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英語の構文は英語学習の弊害になるのか問題
英語学習、とりたて日本の英語教育の中では、英文法と英語構文は重要視されている。
しかし、それらを取り入れることで英語嫌いを促進させているという議論が話題のようだ。
英文法は割と馴染み深い人もいるかもしれないが、もしかしたら構文は馴染みのない人もいるかもしれない。
馴染みのない人向けに「英語構文」とは何か書いてみる。
その上で、英語構文がどう大事かを僕の視点で書こうと思う。
ちなみに、この記事の中では英語は一切出さない予定。
英語構文とは
構文とは、その名の通り英語の文の構造を表す。
重要視されない理由として考えられるのは
日本語は文章の構造を意識しなくてもある程度伝わるからだ。
英語でも文法めちゃくちゃでも通じるとは確かに言われる。
しかし、文法のミスと構文のミスは天と地ほど違う。
「彼は大学を辞めると教授に言った」
という文と
「教授は大学を辞めると彼に言った」
では意味が180度変わってくる。
しかし、文章を逆にすれば伝わる。
「彼は大学を辞めると教授に言われた」
という文は一文目の反対の意味になっていて、二文目と同じ意味になる。
「教授は大学を辞めると彼に言われた」
となれば、一文目と同じ意味になる。
この表現には、「能動」と「受動」が関わっている。
この能動と受動という概念こそ、構文である。
なぜ大事か
上記の構文をみて、文章の理解に錯誤が起こりやすいということは、ある程度把握できたと思う。
これだけ単純な文であれば、主語と目的語、補語をちょっと考えれば、ちょっと英語を勉強した人であれば問題にならないだろう。
しかし、もっと複雑な文章になった時はどうだろう?
これが契約の話となり、一つの意味の取り間違えで100万円の負債を負うことになったりする場だったらどうするか?
一つの意味の間違いで最愛の彼女と別れることになったら?
いくらでも問題は出てくる。
もしかしたら、「そんな問題が起こらないレベルで英語ができれば良い人」であれば、特に気にしない人もいるだろう。
ここからは、どこまで必要かレベルでの話になる。
ほとんどのことは、主語、述語、目的語が分かれば、前置詞など分からなくてももしかしたら会話が成り立つかもしれない。(僕は成り立つ場面が想像できないので、かもしれないとしか言えないのだが)
しかし、それは周りの人の気配りであったり、コンテキストがかなり共有されていることが前提の会話になると思われる。
そう、道ゆく人と話す必要がある時、イベントで人と話す時、授業を英語で受ける時などなど、比較的多くの場面で「友達ではない」人と話す機会は多い。
そうなってくると、コンテキストが共有されているわけではない人と話す機会は意外とある。
そして、相手に負担となる話し方というのはどうしても相手の気持ちが離れていく傾向になる。
そういう人でも、人柄でうまく会話できる人も多くみているので、愛嬌があればいいのかもしれない(適当)
構文を学ぶことで英語学習の意欲が下がるか
ここに僕は一つの疑問がある。
例えば、英語学習というつもりで
「トイレに行きたい」という表現はこうです。
という、文章を覚えるやり方を通して、自分の成長が感じられるだろうか。
応用力の付いた英語力になっているだろうか。
もしかしたら、その表現だけできれば良いという人もいるかもしれない。
そういう人にとって、表現だけ学ぶというのはモチベーションは上がるかもしれないが、大半の人はそれではダメだと頭では理解しているだろう。
つまり、表現丸暗記勉強法はよくないということはみんなが理解しているが、丸暗記勉強法以外の勉強法ではモチベーションが上がらないという、ダブルモチベーションが上がらないジレンマが発生しているということ。
ここに関しては、一言
「楽な勉強法はない」
に尽きる。
表現を丸暗記することに暗記の力を使うくらいなら、構文に必要な基礎力のために暗記を使った方が良く、長命な知識に力を注ぐ方が良い。
事実としては、それだけなのだ。
構文のための暗記
構文を理解するためにもやはり暗記は必要になる。
しかし、それは英語を英語のまま理解するには必要な工程である。
例えば、数学でも3桁同士の掛け算のやり方は小学生の時に学んで、それは大人になった今でも覚えている。
後々、3桁の掛け算をする時に、やり方をいちいち思い返して「これがこうだからこうしなきゃいけない」と考えずに、無意識でその方法で計算をして答えを出すようになるだろう。
この無意識法は、英語でも行える。
分子構文を「学習する時」、「学習した後」、「問題を解く時」には分子構文の構文の組み立て方を思い返すだろうし、学習したことを思い出しながらじゃないとできないかもしれない。
しかし、「分子構文」などは、英語を学習し続けていたら無限に遭遇する構文なのだ。
それを10年学習した末にでも、毎回毎回思い返して理解することなどあるだろうか?
恐らく、先ほどの掛け算のように無意識に頭の中で処理し、どんな文章であろうと、分子構文であればスッと理解できるようになるだろう。
もちろん、難しい文章であれば思い返しながら読む必要も出てくることもあるだろう。
しかし、そういう時でもちゃんと思い返すということを繰り返してきた人であれば、無意識に思い返すことができて、自転車と同じで忘れることがない身に染み込んだ読解力として残っている。
そういった長命の知識に対して、暗記の力を使ってほしいと思う。
「能動」か「受動」かなんて、1週間も繰り返せばある程度理解できる。
理解できれば、あとは練習して身に染み始めるまで使うだけなのだ。
それで生涯使える力を身につけた方がいいだろう。
あなたは、「この症状が出た患者はこの病気である」と暗記しただけの医者に診てもらうのは怖くないですか?
あらゆる視点から、可能性があることを理解して、小さな症状からでもあらゆる病気の可能性を考えて診てくれる医者の方が信用できませんか?
そういう目線で英語を見れるようになろうと考えると、そっちの方がモチベーション上がりませんか?
それでもモチベーションが上がらない人
それはもう勉強というものに対してモチベーションが上がらないだけだと思っている。
僕も正直、資格の勉強はモチベーション上がらないし、やりたくない。
でも、資格を取るには勉強してある程度暗記が必要だからやる。
資格を取った先のことを考えて、取った方がいいのであれば、勉強に対してはモチベーション以前にただやるだけなのだ。
割り切りはある程度大事だと思う。
しかし、資格と違って英語は勉強だけでなく、鍛錬が必要だ。
その鍛錬は英語を使わないとできない。
そしてその鍛錬のための勉強なのだ。
勉強の先にある鍛錬に向けて、モチベーション以前に、ただやることをやってみるしかないだと思う。