトゥナの端末が紛れている可能性もゼロではない。あらゆる脅威を想定しつつ、嫌がるリオンは諦めの境地で、ドレス姿を揺らしながらパーティー開幕を迎える。
そう、これが“エミリア&フィリオ”としての初舞台。運命調整者ゆえの苦難と笑いが交錯する夜の始まりだった。やがて曲が終わり、二人に大きな拍手が浴びせられる。リオンは虚ろな目で微笑みを作り、「……終わったか……」と呟くが、周囲がさらにアンコールを求める声を上げ始めていることに気づき、顔を青ざめさせる。
「エミリアさま、もう一曲いかがでしょう!」
「フィリオ卿、ぜひ次はタンゴでも!」
客たちの声が重なり、リオンはますます嫌な汗をかく。フィリアは「ど、どうしましょう……」と焦るが、クレメンテ老が「さすがに酷かもしれんな。少し休憩させてやれ、諸君」と笑いながら止めに入ってくれた。リオンは深いため息をつき、少しだけ助かった気分になる。
こうしてパーティーの序盤は、嫌がるリオンが女装ドレスの“エミリア”として、フィリアが男装の“フィリオ”として華々しく登場する波乱の幕開けとなった。まだまだ夜は長いが、二人はひとまず視線の檻から逃れるようにホールの隅へ移動し、息をつく。
「……もう、勘弁してくれ……。俺は死んでるはずなのに、女装で踊るってどんな因果なんだか……」
フィリアは申し訳なさそうに、「ごめんなさい、リオンさん……。でも、大きなトラブルなく開幕をやり過ごせたのは、成果かと……」と小声で慰める。リオンは渋い顔でうなずき、「そうだな……これくらいで済んだなら、まだマシだ……」と諦めたようにつぶやく。
華やかなメロディが流れる中、エミリア&フィリオの活躍(?)でパーティーは本格的に熱を帯び始める。運命改変を最小限に抑えつつ、この場を乗り切るには、まだまだ苦労が続きそうだ。嫌がるリオンが諦めて受け入れた女装生活が、いったいどんな波瀾を呼ぶのか――その答えは、誰もが予測不能な夜の闇の奥に潜んでいる。
とはいえ、死者としての矛盾を耐え抜き、干渉を最小限に留めながら微笑を作るリオンの姿は、会場中の注目を一身に集め続けていたのだった。これが運命調整者としての苦役なのだろう。もう逃げ道はなく、ただひたすら夜のパーティーが終わるまで“エミリア”と“フィリオ”に徹するしかない。