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【note創作大賞2024/漫画原作部門】青のメロディー 第一話

あらすじ
日本一の芸術高校「夢が丘芸術高等学校」のピアノ科に所属する小瀬 真希は万年最下位のD組。
真希は過去に暗譜が飛んだ経験から舞台に立つとピアノが弾けなくなり、ピアノもやめる決意をしていた。
ある日真希はS組の天才バイオリニストで「悪魔」の異名を持つ、結城 遥にパートナーになってくれと頼まれる。
パートナーとはS組が利用できる制度の一つ。S組は自分の専属の練習相手として校内で一人選ぶことができる。
パートナーに選ばれれば、S組と同様に扱いを受ける代わりに、その一年は相手のために尽くさねばならないのだ。
パートナーとなった真希は次第に遥の伴奏相手として過ごしていくだけでは足りなくなっていく……。

第一話

 春は、嫌いだ。
 真希は楽しそうに登校する学生たちを横目にジメジメとしたことを考えていた。
 桜の花びらがひらひらと舞い落ちる。それはこれから始まる新しい季節の訪れの証だ。
 春は『新しい季節』『新しい学年』に浮き足立つ人間が多い。なぜ人はそんなに自分や世界に期待するのだろうか。非常に愚かである。
 真希は両耳にイヤホンを挿した。流れてくる音楽はモーツァルト『レクイエム』よりラクリモーサ。
 音楽を聴きながら『夢が丘芸術高等学校』と書かれた古びた看板を横目に校門をくぐる。
 『夢が丘』。そんな大層な名前がついている通り、ここは夢を追いかけている若者が入学する場所だ。真希は小さくため息をついた。

 ━━やっと、あと1年だ。ここまで長かった。

 学校の敷地の中は外よりもっと賑やかだった。真希はその様子にクラクラとした。
 大方、クラス替えの発表にソワソワしているのだろう。
 「夢が丘芸術高等学校」は日本一の芸術高校であり、その歴史は100年に及ぶ。全国から音楽、美術、舞台表現など、とにかく芸術を極めたい猛者たちが集まっている。ここは『夢』を掴むための学校だ。
 そしてクラスは完全に成績順。そして当たり前だが上のクラスの者ほど三角形のピラミッドの上に君臨している。

「おーい、真希!」 

 背後から羽田康平が近づき、真希の肩を抱いた。ついでに勝手に人のイヤホンも外してくる。

「真希!今年も同じD組だぞ〜!ついに一度もC組に上がらないまま3年生になっちまったな!」

 自分はどうやら今年もD組、最下位のクラスらしい。まあ、察していたが。
 真希は高校2年生の冬のコンクールのことを思い返す。
 その日は何度も朝からシミュレーションして、いけると思っていた。
 なんなら表彰で1位に呼ばれる想像までしていた。それくらい完璧に練習してきた。
 そう思って弾き始めて数分後、突然手が動かなくなってしまった。
 結果は当然、選考外。『小瀬真希、予選落ち』と書かれた紙をクシャっと丸めてカバンの一番底に沈めた。ついでに高校2年間の日々ともお別れすることにした。

「何聴いてんだ?」

 康平はイヤホンの片方を自分の耳に挿す。

「げ、モツレクかよ……新学期の朝から辛気臭すぎるだろ」
「俺の勝手だろ」

 真希は康平からイヤホンを取り返す。これは、俺の青春への鎮魂歌なのだ。できれば触れないでほしい。

「あ、S組だ」

 不意に康平が小さめの声で言った。真希は顔を上げる。
 藤色の石のブローチを付けた集団が颯爽と現れる。あのブローチはS組だけがつけることを許されているものだ。
 S組はこの学校で1番上のクラス。要はこの学校のトップ集団だ。
 彼らはさまざまなことで優遇されている。
 例えば練習室は優先的に取ることができるし、S組だけが出られるコンクールもある。
 何より『夢が丘芸術高等学校のS組出身』というブランド。これだけで、将来安泰は確約される。どの芸術業界でもこれが肩書になり一目置かれるのだ。
 まあ、最下位のD組にいるから関係ないんだけど。真希はつまらなさそうに集団を眺める。

「なあ、真希」
「ん?」

 新学期に浮き足立つ賑やかな声が響き渡る中、康平はなんてことないように尋ねた。
 その様子に真希は少し身構えた。人は重大な話をするときほど、なんてことはないように話し始めるものだ。

