一期一会を大切にするから苦しくなる【失恋から立ち直る方法●】[2023/11/04]
今日は人に会う予定はないけれど、朝からヘアカラーとカットをしに行った。快晴が気持ち良くて、少し心がほんわかした。
ここのところ私の情緒が浮き沈みしていたことが露わになるような、話題が散らかった決して褒められない内容だけれど、今の心情や考えをまとめておこうと思う。
半分ぐらい夜に書いたので暗いけど。
ふと、一昨日のK君との会話を思い返していた。
K君は、じっくりと私の話を聞いて、自分の意見も挟んで返してくれたんだけど、鋭い指摘をされたことを思い出した。
「失恋の後は相当おかしい行動をしているって自分で言ってるし、わかってるじゃん?だけど、むかし仕事で倒れたときは、おかしいって気づかなかったの?仕事とプライベートは違ったの?」
確かにそうだ。
今でも、自分の限度に気づかず過激にやりすぎてしまうところがある。
仕事だって、遊びだって、婚活だってそう。
大して総エネルギーない癖に、瞬発的にエネルギーを投下してしまう。
ダウンして入院するまで仕事をしてしまったとき、転がり落ちるように体調が悪くなっていったけれど、もうそうなってからは少し休んだところで焼け石に水の手遅れ。
最近、その頃雑記していたノートを見返す機会があって、後から振り返ったら相当追い詰められておかしいこといっぱい書いているのに、その渦中にいるときは気づけなかった。調子よくやる気に燃えている反面、ノルマのプレッシャーや置かれた環境、状況に蝕まれていた。その半年間ぐらい相当病んだ文章を書いたり、上司に夜電話で話を聞いてもらっていた頃にストップをかけていたら、恐らく体は壊さなかっただろう。
入院沙汰を起こして、自分のキャリアも変わってしまった。ここは、本当に運が良くて、想像もしていなかった元々志望していた業界に行けたから、災い転じて福と成すなのだけれど。
今では、十分ではないとはいえ、仕事では、そこまで行きつかないまでに自主的に休み、サボることはできるようになったと思う。
最悪、半日や1日の穴は空けても、長期離脱はせずに済んでいる。
これもおかしい話で、今の職場でも、同僚や周りの人が業務過多になって倒れたら安心する自分がいる。ああ、しんどかったの私だけじゃなかったんだって。
大体倒れたり、離脱する人は、その前の半年間とか数か月間とか、何らか無茶な状況に追い込まれていて、外から見ていて危ないなーと思っていたら案の定ということが多い。
だけれど、自分の業務量や状況がキツイかはいつも客観的に分からない。(まわりからはいつも忙しそうとは言われるけど。)
プライベートはどうだろう。
婚活も、Bさんとの終焉で振り絞ってエネルギーを使って、もうこれ限界だなって思ったから、活動場所を変えよう、少し休もうってなった。
春の失恋の反動で、それまでの自分ならしないようなおかしな行動を幾つもして、今だっておかしい行動をしている。
こうやって数日で多くの記事を書いてアウトプットしているというのは発散の現れである。
婚活のお休み中にしばらく会っていない昔からの親友にも会いたいなと思って、数年ぶりに連絡した。会えると良いな。
真面目というレッテルに反発しつつも真面目に生きてきた私は、春以前の人生で、この半年のようなある種の過激さを帯びた積極的な行動をとることは、少なくともここ10年はなかった。
特に対人関係に関しては。
メンタルに引っ張られて生活習慣もグダグダになっているときもある。
健康な精神は、健康的な習慣からってわかっているけれど、そもそも仕事の帰りが遅くて不規則で、自炊ができない週もあったり、先週みたく睡眠不足で、更にメンタル壊しにいくような生活をしてしまっている時間も結構多い。。よくないな。
よい恋愛には情緒の安定が必要なのに。
前の記事で登場した整骨院のM先生、夏に所属店舗が変わって遠くなってしまったから、前みたいに定期的には通っていない。
それでも、体がバキバキで固まってしまっているなというときに、数日前に連絡して予約を入れてもらっている。体がほぐれると、心もほぐれやすい。
今回もメンタルの状態が思いっきり体に影響しているような状況で、どうですか?って聞かれて、メンタルズタボロです(苦笑)って。
M先生も、私のおかしな半年間を知っている数少ない人、かつ、失恋以前の「仕事ばっかり、たまに趣味の話する」、モードの私も知っている人。
最近も、いま仕事や出会いはこんな感じ~って話している。
今週のBさんとのさよならと、K君との再会をさくっと報告したら、とても良いことを仰ったM先生。
「ナナシノゴンベエさんは、ひとつひとつの出会いを大事にし過ぎるから辛いんじゃないんですか。ひとつの出会いを大切にその後も育てていこうとするでしょ?
