付きまとうボンカレーの丸②
三浦梅園に関して、私はほとんど知らない。
ただ学生の時、間違えて入った講義室でやっていた授業で、少し紹介されていた程度だ。本命の講義は遅刻厳禁だったため、することもなくただ90分、国文学の授業を聞いていた。
梅園は大分県国東半島の出身の学者だった。そんな彼がなぜ、後世に名を残すことになったか。それは、人生のほとんどを国東の地で過ごした梅園が、天文・医学・哲学・歴史・政治経済など多くの学問を修め、思想を作りあげたからである。
長崎遊学や伊勢参りに行ったこともあったようだが、たった三回である。
当時は確か海路を利用して、最新の書籍を手に入れていた、などの話が、講義で紹介されていたように記憶している。
こうして脳みその隅っこから三浦梅園を思い出し、とても都会とは言えないこの地で、自分をもてあましている自分と比べてしまった。
学問に到達点はないし、正攻法もない。ただ興味を探求し、大成させていった人達には、おそらく、人並み外れた好奇心と探究心があったのだろう。
伊能忠敬もシュリーマンも、勉学を志したのは中年になってからだった。好奇心も探究心も、老いることがない。持っていれば無敵だ。梅園も好奇心と探究心で、ボンカレーの丸の呪いに勝ったのだ。しかも200年近く前に。(本人はそんな意識ないだろうけど)
環境に文句を言うものではないな。ここでも、気づいていないだけで、できることがたくさんある。ライターゼミもデジ○リも、語らう友人もいないが、noteにも他のネットサービスにも、格安でスキルを磨く環境が、たくさん用意されている。
熱意と好奇心でどこまでいけるか。
今まで都会の人に負い目を感じていたが、今は自分に可能性を感じる。たのしく暮らして行けそうな気がする。
今まで、私の人生に全く縁のなかった三浦梅園が、私を元気づけたのだ。
蒔かれたところに文句を言わない。土壌を知り、天候を知り、自分という種の性質を知った上で、どうにか咲けないかと、試行錯誤を繰り返す。
わくわくしてきた。さて、何をしよう。そう思いながら町の図書館へ行くと、「県民大学」のチラシが置いてあるのを見つけた。