【恋愛】ウィトゲンシュタインと恋愛駆け引き
どうも、悪い猫です。
適当にTwitterをしていたら、いつのまにかモテの仕組みを語るプチアルファとして注目されるようになりました。昔はナンパをして腕を磨いていましたが、最近はすっかり丸くなりました。
今回は、お久しぶりにモテについて哲学者がぶった斬るコーナーを開設していきたいと思います。今回の大先生はこの方です。
ちょ、いきなり厳しすぎでしょ?
誰ですかねこの人、
うわー哲学者ってなんでこんなめんどくさい人ばっかりなんだろ…
女を論破して「絶対お前モテないだろ」って言われそうだわ〜こんなやつにモテバイスを聞くの??
という疑問を飲み込んで、そのまま教えるとこの人はルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン(Ludwig Wittgenstein)さんです。
ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン(Ludwig Wittgenstein)は、オーストリア=ハンガリー帝国(現在のオーストリア)の哲学者で、20世紀初頭に活躍しました。
初めは数学者として活躍していましたが、後に哲学に転向し、著作『論理哲学論考』(Tractatus Logico-Philosophicus)を出版しました。この著作は、哲学の基礎を論理に求め、言語が現実に対する正確な表現を可能にすることを強調しています。
しかし、後により言語や文化の多様性を考慮した哲学を追求し、彼の後期の著作は、哲学とは日常言語の使用の分析であるとする「言語ゲーム」の概念を中心に展開されました。
「言語ゲーム」ってなんぞ?
まず以下の夫婦の胸糞喧嘩の動画を見てみましょう。
リンクが外れているのでこちらでもいいです。
「言語ゲーム」とは、ウィトゲンシュタインが提唱した言葉の使用に関する概念であり、その中で言葉が単独で意味を持たず、文脈や目的によって意味が決まるということが強調されています。
ウィトゲンシュタインによれば、言語ゲームには様々な種類が存在し、それぞれの言語ゲームには特定のルールや規則が存在します。
例えば、「名前を呼ぶ」という言語ゲームでは、正しい発音で呼びかけることや、その人がその名前で呼ばれていることを知っていることが必要です。
では、この夫婦喧嘩の煽り合いをゲームルールを変えてみてみましょう。
どんなに悲痛な夫婦喧嘩もその後にセックスした事実を混ぜて伝えれば、立派なじゃれあいになってしまうわけです。
「私だって大変だからね」(セックスしたい)
「本当もう限界なんだよ」(セックスしたい)
「上司より客先よりお前の相手の方がしんどいわ」(セックスしたい)
「お前は本当にうるさくて萎えるな」(このあと滅茶苦茶セックした)
「もう私たち、離婚しかないのかな」(このあと滅茶苦茶セックした)
言語ゲームには、人々が共通のルールや規則に基づいて意思疎通を行うことが必要であり、そのような共通の基盤がなければ、言葉を使用しても意味が通じなくなってしまうとされています。
果たしてガチ喧嘩なのかセックス前戯のプレイなのか。
ウィトゲンシュタインによれば、言葉は単語や文章単体で意味を持つのではなく、それを発言する人の目的や文脈、使用する場面や状況によって、意味が決まるとされます。そのため、言葉は単独では意味を持たず、言葉を用いる人々の言葉の使用状況、即ち「言葉ゲーム」の中で意味が決まるのです。
↑また、このように真面目な口調でいくら哲学の話をしても話の内容が下ネタなので、もはや、頭に入って来なくなるのが「言葉ゲーム」の凄みです。
さすが、ウィトゲンシュタインさん、ご明察ですね。
いや、お前が提唱した思想の話です。真面目にきけ。
人間は「この雌豚!」と罵りながら愛を伝える。
この「言葉ゲーム」は男女関係のあらゆる場所で発生するのですよね。
例えば、セックスにおける「言葉責め」は、パートナーに対して攻撃的な言葉を使うことで興奮や快感を得ることを指します。
言葉責めの種類は多岐にわたり、相手を褒める言葉を使いながら攻撃的な言葉を織り交ぜたり、性的な言葉や罵詈雑言を使ったりすることがあります。
これは言葉ゲームの典型です。そもそも親密感を深めあっているのに、かけている言葉は罵詈雑言だったりするわけです。相手も興奮するからお互いにそういうプレイができるわけですね。プレイという文脈でこそ「雌豚」が愛情表現になって興奮するわけです。
この言葉ゲームは恋愛において非常に重要な概念になります。
