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【note創作大賞2024/漫画原作部門】青のメロディー 第三話

 ジュゼッペ・タルティーニ。18世紀イタリアにおけるバロック音楽の作曲家だ。
 曲中、難易度の高い「トリル」が何度も登場。まさに曲名通り「悪魔のトリル」。
 逸話によると、タルティーニの夢の中に悪魔が出てきたそうだ。
 悪魔は夢の中でバイオリンを弾き、タルティーニはその美しい音色を聴いて、譜面に書き取ったとかなんとか。

「夢でそんなことできるわけがなかろう」

 真希は譜面台に楽譜を置く。

「いや、俺夢の中で作曲してるときとかあるけど?」

 隣に立つ男、悪魔の異名を持つ結城遥はバイオリンをケースから取り出しながらさもあらんと言わんばかりに答える。

「そんなのは一部の天才の天才だけだと思う」

 真希はため息をついた。
 昨日は遥の家で合わせの練習をした。
 そして今日は真希と遥の演奏を先生に聴いてもらう日、つまりレッスンの日だ。

「1週間で譜読みから合わせまでって相当なこと俺たちしてると思う」

 遥は、ふむ、と少し考える。

「まあ、結構パツパツのスケジュールではある」
「それに……」

 真希は言い淀む。
 もし、大失敗して伴奏が止まったら。そう考えると、手が震えた。
 暗譜が飛んだあの日以来、真希の時計は止まったままだ。

「伴奏は楽譜見て大丈夫だから」

 真希の様子を見て察したのか、遥は言葉を返す。

「何かあっても必ず俺が最後まで弾いてやるから、安心してついてこい」

 遥は弦で胸をトントンと叩いた。
 いや、それは伴奏する自分のセリフなんだが、と真希はため息をついた。
 遥は1人で弾いた方が絶対うまいし評価されるのに、なぜ一番下のクラスにいる自分に声をかけたのだろうか。
 真希はブレザーに襟についたブローチを上から軽く握った。
 自分は遥のパートナーなのだ。こんな弱気でいたら、だめだ。
 すると突然、レッスン室の扉が開いた。
 もう先生が来たのだろうか、びっくりして振り向くとそこに女子生徒が立っていた。
 胸に藤色のブローチをつけている。S組の生徒だ。

「あれ?レッスン室1って使ってるんだっけ?」

 方手に楽譜を持ち、ドアノブを握ったまま、レッスン室1と書かれた入り口の札と室内を交互に見ている。

「橋間もレッスン?俺たちここ取ってるはずだけど」
「うそ、間違えたかな?」

 橋間、と呼ばれた彼女はポケットからスマホを手に取り操作する。

「あ、ごめん、私レッスン室2の方だった」
「全然、大丈夫」
「レッスン前にごめんね」

 申し訳なさそうに眉を下げる姿。人の良さそうな人だ。
 すると突然、橋間は真希の方を見た。真希はどきりとした。すごく意地の悪そうな目でこちらを見ていたのだ。

「結城くん、自分の練習できてる?あの人の譜読みから手伝ってたでしょ」

 真希は急に話題を振られ、ぐっと息を呑んだ。あの人呼ばわりである。真希を見る目には明確に攻撃の意思が含まれているようにも思えた。
 前言撤回、そこまでいい人ではないのかもしれない。

「失礼だけど、結城くんなら1人で出た方が絶対によくない?新入生歓迎会って形だけど、先生たちも来るわけだし、評価下がっちゃったらもったいなくない?」

 真希は困惑した表情を浮かべた。それは一番真希が聞きたいし気にしていることだった。
 遥は一体どんな顔をしているのだろうか。
 チラリとそちらの方に顔を向けると、遥も遥で複雑そうな表情をしていた。

「あー、いや、俺がお願いしたんだよね」
「え?そうなの?」

 橋間は怪訝そうな顔をし、眉をひそめる。
 遥が続けて何かを言おうとしたその瞬間、パンパンと手を打つ音が響いた。

「ほらほら、若人たちよ、喧嘩しない」

 真希と遥のレッスン担当、田中九十九だ。正直だいぶ気まずい空間だったので助かった。

「橋間さん、あなたのピアノはとても努力をしている音色だ。そうカリカリしなくても結果はついてくるから」
「……はい、すみません。失礼しました」

 橋間は九十九に頭を下げる。
 やはり攻撃的な意図で質問してきたらしい。
 橋間は頭をあげ、真希を軽く睨む。

「まあ、くだらない演奏だけはしないでよね」

 そして、退出しようと踵を返す。しかし、外に出る前に一旦停止した。まだ何かあるのだろうか。

「……同じようなこと思ってる人も多いから、気をつけた方がいいよ」

 不穏なセリフを言い残し去っていく橋間を見届ける。
 何それ普通に怖い。一体何に気をつけろと言うのだ。

「さ、レッスンを始めるようか」

 不安そうな顔をする真希に九十九はにっこりと笑いかけた。

 真希は楽譜を広げる。一度深呼吸をする。

「はい、弾いてみて」

 そんな九十九の掛け声を受け、真希はチラリと遥の方を見た。
 いつでも、と言わんばかりに小さく頷く遥。真希も頷き返す。
 改めて真希の方を向く遥。息を吸う。1音目が揃う。

