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【note創作大賞2024/漫画原作部門】天界食堂の調査官 第二話
ここは、どこだろう。
新井梓(あらいあずさ)はあたりを見まわした。そこは全く見覚えのない場所だった。ここはどこだろうか、一体自分はどうしてこんなところにいるのだろうか。
住宅街は西日で赤く照らされていた。周りには人影が見えない。なんだか、不気味である。
━━早く帰らなきゃ、あの子が待っている。
そう思うのに、自分がどうしてこんな場所にいるのかわからない。
早く、早く、帰らないと……。
当てもなく彷徨うように歩き出す。
ぴたりと足が止まる。何か、違う気がする。そういえば私はもう……。
━━チリン
鈴の音が聞こえたような気がした。梓は音に引き寄せられるように、顔をあげた。
「食堂……?」
目の前に、白いのれんがかかった小さな家屋が現れた。先ほどまで、そこになかったような気がしたが。梓は引き戸に手をかけた。
「……こんばんは」
なぜだか、そこに入らなければいけないような気がしたのだ。
■
「……こんばんは」
引き戸が開く音、そして控えめな声が背後から聞こえた。
「どうぞ」
居神がカウンターの席を促す。
「名前を聞いても?」
「名前……名前は、新井梓です」
新井梓。真白は頭の中で名前を復唱した。
30代半ばくらいだろう。白いブラウスに花柄のスカートを履いているが、サイズが少し大きいような感じがした。非常に小柄で、手首はちょっと重たいものを持つと折れてしまいそうなくらい細かった。
「なるほど、たしかに今日来る予定と聞いている」
居神は手元の名簿をみながら答えた。
「いつ予約してたんですか?すみません、ちょっと何も思い出せなくて……」
「予約、とはちょっと違う。だが、あなたは来るべくしてここにきている」
梓は困ったような、そして不安そうな表情を浮かべた。当然だ、意味のわからない説明だろう。
「すみません、この人は説明が下手で。俺もまだあまりわかってないんですけどね」
真白はカウンター越しに温かいお茶を出した。
「俺は真白です。この人は居神」
梓は小さく頷き、湯呑を両手で包むように持つ。
「ここはなんなんですか?」
梓の問いかけに、真白はどう答えるべきか悩んだ。あの世とこの世の境目、などと言って伝わるだろうか。自分だって昨日知ったばかりでまだ半信半疑なのだというのに。
「あの、私早く帰らないといけなくて」
真白が黙っていると、梓はじれたように追加で言葉を投げかけてきた。
「どこに帰るんだ?」
不意に、それまで黙っていた居神が口を開けた。
「どこって……自分の家です」
「家はどこにあるんだ?」
「家は、えっと……あれ?住所が思い出せない……」
梓の表情がどんどん曇っていく。真白は見ていて心配になってきていた。梓はさきほどから明らかに様子がおかしかった。
「違う、私は今日、家に帰る日で……そうだ!私は病気で入院していたんです!それで今日夫に帰ろうって言われて……」
「そうか、大切な人がいるんだな」
居神は目を細めた。何かを慈しんでいるような表情だった。
「そう……家には夫と娘がいて、娘はまだ5歳で。それで……」
病気、なるほど。真白は梓の言葉に納得していた。
梓の細さはおよそ健康とは思えなかったからだ。
「梓さん、薄々気づいてるはずだ。あなたはもう」
「やめて!」
居神の言葉を遮るその口調は、苛立っているようだった。
そして、声を震わせながら続ける。
「お願いだから、言わないで」
梓はカウンターに肘をついて、顔を隠した。
どれくらい経っただろうか、ゆっくりと梓は口を開いた。
「……私は死んじゃったんですか?」
「そういうことになる」
「そっか、そうですよね。もう帰れないのか」
そして梓は何かを悟ったように顔を上げた。
「すいません、お茶をもう一杯いただいてもいいですか?」
その目は先ほどとは異なり、芯のようなものがあった。
「かしこまりました」
真白はポットからお茶を出し、湯呑に注いだ。
「落ち着いたか?」
「はい、ちょっとだけ」
梓はふぅと小さく息を吐いた。
「梓さん、よければ何か食べてほしい。あなたが最後に食べたいものを出す」
「なんでも食べられるんですか?」
「あなたが過去に食べたことがあるものや、食べてみたいもの、なんでも出せる」
居神の言葉に梓は「そうだな」と考えるそぶりを見せた。
「夫と娘が作ってくれたカレーライス……ってこんなのは無理ですよね」
手作りの料理、それはその人にしか出せない味なのではなかろうか。そう思っていると、
「問題ない」
居神が即答した。一体どうやって再現するのだろうか。
「真白くん、奥にある黒いフライパンを取ってほしい」
真白は言われた通りにフライパンを手に取った。ずしりとした重みがある。
「さて、鉄鍋よ、話は聞いていたか?」
