ヴァイオリニストの齊藤清さんが一番愛おしいと感じる作曲家は?🎻🎶
京都・奈良EU協会
00:00 | 00:00
NPO法人京都・奈良EU協会の《ランデヴDEなら》です。昨年末も来て頂いた齊藤清さんと共に。去年は大変な年で、今年も緊張状態が続いているが、その中でも幸せとか喜びを見つけてゆきたい。考えることによって新しいことを作り上げる1つの栄養になったのではと思う。
齊藤さんは人の演奏に感動することはあまりなく、好きな作曲家・演奏家を聞かれても返答に困る。齊藤さんにとって「好きな作曲家」は「その時に演奏に取り組んでいる作曲家」。作品の響きに魅了されるよりも、その作品を作った時の作曲家の内的心情の瞬間瞬間を推理するのが楽しい。ベートーヴェンやシューベルトの内面の叫びや呻きが作品の中から聴こえる気がする。
齊藤清さんの昨年末のリサイタルでもその2人の作曲家にSPOT🔦を当てる。ベートーヴェンの人生を一言で表すと「戦い」であるのに対してシューベルトは「友情」や「愛」。その当時の音楽家の収入の道はほとんど楽器を演奏することによってだったので、シューベルトが職業作曲家でやっていけたのは周りの援助があったから。同じ時間とところにいて作曲をしていた2人の人間が、これだけ違う境遇で作曲したものはあまりに違う…ところが面白い!
キビシイ状況においても何故作曲するのか?内的に突き動かされるような「表現」したいという欲求。それが人類をこれだけのものにしてきた原動力。
250年前の人の考えていることを想像するのは難しいようで(でも)ある意味同じ人間なので、食べ物を食べて人を恋して人からイヤなことを言われればシュンとなるという点では同じ人間だったと思う。
シューベルトは若くして亡くなったけど充実した人生を送ったと思う。現代の人間として考えるに一口で言えば「草食系男子」的な感じだったと言うことを表す1つのエピソード。演奏にとってもシューベルトのその部分を大切にしたい。1つ1つの音の作り方も音程の取り方も響きの作り方も違ってくるし、全体の肌合いが違って当たり前だし、そう作るべきなんじゃないかと思う。
まったく生活の違う2人の1つの演奏会で取り上げた訳だが、作品に向かう時にはそれぞれ違う自分があったのか?その人間と一体になると言えれば良いが、なかなかそういう訳にはいかない。想像して人工的に作り仮面をかぶってその人になってるように見えるにはどうすればいいのか考える。そのためには彼らの生きた時間を如何に追体験するか大事。
演奏で難しいのはバッハもブラームスもストラヴィンスキーも同じ様に記譜したが、同じバッハの4分音符の音とストラヴィンスキーの4分音符の音は、作品が違えば同じ長さと同じ高さの音でも全然違う。それを推理して表現するのは何て複雑で気が遠くなるような作業かとゾッとする。そのための取っ掛かりになるのは?
メトロノームのように機械的に正確なものがあるとしたらそれを自然な表現と聴こえる人はいない。1つ演奏の中で風の渡る爽やかとか水の流れる冷たさを感じさせるためにはどうしたらいいのか?そういうものも演奏家は極めて狡猾に計算して出さなくてはいけない。人間の心の揺らめきをうまくREALに作るためにはとんでもない敏感な技術が必要じゃないかと思う。
モーツァルトとブラームスは「軽やかさ」と「重さ」が違う。軽やかさが強いほど精神としての人間という側面に行く。重々しくなればなるほど肉体的な人間になる。モーツァルトの軽やかさと現代の人間の軽やかさ、精神の軽やかさというのは共通点がある。現代の人間だからこそ分かるモーツァルトの本質がある。
青年シューベルトが置かれた状況と今のうまく生きられない若者たちの生き方ていうのは重なるところがある。自分は世の中から疎外されている不安を持ちながらどうにか適用しようとする。でもうまくいかない。その悩みの中で生きている若者てたくさんいる。シューベルトのそういう生き方、その中から作られてきた作品を聞いて「あ、ここには自分が書かれているじゃないかな」と深く作品を聴く能力のある人は自分がそこにはいるってことを感じられるんじゃないか。
200年前の人間でも作品の中には自分が生きていることが感じられる、そこがClassicの芸術作品、芸術を愛するということの1つの重要な点ではないか。時代が変わっていても人が生きていくことの感情は変わりなくある。それを言葉にしてくれた、音にしてくれたことを感じた時に(そのものが悲しみの音楽だったとしても)そこには満たされた思いがある。
すごく深い内容になったので…ぜひ続きを❗
パーソナリティは今井恵理、Mixerは仲井秀昭。
🎻齊藤清のVIOLINと今井恵理のPIANO🎹
https://www.youtube.com/channel/UCEL97z0eCboOeSiFHrbsbnA
🎼愛の悲しみ フリッツ・クライスラー Liebesleid Fritz Kreisler
🎼フォーレ 夢のあとに G, Fauré Après un rêve
🎼メロディー チャイコフスキー Mélodie Tchaikovsky
🎼愛の夢 第3番 リスト Liebesträume Nr3 Franz Liszt
齊藤さんは人の演奏に感動することはあまりなく、好きな作曲家・演奏家を聞かれても返答に困る。齊藤さんにとって「好きな作曲家」は「その時に演奏に取り組んでいる作曲家」。作品の響きに魅了されるよりも、その作品を作った時の作曲家の内的心情の瞬間瞬間を推理するのが楽しい。ベートーヴェンやシューベルトの内面の叫びや呻きが作品の中から聴こえる気がする。
齊藤清さんの昨年末のリサイタルでもその2人の作曲家にSPOT🔦を当てる。ベートーヴェンの人生を一言で表すと「戦い」であるのに対してシューベルトは「友情」や「愛」。その当時の音楽家の収入の道はほとんど楽器を演奏することによってだったので、シューベルトが職業作曲家でやっていけたのは周りの援助があったから。同じ時間とところにいて作曲をしていた2人の人間が、これだけ違う境遇で作曲したものはあまりに違う…ところが面白い!
