六月二十九日の推し短歌
短歌が好きだ。理由なんかは自分語りになるので省略するが、読むのも好きだし自分で詠むこともある。でも散文と違って文字通りポエムであるので、なんだか気恥ずかしくて、あまり人には見せていなかった。
しかしここ数年、「短歌ブーム」と言われるようになって、「二次創作短歌」や「推し短歌」なる概念もできて、ちょっとだけ推しバンドや推しのことを詠んだ自作の短歌を表に出すようになった。限られた文字数で何かを表現する短歌は、読み手の間に原作や対象となる人物といった共通の文脈が存在する二次創作や推しというものと相性が良くて面白いと思う。
なお、わたしの推しとは、とあるバンドのボーカルだ。オタクなので推しの誕生日には毎年何かをやりたい。例えば絵が描けるならファンアートを描くのだが、生憎わたしは美術的なセンスが終わっているので、頭を捻って何かしら文字でできることをしている。今年はどうしようかと去年の推しの誕生日が終わってからずっと悩んでいたが、これを機に散逸的に詠んでいた推し短歌を、真面目に作って連作にしてみようと思った。奇しくもサラダ記念日のちょうど一週間前のこの日に。
短歌は余白の文学で、あれこれ説明するのは野暮かもしれないが、わたしが短歌に込めたかった推しの好きなところとか推しへの感情が伝わらなかったら悲しいので(それは単にわたしの能力不足なだけだが)、以下はセルフライナーノーツ的なことをしてみた記事である。
推しの名前を呼ぶときの喉元は夏のように熱くて、そこを通り抜ける空気は気管の形が分かるほどの存在感がある。そして声に込めたい推しへの感情が炭酸の泡のごとく湧き上がっては喉の奥に溶けていく。わたしはビールを飲まないたちだが、昼間っから飲むビールは夏の特権というイメージがあって、その喉越しはたぶんこんな風なのかな、と想像する。
推しの歌声は、五十音のひとつひとつに色があるようだと思う。音源でも勿論だが、特にライブにおいて、ステージの照明が点ききる前、まだ暗さの残る空間で響く声を聞いた時、たとえ姿が見えなくても目の前は明るく彩られてお祭り騒ぎのようになる。そしてそれはライブが終わっても、家に帰って眠る前でも、目を閉じた瞼の裏でひたすら続いているのだ。
推しが高校生のときに気に入っていた場所は、校舎と体育館を繋ぐ通路にあったベンチらしい。彼は汗かきなので、日陰のそこを通り抜ける風が涼しくて好きだったのだろう。ところでわたしは推しのTシャツの裾をふわりと翻らせる風が風のなかではいちばん好きだ(※本歌取り)。学生時代の空気感を今も持ち続けている推しバンドが愛しくて、あの頃吹いていた風がずっと推しの側にあってほしいと思う。
いっぱい食べる推しが好き。この世で「ヘルシー」って言葉が天敵で、人生で寿命の日数×3回しかご飯を食べられないと考えたら一回も無駄にしたくないと豪語する推しが好き。あるときバンドメンバーに「(推しは)外食の時に絶対ミニ丼頼みがち」と暴露されてから、SNSで推しが投稿する麺類の写真に、毎回ミニ丼がセットになっているのを確認してはニッコリしているオタクである。
本当に本当に本当に、何回この話をするのだと思われるかもしれないが、推しがエレキギターを弾くことがわたしの夢だったのだ。十数年願い続けていざ現実になったその瞬間は、脳内言語が全てひらがなでしか出力されないくらい衝撃的だった。皆に喜んでもらえることが正義だと語る推しは、やってほしいと望む人が多ければきっと叶えてくれるのだろう。だとすればそれはさながら、彼の正義を体現する楽器である。
推しは最近、釣りが趣味だ。大物を釣ったことを話すときの声は心底嬉しそうに弾んでいる。海面を飛び出して初めて自らの釣果と対面するその瞬間の推しの表情が見たいから、釣り上げられる魚になりたい。……というキモすぎる感情を、五七五七七の定型に押し込めることでなんとかマイルドにできないかと思ったもの。ちなみにミーバイはハタ類の沖縄での呼び名で、推しが初めてルアーで釣った魚だという。
推しがラジオで話す、地元の名もなき浜辺で遊んだこと、SUPで釣りをしたこと、ちょっとしたキャンプに行ったこと。SNSで呟く、ベランダ菜園で作ったゴーヤーの収穫、ふるさと納税でもらった品々で作った料理、近所のスーパーで買ったもの報告。そういう何気ない彼の「ちょっと嬉しい」というような日常を知れることが、こちらとしても嬉しい。幸せは連鎖するのだと、推しがかつて出版した絵本にも書いてあったから。
推しは自分のことを、「本当に普通の人間」と言う。勿論わたしにとっては紛れもないヒーローなのだが、本人の自己評価はずっと変わらない。だからこそ推しが書く歌詞は、映画や漫画の華々しい主役でもない普通の人間が、当たり前に過ごす平凡な日々の中で、確かに光る宝物を見つけ出したりとか、前向きに自分なりの挑戦をしてみたりとか、そういうことを表現するのが上手いと思う。そんな推しの歌詞が好きだ。
推しのことを知らない人が見ても短歌として成立するものを詠みたいが、どうしても背景知識が前提になるものも入れたくなってしまった(推しバンドの中でいちばん売れた曲は、知っている人も多くあれという希望的観測)。生まれ変わってもあなたの側で花になろうと歌うその曲の「花」は、何なのか明言されていない。もしわたしが生まれ変われるとしたら一択だ。推しバンドの概念であるところの"夏"に咲き、色は推しのメンカラ黄色、太陽に向かうという性質を持ち、そして推しの好きな花。
「人生は一冊の絵本」という、推しが昔から抱いている考えがある。一人一冊持っている絵本に主人公であるその人の生き方が記されていく、といった思想は、例えば推しが書く歌詞の中でも度々現れていて、彼の根底を流れるものなのだろう。それがとても詩的であって素敵だと思うから、短歌にしてみたかった。
推し、お誕生日おめでとう。貴方と貴方のバンドのおかげでどこまでも広がっていくわたしの生きる日々を、この人生という絵本にずっと記し続けたい。貴方の絵本にも、どうか彩りゆたかなページが刻まれ続けてゆきますように。
——そして、推し短歌をやるなら、絶対にやりたかった手法がある。そうして詠んだ歌を、最後に置きたかったのだ。
最初にあることのために息を吸ったから、最後にその息を吐き出した、そんな十首の連作である。
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