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青いビーチサンダルと花火をかすめた流れ星

 43号線の長い坂を下ると、海岸線が見えてくる。サンルーフをあけると、透き通った風が頬を通り抜ける。
 長く長く続く砂浜。今日は波が良くないのか、地元のサーファーも見当たらない。「月刊 釣り人」に載っていそうな、赤銅色に焼けた麦わら帽子のお爺さんがいるだけだ。
 漁師小屋で、サザエを焼いているのだろうか,潮の香りが漂ってくる。あの日の別荘は、この先の交差点を右折した小高い丘の上に建っていた。

 あの日。
 よく晴れた青い空と穏やかな波。海鳥が空高く飛んでいた。
「ちょっと海で遊んで行きましょうよ」
助手席で彼女が提案する。
波打ち際で子どものように遊ぶ彼女は,スラっとした佇まいに、凛とした涼しげな瞼。細い脚に、青いビーチサンダルが似合っていた。

「一緒に遊びましょうよ」
「でもビーチサンダルないから」
「裸足でいいでしょ」
彼女は履いていたビーチサンダルを脱ぎ,砂浜を歩く。
私も裸足になって波打ち際へ。冷たい水が心地よい。

 その一週間ほど前。
ある雑誌の覆面座談会があった。この「覆面座談会シリーズ」は、新しい企画で、「広告代理店入社1年目の新人に聞く!」で、私に声がかかったのだ。同期仲間から誘われたのだった。青田刈り採用の同期には、一芸に秀でたヤツ、変わったヤツが多くて面白かった。それで誘いに乗った。
 彼女は、神保町にある大手出版社で、女性誌の契約社員。「イケメン・グランプリ」と、「新社会人カップルコーデ」のコーナーを担当していた。
 座談会は1時間ほどで終わり、アンケートを記入する。カメラマンと話している彼女は、いかにも”編集者”という空気を着ているようだった。私にむかって歩いてくる時、長いストレートの髪に、キリっとした表情は、精悍な雰囲気さえあった。
アンケートを彼女に渡す。
「原稿の確認の連絡をするので、自宅の連絡先をお伺いしたいのですがFAXはありますか」
「え? 今どきFAXですか。」
「すみません,会社の方針なので。それと電話番号も」
「メールアドレスじゃないんですね」
「はい」
はじめてニコっとした頬が、意外と可愛い。濃紺のブラウスに白い腕が印象的だ。

 翌日、FAXが流れて来たあと、電話がかかってきた。原稿の確認を済ませて、電話を切ろうとした時だ。
「突然ですが、ウナギ食べに行きませんか?」
「え?」
「友達の結婚前のお祝いで、みんなと別荘に泊まるんです。よかったら一緒に行きませんか」
何? ほとんど初対面なのに。好意があるのか。まさかね。補欠要員なのか。
とりあえずその日は空いている。
「美味しそうですね。じゃ。クルマ出しましょうか」


 坂を上がって駐車場に車を停め,鉄扉を開けて別荘の敷地に入る。二階から麦わら帽子の女が手を振っている。あれが友達なのだろう。
 メンバーは、彼女の高校時代の親友と、結婚する彼氏。そして彼氏の会社の後輩カップルだった。彼氏は名高い大手広告代理店の部長らしい。元財閥の倉庫会社の息子だというから,あの若さでも部長なのだろう。美術館も持ってる家系だという。別荘の庭はゴルフ場みたいだった。

 キンキンに冷えたビールと日本酒。どれも高級そうな料理だったが、ウナギのタレがどうも気に入らなかった。いや,本当は、気に入らないのは親友の彼氏だったのかもしれない。昔から、学校とか会社名とかを鼻にかける人物は気に入らないのだ。

 タバコを吸うふりをしてデッキに出た。雲と海が赤く染まるのを眺めていると,彼女が横に並んだ。
「こういうの,お嫌いですか」
「いや,そんなことないです。ちょっと外の空気にあたりたくて」
われながらへたなごまかし方だ。

