料理から見る文化ヘゲモニー
皆様は世界三大料理というものをご存知だろうか。フランス料理、中国料理、トルコ料理がそれに当たるとされる。日本でも広く食べられているメジャーな料理だろう。ちなみに、日本においては、中華料理というと中国料理を日本風にアレンジしたものであり、真に中国の料理を味わいたいと思ったならば、中国料理と看板を掲げている店に行くと良い。
では、これらの世界三大料理に当てはまる特徴を考えていきたい。まず、これらの料理は貴族や君主に提供されるための、宮廷料理として発展してきた。フランス料理は、イタリア料理をもととし、王宮に置いて提供されるために発展した。中国料理は言わずもがな工程に提供されるために発展したものである。トルコ料理も、2つの洋の食材を集め、スルタンに提供されたものである。やはり、これらの料理の特徴としては、帝国的国家に置いて、君主のための料理として発展した点だろう。現在では、広く食べられているこれらの料理も、本来は君主のために発展したものだ。さらに、帝国的といった点が重要で、これらの国は帝国主義的な拡大の下、中央集権下で多くの民族を従え、大きな勢力圏を保ってきた。
これらの特徴より語れるのは、世界三大料理もまた、文化ヘゲモニーであるという点である。いわばサバルタンの料理は、語られることもないのだ。これらの料理は、これらの国の帝国主義的影響力の拡大に伴って、世界中へと広がり、世界中で楽しまれている。しかしそれは、料理の画一化を生んでいる。伝統料理は弱体化し、ヘゲモニー的な料理による支配が強まっている。世界三大料理はもはや過去のものとなり、アメリカ料理とでもいうべきファストフードが世界を席巻している。サバルタン的な伝統料理は忘れ去られつつある。
私は、ファストフードを悪だと言いたいのではない。私も十分、その恩恵にあずかっているのだ。しかし、資本的支配を背景とした、文化的支配は帝国主義の時代が終わってもなお強まっている。世界の画一化が進み、資本大国による大国文化の一強となるのか、サバルタン的文化が、生き続けることができるのか。それらは、今の我々の価値観次第なのかもしれない。少なくとも、サバルタン的文化に対する再評価を進める必要がある。