Symphony No. 9 :EP3-3
エピソード3-3:石の魔獣との戦い
オート侯家の城下から半日ほど馬車を走らせた先、かつては小麦や野菜を盛んに栽培していた農村があった。しかし、近年の戦乱と天候不順によってその村は疲弊し、人口も激減しているという。そこに、さらに恐ろしい噂が広まっていた。「石の魔獣」なる怪物が突然出現し、畑を踏み荒らし、人々の住む家を襲撃しているというのだ。
その報せが城へ届いたのは、ヌヴィエムが「初めてのライブ」を成功させてから数日後のこと。村から逃げ帰ってきたという男が、血相を変えて門番に訴えた。
門番が半信半疑で報告を上げると、ヌヴィエムやエレノア、ユリウス、さらに護衛兵たちが集まり、詳しい事情を聴いた。男の話は怯えと混乱に満ちていたが、要約すると以下のような内容だった。
村の近くの古い採石場跡から、突然“石の体を持つ怪物”が出現。
夜半に村へ近づき、家を壊しては食料や家畜を荒らし、村人を襲う。
弓や槍で攻撃を試みたが、硬い岩の外皮に阻まれ傷一つつけられない。
村人たちは恐怖に駆られ、村を捨てるか、どこかに助けを求めるしかない状況。
ヌヴィエムは眉をひそめ、エレノアと顔を見合わせた。
ユリウスは「姉上、僕も一緒に行きます!」と熱い眼差しで告げる。ネーベルスタンも軍務の都合で離れられないのは先日と同じだが、彼はヌヴィエムたちに「できる限り村を守れ」と背中を押してくれた。
こうして、ヌヴィエム一行は再び馬車と少数の兵を引き連れ、荒れ果てた村を救うために出発することになった。
翌朝早く、ヌヴィエム、エレノア、ユリウス、そして護衛兵十数名が馬車で城を出発する。行き先は、石の魔獣が出没しているという農村だ。道中の空気は不穏そのもので、遠くの山には黒い雲が垂れ込めていた。
馬車を走らせながら、ヌヴィエムは地図を広げ、エレノアと作戦を話し合う。
エレノアは薄く唇を結び、「何か弱点があるはず」と呟く。クヴェルの影響による怪物ならば、古代の文献に手がかりがあるかもしれないが、時間がない。とにかく現場へ向かい、実際に対面してから判断するしかない。
午後になり、道中の民家や畑が少なくなってきた頃、馬車が大きく揺れた。轍(わだち)の乱れが激しく、荒廃した土地が広がっている。田畑と思われる区画は雑草だらけで、廃屋が点在していた。
少し進むと、廃屋の扉が壊され、屋根が崩れている家も見つかった。まるで大きな衝撃で押しつぶされたかのようだ。そこに、人の気配を感じ取ったエレノアが声をかけると、やせ細った老人が物陰から顔を出した。
ヌヴィエムが馬車を降り、老人に駆け寄る。近づくと、老人は震えながら事情を語り始める。どうやら石の魔獣が村の中心で暴れ、わずかに残っていた作物や家畜を踏み潰し、抵抗した村人を次々に襲ったという。
怯えきった様子の老人を安全な場所へ移すため、護衛兵の一部が同行することになった。ヌヴィエムは拳を握り、「この先にある村の中心で、まだ人が助けを待っているかもしれない。急ぎましょう」と決意を示す。
村へと続く道は、もはや荒れ果てた大地と化していた。傾いた納屋、砕けた石造りの塀、そして倒れた井戸の柱が目に飛び込む。至るところに巨大な足跡のような凹みがあり、そこには土や小石が押しつぶされてめり込んでいる。
ヌヴィエムたちは馬車を村の外れに止め、徒歩で中心部へ向かう。戦闘があるかもしれないと考え、護衛兵が前を警戒する。ユリウスは剣の柄を握りしめ、エレノアは幻術用のロッドを持ち、ヌヴィエムは音術装置を準備している。
やがて、半壊した役場らしき建物の前に出ると、そこに数名の村人が集まり、怯えながらなにか話し合っていた。彼らはヌヴィエムたちの姿を見ると、驚いた様子で駆け寄ってくる。
村人たちは顔を見合わせ、一人が恐る恐る指さす。
エレノアが地図を確認し、ユリウスと視線を交わす。採石場跡は石の魔獣にとって“巣”のようなものかもしれない。ヌヴィエムは唇を引き結び、「とにかくそこへ行こう。まだ生き残っている人がいるかもしれない」と意を固める。