「お前、今年コンクールとか演奏会とか全部出ないつもり?」

 ああ、その話か。

「……出ないし、音大にも行かない」

 真希は少し間を開けてから、なんてことはないように言った。康平のどこか寂しそうな顔に気づきながら。
 もう、音楽はしんどいからやらない、それは春になる前、あの地獄のようなコンクールが終わったあとに決めたことだ。

「そっか、俺お前の弾くピアノ好きなんだけどな」

不意に康平は真希の頭をガシガシとなでた。

「ってことは一般の大学を受験すんのか?浪人したら慰めてやるからな」
「やめろって」

 芸術高校から一般の大学に行く変なやつはほとんどいない。きっと孤独な戦いにはなるだろうとは思っていた。だからこうして変わらずにいてくれることはありがたい。そう思っていたその瞬間、

「そこのピアノ科の男」

 背後から声が聞こえた。その声は凛としており、ざわざわとした空間の中でもしっかりと真希の耳に届いた。
 真希はその声に引っ張られるかのように振り向いた。そこには藤色のブローチをした男が立っていた。
 まっすぐに真希を見つめる目は、なんだか怒っているようにも見えた。

「コンクールも演奏会も出ないの?」

 ━━誰だ、こいつ。

 真希は首を傾げた。いきなり失礼ではないだろうか。
 しかし、文句一つ言わせないようなその口ぶりに、真希は口を閉じて続きの言葉を待つしかなかった。

「じゃあさ、今年暇だよね?」

 男は一歩、二歩と歩き、真希の前に立つ。身長は真希よりも少しだけ高いようだ。
 すらっとした手足に長いまつ毛。背筋はまっすぐ上に伸びており、普段から人に見られることを意識しているのだと感じた。まるでプロの演奏家のようだ。

「俺のパートナーになってよ」
「は?」

 真希は眉にシワを寄せた。こいつは、何を言ってるのだろう。


 翌朝、教室に入ると一斉に視線が真希に集まった。
 真希は恐る恐る席につき、前の席の康平に声をかけた。

「クラス全員が俺のこと見てる気がするんだけど……」

 真希は小声で尋ねる。本を読んでいた康平は顔を上げた。

「お?ああ、お前昨日、声かけられてただろ?あっという間に噂になってんぞ。S組の悪魔がなんでお前にって」

 S組のアクマ?
 首を傾げる真希。アクマって、あのデビルの意味の悪魔か。
 康平は呆れたようにため息をついた。

「真希はもう少し周りに興味を持った方がいいぞ。昨日話しかけて来ただろ?S組の結城遥、バイオリンの科」
「あいつ、悪魔って呼ばれてんの?なんで」
「あまりの超絶技巧に『悪魔に魂売ったんじゃないか』っていう冗談から悪魔って呼ばれるようになったって」

 真希は心底あきれたような顔をした。くだらなさすぎる冗談だ。
 一方の康平はニヤニヤとしながら本を閉じた。これは確実に面白がってる時の顔である。

「にしても、結城っておもしろいな。真希をパートナーに選ぶなんて」

 真希はムッとした顔をした。やはりこいつ、楽しんでやがった。
 『パートナー』。それは夢が丘芸術高等学校のS組だけが利用できる制度のことだ。
 S組は自分の専属の練習相手として校内で一人だけパートナーを選ぶことができる。
 パートナーとなった人は、S組と同じ優遇制度を利用できる。
 つまり、S組に上がりたくても上がれない人間が次に狙うのはS組のパートナーというわけだ。

「小瀬真希くんいる?」

 その瞬間、教室に先日も聴いた凛とした声が響いた。先程まで騒がしかった教室が急に静かになる。
 真希が振り向くと教室の入り口に遥が立っていた。
 遙はぐるっと一周あたりを見回した。そしてついに真希と遥の目が合う。

「あ……」

 真希は慌てて目をそらした。あの目で見られると、なんだか妙な気分になる。
 真希のきまずい気持ちとは裏腹に、遥は動じず教室に入ってきた。
 最下位クラスのD組に藤色のブローチをつけた人間が入ってくることは、まず、ない。
 教室中が真希と遥の行方を見守っていた。
 真希の前で止まる遥。改めて見ると、オーラが違う。これがS組の人間が放つ威圧感なのか。

