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2024副作用初め

2024年明けて間もなく大きな災害と事故が起こり、報道によって知る状況に胸が痛む日々です。

能登地方は夫の地元からそう遠くない場所。
和倉温泉、のとじま水族館には何度も足を運んでいます。
数多の思い出のある場所が、あんな甚大な被害を受けているなんて。
あの場所で暮らしていた方々のことを想うと、言葉もありません。
この年末年始は私の地元に帰省していたので、大きな揺れは免れましたが、日本海側の海寄りの街だったため津波警報に右往左往することに。。。

津波警報が解除され、何とか飛行機が飛んでくれて羽田空港に降り立ったその数時間後に、あの炎上事故が発生しました。
帰宅してテレビつけた私達、呆然。。。

自分達は何の被害も受けていないのに、胸の内に巣食ってしまった暗澹たる気持ちを上手く昇華できぬまま睦月の日々も折り返そうかという頃に、急に襲ってきたのです。ホルモン療法の副作用症状が。

始まりは金曜の夜。
いつもならちょっと遅くまで(21時前とか)仕事を続けてしまうのですが、なんとなく疲れてもう出来ない、、、って感じがしたので19時半くらいに終業。
疲労感が強いことは自覚していたのですが、金曜の夜を楽しみたくて、息子を寝かせた後も起きていて、帰宅した夫と話しつつダラダラとテレビを観てから私も0時頃に就寝。

翌土曜朝。
起きられない。
ホルモン療法始めてから朝に弱くなってしまったものの、7時台にはシャキッと起床できる私が、9時頃まで全くベッドから起き上がれず。
やっとのことで起き出したものの、偏頭痛がしてキモチワルイ。
でも午前に買い物、午後は息子の習い事と予定満載だったため、頭痛薬投入。
頭痛薬で乗り切れるくらいだったものの、夕方頃に動けなくなり、トド状態でリビングの床に転がり意識消失。。。
これはマズイような気がして、息子を寝かせた後すぐ、22時前にベッドに入って身体を休めようと試みたものの、こういう時に限って夜中何度も起きたりする。。。

翌日曜朝。
やっぱり起きられない。
また9時頃にベッド這い出すコース。
頭痛が改善しない、明確な倦怠感を覚え始める。
あと、口の中が異様に熱く感じる。
(↑何回か前のリュープリン注射時に感じた不調)
念のため検温したけど熱は無し。
これまたタイミングの悪いことに、この日は息子の通う学童のイベント参加のため、人混みの中に出かけてゆかねばならず。。。
気合いでイベントへ行き、夕方帰宅してリビングでトド化。
デジャヴ感がすごかったです。。。
んで、こういう日に限って夜は外食予定入れてたっていう、、、自分がリクエストした台湾料理だから気合いで食べたけど(食い意地w)、普段より全然食べられない。食欲を上回る倦怠感。
ある意味もう副作用慣れしていて、凄まじい倦怠感背負ってもどうにか日常動作こなせるので、就寝まで通常どおりに過ごせはしたのですが。
明日から仕事行ける気がしない、、、と思いながら意識を失って就寝。

倦怠感が酷ければ酷いほど、長く眠ることが難しくて、何度も目を覚ましながら月曜の朝を迎え。
起き上がれるはずもなく。
6時過ぎても起き上がれない時点で、仕事を休むことを決心しました。
倦怠感程度で大袈裟なんだろうか、と、毎度思うけれど、「頑張れない時は頑張れない自分を認めないと苦しくなるよ。最悪の場合、メンタルを壊すよ。」という主治医の言葉を思い起こし、今がその時だと思い直す。
必要最低限のこと(夫のお弁当や息子の朝食準備など)だけ必死でこなし、ドすっぴんのままで近所のママさん達に挨拶しつつ息子を見送り、ベッドへDIVE。
一旦全てを忘れて1人でぐっすり眠れ、、、ればいいのですが、あいにく副作用症状が出ている時は全く以て安眠快眠できない。
あまりの倦怠感で意識を失うように眠るけれど、あまりの倦怠感で目を覚ますという、わけわからない状況。
この日は、16時頃までひたすら横になっていました。
それで症状がきれいさっぱり無くなったわけではありませんが、体力を回復しただけマシになったかな、という感じの調子になった頃、息子も帰宅。
それ以後はまた根性でルーティンをこなし、1日を終え。

翌火曜から仕事へ復帰。
症状がなくなって元気になってる!と実感できたのは水曜でした。

リュープリン打った直後に副作用症状が出るのは何回も経験していますが、そうではないタイミングでこういう体調になるのは久しぶりで、少々びっくりしました。年始早々嬉しくなかった。。
前回打ったのは1ヶ月(4週)製剤なので、おそらく近々また打つことになります。
仕事も忙しくなってきているので、どうか副作用出ませんように。。。












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