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祈られる方も大変だしな
みんな知らないだろうけれど、岡山駅の周辺ってのは、割とそれなりに栄えている。イオンモールもドンキホーテも高島屋もあるし、駅ナカの店は最近新しくなって、品川駅のそれと遜色ないレベルになった、ってのは嘘で遜色あるけど、駅前の大通りの往来は、今日も若者を中心にそれなりに多く、急いでいない休日昼間の人々が、季節よりも少し外れて眩しい陽射しや紫外線よりも、ウイルスの影を気にしながらどこかへ流れていく。
駅前の広場には、大きな球状の噴水と桃太郎&家来たちの銅像があり、その先の横断歩道を渡るとビックカメラがある。その前で、「無料でお配りしてます」と3、4人のおばさんがハードカバーの本を通行人に差し出していて、秒で謝絶されたり、最初から無視されたりしていた。すれ違いざまに“新型ウイルスの真実”という文字列が目に入って、少し可笑しかった。それに食いついた人は見た限り誰もいなかった。この先も現れるのかは疑問だった。そもそも、この通行人に声を掛けて本を配っている当人たちは、その真実とやらの内容を本当に信じているのだろうか。もしかして、ガチのマジの善意で私たちに真実を教えてくれようとしていたのだろうか。そうだったとしても、そうでなく何らかの他意があるのだったとしても、いずれにしても怖いので可笑しさは消えた。そんな存在は初めから見なかったということにした。
何かに縋ってしまう気持ち。何か大きな正しいものに導いてほしいと思う気持ち。わからないでもないけれど。
神仏に何かを祈ること自体は、とても良いことだと思うんだけどね。
みんなも、その宗旨に関わらず、その敬虔さに関わらず、寺社仏閣だったり教会だったりで神仏に何かを祈ったことがあると思う。初詣とか行く人多いでしょ。もしくは、流星群を待ってみたりだとか。
その時に、何を祈っただろうか。おばあちゃんの健康、仕事が上手くいくこと、受験の成功、心の平穏、世界の平和‥‥‥それぞれ様々あると思うけど、多分みんな同じで、その時に自分が一番大切なものを思って、祈ったんじゃないかな。
はい、そうです。というわけでね。よく祈る人は、よく知っているのだ。自分が、何を大切にしているのかを。
ということは、自分の人生において優先順位が高いことが何かも明確であり、それに沿って人生を組み立てることができたりするのです。幸福度高くなりそうじゃない?
あるいは、コインを投げる、という方法もあるらしい。ご存知かな。
何か迷っていることがある時、コインを投げて表が出るか裏が出るかに、自分の行く方向を委ねる‥‥‥ということではなく、
人には、コインを投げて着地するまでの間に、「表になればいい」「裏になればいい」と思う一瞬があり、それによって、自分の本当の気持ちがわかるのだ、と。なるほどー。
迷った時、神仏の采配を仰ぐのは良い方法だ。
多分その時、誰も何も答えてはくれないけれど、あなたはもう、自分の中に答えを持っていることがある。というかどのみち、あなたの人生をどうしたらいいのか、どうしたいのか、それを決めるのはあなた自身でなくてはならないのだ。だから、そういうやり方でのみ、神仏はあなたに語りかけるのだと私は思う。
‥‥‥え? いくら祈っても、推しのチケットが全然当たらない? いや知らんがな。徳が積み足りないのでは????
でも、よかったね。あなたにはちゃんと、大切なものがあるんだね。
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