「あ、えっと、パートナーの件だけど」

 思わず真希は目を合わせぬまま、先に口を開いた。

「早速だけどお願いがあって」

 悪いけど引き受けられない、真希はそう続けようとしたのだが、その前に言葉を遮られてしまった。

「は?お願い?」
「校内演奏会のピアノ伴奏やってくれない?」

 教室中がザワめく。康平は面食らった顔をしていた。もちろん真希もだ。

「校内、演奏会って…来週の?新入生歓迎の演奏会?」
「そう、来週の。俺、急に弾くことになっちゃって」
「無理です、無理無理、そんな短期間無理。他の人に頼んでください」

 ブンブンと勢いよく首を振る真希。いくらなんでも来週の演奏会に間に合わせられる気がしなかった。

「えー、なんでよ」

 ぶーっと口を尖らせる遥。そんな顔をされても困るのはこっちである。

「できないものはできないから!」

 真希が勢いよく言い放ったその瞬間、チャイムが鳴り響いた。始業の予鈴だ。

「仕方ない、また来るから」

 遥は、じゃあ、またあとで、と手を振る。

「あ、ちょっと、何度来ても無駄…って足速いな!?」

 真希は呼び止めようとしたが、すでに遥は走り去っていた。
 頭を抱えながら椅子に座り直す真希。

「なんか嵐みたいなやつだったな」

 康平が、ぽんぽんと真希の肩を叩く。

「俺、絶対弾きたくないんだけど」
「うーん、あの分じゃ何度も来そうだな」

 勘弁してくれ、そう思ったのも束の間、康平の予想通り、その後遥は何度も真希の元に来た。

昼休み、放課後、休み時間、トイレ前、トイレ後。

「真希くん」
「無理です」
「伴奏やって」
「だから無理だって」
「なんでよ!」
「絶対いや!」

 真希はゼーハーと肩で息をしながら扉を閉めた。

「ま、撒いたか?」

 真希が逃げた先は、旧校舎の音楽室。ここは今は使われていないところだ。こんなところには誰も来ない。
 ──全く、なんなんだあいつは。伴奏なんて俺以外にも頼めるやついるだろ。
 真希はため息をついた。ピアノの前の椅子に座る。
 ポーンと鍵盤を一つ押した。全然調律されていないピアノは、ぼやっとした奇妙な音を立てる。
 ドでもないし、レでもない、中途半端な音はまるで自分のようだった。

「あの頃はただ楽しかったのに。今やこんなに逃げたいんだから」

 真希は目を閉じ、両手を出し鍵盤を弾き始めた。

「なんだ、全然弾けんじゃん」

 音楽室の扉の近くに遥が立っていた。
 真希は演奏をやめる。教室がシンと静まり返った。

「……誰もいないから」
「つまり人前が嫌だってこと?」

 真希は遥に近寄る。

「嫌というか、無理なんだ」
「無理?」
「一度、コンクールで暗譜が全部飛んだことがある。それ以来人前の演奏になると頭が真っ白になる。人に聴かせられるものじゃない」

 残念そうな先生の顔。つまらなさそうな審査員の顔。
 ああ、またか、と心の片隅に思う。その、『ああ、またか』は、真希の心の片隅にどんどん積まれていった。そしていつしか無視できないくらい大きくなっていた。
 次こそは、次こそは最後まで弾ける、そう思って何回目だろうか。
 真希は体を遥の方に向き直した。膝の上の手を固く握り締める。

「だから、他をあたってくれ。俺には伴奏も、ましてやS組のパートナーなんて無理だ」

 どうかこれで引き下がってほしい。
 あと1年この学校で過ごしたら、自分は芸術の世界から立ち去る予定なのだ。頼むからもう自分のことなんて放っておいてほしい。

「ふーん?」

 遥は無表情で真希の肩を掴んでピアノ側に押し付けた。
 真希は驚きで声も出なかった。遥が何をしようとしているか検討もつかない。
 そして、真希の座っている椅子に片足を乗り上げ膝をつけた。
 真希の手が後ろ向きに鍵盤を無造作に押す。不協和音が鳴り響いた。
 さらに遥は顔を近づけ、真希の目を覗き込む。真希との距離は15センチもなかった。

