試験結果から見えてきたもの
高等学校で情報の授業が始まった頃,評価の手法として「ポートフォリオ」が喧伝された。しかし,実際にはそう簡単なものではない。実践している人は少ないだろう。手間がかかるというだけでなく,評価の妥当性を検証するのがむずかしいのだ。筆者はやっていない。
しかし,今年度やったことがある。評価に使うためではなく,授業分析のためにレポートをすべてPDFにしてとっておくことだ。どの問題がどのようにできなかったのか,あとで思いついたときに,レポートを返してしまっていては調べようがない。問題の正答率を調べるにも,PDF化してあればあとからカウントすることもできる。昨年度,「とっておけばよかったなあ」と思うことがたびたびあったので,ドキュメントスキャナを新調して(単に,前のものが新しいOSで使えなくなっただけ)4月から毎回スキャンするようになった。試験の時は,正答率を調べようとして採点ミスに気づくこともあった。
学年末になってこれが役に立った。学年末試験の結果を見て,実習結果を振り返ったのだ。プログラミングの基本的なことについての試験結果である。そこから浮かび上がったのは,プログラミングの理解度ではなく,生徒の「学習」スキルであった。これはちょっと意外な結果でもある。ふだん感じていることが数値化してあらわれたのである。
実習で関連したものが出たのは6回,そのうち4回は問にしている。これまでに2回ほど書いた,乱数の発生である。こんな問題。
乱数を生成する関数 randomint(n) は 0 以上 n 未満の整数をランダムに発生する。たとえば,1桁の自然数からランダムに1つを取り出して変数 a に代入するには
a= randomint(9)+1
とすればよい。
10 から 99 までの2桁の自然数からランダムに1つを取り出して変数 b に代入するプログラムを書いた。右辺に書くべきコードを答えよ。
b =
何も難しくないとは思うのだが(数えるだけ)期待した正答率は,授業の状況からして60%。実際は51%であった。やっぱりわかってない? いや,どうなのか。「わかっていない」というのは「理解できていない」とほぼ同義だと思うが,「理解しようとしたができなかった」と「理解しようとしていない」の違いについては試験結果だけでは判定できない。
過去4回分のレポートを逐一調べた。157人分の正誤状況を調べ,その推移を見た。「学習ができている」というのは,最初はできなくて(初めてなのでわからなくて当然)その後できるようになった,という状況だろう。いつまでたってもできないのはまったく「学習」ができていない。結局できなかったというのもやはり「学習」ができていない。決して難しい問題ではなく,考え方(数え方)さえわかってしまえばできるはずのものだ。
難しくないと思うのに,正答率の予想を60%にしたのはなぜか。4回の実習をみていて,「できそうにない」と思ったからだ。難しくないのに?
難しいかどうかではなく,「間違えたものを修正して正しい理解につなげる」という学習スキルができていない,と感じているからだ。繰り返しの回数の問題にしてもそうだ。
そのことが,過去4回のレポートと,今回の試験結果をみて明確化してきた。もちろん,全員ではない。経過から「学習ができた」と「できていない」と判断される者がいずれも40%くらいであった。残り20%はどちらともいえない者。
いま,いろいろ分析中。そう簡単にはまとめられるものではない。なんとかまとめて,来年度のための資料として残していくつもりだ。