格闘技の中に見た私の価値観。
突発性難聴と診断された翌日、格闘技がネットTVでLIVE放送された。
緊急事態宣言が出る前から決まっていた興行だったと思う。
無観客、関係者は防護服を着用、試合数も減らし、完璧とまではいかないけれど対策というか…最大の"配慮"は行われていた。
ネットテレビでのLIVE配信の告知に以前からファンは歓喜していたし、ファイターの中には試合ができることを羨ましいと感じていた人もいただろう。
エバグラに来てくれたことのあるファイターさんも出場していた。
どんな状況下でもオファーがあれば選手は首を縦に振るだろう。
しかし、試合をキャンセルした選手を叩くような言葉もSNSには流れてきた。
私はずっとモヤモヤしていた。
自粛する、しないの判断はそれぞれ尊重されるべきだ。
自粛してるからと叩かれることも、自粛していないからと非難される必要もない。
100%の答えがない中、誰も間違ってないし、誰も正解じゃない。
結局、私はチャンネルを合わせて観戦することはなかった。
その夜、メインを務めた選手のマイクがTwitterのタイムラインに流れてきた。
本音なんだろうなと思う。
彼流の発信の仕方をこれまでたくさん見てきたし、彼の生き方を否定する気もない。
それでも、今回は反応してしまった。
初めて格闘技を嫌いだなと思った。
私が少しでも何か役に立ちたいと携わってきた格闘技ってこのマイクが許される世界なんだと。
今でも言語化するにはすごく難しい感情が渦巻いているのだけれど、彼の発信に乗っているファイターやファンがかなりの数見受けられることもショックだった。
そんなことを考えていたら耳の調子が悪くなり、気分も落ち込み週末はベッドの上で過ごした。
人に会うのが嫌でLINEやメッセージも見るのが嫌だった。
ぐるぐるぐるぐる考えが巡る。
答えは出ないまま、いつもと変わらず同じように時間が過ぎ、同じように朝がやってきた。
今、自分はいつ死んだっていいと思って自由に生きた結果が誰かの大切な人を殺すかもしれない。
代表者や責任者が、責任は全て僕が取ります。なんて言葉を軽々しく使わないで欲しい。
命を軽く扱わないで欲しい。
少しでいい。
考えて欲しい。
人は一人じゃ生きていけない。
あなたも誰かに生かされていることを忘れないで。
私たちは、批判や非難を恐れて自粛しているのか?
違う。
誰かの大切な人や故郷を守る為に自粛してるんだ。
もちろん自分自身にとってもだ。
自由とは?
強さとは?
正義とは?
私が格闘技を好きなのは格闘技を愛して頑張る人々が芯があって強くて優しくて温かいことを知っているからだ。
たくさんたくさん救われてきた。
感謝の気持ちが減ることはない。
今、ジムと名のつく場所が本当に大変な状況だということも理解している。
明日が見えない日々と自粛要請という無責任な言葉のせいだとも思う。
守るべきものを守るために信念を持って営業を続けている人もいれば、守るべきものを守るために自粛をしている人もいるだろう。
きっとみんな自問自答を繰り返している。
私も、ただただ自分の辛さやいつまでも晴れない不安を今回の一件にぶつけているだけの一人かもしれないと、文字を打ち込みながら考えている。
また、みんなで笑って格闘技最高!と叫べる日々が早くやって来ますように。