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「8月6日」それは、僕たちにとって特別な日。

(※このブログは2019年8月6日に別サイトで掲載した僕のブログです)

「8月6日」



それは、広島県民にとって特に大事な日である。






決して忘れてはいけない、1日である。






今日、広島に原爆が落とされて74年が経った。








1945年8月6日午前8時15分。広島に原爆が落とされた。一瞬で広島の街は焼け野原へと姿を変えた。熱くて熱くて本当に熱くて、皆が近くの川に飛び込み、水を飲んだ。その水がすでに汚染されていることなど、知っていながらも。多くの方が川辺付近で亡くなられている。「いいんじゃ、この水を飲んだらわしが死ぬことくらい、わかっとる。ただ、最後くらい気持ちよう死にたいんよ。」原爆の被害を間近で見て、その経験を後世に伝えるために書かれた多くの「詩」の中にこんな言葉がよくあった。その辛さに幼き頃の僕の心はとても締め付けられた。





何も望まない。




貧しくてもいい。




ただ、大切な人と当たり前に普通の人生を歩んで行きたかっただけなのに。





それだけなのに。







約70年前。そんな願いも叶わず、広島の街は、とてもこの世のものとは思えないほど、荒れ果てた街になってしまっていた。広島という場所が壊されただけではない。広島に住む人たちが皆、壊されてしまった。

大切な人を失ってしまった絶望、大切な街を失ってしまった絶望、この先の命に対する不安。一つの大きな爆弾で、人も、街も、一瞬で壊されてしまった。







それでも、先祖の方々はすごかった。





しばらく時間が経つと、こんな声を発する。






「新しい広島を自分たちで作ろうや」





誰に言われたわけでもない。やらされたわけでもない。ただ、この街が好きだから。死んだ家族や友人のためにも、自分たちはこの街とともに生きていかなくてはならない。自分たちが笑って、幸せに、当たり前に生きていた日常を取り戻そうじゃないか、そうして偉大な先祖達は動き出したのだ。僕たちがもしその時代に生きていたとしたら、そんな勇気ある行動をできていたのだろうか。







今広島は、人も、街を活気にあふれている。それは偉大な先祖達が動いてくれたからだ。 

「広島の未来はわしらが作る。」

絶望の淵に、いや、絶望のどん底に落とされながらも、まだ見ぬ広島の未来を見つめて、ただひたすらに行動し続けてくれた。人間の力はすごいんだぞ、そう、教わった。






広島の小中学校(主に小学校)では「平和学習」というのが存在する。年に何回か、原爆について学ぶ時間がある。8月6日はもちろん夏休みだが、みんなこの日は学校に集まり、学校のテレビで平和記念式典の生中継を見る。

どんなにヤンチャな男の子でも、学校があまり好きでない女の子でも、この日は当たり前のように学校に集まり、原爆について学んでいた。それほど、僕たちの中で「忘れてはいけないんだ」という思いが強くある。








先日、SNSで原爆と広島を関連づけてカープを批判する投稿を見た。とても、胸が苦しくなった。涙が出そうになった。人の価値観、見方はそれぞれである。他チームのファンが広島カープやそのファンを批判することは、あって普通だと思う。だがしかし、だがしかしだ。原爆は違う。それだけは絶対に違うんだ。それを言ったらどんだけの人が悲しむかまだわからないんだと思う。

だから僕たち、今を生きる僕たちがもっと原爆について学び、知り、発信していく必要がある。そうすれば、そんな投稿なんてなくなるはずだから。

僕たちは幸いにも今を生きている。悲惨な広島を乗り越えた方々のおかげで今も生きることができている。僕たちがやるべきことはなんなのか。できることはなんなのか。そんな投稿、発言をなくす環境を自分たちで作らなければならないのではないだろうか。先祖達が苦しい思いで作り上げた今の素晴らしい日本を、このヒロシマを二度と悲惨な状態にさせないためにも、しっかりと考えていかなければならない。







最後まで見てくれてありがとう。



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