居神は手をグーにし、ノックをするように鉄鍋の持ち手を叩いた。
「じゃあ、真白くん料理よろしく」
居神は飽きれたようにパンパンと手を叩いた。
「え!?俺が?居神さんがやるんじゃ……」
「すまないが俺は料理ができない。それに鉄鍋には嫌われている」
料理は一通りできるが、梓の望む料理は唯一無二である。一体どうすればよいのか。
「梓さん、待たせててすまない。これから食事を作るが、そのカレーライスの思い出を話してほしい」
「思い出、ですか……そうですね」
すると梓はぽつりぽつりと話し始めた。
娘の名前は杏で、保育園が大好きなこと。小学生になるのを楽しみにしていたこと。
そんな娘の様子を見て、ランドセルを背負った姿を見るのを楽しみにしていたこと。
病気が発覚したのは1年前。そのときにはすでに手の施しようがなかったそうだ。
どんどん悪化していき、ここ最近は入院生活がメインであまり家に帰れていなかったと梓は寂しそうに笑った。
「半年くらい前に、久しぶりに家に帰ったんです。そのときに夫と娘が二人でカレーを作ってくれて。あのときあまり体調よくなくて残しちゃったんです」
梓はニコニコと楽しそうに話す。
「きのこたっぷりで、私が食べやすいようにか鶏肉がとっても柔らかくて。でも、娘は辛口は食べられないから、ルーは甘口で。家に帰ったらカレーのいい匂いがしたっけ……」
真白は梓の話を聞いているうちに、不思議な感覚を抱いていた。
まるで自分が経験したかのように景色が頭に浮かぶのだ。
玄関を開けたら飛びついてくる子どもの様子、ニコニコと笑いながら頭を撫でている梓。
お皿に盛られたカレーライス。ちょっと歪な形の野菜。
りんごの味がするカレーのルー。
そして気づくと手が動いていた。同じ味を作れるような気がした。
真白はあの黒い鉄鍋を火にかけた。
コトリと食器の音を立てて梓の目の前にカレー皿を置いた。
「ちょっとさすがに野菜の形までは再現できなかったんですけど……」
梓は驚いたように瞬きを繰り返す。
「いただきます」
そして、両手を合わせてスプーンを手に取った。
「……美味しい」
梓は手を止めずにカレーを食べ進める。真白と居神は黙ってその様子を見ていた。
「ごちそうさまでした」
あっという間に食べ終えた梓は何も言わず黙っている。
「あの」
沈黙に耐えかねて声をかけようとしたその瞬間、
「もっと長生きしたかった!!!あの子が大きくなるのをずっと見ていたかった!病気なんてしたくなかった!!」
あまりの大声に真白は目を丸くした。あんな細い体に一体どれだけの思いが詰まっていたのだろうか。
「はー、すっきりしました」
梓は何か吹っ切れたような顔だった。その顔は泣いているようにも笑っているようにも見えた。
「カレー、あの時と同じ味がしました。ありがとうございます」
「もう、未練はないか?」
「ないって言ったら嘘になりますけど、でも、もう行こうと思います。夫と娘のためにも」
梓は次に行くべき場所がわかったように頷いた。
「居神さん、真白さん、ありがとうございました」
「またいつか」
居神が手を振る。真白もお辞儀をした。
するとゆっくりと引き戸が開いた。
「あら、開けてくれるのね。それじゃあ……次は絶対に長生きしてやるんだから」
梓は手を振りながら外に出ていく。扉がしまった。
食堂の中に静けさが訪れた。
「新井梓、享年35歳。彼女は今日あちらにいくべき人間だ」
居神が手にしている名簿の最後に確かに梓の名前があった。
「今日あちらにいく魂の数はこれでピッタリあっている」
「では、今日は行方不明の魂はなかったってことですか?」
居神は手にしたペンで、梓の名前を二重線で消す。
「そういうことになる」
「……調査は長くなりそうですね」
「君は今回の任務について納得しているのか?」
「……納得するしかないんでしょう?」
今までの仕事も無理やり納得してやってきた。今回もそのうちの一つの任務だ。
真白はため息をつく。この世界にはまだまだ知らないことがある。
「梓さん、おいしかったって言ってくれましたね」
「きっと病床にいたときから己の死について考えていたんだろう。そういう人は覚悟が決まっている分、自身の死を受け入れるのも早い」
なるほど、なんとなく、わかる気がした。
「でも、残されたものは全然受け入れられない。ずっとずっと、時間は止まったまま」
「君のお姉さんのことか?」
「……」
真白は答えなかった。
「……言うかどうか迷っていたのだが、君のお姉さんの魂は行方不明者の一人だ」
「え?」
居神は帳簿をパラパラとめくった。そしてあるページを開く。
──真白彩夏。
それは、間違いなく姉の名前だった。
「君のお姉さんは何かしらに巻き込まれている可能性が高い」
その言葉にフリーズした。2年間探し続けていた、その答えがもしかしたら──。
「その話、詳しく聞かせてほしいです」
真白は居神の目を見据えた。何かが動き出したような気がした。