 タルティーニは一体どんな美しい悪魔を見たのか。
 彼は悪魔と会話したのだろうか。
 真希は、タルティーニと悪魔が手を取る姿を想像していた。
 そして、タルティーニと悪魔が手を握る様子に、真希と遥を重ねていた。

「うん、いいね。いい感じだと思う」

 演奏が終わる。九十九はパチパチと拍手をした。
「結城くん、君はちゃんと伴奏者を見つけてきたんだねえ」
 九十九は感心したように、顎に手を当てうんうんと頷いた。
 一体どういう意味だろうか。言葉の真意を知るために遥の方を見る。
 しかし、遥はさっと視線を逸らした。

「あれ?話してないの?」

 目を丸くしながら九十九が言う。

「……はい」
「君のいいところはそのプライドの高さだけど、もう少し譲歩した方が良さそうだね」

 九十九はやれやれと困ったように笑いながら言った。
 真希は、もう少し説明してほしいと首を傾げる。
 すると、九十九は真希の様子を感じ取ったらしく補足してくれた。

「僕がね、結城くんにアドバイスしたんだ。伴奏のある曲に挑戦してみたらって」
「え、そうだったんですね」

 真希は驚いて変な声を出してしまった。完全に初耳である。

「結城くんの演奏は素晴らしいよ。誰しも評価するだろう。でも、何かが足りない、僕はそう感じていたんだ。だから、僕は言ったんだ『真逆の演奏をする人と一緒に演奏してみれば?』って」
「真逆?」

 真逆、とは自分の演奏が遥と逆、という意味だろうか。
 しかしそもそも自分では遥と同じ土俵にすら立てていないと思うが。
 真希の疑問をよそに、九十九は言葉を続ける。

「この先の進路はわからないけど、どんな人も1人では生きていけないからね。人は人と関わることでしか学べないからね」

 そして九十九はうんうんと何かを納得したように頷いていた。ますますわけがわからない。九十九はこれ以上答えてくれなさそうなので、遥に話を振る。

「遥、真逆って」
「先生!レッスンの続きしましょう!」

 遥は真希の言葉を遮った。よっぽど話題にしたくないらしい。

「おっと、そうだったね、じゃあ続きを」

 九十九もレッスンを再開する気のようだ。
 まあ、あとで問い詰めればよいだろう、真希はレッスンに集中することにした。

「今日はありがとうございました」

 遥が楽器を片付けている間、真希は九十九にお礼を言った。

「当日楽しみにしているよ。あ、そうだ結城くん」
「はい」

 遥はバイオリンケースを担ぎながら返事をした。

「望月先生がね、大学の先生になったそうだ」

 遥は表情を変えずに黙っている。望月、とは誰だろうか
 九十九は、通りすがりにぽんぽんと遥の肩を叩く。

「君も、気をつけなさいね」
「……ありがとうございます」

 真希は一連のやり取りに不穏な空気を覚えた。
 まさか1日に2回も『気をつけろ』なんてセリフを聞くとは思わなかった。
 一体自分たちの周りで何が起きているのだろうか

 上履きを履き替えていると生ぬるい風が吹いた。すっかり日は落ち、これからの夜の始まりを予感させた。
 桜の花びらが足元に舞い降りる。学校の桜はもうほとんど散っていた。
 遥は靴のつま先をトントンと叩き、外に出ようとしていた。
 なんとなく、そちらに1人で行ってはいけない気がして、真希は声をかけた。

「遥」
「ん、何?」

 遥が振り向く。
 真希は不自然にならないように遥の横に並んで歩き出す。2人で一緒に外に出る。
 たったそれだけのことなのに、なぜか妙に安心した。

「俺の演奏が真逆ってなんのこと?」

 途端、遥は嫌そうな顔でじっと真希のことを見つめた。

「お前、覚えていたのか」
「何、言ってよ」

 遥は、はあとため息を吐いた。

「小3のとき、ジュニアコンクール見に行ったんだよ」

 小3、ジュニアコンクール。思ってもみない単語に真希はますます混乱した。

「あんなに楽しそうに弾くやつがいるんかって感動した」

 遥は嬉しそうに話す。何かを思い出して笑っているようだ。
 一体誰の話をしているのかわからないが、それがどう関係しているのだろうか。

「で、高校入ったら見たことある名前があったってわけ」
「ん?そいつは同じ高校の人なのか?」

 遥は、長いため息をつく。そして右膝で真希のお尻に蹴りを入れた。

「いってえな!」

 思わず真希は大きな声を出した。急に尻を蹴られたのだ。理不尽にもほどがある。

「察しが悪いな、馬鹿野郎」

 真希は尻を撫でながら遙をにらみつける。
 遥はボソボソと何かを話しているが、声が小さくて全く聞き取れない。

「え?ちょっと、なんて?」
「あーうるさいうるさい、ほら帰るぞ」
「あ、ちょっと」

 先に歩き出した遥を追いかけようとして真希は思い切り靴ひもを踏みバランスを崩した。

「あっ」

 倒れる、そう思ったその瞬間、遥の手が真希の体を抱き止めた。

「危ないな」

 目が合った。その瞳は真希のことを映している。
 薄暗い夕暮れどき、真希と遥の影は重なっていた。

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