キビシイ状況においても何故作曲するのか?内的に突き動かされるような「表現」したいという欲求。それが人類をこれだけのものにしてきた原動力。
250年前の人の考えていることを想像するのは難しいようで(でも)ある意味同じ人間なので、食べ物を食べて人を恋して人からイヤなことを言われればシュンとなるという点では同じ人間だったと思う。
シューベルトは若くして亡くなったけど充実した人生を送ったと思う。現代の人間として考えるに一口で言えば「草食系男子」的な感じだったと言うことを表す1つのエピソード。演奏にとってもシューベルトのその部分を大切にしたい。1つ1つの音の作り方も音程の取り方も響きの作り方も違ってくるし、全体の肌合いが違って当たり前だし、そう作るべきなんじゃないかと思う。
まったく生活の違う2人の1つの演奏会で取り上げた訳だが、作品に向かう時にはそれぞれ違う自分があったのか?その人間と一体になると言えれば良いが、なかなかそういう訳にはいかない。想像して人工的に作り仮面をかぶってその人になってるように見えるにはどうすればいいのか考える。そのためには彼らの生きた時間を如何に追体験するか大事。
演奏で難しいのはバッハもブラームスもストラヴィンスキーも同じ様に記譜したが、同じバッハの4分音符の音とストラヴィンスキーの4分音符の音は、作品が違えば同じ長さと同じ高さの音でも全然違う。それを推理して表現するのは何て複雑で気が遠くなるような作業かとゾッとする。そのための取っ掛かりになるのは?
メトロノームのように機械的に正確なものがあるとしたらそれを自然な表現と聴こえる人はいない。1つ演奏の中で風の渡る爽やかとか水の流れる冷たさを感じさせるためにはどうしたらいいのか?そういうものも演奏家は極めて狡猾に計算して出さなくてはいけない。人間の心の揺らめきをうまくREALに作るためにはとんでもない敏感な技術が必要じゃないかと思う。
モーツァルトとブラームスは「軽やかさ」と「重さ」が違う。軽やかさが強いほど精神としての人間という側面に行く。重々しくなればなるほど肉体的な人間になる。モーツァルトの軽やかさと現代の人間の軽やかさ、精神の軽やかさというのは共通点がある。現代の人間だからこそ分かるモーツァルトの本質がある。
青年シューベルトが置かれた状況と今のうまく生きられない若者たちの生き方ていうのは重なるところがある。自分は世の中から疎外されている不安を持ちながらどうにか適用しようとする。でもうまくいかない。その悩みの中で生きている若者てたくさんいる。シューベルトのそういう生き方、その中から作られてきた作品を聞いて「あ、ここには自分が書かれているじゃないかな」と深く作品を聴く能力のある人は自分がそこにはいるってことを感じられるんじゃないか。
200年前の人間でも作品の中には自分が生きていることが感じられる、そこがClassicの芸術作品、芸術を愛するということの1つの重要な点ではないか。時代が変わっていても人が生きていくことの感情は変わりなくある。それを言葉にしてくれた、音にしてくれたことを感じた時に(そのものが悲しみの音楽だったとしても)そこには満たされた思いがある。
すごく深い内容になったので…ぜひ続きを❗
パーソナリティは今井恵理、Mixerは仲井秀昭。
🎻齊藤清のVIOLINと今井恵理のPIANO🎹
https://www.youtube.com/channel/UCEL97z0eCboOeSiFHrbsbnA
🎼愛の悲しみ フリッツ・クライスラー Liebesleid Fritz Kreisler
🎼フォーレ 夢のあとに G, Fauré Après un rêve
🎼メロディー チャイコフスキー Mélodie Tchaikovsky
🎼愛の夢 第3番 リスト Liebesträume Nr3 Franz Liszt