【豪州留学記】自分の機嫌くらい、自分でとれ~思い出と今と未来と
こんにちは!風薫る季節となり、過ごしやすい日々が続いていて嬉しいメルボルン大学に留学中のイブキです。
気付けばもう10月ですね。
あと3カ月で今年も終わり。。
1月に本格的に確定したメルボルン復学と学位変更のあの時から、気づけばもう9カ月の日々が経とうとしています。
そこで、この記事では、過去数カ月のメルボルンにおける私の学業や人間関係について振り返りながら、自分の置かれている「今」を徒然論じていきたいと思います。
広く浅い人間関係の構築
総じてみると、過去数年間における自分の一番の成長点は、自分自身を構成する要素が細かく分散されていったことにあると思います。専攻の人文地理学、趣味のストリートダンス、日本人学校での数学講師のバイト、などなど自分の柱となるようなものが、いくつか出来ました。
否定する気は毛頭ないものの、対して一年前のアデレードでは、あまり自分のアイデンティティに多様性が見られず、勉強していた情報技術と山登りくらいしか掘り下げるものがない、どこか単調な生活だったかもしれません。
言い換えると、これは職場や学校、趣味を通して様々な人に出会い、広く浅い人間関係を築いたことが幸いしたのだと思います。高校生の時に読んだ小説、『空白を満たしなさい』で提唱される「分人主義*1」の意味が何となく分かったような気がします。
「悲劇のヒーロー」という安酒:メルボルンに来てから変わったこと
結果的にこれによって2つ自分の中に変化が生じました。1つ目は執着がなくなったこと。はじめて留学に来た時と比べて飛躍的に人間関係や自分が足を運ぶ場所に多様性が生まれたことにより、「去る者は追わず来る者は拒まず」ではありませんが、物事をより受容できるようになりました。
2つ目はこれに関連して、自分の中に人文地理学や教育といった手札が増えたことにより、「これからどうするか」を戦略レベルでも戦術レベルでも批判的に考えられるようになりました。言うなれば、何か失敗したとしても、そこからの復帰(リカバリー)が早く、そこから学び得ることも増えたということでしょう。
これは私にとって大きな転機だったと思います。
高校時代、アメリカの大学受験のためのエッセイを書いていていて自覚しましたが、私はよく自分のことを「悲劇のヒーロー」だなんて思いこんでしまう癖がありました。ただメルボルンに留学に来て、どんな状況でも大切なのは「今」であり、自分の自由意志に基づいた行動であることを学びました。
逆境はチャーンス!
実際、留学も3年目に入り、ささやかな「日々の喜び」も増えましたが悔しいこともよくあります。先日は出願した海外留学奨学金に落選したメールが届きましたし(これで何度目だって話ですが)、今学期取っているスペイン語の授業でもプレゼン後のQ&Aが上手く答えられなかったりしました。
でも先述した通り、あまり執着していないので気にしていないのと、奨学金に落ちたり授業で悔しい経験を積んだりすることには価値があると思います。
言い換えれば、円安の状況下で海外で学べていることは貴重だし(その分、送り出してくれている親には感謝せねばならならいですが)、スペイン語の授業の衝撃は、この頃怠けていた自分の尻を叩く良い機会でした。
私の通うメルボルン大学には53,000人以上の学生がいると言われていますが、日本人の数は150人ほど(1,000人に3人くらい)*2。その中でスペイン語を受けている人なんて少数ですから、もう存在しているだけでもユニークな訳です。
自分に与えられた役割を果たす
こうして自分の棲むべき木が増えてくると、それに応じて「自分の役割」って何だろうって考え行動するようになります。そして、こういう風にどこかコミュニティに貢献している感が(たとえ勘違いであるとしても)どこか痛快だったりするわけです。
海外では「出ない釘は無視されて終わり」ですから、『自分、ここにいるよ~』と周りに信号を出すこと。授業中、分からないことがあれば「分からない」とはっきり口に出すことが自分や他人のためになると思います。実際、議論が硬直した時には、自分からガードを下げることが大切だと学んだのはここからでした。
「国民の3割近くが他の国で生まれた *3」だなんて言われているこの国では、その人の息遣いや表情などを通じて何か伝わってくるものです。その場の雰囲気を読んで、自分に与えられた役割を瞬時に理解し、行動できるよう(少なくとも)心掛けられるようになったことは自分にとって成長でした。
過程に過ぎない「今」
戦後を代表する詩人、茨木のり子さんはご自身の詩集の中で「自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ *4」と詠みました。
これまでメルボルン大学で過ごした日々を振り返ると、オーストラリア人は割と「自分の人生」を何よりも優先することが多いと感じますし、家族や友達は二の次、まして仕事や学校何ていうのは二の次の次みたいな感覚でいるんだろうと思います。
このように、良いか悪いかは置いておいて、よくある日本の「自己犠牲」とは異なる価値観で生きている人がオーストラリアには多くいると感じています。
それを知ったうえで、彼女の言葉を借りるなら、「自分の機嫌なんて自分で取れ」と昔の自分に言ってやりたいです。過去の失敗を悔んだり将来の不安を憂うより、あくまで「今」を全力で生きる(or 休む)ことが今のところの自分のモットーなのだと思います。
今回の記事は以上になります。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
では、また!
参考文献
*1 分人主義:個人(individual)に代わる新しい自分の捉え方で、人間関係によって変化する複数の人格すべてを「本当の自分」と捉える考え方
分人主義公式サイト (n.d.). https://dividualism.k-hirano.com/#:~:text=%E4%B8%AD%E5%BF%83%E3%81%AB%E4%B8%80%E3%81%A4%E3%81%A0%E3%81%91,%E4%BA%BA%E3%80%8D%E3%82%92%E7%94%9F%E3%81%8D%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82
*2 The University of Melbourne (n.d.). Japan: Information for International Students. https://study.unimelb.edu.au/connect-with-us/international/japan#:~:text=There%20are%20over%20150%20enrolled,you%20will%20feel%20at%20home.
*3 Australean Belaeu Statistics (2023). Australia’s overseas-born population grows to 29.5% in 2022. https://www.abs.gov.au/media-centre/media-releases/australias-overseas-born-population-grows-295-2022
*4 NHK (2023). 「自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ」詩人・茨木のり子 現代に響く魅力. クローズアップ現代. https://www.nhk.jp/p/gendai/ts/R7Y6NGLJ6G/blog/bl/pkEldmVQ6R/bp/pXmbYxljG5/