宗教によって社会秩序を維持することの危険性について

一昔前までは、宗教によって人々の道徳的観念や倫理観が維持され、治安が維持されてきたと言える。宗教の聖典は、いわば現在の刑法典と民法典を合わせたものであり、時代と地域によっては、それらをもとに国家や教会によって裁判が行われていた。宗教による社会秩序の維持は、低次元世界においては非常に有用に働く。盲目的な信仰は人を従順にし、宗教を根拠とした裁きは、大きな影響力を持つ。
しかし、刑法典や民法典の存在理由を考えると、これらが不完全で危険なシステムであると理解できるはずである。そもそも人が規則を定める理由は、多くの人が所属するコミュニティにおいて、個人間もしくは集団間の争いを仲裁し、罪と刑を明確にすることで、円滑に運営を行うことにある。これらの規則は、事前に想定される問題を規定し、それに対する解決策を示すことに大きな意味がある。
では、宗教による規則にはどんな問題があるのか、それはそのような規則が神のみを根拠にしており、コミュニティに所属する個人の意思が反映されていないことにある。現在の日本を含める多くの国家においては、規則となる法は国民の投票や、代議員による議論によって決定される。ここには、コミュニティに所属する個人の意思が多分に含まれており、コミュニティの状況に応じて法を修正する能力を持つ。一方、宗教の聖典は修正と自己批判の機能を持たず、ただ神のみを根拠とすることからも、コミュニティの個人の意志が一切反映されていない。このような規則は、じきにコミュニティの現状との相違が起こり、崩壊するか、抑圧の手段となり変わる他にはない。
このような点から、低次元社会における宗教の社会秩序の維持機能は、すぐさま廃止されるべきである。


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