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ルッキズムとメイクのおはなし
令和になってからルッキズム社会になった、とよく言われる。
おそらくそれは縦型動画や加工技術の影響なのだろうが、別に令和だからといってルッキズムが強くなったというわけではないのでは、、?とも思う。たしかに言及の機会は明らかに増えたしメイクや加工技術、整形の発達によりかわいい人間の総数が増えたのも事実だろう。ただルッキズムという現象自体は人間が行きている限り普遍的なものなのだとも思う。
こう思う理由として、わたしがルッキズムの被害者だからということが挙げられるだろう。令和でもないし、そこまでインターネットが発達していなかった時代だったため、今より人の顔面偏差値が気にされる時代でもなかったのに、わたしはルッキズムの被害を受けた。
好き好んで幼少期の写真など見せない人間なのでわたしの大学前のビジュアルを知る人間はあまりいないのだが、前提として言っておくとまあまあちゃんと癖毛である。巻いてるかと思ったー!と言われることが多いし実際色々探られるのも面倒なので巻いてるふうに見せている&聞かれても巻いたと言う、のだが。今はあるていど自分の髪質を持て余すことなく扱えている(巻き髪は取れにくいしヘアアレンジが映えるのでかなり好きだ)のだが、昔は髪質を持て余していた。
ストレートで持て余す、なら別によい。最低限の清潔感はあるし特段気にしなくとも大多数に擬態ができる。ただ、カールがついた髪質を持て余すと何がおこるか。まず清潔感は言うまでもない。恐らくいちばんの問題点としては「集団から外れる」ことになるだろう。集団から外れた人間に対して人間は冷淡であり、何を言ってもよいという謎の理論が発生する。加えて、わたし自身現在はメイクでパーツを映えさせているが当時はメイクなぞできるはずもなく、かなり地味な顔をしていた。顔が派手なら舐められることもなかっただろうが、当時は無口な性格面に加えて地味顔ということでかなり悪口を言われたものだ。当時(小学生とか)好きだった男の子に向かって、友達が勝手にその好意をバラし、挙句の果てには「〇〇ちゃんブスだからorキモいからむり」って言ってたよ、と伝えられほんとうに散々な小学生生活を送った。
中学でもそれはあるていど同様である。親が縮毛矯正を当ててくれたため、多少はそれを食らうことが少なくなった。とはいえ縮毛矯正の効果は一過性である。加えて、親は美容周りの知識が必要最低限しかなく、ヘアアイロンなど買い与えてくれるはずも無かった。経験者ならわかるだろうが3カ月もすれば根本が伸びてきて、直毛と癖毛が混在する状況になる。この状況がいちばん気持ち悪いしいちばん違和感があるのだ。とまあそんなかんじで、中学でもわたしの暗黒期は続いた。覚えているなかでも色々あるが、委員会(というか生徒会関連で、清掃委員会の補助をしていた わたしは清掃委員ではない)の仕事で教室に見回りに行っただけなのに「ブス」と言われ過剰に冷遇されたりというとばっちりを受けたり、卒業アルバムの【かわいい人ランキング】にはクラスの女子15人中ほぼ全員の名前がひとつは入っているなかわたしの名前はひとつも描かれず、といったような。文字に起こすとまぁまぁひどい話。
高校にもなればさすがにヘアアイロンを買ってもらって(たまたま何かの賞で当たったらしい)、とりあえずなんとか癖毛と折り合いをつけることができた。これでかなり評価は変わったと思う。とはいえ高校入学当初のことはわりと鮮明に覚えている。花粉症で4月にマスクをしていたのだが、花粉がなくなりマスクを外して登校したら陰口で「もっとかわいいかと思ってた萎えるわ(意訳)」ということを聞こえるように言われたのを覚えている。これに近いことを吹奏楽部の同じパートの同期にも言われた(これに関しても許してはいないが別によい)。うるせえ。わたしも好きでマスクをしていたわけではないのだ。文句を言うなら花粉に文句を言え。
もうなんか色々嫌になって、マスクを外して生活していた。あとはスキンケアとヘアセットと、眉毛を剃ったり、ということをしてなんとかしていた。あまり外見については言われなくなったし、同級生の女の子からはクラスのなかでまあまあ外見がよい子として扱われることもまあまあ増えた(それでも特筆すべきかわいい子にはなれなかったが)。
あと当時の彼氏くん。彼氏くんの評価が高かったので彼と付き合えたこともたぶん色々良かったのかなと思っている。周囲からの評判がかなり変わったのを実感している。付き合ってからにこにこすることが増えたらしい。にこにこしてるだけでこんなに評価が変わるのかはよく分からなかったが、まぁ笑顔はいいよね、というのと多少の色眼鏡も影響としてはあるのだろう。
高校までにおいて学んだこととして、集団の中でうまくやっていくにはレールを踏み外さないこと、それは外見についても同じこと、ということが挙げられたと思っている。髪について色々やっただけでかなり陰口が減ったということも恐らくその影響なのだろう。高校のうちは髪を巻いたりメイクをしたり過度なヘアセットが禁止される傾向が強いため、縮毛矯正という判断は妥当だったし、させてくれた親には感謝している。
大学においてはみんな髪を巻いたりハイトーンにしたりして勝手が許される空気になったため、縮毛矯正を時間をかけて無くしていくことを決めた。まっすぐが嫌だったわけではなく、単純にお金がかかる。ヘアセットやケアを頑張ってお金を浮かせてそのぶんで髪を染めたりしたかった(縮毛矯正しているとカラーがムラになりやすく、あと非常に髪が傷みやすくなる)。
