「ゲジゲジ捕物帖」
昔の日記を辿る
2017.5.20
休日の朝、目覚めるとすこぶる天気が良い。
窓を開けると、薫風がさわさわと入り込んでくる五月。
最近、最寄駅の辺りから少し行動範囲を広げたのか、イソヒヨドリの軽やかにさえずる鳴き声が家のすぐ近くで聞こえる。
窓のカーテンをそっと開けると、一羽の鳥が飛び去った。
どうやら向かいの道路脇の電柱に止まっていたらしい。
とても良い季節だ。
そろそろ夏物を出さないとな、とタンスの中身をゴソゴソと出し、振り返るとゲジゲジがいた。
普通に歩いていた。
いや、これはないな。
今まで部屋のなかで数々の虫には出会ってきたが、これはなかった。
このサイズの虫がどこからどうやって入ったんだ。
本体はさほどでもないが、とにかく足が長いうえに多い。
これらを含めると全長7〜8cmか。
関西人は盛るから多少はそれより小さいにしても、窓や網戸の隙間が少し空いてたからといって入ってこられるサイズの生き物ではない。
まずこのまま進めばゲジゲジが通るだろうと思われる進路から飛び退き、最速で自分自身の安全を確保。
何か、ゲジゲジを乗せられるものはないか。
このくらいの大きさになると、「潰す」という概念は生まれてこない。
できれば穏便に、窓の外へ捨ててしまいたい。
手近なところにあったクリアファイルを手にする。
のっそのっそと何事もなく歩いていくゲジゲジを乗せるため、ゲジゲジの後方からそろそろと足元へクリアファイルを差し込んだ。
ワサワサワササササササササ
突然の刺激にびっくりしたゲジゲジは、急に走り出してタンスと壁の間の隙間へ慌てて逃げこんでしまった。
しまった、逃してしまった。
しばらくの間、闇の隙間を見つめながら考えた。
どうしようか。親に言おうか。
親に言えば、殺虫剤をふっておけと言うだろう。
しかし、この大きなタンスの向こうでずっとゲジゲジが死んでるのかと思うと嫌だ。
いやしかし、放っておけばまた違うところから歩いて出てくるだろう。
寝ているときに出てきたら、その方がもっと嫌だ。
複数の選択肢を比較した結果、
「部屋にいても動かない方がマシ」という結論に達した。
ひとまず、闇の隙間に向けて殺虫剤を噴射。
もしかしたら、あれこれと考えている間に随分遠くの方へ逃げてしまったかも知れない。
しばしの間、何気なくそのまま隙間を眺めていると、すごい勢いでゲジゲジが猛ダッシュして出てきた。
殺虫剤の威力ってすごいなと思いつつ、この行き先を見逃してはいけない。
深手を負いながら、部屋の壁伝いに横一直線に駆け抜けるゲジゲジ。
下手をすれば縦横無尽に至るところへ走り出す。目で追う。
行方不明のゲジゲジほど、部屋の中で手に負えないものはない。
殺虫剤は確実に効いている。確実にゲジゲジを捕らえている。
しかし、そうであるからこそ、生き物は物凄いスピードで人生を駆け抜けているのである。
タンスの隙間から出た後、ゲジゲジはそのまま横にあるテレビとコンポが置かれた小さなカラーボックスの背後へ壁を伝って入っていった。
引き続き行動を見守る。
カラーボックスの裏はテレビの配線がいくつも重なり合っていて、殺虫剤が使えない。
そう考える前に気が動転していま一回使ったような気がするが、多分大丈夫だろう。
ゲジゲジは壁伝いから床に降りた。
狭い隙間の配線のなかを、彼は幾多の足を懸命に動かして乗り越えていく。
表情こそ掴めないが、その動きに全身全霊で生を全うしようとする魂が感じられる。
ひたすらかき分け、乗り越え、前へ突き進んでいく。
そのまま進むと勉強机の裏側へ入る。
机を動かすのが面倒だ。どうする。どこへ行く。
ゲジゲジと私のドキュメンタリーは続く。
曲がった。ボックスと勉強机の角を左に曲がった。
こっちだ。隙間をこっちに進んでくる。
このまま部屋の中心に出てくるか。どうする。
ひとまずバッグを避難させよう。
と、その直後、
その隙間に置いてある延長コードのタップがゲジゲジの行く手を阻んだ。
乗り越えて出てくるのかと思いきや、ゲジゲジは延長コードのタップを乗り越えられない。
それだけ足の数があって乗り越えられないのかと思いつつ、ゲジゲジは直進を諦めた。
もはや動きが緩慢になりつつあり、空中を泳ぐような足の動きが見られだした。
そこからゲジゲジは元の道を引き返し、少し進んだところで歩けなくなった。
もはやエンディングは時間の問題だ。
とどめを刺してやりたいのはやまやまだが、
中途半端につかみ損ねて足の何本かを折るのが嫌だし、
何だかそのわさわさ感がティッシュを通じて伝わるのもいただけない。
生の苦しみを最後まで与え続けるのは申し訳なかったが、最後まで見届けることにした。
ポリ袋を裏返して手にはめ、ティッシュでそっと身柄確保。
そのままポリ袋を再び裏返して、固く口をしばる。
念仏を三度唱える。成仏できますように。
その後、外出のため駅に来た。
すこぶる良い天気だ。
風は心地良く山々を渡り、木々の緑が眩しい。
ツバメが一羽、駅舎の下でホバリングしながら天井を見上げている。
新築の物件探しに違いない。
春らしい一日だ。
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