トランスジェンダーと自然主義
今日は国際トランスジェンダー可視化の日なので、トランスジェンダーに焦点を当てながら、自分の考えも合わせて書けたらと思います。
私の電子小説『ソード5 & 7』には、性と愛の形を通して、人が自然を如何に制御しようとするかの姿勢が描かれてます。
ここで言う自然とは、生殖、ヘテロセクシャル、シスジェンダー、人の本能的性欲が根付いたパートナーシップや社会的責任など、いわゆる大多数の人々がスムーズに受け入れるよう強制されてしまってる価値観を指します。
物語の主人公エナは、この自然に畏怖しながらも、自然との共存の道を図ったり、自然主義を謳ってLGBTQ+の価値観を排斥しようとする人々を侮蔑、冷笑する態度を現してます。
一方、環境的な意味の自然に関して、人類史上、人はこれまで自然を如何に支配しながら、己の生活圏を守り、存続させるかに賭けてきました。
例え、ニュートンが組み立てたシンプルで美しい公式を裏切る想定外な事象が後世に起こっても、信心深い宗教家は、それは〈神〉の領域として科学を糾弾してた時代もありました。
また、中世、近代の欧州の王族たちは父性的権力を見せつけるかの如く、豪華絢爛で統制の取れた建築などにより、人による自然の支配を見せつけてました👑
今を生きる私はというと、無神論者寄りな不可知論者なため、最新の自然科学により導かれた公式結果を美化し、日々の自分のライフスタイルに活かそうとします✨
ただ、100%科学が出した答えを妄信的に信じてもいませんし、付随された商業的価値の狡猾さにも辟易することもあります。
今の科学で解けない自然現象も、いずれ将来解かれた際には、過去の科学が出した答えが覆され、また神がかった謎が起こる日常がやって来ることだけは理解してます。
その時、私は何かを納得し、達成したとアタマで分かったとしても、きっと科学と宗教の相関関係の様に、謎と答えの新たな道筋が増え続け、私の肉体が滅ぶまで生きていくだけです(まあ、私の意識をCPUに貯蓄して、クローン体に移行すればetc……は別の話でw)🦠
私自身、ホロスコープといった古代シュメール文明を発祥とし、中世ヨーロッパで発展、近代で心理学者や精神科医とのコラボで飛躍し、現代も延々と引き続かれてる学問をマインドフルネスの一環で勉強したり、依頼者の鑑定もしますが、じゃあ、神を信じてたり、スピリチュアルなのかというと何か違くて、ただその緻密に研究されてきた知識と原理、そして認識が面白いからです🌠
どの学問にも自然現象に対する法則を見つけ、そこには人の意識の優位性をいつでも信じたいんだという思いが読み取れます。
ただ、環境的な自然が私たちの人工的文明に与えた影響、しかもそれを構築する心理的影響は大きいものです。
今も時々考えます。
何故、私はトランスジェンダーなのかを…🤔
女性として社会的に生きる前、生理学的テストの結果、男性ホルモンの分泌量が基準より結構少なかったから……、だからなのか?
けど、性染色体の結果はXXではなかった……、ならどうして🧬?
私が女として生きたいと思う意識は私の何が決めるのか?
社会によって私は考えさせられているのか?
でも私は女の子と一緒に遊び、女の子と思っていた幼少期の記憶があるが、それなら出発点は?
胎内にいた頃の私の脳が突然変異により、女性化するように組み込まれたからか?
では、どうして生殖器は対応しないのか?
何故、この突然変異は起こり、不完全で生まれたのか……?
医学が、私たちの大部分を占める無意識に何かしらの結論を出した所で、私はきっと自分自身への謎をまた持つでしょう。
それよりも、今認識してる事、私が幼少から自然発生的に女として生きたかった事実……、
現在の私の意識はいつだって私が決めることを大切にしていきたい。
そもそも、自然とは誰の意志?
私が懸念していることは、自然がまるで力のある人の様に生きていて、どういうわけか都合良くある特定の他者により使用され、私たちはその中で踊らされているという認識。
でも、仮に自然に魂みたいのがあるなら、自然は私たちの思ってる存在なんかではないのでは?
日本やラトビアのアミニズム然り、もののけ姫の森の神『シシ神』然り、自然は威厳と慈愛に満ちた存在ではなく、インクルーシブな考え方はするけど、怜悧で、無差別に私たち人類の間引きを開始するし、むしろ、人類が絶滅できるようにアクションを取るのでは🦌
現実、私たち人類が滅んでも、人類滅亡後の世界が機能し、続くだけ🌋
私たちが生殖を続けるのは義務でもなんでもなく、自分の本能(衝動)に従うから。
同性同士で惹かれるのも本能。
社会的に振られた性を超えていくのも本能。
誰にも性的に恋愛的にも惹かれない、あるいは誰でも惹かれるのも本能。
にもかかわらず、人の傾向として、Nature〈ネイチャー〉🌳である自然から、Natural〈ナチュラル〉≒ common, universal, general など、ある1つの価値観だけを数の力だけで度外視、絶対視します。
誰もがUniqueで、誰もがCommonがあるにも関わらず……。
物語のエナは、大多数の人々が信仰する自然的価値観との共存の中で苦しみながらも、近づこうと必死です。
それでも、他者の思想に融合することが彼女の願いでした。
エナは自らの肉体を使い、シスジェンダーでヘテロセクシャルの男たちとの性と愛を通じて、彼ら(大衆)の主義を溶かしながら変容させることで、個人的な勝利を目指します。
でも、実際の対峙者は人ではなく、自然だった……。
これが物語のエナに投影されていて、私の小説を読んでくれた友人が指摘してくれて、「まんま私だね」と✔
Happy for the Day of Transgender Visibility 💖
Head image from Katelyn Prazak
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?