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セリエ博士の”雑多”な実験

ハンス・ セリエ博士の「生命とストレス」を読んだ。この本には、ストレスの生命に与える影響だけが論述されているわけではない。現在、当然のように医学部で教えられている内分泌物質がどのように発見されたかがわかる。セリエ博士によって、内分泌物質とその機能、そして分泌器官の推定が、難解な実験手法を用いずとも、なんともシンプルで、ある種、時代背景も絡んだ”雑多”な実験(文中では、雑多な実験というタイトルで翻訳されている)により、証明されていた。それらの雑多な実験をいくつか紹介する。

副腎皮質ホルモンの○○作用がわかる実験

セリエ博士は、外来刺激が生体に及ぶと、その刺激因子に曝露された組織に炎症反応が引き起こされることに興味を抱いた。そして、その刺激に適応して副腎皮質からホルモンが分泌され、炎症の抑制に働いているのであろうと推察した。この仮説を検証するため、食塩をわざと補強させた飼料を与えた動物に、コルチコイドを投与した。結果は、炎症が抑制されるどころかかえって促進され、ガラス様変性心筋炎、結節性動脈周囲炎、腎硬化症といった「コラーゲン病」のような病変が引き起こされた。一体何が起こったのか。勘の鋭い方はお気づきだろう。実は、コルチコイドはコルチコイドでも、糖質コルチコイドではなく、鉱質コルチコイドを投与していたのだ。当時唯一入手できたコルチコイドは、アルドステロン作用をもつデオキシコルチコステロンのみだった。ただでさえ食塩負荷された動物にアルドステロンを過剰投与していたため、ナトリウムと水の再吸収が亢進し、高血圧、動脈硬化が引き起こされたため、腎硬化症や動脈の硝子様変性がもたらされたと考えられる。セリエ博士はこのことに2年は気がづかず、何度もデオキシコルチコステロンを過剰投与しては、病変を観察する度、偶発的な感染によるものだと勘違いしていたそうだ。なぜ、ストレッサーとして食塩を負荷させたのは謎だが、この実験結果をきっかけに、副腎皮質ホルモンには炎症を抑制する糖質コルチコイドと、炎症促進性の鉱質コルチコイドがあることが示唆された。セリエ博士は、副腎皮質ホルモンとして当時呼称されていたコルチン(単一の生命維持ホルモン)という名称を変え、コルチコイド(複数の生命維持ホルモン)と命名した。

腎臓が内分泌器官であることがわかった実験

腎臓は尿の生成のみならず、エリスロポエチンを分泌したり、腎血流が下がるとレニンを分泌する内分泌器官でもある。どうやって腎臓が内分泌器官であることを証明したのか?実は、これもセリエ博士の雑多実験がきっかけとなっている。ゴールドブラット氏の実験で、腎動脈の血流をクランプを用いて低下させると、全身性の高血圧症が誘発されることがわかっていた。また、セリエ自身の実験で、鉱質コルチコイドによって、高血圧症が誘発されることがわかった。よって、腎血流が下がると、腎から何か内分泌物質が分泌されて、高血圧に至るのではないか?と考え、ラットの細動脈をクランプしてみたところ、今度は尿生成が障害されてしまった。これでは、高血圧は腎臓から分泌されるホルモンのせいか、それとも高血圧を誘発する物質の尿排出が減少したせいなのか、決定できない。また、腎動脈を過度に収縮してしまうと、腎組織が壊死してしまうし、軽度に収縮したとしても、内分泌物質の生成を惹起できない。ここで考えたのが、ラットの左腎が右腎の位置よりも低いことを利用して、左腎のみの血流を下げる位置で大動脈を適度にクランプさせる手法だった。尿生成ができない程度に左腎血流を低下させた動物において、右腎、そして全身に高血圧がみられたが、左腎には高血圧がみられなかった。ダメ押しに2つの異なる条件下で同じ結果がみられるか検証した。まとめると以下になる。

① 適度に片側腎血流を低下させる → 処置腎で高血圧 (-)
                   無処置腎と全身で高血圧 (+)  
② 片側腎の神経切断 → 高血圧(-)
③ 片側腎の摘出 → 高血圧(-)

以上の観察から、血流を下げた腎で高血圧は生じず、”遠くのところ”で高血圧が生じたということは、まさにホルモンでしか説明がつかない腎臓が内分泌機能を持つということの証拠となった。

以上の実験以外にも、抗ホルモン抗体の存在、乳汁分泌と下垂体ホルモンの関係、心筋内で骨形成、アナフィラキシー様反応など、興味をそそる、セリエ博士の色々な雑多な生物実験が記述されており、とても読み応えあり、内分泌医学の勉強が面白くできそうな気がしてきた。ぜひ、手にとって読んでみてほしい一冊だ。


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