「生まれ変わったら、なにになりたい?」
そのことついては、まだまだ書くに至らない。
そう思って、ずっと避けてきた。
実際のところ、勉強中であるし、いまだに分からないことも多い。
何より、そのことについて書くなど、おそれ多い。
そのこと、というよりは、彼ら、と言った方がいい。
わたしにはできないことを、彼らはいとも簡単にやってのける。
どんなにマネしようとがんばってみても、決してその域に到達することはない。
永遠のあこがれ。
しかし、彼らについて書かれた本は、とにかく多い。
時代を超えて名を馳せる文豪が、彼らについて書き、
ユニークだといわれるエッセイストたちも、こぞって彼らについて筆を執っている。
もちろん、それらは、言うまでもなく、すばらしい文章である。
その表現しか、もはや表現の術はないだろうと思われる文体で書いてある。
心に残り、何度読み返してみても、いい。
しかし、そう思う反面、よくもまぁ、彼らについて文章などかけるものだ、と、半ばしらけている自分もいる。
あれほどの、すばらしい存在について、そう軽々しく筆を執られては、困る。
それが、時代を超えて愛されている文豪、だったとしても。
だが、これは、わたしの嫉妬にすぎないということを、わたしはちゃんと分かっている。
本当は、書きたくて、書きたくて、書きたくて仕方がないのだ。
彼らについて。
そう。
ねこについて。
「はぁ?! ねこぉ~?」と、声に出してしまったあなた。
声には出さなくとも、心のなかで思ってしまったあなた。
結構です。読んでいただかなくても。
これは、決して上から目線の発言ではない。
というのも、わたしも、満を持して、彼らについて書くわけではないからである。
彼らの魅力について書くなど、現時点のわたしの文章力では到底、追いつかないということくらい分かっている。
まだまだ、未熟。
どうせ、つたない文章になることが見えている。
ですので、無理して読んでいただかなくてもいい。
そういうわけである。
彼らのなにがいいって、わたしにはできないことを、飄々とやってのけるあの姿。
ひとが新聞を読んでいるのに、その新聞にのってくる。
新聞、読めない。
ひとが、パソコン使っているのに、キーボードにのってくる。
文字、打てない。
どころか、今まで入力したデータ、消える。
ひとが腰かけると、すきを見てはひざにのってくる。
身動きがとれない。
それどころか、かわいさにつられ、まんまとしばらくの間、なでたりしてしまう。
あの、堂々たる邪魔さ。図々しさ。
にもかかわらず、愛される存在。
彼らには「こんなことしたら、嫌われるかも」
「迷惑かけちゃわるい」
そんな感情、一ミリもない。
いかに自分が心地いいと感じることを、忠実に実行するか。
それに徹している。
いや、徹していらっしゃる。
ちょっとした失言で、
「あちゃー、いらないこと言ってしまったかも」とか。
ひとのためになると思ってしたはずなのに
「余計なことしたかも」とか。
「これ、お願いしたいけど、迷惑かけちゃわるいし、自分でしよう」とか。
そんな、ひとから見た自分のことばかりで、頭がいっぱいのわたし。
そんなわたしからしたら、なぜ、彼らがあんな行動に出られるのかが不思議で仕方がない。
彼らは、とにかく生き方が「自分軸」なのだ。
わたしは、とにかく生き方が「他人軸」なのだ。
見習いたい。
でも、できない。
マネしたい。
でも、できない。
わたしにできることなど、ねこの絵が描かれたTシャツを着て、ねこのモチーフのピアスを身に着けること、それくらいである。
ねこももちろん好きなのだが、ねこを好きな人が、わたしは好きだ。
先日、部屋を片付けていたら、ある本が出てきた。
社会人になってから買った絵本『100万回生きたねこ』
作者は、ねこにまつわる本を数多く出しておられる、ねこ好きの作家、佐野洋子さんである。
わたしは、けっこう簡単に人生がイヤになる。
「人ってなんで生きているのだろう?」
もの心ついたころには、そんな風に思っていた。
「この世界って、一体なんなのだろう?」
考えても考えても、答えの出ないことを、ひとりでずっと考えていた。
この本に出会ったとき、
なんとなく、
自分の頭の中にあった、そういうわけの分からない疑問というか、
ぼんやりとした不安というか、そういうものが、すこしだけクリアになったような、
そんな気になったことを覚えている。
久しぶりに読み返してみて、やはり、この絵本の主人公は、ねこでなければならないのだと思った。
犬だったとしたら、まったく同じストーリーでも、うける印象がまるで違う。
きっと、作者の伝えんとすることは、伝わらない。そんな気がした。
奇しくも、わたしは、佐野洋子さんにお会いする機会にめぐまれたことがある。
個展を見にいった折に、在廊されていた。
ドキドキしながら「絵本にサインと、写真もいっしょに撮ってほしい」とお願いすると、
「まぁ、こんな若いお姉さんと並ぶなんて、やだわ」
などと冗談をおっしゃられていたことを、15年以上たった今でもよく覚えている。
どこか凛とした、バイタリティとゆるさを兼ね備えておられるような、なんとなく、ねこのもつ、あの「自分軸」のような印象をうけた。
作品とともに、作者である佐野さんのことも大好きになってしまった。
冒頭にもかいたとおり、いま、わたしは勉強中である。
もちろん、ねこについてである。
わたしだって「自分軸」で、自分の人生を生きたいのである。
つまるところ、自分というものを大切にする生きかたを。
それでいて、愛される生きかたを。
どうすれば、あんな生き方ができるのだろうか。
「生まれ変わったら、なにになりたい?」
「ねこです」
友人からの質問に、即答するわたし。
鼻で笑われたっていい。
生まれ変わりというものが、本当にあるとしたら、神様、ぜひ、お願いします。
「まずは、いまの人生、思いっきり生きてからね」
神様にそう言われた気がした。
わたしを軸にした、わたしのやりたいことに忠実な生き方。
その軸は、いまはまだ細くて、安定感にかけるけれど。
どうしようもなく、軸がぶれてしまったときは、また彼らに学ぼう。
そしてまた、あの絵本を手にとってみよう。
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