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MyGO!!!!!シリーズにおける各キャラクターの「達成条件」について 睦編

前回の記事はこちら
また、本記事はAve Mujica3話まで視聴済みの状態で記載しています。ご了承ください。


b. 若葉 睦(わかば むつみ、モーティス)の場合

我、死を恐れる勿れ

また心から笑える日は来るのか

「死」を示唆されていた彼女。
いやいやバンドアニメで人が死ぬとかないっしょwとか高を括っていたら、まさかの人格の死

俺、「うみねこのなく頃に」見てた?

睦=ベアトリーチェ説。ファッションも一緒だし、いろんなものしゃべらせるしで共通点多し。
ネタバレになるからあんまり触れないけど、うみねこ大好きです。

睦に関しては、「達成条件」も元も子もなくなったので、これまでの流れや筆者のキャラ印象について触れていく。(note始めるのが1週間遅かった・・・。)

そもそも、CRYCHIC解散の大きな決め手となった『私は・・・バンド、楽しいって思ったこと一度もない』というセリフ。なぜこんなことを言ったのか。祥子をひとりにしないため~とか、祥子の援護射撃のためにわざと~とかが考えられるが、筆者はこれを、ただの本心だと感じていた。

まず、件の発言からさかのぼり、CRYCHICによる初めてのライブが終わった後の温度差について。ほかのメンバーは目に涙を浮かべて感激していたところ、睦一人は浮かない顔をしながら『みんな、良かったね』とまるで他人事だ。

自分自身がそこに含まれていない

さらにさかのぼり、CRYCHIC顔合わせ時に睦を紹介するシーン。ギターの腕を褒められ、それを否定した結果、祥子にもっと自信を持てと諫められている。

自信がない

この時点で、睦=自信のない子、しかもライブでギターを弾いていても、その喜びを自分のことのようには仲間と分かち合えない子だということがわかる。なにか、自分自身を斜め上から俯瞰で見ているような、自分を自分と思えないような、そんな感じがした。

だから、『私は・・・バンド、楽しいって思ったこと一度もない』は『私なんかがここにいていいのかな・・・』的な自信のなさからくる考えであり、しかもそれを当たり前に感じているという図式が成り立つ。

ここまで予想してAve Mujica3話見てみたら、思ってたよりもひどい状態だった。解離性同一性障害までいくとは。言われてみれば確かに、血を流さずに殺人するなら人格を殺すしかないよな・・・。

1階にいる自分を2階から見下ろす睦=俯瞰、ナレーション=俯瞰
『褒められても、全部みなみちゃんとたーくんのもの』、
『睦ちゃんのものなんて、何一つ無かったのです』=自分自身がない
『私もお歌、歌いたいなぁ』=別人格の発露
『でき・・・ない・・・』=自分がギターを演奏できるわけない=ギターが勝手に歌ってる


人格交換のきっかけ

なんやかんやあって最終的にモーティスと人格を交換してしまうわけだが、なんでそうなったかというと、シンプルに交換する必要があったから交換した、のではないかと筆者は考えている。

精神科医で有名な名越康文先生は「私生活でいろんなキャラクターの口調をまねしてしまう。治したい。」という相談者に対し、『人格は名刺みたいなもの』と話している。

社会的に、ひとりの人間はひとつのキャラクター(=一貫した人格)を演じることが信頼につながる。つまり、人格は相手を安心させるもの(名刺のような役割を持っているもの)だ。

ただ、「人格は一貫しているものである」という論自体には、『一貫した自分なんてあるんだろうか?』『違うキャラクターを演じているその全部が自分』と懐疑的なようで、「複数のキャラクターを演じてしまう」という悩みは別に「暴走」などではなく、何かの必要があるから今そうしているのだろう、ということだった。

そして、相談者を「一貫したキャラクターを演じる責任を追うにはまだ早いと無意識が考えているのではないか」と分析していた。
(詳しくは上記動画参照)


この話を聞いて、雷に打たれたように感じた。


話を戻して、睦の人格交換の際に何が起きていたかというと、祥子がにゃむと揉めていた。「睦がどういうパフォーマンスをするか」で。

『ムジカが壊れる。私のせいで。また・・・私のせいで・・・。』

睦のこれまでの考えは一貫している。「祥子が壊れないようにする。」だ。
(ちょっと言葉足らずでそうならないことが多いだけ!)

つまり、睦人格のままだとムジカが壊れてしまう(=祥子が壊れてしまう)ため、モーティス人格と入れ替わることで祥子を守ろうとしたんじゃないだろうか。交換する必要があったのだ。

こう考えると一気に見方が変わってくる。

この人格交換シーンは、非常に(精神的に)グロテスクで、まるでモーティス人格が睦人格を飲み込み、体の主導権を奪ったかのような印象を受ける。が、むしろこれは睦自身が、モーティス人格によって睦人格を殺させた(体の主導権を奪わせた)シーンなのではなかろうか。なんか勝手に泣けてきた。

にしても怖いよ

今後、モーティス人格は祥子を嫌っているため、おそらく祥子に対して都合の悪い行動をとり始めるはずだ。(祥子の呼び方とかも変わるんじゃないか。)
あんな登場の仕方をした以上、視聴者側もモーティス人格を偽物認定するはずで、なんとか睦人格が戻ってこないか、願い続けるような展開になるだろう。

だが、実はAve Mujica存続のためになる行動を一貫して取っていて、それが振り返るとわかるような内容になっていたりして、結局人格が入れ替わっても睦は睦のままで、ムジカを、祥子をずっと守ろうとしていた、みたいな泣けることになったりすんじゃないかこれ読んでくれてるみんなのカタルシス奪ってないか?大丈夫か?当たってたらまじですいません。

つまり、睦の「達成条件」は、ずっと1つだけ。

1.祥子が壊れないようにする

だろう。守りたかったのだ、人格を殺してでも。

なんか今回は「達成条件」の話しないつもりだったのに結局ここにたどり着いてしまった。俺も迷子です。

バンド楽しいと思えた日に、「睦」は帰ってくるよ


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