「お酒持ってきましょうね」

彼女はワインと冷酒の瓶に,2つのグラスとちょっとした料理をデッキのテーブルに置いた。

「私ね,これでもお茶の水の出なんですよ」
「そうですか,名門ですね」
「あの子は青山。でも,小さいころから体が弱くてね。心配していたけど,無事結婚できてよかった」
「玉の輿ですね」
「あら,それ,皮肉ですか」
「いえいえとんでもない」

それから,学生時代の事、親友の事、親友の彼氏のこと,仕事の話と話題が尽きない。
すっかり暗くなった海に,突然花火が上がった。

「あ,そういえば,今日は海上花火だって言ってた」

二人は立ち上がってデッキの手すりに立った。
大輪の花火を,流れ星がかすめた。

「あ,見ました? 今の流れ星」
「見ましたよ。大きかったですね」
「びっくりして,願い事するの忘れちゃった」

気が付くと、彼女の親友も、彼氏も、他の人たちも,リビングには居なくなっていた。残されたのはこのデッキの二人だけだ。

「いま,契約社員なの。それなのに半分徹夜で仕事やらされる。他の会社の憧れてる編集長から引き抜きの話がきているんだけど,いまの会社の正社員への試験を受けようかどうしようか,迷ってる。」
そんな話を,出会ってまもない私にするものなのか。
そっと肩が触れたので顔を覗くと、ほんのりと頬が染まっていた。

「ちょっと待って,別のお酒持ってくる。」

「こっちの方が辛口で美味しいのよ」

渡されたグラスは手のひらの温度で少し温かい。仕事の話をする時とは違う笑顔だ。
辛口といっても淡麗ではなく。ほんのりと甘く、フルーツ系の柔らかな優しい香りがした。

「彷徨っているの」

彼女がぼそっとつぶやいた。

「仕事でも,男でも」

何と答えればいいのか。テーブルに置かれた私の手に彼女の手が重ねられた。冷たい。

「冷たい手をしてますね」
「そう?」
「でも,手が冷たい人は心が温かいといいますよ」
「ふ,面白いこと言うわね」

淋しげな瞳で笑った。

仕事のできるキャリアウーマンと,海岸で遊ぶ子どものような純粋さと,淋しげな瞳。
恋に落ちる瞬間というのはこれを言うのか。


 一瞬で消える流れ星が、何故ずっと見えたように思えるのか。夏が終わり、秋が来て、冬が来る。休日がそろえば会う約束をした。赤坂で,池袋で,新宿で。しかし,二人とも忙しかった。クリスマスは二人とも仕事だった。働いて、働いて、働いていた。

 なぜ別れたのかを思い出せない。形が同じ鋳型が重ならないように、何度擦り合わせても、重なることのない運命だったのか。それとも、二人はあの日違う夕陽を見ていたのだろうか。花火と流れ星はとても綺麗だったのに。
 
 きっと、彼女は今も彷徨いながらも走り続けているのだろう。
私も走りつづけよう。
青いビーチサンダルと淋しげな瞳を忘れることができるまで。


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#リライト金曜トワイライト  に参加。

リライトの流儀なるものがあるのかどうかわかりませんが,今回は,原作にできるだけ忠実にやってみました。ストーリー,使われている言葉。
脚本を書くようなものかな。台詞を入れて,時系列を変えて。
脚本家によって,原作の味が少しずつ変わるように,E.V.ジュニアテイストに。
もっとも,脚本なるものがどういうものかは知らないので,まあ,そういう感じという意味です。

No1からNo6まで読んで,E.V.ジュニア流に一番しっくりきたのがこれ。


使われている言葉もいいなあ,と思って,そのまま使っています。
たとえば,冒頭の「サンルーフをあけると、透き通った風が頬を通り抜けます。」は,「ます」を「る」に変えただけ。
そのかわり,話の流れでうまく乗らないものはカット。
女性のイメージは,「仕事のできるキャリアウーマンと,海岸で遊ぶ子どものような純粋さと,淋しげな瞳」に集約。E.V.ジュニアテイストでは,これで恋に落ちる。その夜にどうなったかは読者の想像委せ。

台詞を入れた代わりにカットした部分もあるので,増えたのは400字程度。

原作と並べながら読んでいただくと面白みが増すかと思います。