前十字靭帯断裂をした日。
21歳。
大学3年生の冬に前十字靭帯を断裂した。
大学の雪上実習でスキーの講習中だった。
クラッシュして体が宙を舞った後、スキーの板を履いた足が雪に刺さって「ばちん」という音が体の中から聞こえた。
倒れた瞬間、尋常じゃない痛みに襲われて過呼吸になって周りに先生や実習仲間が集まってきて、遠くから救急ジェットの音が聞こえてきた…くらいまでは覚えている。
「先生!私、リーグは出れますか?秋に間に合いますか?」
運ばれる間中、泣きじゃくりながらそう叫び続けていたことを後々、付き添ってくれた先生から聞かされた。
この辺の記憶はあんまりない。
私はテニスのスポーツ推薦で入った大学を1年の途中で休学してオーストラリアに渡った。
大学を辞めてプロになるつもりだった。
でも実力の無さや覚悟の足りなさもあって恥ずかしながら大学に戻った。
そんな自己中で迷惑三昧の私を快く受け入れてくれたテニス部のみんなと日本一のチームになる!という目標が、日本に戻ってきてリスタートした大学生活の全てだった。
それが自分の責務だと思っていたし、チームのみんなへの懺悔だとも思っていた。
でも、キャプテンになってチームを構築していく中で、大好きな仲間と日本一を目指す毎日が楽しくなって、このメンバーでずっと一緒に居たいと思うようになっていた。
そんな中での前十字靭帯断裂。
事故後の応急処置が適切だったおかげで、温存法を選ぶなら秋のリーグには間に合うと言われた。
整形外科の先生は将来を考えると手術が良いと言っていたけど私は頑なに拒んだ。
その時は、リーグにさえ間に合えばその後はどうなっても良いと思っていた。
人生を考える余裕なんてなかったし、その必要性がわからなかった。
こんなにも人生が長いことをまだ理解していなかった。
怪我をしてすぐに彼氏とも別れた。
膝に関する文献を片っ端から図書館で集めて、どうすれば復帰できるかを寝ずに考えて心配してくれる優しい人だった。
この頃から私の心は壊れ始めていたんだと思う。
誰にも弱みを見せたくなかったし、優しくされるたびに私の何がわかるの?と思ってしまったし、キャプテンとしてみんなを引っ張ってきた頼りになる私を辞めたくなかった。
そもそも、こんな風に彼氏作ってちゃらちゃらしてるからテニスの神様に見放されたんだと考えたりもしていた。
誰かを頼るという選択肢がなく、相談の仕方もわからなかったし、そうしてしまうとギリギリ繋がっていたものが切れてしまいそうな恐怖もあった。
そして、全部自分で決断してあっという間にリーグがやってきた。
リーグはダブルス2本、シングルス5本、計7本を6チームで戦う。
私はサイボーグのようなテーピングを施してダブルスに全試合出場した。
そして全試合勝利した。
でも、チームは負けて日本一には手が届かなかった。
閉会式では、監督からも仲間たちからもライバルチームからも、間違いなく君の作ったチームは日本一だったと労いの言葉を貰った。
「でも、日本一じゃないじゃん。」
褒められるたびに心の中でそう思った。
「全力でやり切った。」
どんな結果でもそう思うために手術をせずリーグ出場の選択をしたはずなのに、全くそう思えなかった。
なんであの時。なんであの時。なんであの時。
頭の中でその言葉だけがぐるぐる回り続けて、自分が選択してきた道を自分で全否定してしまった。
そこから完全に壊れて、今度は心との闘いが始まる。
私は、人生懸けていたテニスがいつか目の前からなくなるかもしれないという想像をしたことがなかった。
ズルくて弱くて無知な私を繕って背伸びして生きてきた結果だった。
あれから20年。
何度も思い出しては泣いて、何度も後悔して、何度も誰かのせいにしては投げやりになって。
その度に、自分と何度も向き合って、何度もそれで良かったと肯定して、何度も何度も自分の中に落とし込んだ。
あの経験がなければ今の私はないし、痛みを経験したから伝えられることもあるし、日々に感謝できるようにもなった。
きっと全部必要なことだった。
それでも。
今でも怪我をした日々が夢に出てきて目が覚めると膝の古傷が痛むことがある。
そんな日は頑張ってくれてありがとねーっと思いながら膝を冷やす。
そして、今日も笑顔を忘れずに楽しく頑張ろうと強く強く思う。
あの頃に比べたら今の私はちょーーーhappy野郎だ。
人生で起こる全てのことを意味のあるものにして生きていこう。
そうすれば自分のことが少しずつ好きになれそうな気がする。