【note創作大賞2024/漫画原作部門】天界食堂の調査官 第三話
2年前の冬。姉の彩夏が死んだ。
彩夏は真白より10個上だった。
真白の両親はすでに死んでいる。真白は天涯孤独になった。
降りしきる雨の中、真白は陸橋の上にいた。
手に持った花束を置く。傘を肩にかけ、両手を合わせた。
人通りのないこの道路に彩夏は一人飛び降りた、とされている。
「姉さん、あなたの魂は今どこにいるんですか」
彩夏は自殺をするような人ではない、真白は確信していた。
真白は立ち上がった。そしてポケットから鈴を取り出した。金色の鈴で赤いストラップがついている。これは居神にもらったものだった。
真白はその鈴をそっと振った。
━━チリン
目の前に引き戸が現れた。天界食堂の入り口である。
絶対に、真相を突き止める。
真白は引き戸を開けた。
■
「今日は、婆さんが来るんだ!」
真白は大きな声にビクッと肩を震わせた。何やら食堂が騒がしい。
中に入ると、カウンター席に老人が腰掛けていた。
「それで迎えに?でも何時に到着するかこちらではわからないが」
「何時でもいい、それでも待つのが男の役目だ」
居神はやれやれ、と言いたげにため息をついた。
「居神さん、お疲れ様です」
「ちょうどよかった、この人は今日来る予定の藤巻美津子さんの配偶者、藤巻吉彦さんだそうだ。話し相手になってあげてほしい」
「……わかりました」
今この人めんどくさいと思ったことを振ってきたな。
なんとなく居神の雰囲気から真白は察する。
真白は濡れたジャケットを脱いで、適当にかけた。
「ん?今日来る予定の藤巻さんって、どういうことです?」
「だから、迎えに来たんだ」
ふん、と藤巻は鼻を鳴らした。
「吉彦さんは3年前に亡くなられている」
「え、ここって亡くなった方も来れるんですか!?」
「あの世とこの世の間だ。可能だ」
「ちっとばかり手続きは面倒だがな。俺は婆さんが来るまで次の人生を始めずに待ってたんだ」
「全く、いつ誰があの世に行くかは機密なのに」
居神は再びため息をついた。
「へへ、係の兄ちゃんと仲良くなってよお。教えてもらったんだ」
藤巻は悪びれる様子もなく笑った。あの世に行ってもコミュニケーション能力というのは衰えないらしい。
「あ、でも他のやつのことは知らねえからな。俺は婆さんのことだけ教えてもらったんだ」
「随分と熱心なんですね」
「そうだ、婆さんは俺がいないと何にもできないやつでな。俺がいない間、寂しくて仕方がなかったんじゃないかと気が気でなかったんだ」
色々と息巻いている割に本当に寂しかったのは藤巻の方だったんだろうな、と真白は苦笑した。その時、
「ごめんください」
背後から声が聞こえた。
真白が振り向くと、そこには初老の女性が立っていた。
「おお、おお!婆さん!」
藤巻が感動したような声を出し、立ち上がる。女性の元に歩み寄った。
待ち人は案外早くやってきたようだ。真白がほっとしていると、
「どなたですか?」
衝撃的な言葉が飛んだ。
真白が驚いて固まっていると、横からなんとも言えない呻き声のような声が聞こえた。
「お、俺のことがわからないのか?」
「……すみませんね」
女性は困ったように首を傾げる。真白は居神の方を向いた。これは、どういうことだろうか。
「ご婦人、名前はわかるだろうか?」
「奥村、美津子です」
奥村?真白が疑問に思っている横で、藤巻は目を見開いた。
「ばあさん……妻の旧姓だ」
居神が目を細めた。
「失礼な質問ですまないが、美津子さんの年齢を聞いても?」
「私?私は23歳ですが……」
今度は真白が目を丸くする番だった。美津子はどう見ても23歳には見えない、白髪の初老の女性である。なぜ、とそこまで考えたところで真白は思い至った。
「認知症か」
居神も同じ考えだったようだ。
すると、藤巻が戸惑いを隠せない声で問うた。
「妻は、もう俺のことを思い出さないのか?」
居神はゆっくりと首を振った。
「様々な理由で記憶が抜けたままあちらに行くことは稀にある」
「そんな、俺はずっと待っていたのに……」
藤巻は絶望したように項垂れる。先ほどまでの威勢はどこにもなかった。
そんな藤巻を呆れたように居神は見つめた。
「では、先にあの世に帰るか?お前が思っていた妻じゃなかったからって置いていくのか?」
「ちょっと居神さん、そういう言い方は」
真白が遮ろうと声を上げた横で、藤巻はモゴモゴと何やら呟いていた。
「いや、そういうわけじゃ……」
藤巻の目が泳ぐ。そして黙ってしまった。
居神は仕方がない、とため息をついた。
「美津子さん、何か食べたいものはあるか?」
「食べたいもの、ですか?」
美津子は不思議そうに首を傾げた。
先ほどからずっと黙っていた美津子だが、死んでしまったことを理解しているのだろうか。
