
一万時間というマジックワードの捉え方を変えてみる
「1万時間修業したら、その道のプロになれる」という法則を真っ向から否定してくる本
— もとやま📚著書『投資としての読書』 (@ysk_motoyama) September 11, 2024
個人的にも拠り所にしている一冊 pic.twitter.com/f2tbxNJ2PH
先日このようなツイートが目に入った。(あえてポストと言わないスタイル)
一万時間の修行により、プロになれるという言葉があるが、これまで言われていた、その言葉を否定することが書かれた本だという。
僕自身はこの本をまだ読んではいないが、概ねこのツイートの内容だけでも理解でき、賛成している。
確かに、僕自身も一万時間を一つのことに注ぎ込むのはこの時代のスタンスにマッチしていないなと思う。
理由は以下
時代の変化が昔より早すぎる(2倍3倍というレベルの速さじゃない)
AIの発展も影響があると考えられる
求められる人の水準が変わった(どちらかというとスペシャリストからジェネラリスト寄り)
プロの水準が高まりすぎていて、常人では再現性が低くなっている
これには、オンラインで学ぶ教材であったり無料で利用できるものが多く存在していることも理由と考えられる
と言った感じだ。
AIにより、より専門的なこと(例えば計算)や、情報の自動収集というのは、4,5年前に比べると10倍以上発展した。
それこそ、webサービスなどであれば、凝ったものでなければちょっとプログラムを齧ったことのあるレベルの人であればサービスを作るのに1、2週間でできてしまうくらいには、専門的なことをAIに任せられるようになってきた。
加えて、自分たちが学習するためプラットフォームも充実してきた。
YouTubeにはたくさんの学習や情報の動画がアップされていたり、Udemyなどの学習に特化した動画サイトもある。
多少お金はかかっても、これまで一つのことを学ぶのに先生を見つけ、月謝なりの高い金額を払わないといけないことは少なくなってきた。(もちろん、先生をつけることでフィードバックや効率的な学習計画などを立てるという意味では、学習体験としては全然違うものにはなるのは理解している)
自分で学習して、やりたいことをするくらいなら多少時間に余裕あれば1ヶ月である程度できるという時代になってきているのだ。
そんな時代に、1万時間をかけて学ぶというのはあまりにも効率が悪すぎる。
ましてや、(大谷選手や、藤井棋士といった)天才が1万時間をかけるならまだ分かるが、凡人が1万時間をかけても10年前に定義されてるようなプロにしかなれない。
AIの力である程度のレベルまではいけるとしても、それは大概多くの人が到達できるレベルで、価値としては昔ほど高いものではなくなっているのである。
そうであれば、必然的に幅広く取り扱うのが良いだろう。
まさに、ツイートにある「知識の幅」を効かせられるような人間にならなくてはいけない。
1万時間を5000時間に2分割して、二つの領域でAIを駆使してレバレッジをかければ、二つのプロになれる。
その方が今の時代は効率が良い。
しかし、ここからは未来の話になるが
二つのプロになるというのが効率が良く、推奨されるやり方となるのはあと数年の話かとも思っている。
恐らく、数年もすればこの世界には3つも4つものプロとなる人が飽和してくるはずなのだ。
そうすると、今度は1万時間を分割するという発想では時代についていけなくなると予想している。
では、どうするか
正直予想もできない状態だ。
AIの発展により、どうとでも転んでいきそうな世の中の動きを見ていると
3,4年後の話など、研究としてAIに触れてもいなければ、AIの力を傍受する側の僕には見当もつかない。
しかし、これだけ言えるのは、柔軟な心と適用する体を持っておけというのは誰に対しても言えるし、自分にもキツく言い聞かせている。
世界がどう変わろうと柔軟に適応し、変わった先で次の効率を求められるような考える力を鍛えておくということだけは怠らずにやろうと思う。
実はこういう記事を書くのも、自分の考える力を衰えさせ無いための手段の一つと考えているので、今まさに書いているという節はある。
考えをまとめる力、言語化する力というのは、最果ての将来、人間が脳だけで生き存える時代になったとしても活きるスキルなのではないかと、僕は思っている。