『クヌルプ』と『知と愛』比較から考察するヘッセ作品の前期後期の相違点

 新宮(2009)[i]によれば、ヘッセ作品とは自己告白の文学であるという。また、高橋健二著『ヘッセ研究』[ii]では、彼の持つ作品の文学性、特徴について触れる際、『仕事の一夜』(1928)において彼自ら「自分の散文作品は根本において「独白」であり、「魂の伝記」である」と述べている部分の引用が行われている。ヘッセ作品を読んでいく中で、種々の作品で主人公の遭遇する苦難はヘッセ自身と重なるところが多いようであり、彼の作品の持つテーマの一貫性は感じるところであったし、同じテーマのためにより洗練されたより良い表現を模索しているかのような印象を受けた。しかし、ヘッセは第一次世界大戦期に受けた苦難から大きな転換を経験しており、第一次大戦前の作を前期、それ以降を後期とし、作風が異なるという見方が一般的である。

今レポートでは第二部『クヌルプの思い出』が1908年、第一部『早春』が1913年から1914年にかけて、第三部『最期』が1914年、と第一次大戦以降の転換を前に最後に書かれた前期ヘッセの特色の色濃く出ている長編『クヌルプ』と1930年に発表された『知と愛』の放浪者を主人公に取った二作の比較から、ヘッセの文学的転換はどのように作品の筋に表れているのか、考察を試みる。

 そもそも、ヘッセが一貫して唱えているテーマとは何か。それは、第一次世界大戦をうけ、書かれた『デミアン』のはしがきによく表れている。


すべての人間の生活は、自分自身への道であり、一つの道の試みであり、一つのささやかな道の暗示である。どんな人もかつて完全に彼自身ではなかった。しかし、めいめい自分自身になろうと努めている。[iii]


 つまり、ここで言われているのは「自分自身になる」ということ、あるいはゲーテの『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』を祖とするビルドゥングスロマン的な「自己実現」というテーマである。ヘッセの散文作品の大半はこのテーマに当てはめることができるだろう。この内面への探求、「自分自身になる」というヘッセの根幹となる思想が作品の主軸をなすのは第一次世界大戦以後、つまり『デミアン』からとなるが、郷土愛や芸術を描く前期作品にもこのテーマは「自分の心に従うこと」として登場している。

例えば『車輪の下』は、自然を愛する少年ハンスが詰込み型の教育や生徒自身を見つめない教育の在り方から彼のその素質がだれにも見出されないまま、つまり彼自身になることのできないまま死に至るという、悲惨な失敗として表れる。また、『春の嵐』では主人公である音楽家クーンは知己の音楽愛好家の娘、ゲルトルートと出会い、オペラ楽曲の作成を手伝ってもらううちに「彼女は、私の音楽を愛していたばかりではなく、私自身を好き、私と同様に、二人の間には自然の調和のあること」[iv]を感じる。『春の嵐』は主人公が回想する形で描かれているが、「あのころ私が彼女に迫り、攻めたてて、全力を尽くして自分のほうにひきつけたら、彼女は私について来、永久に私と行を共にしたかもしれない」[v]とさえ述懐するが、クーンの友人であり、オペラ歌手であるムオトを仲間に引き入れると、ゲルトルートとムオトは互いに惹かれ合い、結婚してしまう。しかし、二人の結婚生活は破綻し、ムオトが死に、ゲルトルートはムオトに操を立て、クーンは理想の女性としてのゲルトルートを永遠に失ってしまう。この作品では、主人公クーンが自分の心の中の訴えに従えず、作中の言葉で述べるのならば「友達と交わるように女性と交わ」[vi]ることしかできなかったためにゲルトルートを失い、彼の両親のような家庭を築くこともできず、自己実現に失敗してしまった物語とも捉えられる。

 このように、ヘッセの散文作品を前期後期問わず貫いているテーマを確認したうえで、次に、前期と後期ではどのような転換が見られるのか、先に述べた具体的な作品同士の比較検証に移る。比較の対象に『クヌルプ』と『知と愛』をとった理由は、ヘッセ作品の主人公は彼自身居を転々とし旅を好んだように、放浪の念に駆られる描写があるが、この二作の主人公であるクヌルプとゴルトムントは両者ともにはっきりと放浪者というアイデンティティを共通して与えられている点にある。図越良平によれば、ヘッセはゴルトムントを「中世のクヌルプ」と呼んでいたようであり、[vii]この二人の主人公は前期と後期を通しヘッセの中に息づいていた一つの放浪者像を共有していることになる。そのため、この二人の主人公の描かれ方を比較することで前期と後期での相違を炙り出すことができるのではないか。



クヌルプ

知と愛

舞台

1890年代(第一部)

中世(15世紀ごろ)

放浪の素因

初恋の失敗、人間不信

自分の道(母への道)