「そうね……すりおろしたりんご、かしら」
「すりおろした、りんご?」
真白はつい聞き返した。それはおよそ料理とは思えなかったからだ。
「ふふ、驚いたかしら?」
そこでようやく美津子は笑顔を見せた。とても品のいい笑い方だ。
「子供のころね、体調を悪くするとよく出してもらっていたのよ。私の家はりんご農家でね、とってもおいしいのよ」
遠くを見つめるように美津子は目を細める。その様子を藤巻は黙って見ていた。その顔は何か言いたげな様子だった。
「わかった、すぐに出そう」
居神はそう言うと一旦厨房の裏に入っていった。しばらくしてりんごを手に持って帰ってきた。
「美津子さんの家のりんごだ」
「まあ!うちのりんごの木は何年も前に切ってしまったのに!」
「ここはあの世とこの世の間の食堂だ。食べ物に関する大抵のことはできる」
なんと便利な場所なのか、真白は驚きを通り越して呆れていた。
「今回は鉄鍋の出番はなかったな」
居神はそういうとりんごを差し出してきた。
「俺にやれと?」
「ああ、お客さまの大事な最後の食事だ」
真白はりんごを受け取った。甘い香りがした。
■
真白はガラスの容器に入れてすりおろしたりんごを出した。
「まあ、おいしそう」
美津子は嬉しそうにりんごをスプーンですくった。
「ああ、なつかしい味がする」
一口含み、美津子は嬉しそうに笑う。そしてぽつりとつぶやいた。
「あの人は元気にしてるかしら」
「あの人?」
真白は思わず聞き返した。
「私が寝込んでいるとね、必ずりんごをすって持ってきてくれていたのよ」
すると、ピクリと藤巻が反応した。
「ぶっきらぼうにね、言うのよ。持ってきたぞって」
美津子は面白そうに笑った。どうやらそのときのことを思い出しているようだった。
「かっこつけなのか、普段は絶対に優しいことを言わなかった。でも、いざというときはとても頼りがいがあった。思えば、子供のときからずっとそばにいてくれたわ」
「なあ、あんた、その人はなんて名前なんだ?」
突然、藤巻が口を開いた。その顔は悲しそうだった。
「吉彦ちゃんよ、私のいとこ」
美津子があげたのは藤巻の名前だった。
それを聞いて藤巻はふっと笑う。
「そうか、そいつは世界一あんたのことが好きだったらしいぞ」
「あら、あなた吉彦ちゃんの知り合い?」
「ああ、よく知っている」
「そしたら伝言を頼まれてくれないかしら」
「……自分で言えないのか?」
藤巻は椅子に座り直した。もしかしたら居心地が悪いのかもしれない。
「吉彦ちゃん、どこかに行ってしまったの。もう何年も会っていない気がする。ああ、会いたいわ」
そうして、美津子は小さくため息をついた。
「ねえあなた、吉彦ちゃんに会ったら、私は元気にやってるから安心しなさいって伝えてくれるかしら」
「っ……みっちゃん、それ本人に言った方がいいぞ。俺はそう思う」
藤巻はボロボロと涙を流していた。
「俺はここで人を待っていたんだ。一番に会って言いたいことがあって」
「あら、そうだったのね。それで待ち人には会えたのかしら」
「会えたさ、でもその人は俺のこと忘れてしまってたんだ。俺はすっかり変わってしまったその人を見て、情けないことに怖くなって帰ろうとしたんだ」
美津子は藤巻の泣いている姿を見て、悲しそうに眉を下げた。
「そうだったのね、忘れられてしまうのは寂しいわ。でも」
そこで美津子は言葉を区切った。
「ともに過ごした時間は何も変わらない。過去は不変なの、誰にも変えることはできないわ」
━━過去は誰にも変えることはできない。
一見するとネガティブな言葉だが、美津子の言うそれはとても前向きだった。
「……そうだな、俺はみっちゃんと過ごせて幸せだった」
「それじゃあ私は食べたしそろそろ行こうかしら」
「俺も行くよ」
美津子が立ち上がると、藤巻も一緒に立ち上がった。
「にいちゃんたち、ありがとな」
「次は係の人を困らせないでくれ」
居神の口調は柔らかかった。
■
「過去は誰にも変えることはできない、か」
真白はポツリと呟いた。そこに確かにその人がいた、それはきっと『思い出』と呼ばれるものなのだろう。
「変えられたらいいのにと思う過去もこの世にはたくさんあるがな」
「全く、居神さんってそういう言い方しかできないんですか」
真白はぶっと頬を膨らませた。
「……俺は思い出を捨てる決心をして公安に入りました。思い出なんてただの弱みでしかない。だから俺には今しか常にない。変えたい過去なんてものもないんです」
「……」
真白の言葉を居神は黙って聞いていた。
そう、残されたものは惨めに生き続けるしかない。
足掻いたり、もがいたりできるのは生きているものにしかできないのだ。
━━彩夏の無念を晴らせるのは、自分だけだ。