沖縄に生まれて。
私の実家は嘉手納飛行場の近くにある。
小さな頃はテニス漬けの毎日を送っていたが、家族での練習コートは米基地内だったし、コートに来る米兵のお兄ちゃん達はみんな優しかった。
「Can i play tennis?」
小学生の時に初めて覚えた英語だ。
その反面、訓練が始まると早朝でも夜中でも戦闘機が平気な顔して家の上を飛んでいたし、その大きな影に家がすっぽりハマることもあった。
そんな私にとっての日常が普通じゃないことを高校生になって沖縄を出るまで知らなかった。
今から10年ほど前、実家が国の制度を利用して防音工事を行った。
戦闘機の飛行ルート内にあり、騒音被害が該当する地域に対する国からのごめんなさいらしい。
30年間頑なに拒否してきた父が定年を迎えて決断した。
父は、口には何も出さなかったけど色々な思いがあったのかもしれない。
10年近く経ち、私も歳を重ねてよりそう感じることがある。
沖縄の基地問題には複雑なことがたくさんある。
住んでいてもわからないことが山ほどある。
たくさんの価値観がこの何十年で変化してきたなとも感じる。
そして恥ずかしいことに那覇に暮らしているだけで沖縄に基地があることを忘れてしまいそうになる現実。
きっと沖縄の人全員が納得のいく答えなんてもうないのかもしれない。
少なくとも私は見つけきれていない。
それでも、私の大好きなそば屋のおじいちゃんが沖縄へ観光に来た友人たちに
「内地から来たの?わざわざありがとーね。あんたたちは北に遊びに行きなさい。南は行かんくていいよ。悲しすぎるからさ。あんな思いはおじぃなんかでたくさんさー。北で遊びなさい。海が綺麗さー。」
と、ニコニコしながら話してくれたことを思い出す。
南部には戦跡がたくさんある。
おじいちゃんの言葉が沖縄に住む私にも染みる。
やっぱりこの島に生まれて良かった。
そう思えるのは、あの争いを経験し、涙し、そこから復興してくれた誇り高きうちなんちゅの方々が居てくれたからだ。
今、遠い国で起きている出来事のニュースにとても胸が痛くなるのは私にも沖縄の血が流れているからなのかもしれない。
命どぅ宝。
ただただ平和を願う。