「学習方法」と「学習」は違うもの
誰しも効率よく、できれば無駄なく合格に漕ぎ着きたいと思うのは人情として理解できます。
ただそれが高じて表題の両者を混同してしまっている方をネットコミュニティでたまに見かけます。
独学では疑問を解消する術のなかった時代から思えば、インターネットは強力なサポーターになるコトでしょう。しかしあなたの頭脳そのものではありません。
どれほど優れた学習法をみつけようが、試験に立ち向かうだけの能力は身につけなければ合格にはならないのです。
どれだけ野球理論を高めてみても、素振りなしにはヒットは打てるようにならないと例えると分かりやすいかも知れません。
なのに、貴重な時間を費やして根掘り葉掘り、そしていつみても同様の質問を繰り返してる人がいます。
先にも述べたようにインターネットの普及により、洗練された効率的な学習法というのはもうすでに一定の精度で明かされていると言えるでしょう。なのでその中でさらなる効率を追求しようというのはもはや努力をしたくないコトの現れなのかも知れませんね。
勉強は時に泥臭く、ひたすら狂ったように過去問に向き合うコトも必要です。
世間に流布される勉強法はどれも正しいし、どれも誤りだとも言えます。
「◯◯を3ヶ月で合格する方法」なんてのは「◯◯を3ヶ月で合格した人がいる」というに過ぎません。私はそんなものと張り合うコトに意味を感じませんから、「だったら倍の6ヶ月もやればオレでもなんとかなるかな。」ぐらいの情報として受け止めています。
理論と技術とパワーをバランスよく身につけるのはあなた独自のもので構いません。それらは非効率な学習を繰り返している中でこそ培えるものもあるので、他人ばかりをアテにせず「自分のチカラ」というものを信じてあげてください。
越せない壁なんて存在しません。
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