小話「ゆたかさとは…?」

正直、私の考えるゆたかさとは器の大きさ、許容量だと思っています。

しかし、
「いやいや!やっぱりお金が全て!!」
「いや、まず愛があるかでしょ!」
「教育こそゆたかさだ!」

といった意見も多いはず。

私はそれもゆたかさだと思います。

人それぞれ考えるゆたかさとは違うものでなくては逆におかしい…というか、気持ち悪いと思います。

その人が「こんなにお金があって私はゆたかな人生を送っている」と言えばそうであるのだろうし、「私は貧乏で住む家もない…でも、こんなにも愛をもらってゆたかな人生だなぁ」と言えばそうなのです。

しかし!

そこに優劣は存在しうると思っています。

例えば、お金持ちと貧乏人が対峙してお互いがお互いを「自分はゆたかな人生を送っている」と話をした時、「貧乏人のくせにゆたかな人生など送れるわけがないだろう?」「お金があるからゆたかとは限らない。本当のゆたかさが何か知らないんじゃないのか?」などお互いがお互いを罵倒し始めてしまったら、私はどちらもゆたかな人生を送ってはいないのではないかと思います。

自分の意見を言えることは素晴らしいことだと思います。
自分の意見を信じることも必要なことだと思います。

でもそれが人の意見を否定していい理由にはなりません。

例え自分の意見が正しいと微塵も疑っていなくても、相手が間違っていると思っていても「そうだね、お互いに幸せだね。」と言える心の広さが本当のゆたかさだと思っています。

ある種の無関心と言えるかもしれません。

「え、じゃあ相手が後々恥をかくとしてもなんでも肯定すればいいわけ?」

と思った人。

残念でした。笑

私の考える器の大きさとは、なんでも受け入れられることとイコールではないのです。

相手の為に何を言うべきで何を言わないべきかわかっているのが前提にあります。

ゆたかさ=器の大きさ+相手の為に発言の選択ができる

今こういう図式になってます。
ついてこれてますか?

そこにさらに!
この相手の為に発言の選択ができるという言葉の「相手の為に」は自分への見返りを求めないことが前提になります。

前提の前提ってもうわけがわからないでしょう。

大丈夫、私もわかりません。

とりあえず

ゆたかさ=器の大きさ+相手の為に発言の選択ができる(相手の為とは見返りを求めないこと)

という図式に進化しました。

もうマジカルバナナ的な感じになってきてます。

要するに私の考えるゆたかさとは器の大きさですが、そこには様々な条件があるということ。

「ゆたかさ」を一言で表すなら「器の大きさ」ですが、言葉を一言で表すことはとても難しいです。

そんなことが出来るなら物書きはもっと楽ですね。

そして、違った観点で言えば「ゆたかさとは何か」を考えて自分の答えを見つけ出せることも「ゆたかさ」と呼べるのかもしれませんね。

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