何でもない記念日
2008.9.26
残しておきたい自分の心があって、書いておこうと思う。
友人から昨日聞いた話は唐突で、確かに驚いた。最初は何のことなのか、思いつかなかった。
自分でもそう思っていたフィルターの向こうで、困っている人がいるということを想像したことがなかった。
いろんな人のことをありのままに見てきたつもりだったけど、
実際のところはそうではなく、
自分が勝手に「あの人はこうだ」と考えていたり、相手が内面を隠し、あえて他者に見せている部分を見ていたり、というのがとても多い。
現実には、もっともっと人それぞれいろいろたくさんの内面がある。
それを見通すには、自分の価値観というフィルターは何枚も重なっていて、厚みがあって濁っていて見通せない。
自分の信じてきたものに突然周囲から言われなき抵抗を受けたら、どうしたらいいのだろう。
信じてきたものが周囲の人と違うだけで、それだけで人より苦労するのだろうか。
全く無意味な苦労をするのだろうか。
そのフィルターをはずして物事を見たことがなかった。
でもそれを経験した人が、身近にいた。
不思議だったのは、その経験談を聞いても、
それでもその人に対する自分の気持ちは変わらないな、と思ったことだった。
近しい人でなければ、相手を価値観のフィルターの向こうに遠ざけてしまっていただろう。
近ければ心を閉ざすことなく、ちゃんと見よう、理解しようとすることができるのだ、と、初めて知った気がする。
次の日、目覚めた朝はいつも通りの朝だった。
何でもなかった。
真っ先に昨日のことを思い出したけど、
その人と、自分と、その人と自分の間にあるものは、何も変わっていなかった。
あぁ、なんだ、何も変わらないではないか。
今まで自分が考えていたこと、思い込んでいた価値観とは何だったんだろう。
どんな外見や背景があっても、今更中身は崩れなかった。
逆に新しい中身をひとつ知ったうえでその人のことを考えてみたら、
これまでの時間がより確固たるものになったような気がして、
「何も変わらない」ということはこんなにも凄いことなのか、と嬉しくさえあった。
だから今日は、「なんでもない記念日」にしようと思う。
人を判断するものは中身であって、
いや、そもそも判断とかそんな言葉で表せるものではなくて、
人と人とのつながりとはもっと言葉にならないような、
見えないものに意味があるものなんだ、と思い改める日にしようと思う。
精一杯の気持ちを込めて、
ありがとう。
これまでのことにも感謝しているし、これからも変わらずこのまま友達でありたいと思うよ。