マスコミ報道の裏側を思う。
水に含まれるPFASが、最近やたらと騒がれてる。発がん性物質を含む加工食品はこれだ!!とかなんとかも。
まあなんせ見出しを見るだけでドキッとするし、読んだらつい気にしてしまうもんなのだけど。
週刊誌にしろテレビなんかのメディアにしろ、読んでもらって、観てもらってなんぼの世界だから、誰もが飛びつきそうな身近な話題、見出しにするのは当たり前なのだけど。
私たちは、踊らされてばかりじゃいけないし、もっと先を考えることも必要じゃないかな、とも。
もちろん徹底した食事管理は大切だし、今の世の中、長生きが当たり前になってる。
ただ、高齢者福祉や医療に関わってくると、さほど騒ぐことでもないような気がするんだよね…。
制限きちんとしてる人が突然なんの理由もなく発症したり、めちゃめちゃヘビースモーカーとか不摂生で管理全然できてない人が特に問題なく長生きしてたりも…信じられないけど、けっこうあるんだなあこれが💦
たくさん手術とかして病気などの困難を克服して長生きしてこられて今に至る高齢者で、まだまだこれからも長生きしたいって言う人って、親兄弟や友人・子どもとか、周りの人間があらかた死んでしまったあとは激減するんだよね…。
こちらもフォローに困る💦
そこまでの年になれば、なんらかのお世話にはならないといけないし、そのなかで楽しみを見つけながら毎日生き生きと過ごすためには、周囲のサポートも不可欠。自分が昔いろいろとやってきた人ほど、思うようにできなくなっていくことに気持ちが参ってきて、精神病んだりもするし、認知症はいずれ誰もがなりうるけれど、まあお世話は大変になってくるし。
もちろん、ある程度割り切れて、達観してる人は、朝目が覚めたことに感謝して、夜眠るときに1日過ごせたことに感謝して。一日一日を大切にして毎日過ごされているけれど、そうでない人のなんて多いことか…。
毎日おんなじ愚痴を繰り返して、早く死にたいって介護や医療の従事者に言われる人って多いんだよね…😢
その部分については、今元気で動けてる人たちは大半が気づいてないんじゃないかな…。
いずれ人間は誰もが死ぬのだけれど。
長生きができる時代にはなってきたけれど、健康寿命と平均寿命は必ず開きがあるし、ピンピンコロリで逝けるのが理想ではあるけれど、なかなか人生そう上手くコントロールはできない。
安楽死法案なんてまだ世界でどこも実現していないし(一部の国で認められてるのは、病気の耐えがたい苦痛から逃れるためとか、限られた事情のみ)、かといって自死を選ぶ、介護者にお願いするというのも難しい世の中。死ぬのを手伝うときって、それなりの事情があるのは当たり前なのに、それで幇助罪に問われてしまうのもどうなのかなあとも思うし。法律も、過去の判例がないとかそんな理由ばかりで判断せずに、そういう事情を鑑みての見直しをしたほうがいいんじゃないのかなあとも思う。
がんで死ぬのは一番理想、と言ってたドクターもいたけれど、地球温暖化や人口減少社会、核戦争やミサイルその他の脅威や自然災害などなど、日々いろんなことがありすぎる世の中だから。
余命が宣告されて、そこまではとりあえずある程度命が保証されてるならば、事故や災害その他で突然死するよりも自分の人生についてあらためて考える時間がある分いいのかな、とも思ったりもする。
以前に比べれば、少しずつ、エンディングノートの特集があったり、人生の終い方的な特集が組まれたりはしてるけれど、まだまだ浸透はしていないし、もっと本当は死を身近なこととして誰もが考える世の中になったら、高齢者医療や福祉についてもさらに変わってきたりするのかな、なんてことも思う。
映画「あなたのおみとり」、は気になるし。
身近な週刊誌とか新聞とかテレビとかで、もっともっと身近に死や終末期についての話題が出るといいのかなあ。
そういう自分も、気になりつつもまだ早いかなとも思ってエンディングノートはいまだに書いてないし、親とそういう話はできてない。
なるようにしかならないんだろうけど、せめてこういった話題を出すことがタブーにならない風潮になってほしいなと時々思う。