「でも、お前、欲しくて仕方ないって目してるけど?」

 ピアノの音はまだ響いている。真希は遥から目を逸らした。

「な、なにが欲しいんだよ!」
「俺?」

 真希はフリーズした。俺とは、この目の前にいる悪魔のことだろうか。

「は!?」
「本当はピアノが弾きたくて弾きたくてしょうがなくて、それでずっときっかけを探してたんじゃないの?」

 遥は真希の肩を離しながら言う。遥が押していた肩が妙に熱かった。

「まあいいや、明日、昼休みのランチコンに出る。お前のために弾くから、まずはそれを聴いて決めろ」

 遥はビシッと指を真希に向けた。

「絶対にお前は俺の音に惚れるから」

 そう言い残して教室から出ていく。

「あ、ちょっと」

 呼び止めてどうする、そう思いながらも声をかけざるを得なかった。
 扉がピシャッと音を立てて閉まる。真希はため息をつきながら椅子に座り直した。

「俺だって、もしちゃんと弾けるなら」

 湧いてきた感情にそっと蓋をするように真希は小声でつぶやいた。


「で、ランチコンに行かずに屋上に逃げてきたと」

 康平は手にあんぱんを持ったまま、冷ややかな目で真希を見つめる。心底幻滅しているようだ。

「だって」

 真希は、お弁当を片手に箸の先咥えながら不服そうにつぶやいた。

 ──欲しくて仕方ないって顔してるけど?

 その言葉が真希の脳裏に響く。真希はブンブンと頭を振った。
 あれは一体なんだったのだろうか。

「真希ちゃんをそんな不誠実な子に育てた覚えはありません」
「育てられた覚えもないわ、アホ」
「しかし、お前生きづらそうだな」
「なんで」
「天才バイオリニストの伴奏とか滅多にやれるもんじゃないぞ」

 康平はあーんと口を開けてあんぱんを頬張る。

「……だって校内演奏会って来週だぞ、無理だって」
「そうか?パートナーになりたいやつはこの学校にたくさんいるのにな。俺はチャンスだと思うけど」

 それは、そうだ。真希は箸を強く握った。
 もったいない、きっと誰しもがそう思うだろう。でも、それでも、怖いものは怖い。
 相手が天才バイオリニストなら、なおさらプレッシャーである。期待のまなざしを裏切るのはもういやだ。

「おーい!屋上のお前!」

 聞き覚えのある声が下から聞こえた。下、つまり校庭である。

「え?」

 真希と康平は慌てて立ち上がり、柵ごしに下を見る。

「おい、下に結城いるぞ」

 校庭に遥が立っていた。周りの生徒たちがざわざわと騒ぎ出す。
 真希と康平は顔を見合わせた。なぜあんなところにいるのか、ランチコンはどうしたのだろうか。

「お、やっぱり屋上にいたか!校内中探し回ったわ!」

 遥はブンブンと弦を振りながら言う。

「ここでランチコンしてやるから!しっかり聴けよ!断るなら演奏聴いてから断れ!礼儀知らず!」

 遥はバイオリンを構えた。

「おいおい、まじでここで弾くつもりかよ」
 真希は唾を飲み込んだ。1音目が鳴る。

 空気が変わった。

 ━━パガニーニ カプリース(奇想曲)第24番
 ヴァイオリン独奏曲で無伴奏。奇想曲とはイタリア語ではカプリッチョと言い「きまぐれ」を意味する

 気づくと周りに人だかりができていた。あたりが拍手と歓声に包まれる。
 下の階の窓からもたくさんの人が覗いていた。先生たちまで見ている。
「おい、今の聴いて伴奏やりたくなったなら放課後練習室に来い!」
 遥は校舎内に入っていく。

 え、あれの伴奏すんの?荷が重いわ
 でもあの結城くんに伴奏頼まれるとかすごくない?
 結城に指差されてたけどあいつ誰なの?
 てかやっぱり悪魔なんじゃない?

