祖母と乳がんのこと
母方の祖母がいます。御年82歳。
四半世紀前に乳がんを患い、乳房全摘出を越えて令和を生きる、がんサバイバーです。
祖母が乳がんを患った当時の、私自身の記憶は曖昧です。
おぼろげに覚えているのは、母から、おばあちゃんが乳がんという病気になり左のおっぱいを全て取らなければならなくなったと説明されたこと。
祖母宅に泊まりに行くと、必ず祖母と一緒にお風呂に入る私が、術後にお風呂で全摘の傷を見たらショックを受けるのではないかということを
またそんな私の反応によって、ただでさえ乳房全摘出に傷ついている祖母の気持ちが更に傷つくのではないかということを
私の母は、母親の立場からも娘の立場からもとても心配していました。
でも、当時まだ10歳にも満たない私は毅然と言ったそうです。
「ショックなんか受けない。その傷は、おばあちゃんが辛い思いをしてがんと戦った、生きてる証。私、傷を見ても絶対にショックなんか受けない。おばあちゃんが元気になったら、また一緒にお風呂入る。」
その宣言通り、左乳房を全摘出して退院した祖母と一緒にお風呂に入った私は、祖母に直接、このようなことを言ったそうです。
「おばあちゃん、私、全然大丈夫よ。その傷は、おばあちゃんが頑張った証、生きてる証だよ。そのままでいいんだよ。これからも一緒にお風呂入ろうね。」
祖母も、母も、泣いたと回想します。
本人、ほとんど覚えてないんですけどね;;
それから四半世紀経って、私自身も乳がんを患うとは数奇なものです。
(遺伝性の疑いもあるため、現在検査中)
あの時私の言葉に涙したという祖母は、今回の手術前も術後も、経験者にしか編み出せない言葉で私を励ましてくれました。
そして幼い私が祖母に向けて紡いだ言葉は、四半世紀の時を経て、私自身を鼓舞し支えることになりました。
その傷は、頑張った証、生きてる証。
そのままでいいんだよ。
こんなことが起きるなんて、誰が想像できただろうか。
あくまで祖母から話を聞いた限りですが、祖母は、ステージ3(ほんとか?)と診断され左乳房を全摘出した後に再建はせず、ホルモン治療を7年程続けたとのこと。
82歳の今に至るまで再発はありません。
再建をしなかったのは、当時は再建自体がまだポピュラーではなく、費用も全額自己負担だったためとのことでした。
再建せずとも、友達と旅行へ行き一緒に温泉を楽しみ、悲しみを超えて笑って生きる祖母には、もはや尊敬の念しか感じない。
祖母は、その乳がん罹患経験と全摘の傷を見せてくれることによって、結果的に私の乳がんへの警戒心を育て、欠かさず検診を受けるよう仕向けてくれました。そして今回の超早期発見に繋げた、言わば命の恩人です。
同時に、乳房を全摘出しても笑って生きていくことができると身を以て示してくれた、私の希望でもあります。
だから私は、乳がん疑いから告知、治療に至るまで、比較的冷静且つ希望を見失わずにいられるのかもしれません。
そんな祖母、実は悪性リンパ腫を患っており現在も治療中。
毎日電話しては、治療話に花を咲かせて励まし合う、酔狂な祖母と孫。
それもまた私達らしくていいと思っています。