村人の一部は恐怖から付いて来られないが、若い男が「僕も行きます」と言って同行を申し出た。家族や仲間が行方不明で、どうしても諦められないのだという。
荒れ果てた道をさらに進むと、地面が岩だらけの傾斜に変わり、採石場の跡地へと足を踏み入れる。そこは、かつて大量の石材を切り出した大きな穴がぽっかり開いており、周囲の岩壁には削り跡や放置された道具が散乱していた。
岩壁の上部から光が差し込み、地表近くは薄暗い。風が吹くと砂埃が舞い上がり、視界がさらに悪化する。そこかしこに巨大な足跡が残り、石が砕け散った痕跡が生々しく残されていた。
と、そのとき、遠くで鈍い衝撃音がした。地面が微かに震え、護衛兵たちが身構える。しばらく静寂が訪れた後、再度、ゴゴゴ……という地鳴りのような音が響く。
護衛兵が隊列を整え、周囲を警戒する。エレノアは幻術の準備をしつつ、周囲の岩陰を探る。ユリウスは剣を引き抜き、ヌヴィエムは音術装置をスイッチオンにして戦闘モードの波形を微弱に整える。先日のライブや酒場での“歌”とは違う、怪物や敵を攪乱するための音術を引き出す準備だ。
突然、岩壁の向こうから土煙が舞い上がり、巨大な影がゆっくりと姿を現した。全身がゴツゴツとした岩石で覆われ、体高は人の三倍以上。四肢は太く、腕の先は槌(つち)のように肥大化し、足元はまるで柱のように頑丈そうだ。
その頭部には裂け目のような凹凸があり、まるで顔面を持つが如く存在感を放っている。
魔獣は低い唸り声を上げ、岩盤を踏みしめるたびに地面が震える。背中には鋭く尖った岩片が生えており、まるで鎧をまとったような様相だ。
護衛兵が「攻撃を開始しますか?」とヌヴィエムに問うが、彼女は一瞬思案する。迂闊に攻撃しても弓や剣が通じるかわからないし、まずは相手の動きを見極める必要がある。
エレノアが静かに幻術を放ち、魔獣の頭部に揺らめく光の蝶を飛ばそうとする。しかし、魔獣は一瞬頭を振るだけで、その蝶を砕くようにかき消してしまった。意識があるのかどうか定かでないが、少なくとも簡単な幻術には動じないようだ。
次の瞬間、魔獣がこちらを発見したかのように、岩の拳を振り上げて地面を叩きつける。衝撃波が走り、護衛兵たちがバランスを崩して倒れそうになる。
轟音が響き渡り、地割れのような亀裂が走る。大きな岩片が飛び散り、周囲に砂ぼこりが巻き上がる。ヌヴィエムは思わず音術を使い、兵たちに「落ち着いて!」と声を響かせようとする。士気を保ち、パニックにならないようにするためだ。
護衛兵が合図で弓隊を展開し、魔獣の正面へ矢を射かける。しかし、岩の外皮に当たった矢は粉々に砕け散り、全くダメージになっていない様子。
エレノアが火術を放つが、表面をわずかに焦がした程度で、魔獣はまるで痛みを感じないかのようにのしかかってくる。
数名の兵士が側面から駆け寄り、岩の脚部を斬りつけようとするが、その硬度は並外れており、火花を散らして剣が弾かれる。逆に魔獣が大きく足を振り上げれば、その衝撃だけで兵士が吹き飛ばされる危険がある。
ユリウスも腰を落とし、剣を握って突進のタイミングを見計らう。しかし、大きさも硬さも規格外の相手に、どう立ち向かえばいいのか焦りが募る。
ヌヴィエムは、兵の混乱を鎮めるために音術で「戦場のリズム」を作ろうと試みる。歌というよりも、リズミカルな掛け声と振動を重ね、兵士たちの動きを同期させる戦術だ。
音術のリズムが護衛兵の耳を打ち、彼らは自然と足さばきや呼吸を合わせ、連携しやすくなる。これによって無駄な動きが減り、魔獣の攻撃を回避しやすくなるだろう。
突如、魔獣が不気味なうめき声を上げ、背中の突起がボロボロと剥がれ落ちた。すると、その岩片が地面で砕け、数十個の小さな石塊に分裂して宙を飛び始める。まるで魔獣が“意志を持って”周囲の岩を操っているかのようだ。
ゴツゴツした岩弾が高速で兵士たちに襲いかかり、盾を構えた数名が衝撃を受けて弾き飛ばされる。金属が砕ける音と悲鳴が重なり、瞬く間に戦場が混沌に陥る。
悲鳴を上げて倒れる兵士に、ユリウスや他の兵が駆け寄るが、次々と飛んでくる岩弾を防ぐのが精一杯。ヌヴィエムは必死で音術を響かせ、兵の意識を保たせようとするが、状況は悪化の一途をたどる。