 周りの声がいつもより大きく聞こえる気がした。
 真希は屋上の柵を強く握った。

「真希?どうした?」

 康平が心配そうに真希の顔を覗き込む。康平はこういうときは優しいのだ。

「……悔しい」

 真希はその場にしゃがみ込み膝の間に顔をうずめた。この顔は誰にも見せたくない。

「あー……お前拗れてるけど音楽は好きだもんなあ。カワイソウに、あんな演奏聴いたら惚れちまうよな」

 康平はゆっくりしゃがみ込む。目線を真希に合わせた。

「お前、伴奏やってみたいんだろ」

 ああ、そうか、自分は期待してるんだ。期待されるのはいやなくせに、自分は自分に期待をかけている。その矛盾した感情に真希は頭を思いっきり掻き回した。
 もしかしたら、あいつの伴奏を引き受けたら、この気持ちを成仏させることができるだろうか。

「ああ、もう!!」

 真希は勢いよく立ち上がった。
 大股で屋上の出口に向かう。

「真希?」
「トイレ!!」

 大きな声で叫び、扉を開ける。
 真希はすーっと息を思いっきり吸った。生ぬるい、春の陽気の香りがした。
 希望の春、新しい季節。真希は階段を駆け降りた。どこにでも走れるような気がした。
 こんな気持ちはいつぶりだろう。もしかしたら高校に入る前、中学生ぶりかもしれない。
 あの頃はピアノが大好きで大好きで仕方がなかった。

 ━━また、ピアノを好きになれるかもしれない。

 そう思うと足が止まらなかった。


 真希は深呼吸をして扉を開ける。
 そこにはピアノ椅子に腰掛け楽譜を読んでいる遥がいた。
 西日が差し込む放課後の練習室、遥の表情は影っていて見えなかった。

「来たか」

 遥の声がした。
 真希は静かに頷く。

「で?明日から合わせられる?」

 遥は楽譜を真希に突きつける。
 真希は慌てて受け取り、パラパラとめくる。

「あ、えっと譜読みするのでオマチクダサイ…」

 首を傾げるな、譜読みしないと弾けないのは当たり前だろ。

「どれくらい?」
「えーと、突貫工事で2日…」
「マジで?」
「大マジです」

 ピアノ科の誰もが初見いけると思うな。馬鹿野郎。
 すると、遥はあごに手を当て何かを考えている様子だった。嫌な予感がする。

「俺、お前の練習見てやるよ」
「え、でも、自分の練習あるだろ?」
「いや、伴奏も合わせて俺の音楽だから」
「あ、ハイ」

 真希は急に下された結論に頷くことしかできなかった。

「じゃあ、これ。手出して」
「え?」

 真希は言われるがままに手のひらを差し出した。
 遥はそこにブローチを乗せる。緑色の石がついていた。

「はい、パートナーの証」
「……初めて現物を手にした」

 遥は一瞬面食らったような顔をしたあとに、そういえば、と神妙な面持ちになった。

「そっか、俺も初めて人に渡した」
「え、そうなの?」
「だって人嫌いだもん」
「うわ、なんか拗れてそう」

 真希は険しい顔をする。

「真希くんに言われたくないな。俺と一緒であまり友達いないでしょ」
「真希でいい」

 随分と久しぶりに呼ばれた呼び方に違和感を覚えた真希は、遥の呼び方の修正を求めた。

「真希?」

 遥は、こうか?と首を傾げながら言う。胸がざわついた。こういうやりとりは小学生以来である。なんだか変な感じがする。

「それ、つけてやるよ」

 遥は不意に真希の手からブローチを取り、ブレザーの襟を引っ張り少し体をかがめた。
 遥の首筋が見える。首筋に痣がついている。
 首でバイオリンを挟むバイオリニストはたまに首に痣がついていることがある。
 何回か見たことがあるはずのその痣。遥のそれは、なんとなく艶っぽく見えた。
 真希は唾を飲み込んだ。

 ━━ああ、欲しい。

 そう思って手を伸ばした瞬間、パッと遥が離れた。

「はい、できた」

 あれ、今自分は何を思ったのか、真希は首を傾げる。
 そして行き場のない手を見つめた。
 その様子をみて、遥は右手を差し出す。握手と勘違いしたようだ。

「じゃあ改めてよろしく、真希」
「よろしく、遥」

 真希はその手を握り返す。手先は思ったよりも冷たく、真希はびっくりした。

 ━━やっぱり悪魔なのかもしれない。

 そんな考えが一瞬よぎる。くだらない、そう思い直し真希はその手をもう一度強く握った。

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