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言葉の乱れが気になる

 日本から離れているからこそ、きちんとしないと、と思うのか、昔から言葉遣いが気になります。

 アメリカに家族と住んでいた時、私が一番よく触れていた日本語は、毎日父親が見ていたNHKのニュースでした。そのため、わたしはすっかり標準語っ子です。アメリカに引っ越すまで住んでいた埼玉の方言もきれいさっぱり抜けてしまいました。
 NHKのアナウンサーが話す言葉を「日本語」と認識して過ごしたせいか、わたしは「ら抜き言葉」が気持ちが悪くて仕方がありません。例えば、歌詞などに「見れる」「生きれる」なんて出てきた日には、むずむずします。言葉を大切に思っていないのかな、と残念な気持ちにもなります。でも、ら抜き言葉にも意味はあって、「食べれる」なら可能を、「食べられる」なら尊敬を表現しているとも取れます。そう考えると、その歌詞だって間違ってはいません。時代に沿って変化するのが言葉です。歌詞に時代が反映されても何もおかしくはありません。頭ではわかってはいるのです。いるのですが、慣れ親しんだ「られる」の音が消えるとなんだかむずむずするのです。なので、現代の日本からは少々乖離してしまいますが、自分の子供たちには、「ら有り言葉」(食べられる)で接しています。

 気になる言葉は他にもたくさん有ります。一つしかないのに「お菓子とか買わないと」(他に買うのは何?!)、お金を預かる時の「1000円からお預かりします」(からって!)、「こちらがチケットになります」(変身?!)などなど……。まるで口うるさい老人のごとく。でもこれって、自分の日本語がおかしいのではないかというコンプレックスの表れなんだろうな、と思います。

 気をつけているつもりでも、言葉の乱れはひょいっと出てきます。今、自分の中で最も気になっているのは、「すごい」と「すごく」です。わたしもついつい「すごいかっこいい」や「すごいおもしろい」と言ってしまうので、今では子供達も「すごい」を使うようになってしまいました。あー、すごくだ! といつも言った後に気づくものの、時すでに遅し。なかなか直りません。

 * 最近、日本の雑誌を読んでいたら、片付けるが、かたずけると書いてあり驚きました。え、とうとうこんなところまで?
 「?」や「!」の後にスペースを空けるのも私のこだわりですが、こういう言葉のルールの変化は、実は英語にも有ります。わたしは学校で、コンマの後はスペースを一つ、ピリオドの後はスペースを二つと習いましたが、今は一つになりつつあるらしいです。
 アメリカ人の書く言葉で一番気になるのは"too"を"to"、"you're"を"your"、 ”their"を”there"と書き間違えるものです。実は、きちんとした文法で英文を書けないアメリカ人もたくさんいると知ったのは、就職してからでした。日本がどうかは、よくわかりませんが、アメリカの教育分断と格差は深刻だと思います。これはまた、そのうち書いてみたいです。

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