最期

吹雪の中、神様と対話

病床、ナルチスと対話

吹雪の中で見る幻覚

殺したヴィクトル、ユーリエ、ナルチス

芸術

小さな詩人

彫刻家


 まず、放浪の理由に関してだが、これは両者の存在の根幹にかかわるものである。クヌルプは「この家の静かな平和や、友だちのまじめで勤勉な職人らしい顔や、きれいな細君のヴェールをかぶったまなざしなど。――それは彼の気に入らなかった。そういうものは彼にとって目標でも幸福でもなかった。自分が達者だったら、と彼は考えた。夏の季節だったら、これ以上一刻もここにとどまっていないだろう。」[viii]とあるように定住生活を営むことやそのような人々を嘲りや嫌悪感さえ持って見つめるような定住生活への不適合を理由に放浪をしているのに対し、ゴルトムントもずっとは同じ場所にとどまってはおれず放浪や自由に焦がれるものの、それは彼の言う「母の道」のため、あるいは彫刻のインスピレーションを得るためのものである。

ゴルトムントは明確な目的があるのに対し、クヌルプは目的というものを持っていない。これが前期ヘッセと後期ヘッセを大きく分ける特徴ではないだろうか。クヌルプは最期、吹雪の中で死を間際になぜ自分を失恋した14歳の時に殺してくれなかったのかと嘆き、放浪して過ごした生涯の大半が無意味であったという苦悩に囚われる。彼の生きざまは神により、無駄ではなく神の名のもとにクヌルプの人生は正しく配置され、決して無駄ではなかったのだという形で肯定される。これは、他者に大きく依存した自己肯定の在り方、無常観の克服である。自己実現という意味では最終的にクヌルプは満足して死ぬため、社会的にどうであれ、成功したと言ってもいいように思われ、その点は先に上げた二作と異なるが、他者に依存した自己肯定であるという点は『車輪の下』では成績や友人の評価を気にして、自分の好きなことをやり遂げることのできなかったという点、『ゲルトルート』ではムオトやゲルトルートの評価を気にかけ、自分の意のままに行動できていないという点だ。一方で、後期の作品に属する『デミアン』では自分自身になるということ、自分自身の中に道があり、自分への道を進むということは、自分に重点を置いた自己実現を通した自分自身による自己肯定をめざすあり方とは言えないだろうか。

 次に、吹雪の中で見る幻覚についてだ。クヌルプに関しては既に述べたが、ゴルトムントも吹雪の中で幻覚を見ている。ゴルトムントは寝込みに盗みを働こうとした遍歴学生ヴィクトルに首を絞められ、咄嗟にナイフで刺し、殺してしまい、死体から逃げ出して吹雪の中を飢えながらさまよい歩くのだが、その際に幻影が出てくる。最初に、刺殺したヴィクトルであり、次に騎士屋敷の愛らしいユーリエ、最後にナルチスである。ゴルトムントは幻影のナルチスに、死はどこにでも存在する、と彼自身何を言っているのかわからない、無我の状態で語りかける。クヌルプが持病を原因に死の際で吹雪の中に神という救いを見出すのに対し、ゴルトムントは人を殺したことによる精神的な危機と吹雪による凍え、飢えにあえぐ絶望の中におり、対照的である。

 『神学断章』でヘッセは彼独自の人生観、人間哲学について、

人間の成長過程は基本的に三つの段階を経る。一つ目は無垢(Unschuld)の段階であり、多くの人が体験する、楽園を象徴するような子供時代がこれに当たる。

二つ目は責任(schuld)の段階であり、善悪についての知識が獲得され、 文化・道徳・宗教・人類の理想が要請され、人間は自力の努力により救済に至ることを目指す。しかしそれは人間の力では到達不可能の目標であり、第二段階は必然的に絶望に終わる。

三つ目は、道徳と法の彼方にある、恩寵(Gnade)と信仰(Glaube)の段階である。全は目指さなければならないが、世界と私たちには責任はなく、私たちの認識を越えた絶対者に身を委ねればよい。[ix]

このように述べている。ゴルトムントは作中幾度も死に近い経験をしているが、中でもこの吹雪のシーンは一段階目と二段階目を分けるところなのではないだろうか。ゴルトムントが忘れた幼年期を思い出し、母を求めて放浪生活を送っていたこれまでの期間は、ゴルトムントにとって二度目の無垢の段階であり、殺人という経験から楽園の崩壊を経験し、善悪を知るのである。一方クヌルプは、無垢の時代が初恋の失敗から終わり、最期の最期に吹雪の中で神という絶対者に身を委ねるという形で第三段階へ至る形をとっている。つまり、この二作に共通する吹雪のシーンは、段階が全く異なっているのである。

『クヌルプ』も『知と愛』も季節の描写が丁寧におこなわれているが、『クヌルプ』では季節がクヌルプの年齢と重ねて描写されている。そのため、『クヌルプ』の終盤の吹雪は彼の人生の終わりである冬を示す。『知と愛』における季節はゴルトムントの苦難や歓楽と相関している。ペストを逃れレーネとローベルトと森の中で生活を営む一幕があるが、レーネの死を機に季節は夏から秋へと移ろい、寒さの訪れとともにゴルトムントにとってつらい時期が来る。このように、ヴィクトル殺害時の吹雪は、楽しい気楽な放浪生活の終わりというゴルトムントの受ける苦難や心境と相関がある。季節の作中での意味づけもこの二作で異なっているのである。