セクハラぬいペニと云う勿れ
セクハラの基準が分からない正当なアプローチとの違いがわからない。徐々に関係を築いていくことと、ぬいペニ扱いされる違いがわからない。そんな悩みも多いと思います。
「イケメンと同じ言葉を喋ったのにセクハラ扱いされる」
「友達に告白したのにぬいペニ扱いされる」
このような問題を抱えている恋愛不得意さんもいます。
セクハラ、ぬいペニ問題というのは、まさに性的な文脈を持たない人間から、急に性的な言動をされた場合に発生します。
例えば「愛している」という言葉一つをとってもそうです。
例えば、セクハラは主に上司や部下などの利害関係者から発生します。元々は、利害の存在が急に恋愛関係を押し付けた場合、それはその人物の魅力ではなく、権力関係によって押し付けた恋愛感情になりかねません。
いくら真心で上司が部下に対して「愛している」と「純」愛伝えても、その愛は今までの職場で構築した権力関係から引きはがせません。
本来は、職場で上司が部下に「愛している」と言う場合、その意味合いは非常に限定されたものになります。職場においては、プロフェッショナルであることが求められるため、恋愛的な感情や気持ちは控えられることが多いためです。上司が部下に「愛している」と言う場合、それは仕事に対する熱意や、その部下に対する信頼や好意を表すことが多いです。(それでも「愛している」は日本語として違和感ありますが、)
これを無理矢理異性として好感で伝えるとセクハラになります。
また、友達の間のぬいペニ問題でも、元々、異性として意識しなかった人間が発する「愛している」の意味は分かりづらいものです。
友達の間で「愛している」と言う場合、その意味合いはより広範囲で多様なものになります。友達間での「愛している」という言葉は、深い友情や信頼、または愛情的な気持ちを表現することがあります。この場合、恋愛的な感情がなくても、友達同士の強い絆を表現することができます。
こんな関係の中で性的な意味の愛しているを表現すれば「ぬいペニ」になるわけです。以前までぬいぐるみとして見ていた目を変えることはできません。今までのキャラや社会的な文脈が崩壊するのですよ。
その崩壊した先が猟奇的、強襲的なキモさにつながるわけです。今までも「この人私のことが好きなのかな?」と思わせている場合は、この崩壊が発生しにくくなります。
恋愛の言語ゲーム:何を話せばいいの?
結局、女の子といる時、何を話せばいいのか分からない。という非モテの悩みは多いです。
実は、この答えは何を話すかは全く重要ではないことを意味します。なぜなら、何を話そうがそれが「オスとメスの会話である前提文脈」をお互いが共有していないと、2人の関係性はその会話によって全く発展しないからです。
これはどういうことかというと「今日はアツいですね。」という言葉が夏の真っ最中では気温の暑さを表しますが、以下の春のイベントの時に「今日はアツいですね。」というとどうでしょうか?
今日は盛り上がるという意味になります。恋愛においてもこれは同じです。違いは社会文脈とその人の関係性文脈が関わりを持ちます。
例えば、以下のツイートように、最後に何が起きたかを知ってしまうことで、今までの物語の登場人物の実態を文脈で変えてしまうことも、起こりうるわけです。
さっきの喧嘩だって、じゃれ合いに変えられるのなら。どんな日常会話も口説き、イチャつきにかえられるわけです。
日常で言えば、異性として意識していて「’もしかしたら、この人いいかも」と思っている人がダルそうに「おはようございます」と挨拶をしてきても「こんなにダルそうなのに私にしか挨拶してくれない」と好意のあいさつに見えてしまうかもしれない。
一方で「ただのNPCモブやん」と思っている人の積極的に愛情たっぷりのな「おはようございます」は、だたの鳴き声にしか聞こえません。
恋人同士の会話というのは、基本的に一般的な会話なのですよね。そこに何となく距離感あり恋愛関係の雰囲気が漂っている、それがその人との恋愛関係の文脈なのです。
つまり、異性にアプローチする際に重要なことは「文脈を作ること」であって、具体的に攻撃コマンドみたいに「この言葉を言えば相手が恋してくれる」というものではないのです。
恋愛初心者は誰かすでに知っている異性にアプローチする前に、自分が今までその人と構築してきた文脈を考えてみませんか?
以上、恋愛関係の文脈についての超基本的な話でした。ウィトゲンシュタインさんありがとうございました。
追記でもっと詳細を書いていきたいと思います。口説きって、告白じゃなくて以下のような状態をいうのですよね…