歯を食いしばるヌヴィエム。火術も剣も効きそうにない。音術で動きを止められるほど、相手が“心”を持っているようにも感じられない。
しかし、彼女は気づく。魔獣の動きは多少だが、音術の振動に対してわずかに反応を見せている。戦場のリズムがはっきり響くとき、魔獣がその大きな岩の頭を振るような仕草をするのだ。
戦闘が激しくなる中、エレノアとユリウス、護衛兵の隊長らがヌヴィエムのもとへ近づき、暫定的に作戦を再検討する。
火や剣が効かない以上、他の方法を考えねばならない。ヌヴィエムは先ほど感じた「音波への反応」に注目し、音術をさらに深く使うことを提案する。
護衛兵の隊長が「具体的にはどうするのですか?」と尋ねると、ヌヴィエムは音術装置の調整モードを示す。
通常の“戦場のリズム”や“歌”とは違う特定の周波数を出し、魔獣の装甲に共鳴を引き起こす。時間はかかるかもしれないが、弱点を探る一つの道筋となるだろう。
作戦が決まると、エレノアは再び火術の光を放ち、魔獣の目を引く。ユリウスや護衛兵は正面から突撃するフリをしてギリギリで回避し、魔獣の攻撃をそちらに向ける形で誘導する。
一方、ヌヴィエムは少し離れた岩陰に身を隠し、音術装置を地面に据えて周波数を調整。深く息を吸い込む。
低くうねるような音が、大地を伝わり始める。まるで大太鼓のような振動が周囲の空気に浸透し、耳では捉えにくい低周波が魔獣の足元を揺らす。
しばらくすると、魔獣がわずかに動きを止め、首をかしげるような仕草を見せた。岩弾の放出が途切れ、エレノアたちが「チャンス!」と叫ぶ。だが、それはほんの一瞬で、すぐに魔獣は再び岩の腕を振り下ろし、ユリウスたちを攻撃しようとする。
エレノアの声に応えて、ヌヴィエムは装置の出力を上げる。辛うじて自分が耐えられる範囲ギリギリの低周波を放つと、大地が軽く振動し、魔獣の岩肌にわずかな亀裂が走り始めたかに見える。
しかし、音波を強めるほど、ヌヴィエム自身にも反動が来る。耳鳴りと頭痛がし、体内が揺さぶられるような不快感を堪える必要がある。
まるで自分の歌が自分の身体をも蝕むかのような感覚に耐えながら、彼女は必死に装置を操り続ける。
魔獣は苦しげに唸り声を上げる。体表には確かに小さな亀裂が入り始めているが、完全に動きを止めるには至らない。逆に怒りが増したのか、石の拳を高々と振りかぶり、地面を何度も叩きつけて振動を相殺しようとするように見える。
衝撃波が繰り返され、岩盤が崩壊を起こし始める。何人かの護衛兵が地割れに巻き込まれそうになり、必死に這い上がる。エレノアが火術や幻術を駆使して牽制しようとするが、魔獣の動きはますます激しくなる。
大きく腕を振り上げた魔獣が、今度はエレノアたちがいる方向に向けて岩弾を連射してきた。巨大な石塊が何個も飛んできて、爆撃のように地面を抉る。エレノアは幻術で視覚をずらし一部を回避するが、間に合わず爆発的な破片を受けた護衛兵が悲鳴を上げて倒れる。
ヌヴィエムは震える指で装置を操作し、さらに出力を上げる。頭痛と吐き気に襲われながらも、音術の周波数を魔獣の内部に届けるイメージを強く抱く。
すると、魔獣の胸部付近に、はっきりと亀裂が走っているのが視界に入った。ヌヴィエムはそこを集中狙いするべく、微妙に周波数を調整。周囲の岩肌が次々に振動し、粉を吹くように崩れ始める。
魔獣はとうとう大きな咆哮を上げて怯んだ。その胸部の亀裂が広がり、小さな岩の破片が剥がれ落ちるのが確認できる。ユリウスはその瞬間を逃さず、剣を握りしめて一気に距離を詰める。
自分でも勝てるかどうか半信半疑だが、“守るための剣”を信じる彼は、このチャンスを逃すわけにはいかない。
彼は魔獣の脇腹に回り込み、亀裂に向けて渾身の斬撃を放つ。金属が岩と激突する衝撃が走り、剣が折れそうな抵抗がユリウスの腕を襲う。しかし、低周波で脆くなった部分を確実に捉えたのか、ゴリゴリと嫌な感触を伴いながら石の装甲が砕ける音が響いた。
魔獣が大きくのけぞり、胸部から破片を撒き散らす。そこには不思議な光を帯びたコアのような結晶が埋まっているのが見えた。まるで生体の心臓のように微かに脈打ち、岩石の体を動かしているようだ。