友達をすぐ作って誰とでも適当に仲良くするような人は、そんなに一個一個大事にしてないから、別れるときもあっさりなんですよ。
でも、ひとつひとつの出会いを大切にするような人でないと、多分一期一会にならないんですよ。
僕もそうだから。」
うん。確かにそうかもしれない。
人と出会うときは、その人にしっかりと向き合う。
結婚相談所婚活をしていて、次会えるかわからないから、余計に1回1回が勝負という考え方に拍車がかかった気もする。
そして、出会ってしまった人のことは、その後どうしているのか気になる。
話していて人間として興味を持った人には、幸せに生きていて欲しいと思う。
これを執着というのなら、そうなのかもしれない。執着は楽しい。中毒性がある。
そんな人たちとはゆるくでも関わり続けられたらハッピーだけど、元々片想い属性の強い私からしたら生存確認できたらそれだけでも良いみたいな感じでもある。
もし女子力や生き方をこじらせていなかったら?
もし出会いを探しに行っていなかったら?
もし春の沼落ち失恋の彼と障壁なくうまくいっていたら?
もしこの半年の婚活で出会っていいなと思っていた誰かとうまくいって結婚前提で付き合っていたら?
少なからず、一昨日みたいなシチュエーションはなかっただろう。
最後まで流されはしなかったけれど、成り行きで、年下の男の子としっかり恋人繋ぎをして未明の街を歩き、朝まで過ごすなんて、そんな日が来ると誰が想像しただろう(何もなく朝までコースは今年2回目 笑)。
自分の直感はどこかで信じているけれど、K君の根が紳士的な男性でよかった。
婚活で出会った相手には、色んな遠慮が入って、好きでも手繋ぐとかできなかったのに…というのが、また人生の面白いところ。
やっぱりどこか遠慮や打算が入ってしまっているんだろうな。
K君との会話でも、婚活エピソードの延長で人生を諦めてるBさんのことを半分面白おかしく言って、女性に対して色々偏見のあることほざいてた、腹立つもんまで言ってしまって(←ひどい)、、私怒ってたんだなと自認できた。
香ばしい人が気になるのは分かるけどさー(この表現ツボ)と呆れ笑いをされた。
私は一体何に執着しているんだろう。やっぱりあの諦めの正体を暴けなかったことがどこか引っかかっているのだ。
Bさんとシステム上でも交際終了が明確になって、彼はプロフィール写真を非公開にしたので、あー、私との交流で彼も相当のダメージ食らったんだということが分かってなんとも言えない気持ちになった。これからの彼の婚活は大変かもしれない。諦めたかもしれない。多分私以上に繊細な人だから。
私もそれなりにダメージ食らったので人の事言えないけれど。
それでも今回のは、やはり失恋とは言えない。そういう傷つき方ではないから。母性とか情によるお節介に近いかな?
Bさんの過去の記述に「1日徹夜して、1日爆睡するサイクルになってしまっている」というのがあって、今週まさにそれと同じような過ごし方をしてしまった私は自己嫌悪に陥った。
Bさんが結婚相談所のシステムにお金を払うという行為に心底虚しさを感じていたことは知っていて、そんな中で私と出会って有意義な時間を過ごせて良かったみたいなことを言ってもくれていたので、彼も彼なりに今回は期待してみたけれど、やっぱり無理だったんだろう。こういう行動が見えてくると、やっぱりこれは彼の内なる問題であって、もうこれ以上私にはどうしようもなかったということが明確になって少しスッキリした。
K君の帰国が今だったから、このタイミングで会った訳だけれど、普段会わない人と対話すると見えてくるものがある。これだって一期一会を大切にした結果の再会だ。繋がっていないようで、春から話が繋がっている。
ここ1週間の出来事が直接的に何か私の人生を変える訳ではないかもしれない。
だけど、このタイミングで、こういう機会が訪れるというのが、何か仕組まれているのでは?ここから何かを学べばいいのか?と考えさせられてしまう。
そして、色々な人と出会う中で、やっぱり一定数、なんだかんだ話せて、苦なく長時間一緒に過ごせる人がいるんだなと思う。それには年齢は関係ないんだなとも。
K君自体も不思議とほっとさせてくれるような人なんだけれど、話聞いてもらっている中で、半年間の出会いと別れを整理していたら、確かに一緒に長時間過ごしてもあんまり無理がなくて、ちゃんと好きになれた人もパラパラ出てきていた。
そう考えたら、まだこれからの出会いも捨てたものじゃないなと思えた。
K君にも、Bさんにも感謝しないといけないな。
何か大きな流れの渦中にいる。
私の人生にはそう思わされるときがしばしばある。
1クール終わったパートナー探しの旅、すごく綺麗にまとまった気がする。