ただ最初は癖毛を持て余していた&縮毛矯正部分が大部分残っていたということもあり、アイロンでずっとまっすぐにしていた記憶がある。当初のことを知る友人に聞いてもストレートだったねぇと言われるので記憶としては間違っていないだろう。美容院に言って髪質でいじめられて、アイロンでぎゃんぎゃんに伸ばされたこともあったが当時仲の良かった異性の同期に「ストレートにしたの!?かわいいじゃん」というような記憶のかぎりいちばん嬉しそうな反応を貰ってしまって、なんとなく嫌な気持ちになったりもした。わたしが髪巻いたときには何も言わなかったくせに、結局そういう「集団から外れない(というか金のかからない女概念か)」が好きなんですね、とかなり苦しくなった。それはもういい。忘れてないしずっと嫌だけどどうでもいいよ。
大学で過ごすうち、しかも1年冬くらいのわりとはやい段階、にある結論にたどり着いた。
金のかからない、化粧しなくてもかわいい女概念、かよわい女の子を演じていれば異性受けはする。
普通に当時の趣味の服装が男ウケ路線だったということがあり、軽音にはいってからはわりとちやほやされた記憶がある。メイクも下手だったがわりとメイク映えする顔だったということもあり異性同性とわずかわいいという評価もふえた。量産型がモテるのは本当だ。わかりやすくかわいいし弱そうに見える。簡単だったが、詳しくは伏せるが、それでかなり嫌な思いをしてしまい、大衆に迎合することの危険性を知った。
自分のためにメイクをして服を着なきゃいけないな、と思った。そもそも本来、わたしは濃い色の服が好きで赤とか着たくて、ベレー帽とかジャケットとかのかっこいいおしゃれアイテムが好きだったはずなのだ。時間をかけながらでいいから、クローゼットのなかを一新しようと思った。いまではほぼ一新できている気がする。1年半くらいかかったのでその間、理想があるのに現実は量産服しかない状況にかなり苦しんだ。3年生くらいになるとかなり色々服が揃ってきて嬉しかった。
メイクは、もともとそこまで好きじゃなかったのだ。顔にコンプレックスが酷かったから、それを隠すためのものとして、あとは身だしなみとしてはじめた。2年生くらいまでどちらかというと嫌いで、でも仕方なく、というか、醜形恐怖症なので義務感でしていたことが多いように感じる。メイクめんどくさいよー、でもしなきゃいけない、、と泣いていたときも実はあった。3年生くらいから、服が揃ってきて気分が上がったのでかなり楽しくなってきた記憶もある。美容系YouTubeの影響もかなりあるだろう。ななこちゃんにはほんとうに感謝している。
あ、でもちゃんと趣味だよ!!って言えるのって四年生からかも。それこそ彼氏と別れてから。これ言うと嫌味になってしまうけど、彼氏がいないほうが自分は自分のためにメイクができるしそんなわたしが好きだ。服もネイルもそう。爪を伸ばしても誰にも怒られないから自分のために色々できることが楽しい。髪もね、かなり色々器用にできるようになったんですよ。みんな褒めてくれるからほんとうに嬉しい。ヘアセットは得意なんです。
ルッキズムの被害者だし、今もそれはそうで、「猫枕さんかわいいから」とか言われると「あ、こいつ結局外見しか」とか「かわいいって自分より弱そうで扱いやすいってことだよな」とか思ってしまう。完全に呪いが解けてるわけじゃないし、たぶん生きてるうちはずっとその呪いを引きずりながら歩いていくんだろうなとも思う。小中のときの記憶はなかなか消えないし、自分のほんとうの好きを無視して、短絡的な甘さをとった昔のビジュアルとそれによって引き起こされた嫌な出来事に対しては今も全然許していないから。
だから、ではないけどほんとうに100自分のためのおしゃれをして、人を寄せ付けたくないし、人に色々へんなことを言われない程度になるしかないのかもしれないなとは思っている。
親からは「昔の自分をそろそろ許してあげな」と言われるしそうするのがいちばんラクではあるのだろうが、過去の自己否定によってわたしの人格は構成されているし、今それをやめたら強い人間ではいられないだろう。昔のせいでつらい思いをしてきたのだからそう簡単に許せるはずがない(両親ごめん)。
生きている時点でルッキズムなんて永遠にあるものなのだから、それに反発するよりはその仕組のなかで強くなるしか方法はないのでは、というのが今のわたしの論だ。ルッキズムーーとか言いたくないけど、言われないためには強くいるほかないし、ちゃんと強くなれたらはじめて昔の自分を笑える日が来ると思いたい。
とにかく恋人のためにおしゃれとかしないしほんとうに自分のためだけにおしゃれします!!ビジュアルに文句のある彼氏は要りません!
わたしは自分のためにおしゃれしてる自分が好きだ。その根底がルッキズムで、ルッキズムの呪いがあったとしても服とメイクが好きなことは変わらないし、服とメイクについて話してるわたしはかわいいと思うから!
呪いは解けてはくれないし、それをフル無視することも違うから、ほんとうに頭の片隅に入れながら、それでもちゃんと自分の好きなおしゃれを楽しめるうちに楽しみたいですね、と、そんなおはなし。
(編集後記)
こんな長文読んでくれる人なんて絶対良い人なのでありがとうございます。仲良くなれそう。
口下手ですが服とコスメの話は無限にできる、そんなひとです。