ユリウスは剣が食い込んだ胸部からさらに力を込めてコアを狙うが、魔獣が最後の力を振り絞って反撃しようとする。巨大な腕が振り下ろされ、彼を叩き潰さんと迫る瞬間――
ヌヴィエムは思わず叫び、音術で一瞬でも魔獣の動きを鈍らせようと周波数を変化させる。エレノアも火球を放ち、視界を奪うように閃光を起こす。
そのほんの僅かな隙に、ユリウスは剣をさらに押し込み、岩のコアを砕く一撃を放った。
甲高い破裂音が響き、コアが真っ二つに砕け散る。魔獣の体がガタリと揺れ、動きを止めると、そのままドサリと地面に崩れ落ちた。岩石の巨体が粉々に砕け、土埃を巻き上げながら形を失う。
とどめの瞬間を見届けたヌヴィエムとエレノア、護衛兵たちは息を呑んで静かに立ち尽くす。長かった戦いがようやく終わったのだ。
崩れ落ちた魔獣の残骸からは、微かな光が消え失せていく。そこに特異なクヴェルの力があったのかどうか、詳細は定かではないが、少なくとも村を脅かしていた怪物は倒された。
しかし、周囲を見渡すと被害は甚大だ。倒れた兵士や負傷者が多く、岩盤の崩落で負傷した者もいた。ユリウス自身も腕や肩に裂傷を負い、呼吸を乱しながら膝をついている。
エレノアが駆け寄り、魔術で応急処置を施す。護衛兵も怪我人の救護を始め、使える包帯や薬をかき集める。ヌヴィエムは頭の痛みを抑えながら、音術装置を切り、彼らを助けようと動き始めた。
彼女はふらつく足取りで岩陰を探し、行方不明の村人や傷ついた人がいないか確認する。ほどなくして、崩壊した採石場の奥に閉じ込められていた村人や家畜を発見し、護衛兵と協力して救出に当たる。
その日の夕刻、採石場跡の戦闘が終わり、魔獣の残骸が風に吹かれてただの岩石の山となっている。村人たちの一部は戻ってきて、ヌヴィエムたちに涙ながらに感謝の言葉を伝える。
エレノアや護衛兵も負傷者の救護を続け、ユリウスは肩を包帯で固定しながら復旧作業を手伝っている。魔獣を倒したからといって、すぐに村が元通りになるわけではないが、大きな脅威は去ったのだ。
ヌヴィエムは心身の疲れを感じつつも、村人の笑顔を見ると少しだけ力が湧いてくる。
石の魔獣との戦いで、彼女は改めて痛感する。戦いと音は相反するもののようでいて、どちらも「人を導き、守るための手段」になり得るのだ。そもそも音術は戦術にも活かされるし、人々の心をつなぐ歌にもなる。
翌日、ヌヴィエム一行は村の有志たちと協力し、倒壊した建物の簡単な修繕や物資の分配を行った。石の魔獣が落としたコアの欠片は、不思議なクヴェルの気配を持っていたが、今は分析している時間がない。とりあえず護衛兵が保管し、城へ持ち帰って調査することにする。
村人たちは深い感謝とともに、ヌヴィエムらを見送る。ユリウスは腕を痛めながらも、「いつか再び訪れるから、そのときはもっと立派な村にしておいてほしい」と笑顔を向け、村の若者たちは力強い握手で応える。
馬車に乗り込み、帰路につく彼ら。エレノアがふと窓の外を見ながら呟く。
ユリウスもうなずき、「僕も、守るための剣を振るい続けるよ」と微笑む。
石の魔獣との過酷な戦いを終えた彼らは、また一つ力を得たと同時に、さらなる脅威が潜んでいることを思い知らされる。そんな予感を抱えながらも、馬車は夕陽に染まる道を進む。
数日後、城に戻ったヌヴィエムは石の魔獣のコアの欠片を研究班に預けると同時に、荒れ果てた村への支援策を練り始めた。領地の財政は厳しいが、少しでも復興に協力することで、人々が安全に暮らせる環境を取り戻せるようにしたいのだ。
一方、彼女の“アイドル活動”も止まることはなかった。石の魔獣との戦いで疲れた心を癒すために、ヌヴィエムは城下町で小規模なライブを開き、村や兵士たちの無事を祈る歌を披露する。その歌声は戦いに挑むときとは違う、優しさと再生のメロディを宿していた。
“戦わずに済む未来”を目指しながらも、戦わねばならない現実がある。ヌヴィエムはその両面を抱えつつ、歩みを止めない。歌と剣、平和と戦い――その狭間で成長し続ける彼女の物語は、まだ始まったばかりだ。