 ゴルトムントは、ヴィクトルを殺害した次の章である十一章で、ニクラウス親方の聖母像に出会い、彫刻の技を身に着ける。ゴルトムントはただ母を求めるのみではなく母を自分の手で彫刻として形作ることで人類の母の像を残すことを目標とするようになる。さらに、出会った人々をモデルに像を作ることでその人が死のうと姿は世界にとどめることができるという彫刻による死の克服を発見する。この部分は責任の段階の自らの手による救済の試みに当てはめられる。クヌルプは詩作の才能があるようだが、「小さな詩人」であり詩自体に特別な力などを見出すに至っていない。

『知と愛』における死の克服という意味では、最終章の「母がなくては、愛することはできない。母がなくては、死ぬことはできない。」[x]というゴルトムントの最期の言葉とそれを受けた「ゴルトムントの最期のことばは、彼の胸の中で火のように燃えた。」[xi]という文が印象深い。ゴルトムントが彼なりの道を究めたことにより、感性の人であるゴルトムントの思想が精神の人であるナルチスにまるで聖火を継ぐかのように「彼の胸の中で火のように燃えた。」と書かれていることは、ゴルトムントが死んでも、ナルチスがゴルトムントの思想を継いでいく、そういった継承による死の克服ではないか。『デミアン』でも、当初の導き手と生徒役という立場こそ逆転するが、主人公シンクレールの導き手であったデミアン(ここでは作中での彼の実在の有無は問わないこととする)の死が野戦病院においてほのめかされるが、デミアンが死の間際に「ぼくがきみの中にいることに気づくよ。わかるかい?」[xii]と言い残し、事実シンクレールは「いまはまったく彼に、私の友であり導き手である彼に似ている自分自身の姿が、見えるのである。」[xiii]つまり、デミアンになっているのだ。つまり、後期作品のヘッセでは継承による死による思想の断裂の克服も一つのテーマとなっているのではないだろうか。これに対し、前期ヘッセ作品では一人の人物の人生を描くことが主体で、クヌルプも最後は一人で死ぬように、次への継承といったテーマは読み取れない。

以上より、『クヌルプ』と『知と愛』の二作の比較を通して考察した前期と後期の相違点は、主人公の目標の有無、他者に依存した形での自己実現か自分自身のみによる自己実現かという相違、無常の克服の試みとその継承、の三点が発見された。

 このほかに、『知と愛』と『クヌルプ』の興味深い点にクヌルプの初恋の人であり挫折の契機となった女性である「フランチスカ」の名前が『知と愛』にも登場しているというものがある。その「フランチスカ」の登場は十一章、運命的な芸術との出会い、聖母像のある修道院を訪れる前になる。通読して印象に残るような点はない一人のキャラクターであるが、二作に共通する吹雪のシーンの後にこの「フランチスカ」という名前が出てくること、ゴルトムントがフランチスカから離れることをつらく感じていることは、意味深である。フランチスカという名に前期ヘッセの牧歌的な作風の象徴を見るならば、ヘッセ自身『知と愛』執筆中に懐かしく思われでもしたかのような印象を受ける人名の使用である。




[i] 新宮潔『ヘッセ文学における脱郷土性について』(2009)大阪商業大学論集5(1))p509-521

[ii]高橋健二 『ヘッセ全集別巻 改訂ヘッセ研究』(1964)p18

[iii] ヘルマン・ヘッセ 高橋健二訳『デミアン』p9

[iv] ヘルマン・ヘッセ 高橋健二訳『春の嵐(ゲルトルート)』p115-116

[v] 同上 p116

[vi] 同上 p138

[vii] 図越良平『ヘルマン・ヘッセの『クヌルプ』について』 

https://dlisv03.media.osaka-cu.ac.jp/contents/osakacu/kiyo/DBd0361006.pdf

(2022年1月27日閲覧)p752

[viii] ヘルマン・ヘッセ 高橋健二訳『クヌルプ』p38

[ix] 高橋修『ヘッセにおける宇宙論的幻視のテーマ』(2018) 独語独文学研究年報44巻 p143-158 引用部p143

[x] ヘルマン・ヘッセ 高橋健二訳『知と愛』p464

[xi] 同上 p465

[xii] ヘルマン・ヘッセ 高橋健二訳『デミアン』p245

[xiii] 同上p246


ほか参考文献

井手賁夫『ヘルマン・ヘッセ研究 第1次大戦終了まで』 三修社 1972年

ヘッセ研究会・友の会『ヘッセへの誘い 人と作品』 毎日新聞社 1999年

井手賁夫『ヘルマン・ヘッセをめぐって』 三修社 1982年